第12話 走りは命だ 前

 クリスタ姉様の助言で、先程公爵様にお礼の手紙を書いて送った。そこにはまたお会いしたいという気持ちも記しており、今は返事を待つだけだ。


「久しぶりの自由時間だな」


 デビュタントのために淑女教育に時間を削ったり、社交界シーズンではパーティーで各所に顔を出したりとかなり忙しい日々を送っていた。これが貴族としての生活だと考えると、案外大変なものだと思ってしまう。


(喧嘩してた日々の方がよっぽど楽だったな)


 頭を使いっぱなしの毎日だったので、少しは息抜きをしよう。

 ふうっとため息をつくと、私は乗馬服に着替えて厩舎に向かった。


「ティアラー! 走りに行こう‼」


 ティアラと言うのは私の愛馬の名前だ。立派な栗毛は、褪せることなく輝いている。

 私が大声を出すと、ヒヒーン‼ と負けないくらい大きな声が返って来た。


「ティアラ! 元気にしてたか?」


 私はティアラの元に駆け寄った。ブルッと嬉しそうな声が返ってくる。


「最近走れなくてごめんな。今日は遠くまでは行けないけど、いっぱい走ろう」


 満面の笑みをティアラに向ければ、ティアラも笑い返してくれている気がした。


 ティアラとはそこそこ長い付き合いで、もう三年も共にしている。それだけ時間を重ねているからか、馬の言葉はわからなくてもティアラとは意思疎通ができている気がするのだ。


「よし、行こう」


 厩舎を出ると、私は早速ティアラに乗った。

 レリオーズ侯爵邸の裏は馬を走らせることのできる草原なので、そこにティアラと向かう。


「やっぱり、走るなら全速力だよな」


 前世はバイクを乗り回していた私にとって、走りは命。大事にしていた愛車があり、壊れるまで乗るほど走ることが大好きだった。しかし、転生して一番絶望したのはこの世界にはバイクが存在しないということ。馬車では私の〝走る〟という願いは叶わない。


 クリスタ姉様が乗馬の特訓をしている様子を見たものの、それは非常に美しく、ゆったりとした動きだった。


クリスタ姉様が気を遣って「アンジェも乗馬をしてみる?」と誘ってくれたので、体験してみたけど、やっぱり理想とは全く違う。厳選された馬だからか、静かにゆっくりと動いていた。いい馬だとは思うが、私には合わなかったしあれは走りとは言えない。


 どうすることもできないだろうなと諦めた時、ティアラと出会うことができた。


 出会いは私が十五歳になる一か月前のこと。

 レリオーズ侯爵家に新しい馬車が用意されることになり、それに合わせて新しい馬を飼うことになった。


 しかし何かの手違いだったのか、鳴りを潜めていたのかはわからないが、一頭暴れ馬が紛れ込んでいたのだ。厩舎に入ることを嫌い、御者や使用人の手をすり抜けた馬は私の方に突っ込んで来ようとした。


「お嬢様!」


「アンジェリカお嬢様、お逃げください‼」


 使用人から心配する声が上がる中、私は馬とバッチリと目が合った。


 その瞬間、コイツだ! と思った私は、そこを動くなよという意味で殺気を放つと、馬は足を緩めた。動きが鈍くなった馬は使用人達によって、捕らえられたのだった。


 どうやら手違いで暴れ馬が我が家にやってきてしまったということだった。暴れ馬を馬車に採用することはできないので、売主へ返品するという話になっていた。


「父様。あの馬を売主に戻すって本当ですか?」


「あぁ。アンジェを危険な目に遭わせた上に、今後同じことが起きる可能性がある」


「それなら、私があの馬をもらっては駄目ですか」


「何だって?」


 私にはあの馬しかいない。直感がそう告げたのだ。

 動揺する父様に、私はあの手この手で説得を仕掛けた。


「必ず自分で世話をしますし、乗りこなしてみせます」


「だ、だけどアンジェ。それはあまりにも危険で」


「私なら大丈夫です!」


 馬が暴れたという話を聞いた父様としては、納得することが難しいようだった。話が平行線のまま、どうしようもなくなったその時だった。


「いいんじゃないでしょうか」


「クリスタ……」


「アンジェが飼いたいのなら、飼わせてあげては?」


 その一言は、私にとって大きな助け舟だった。クリスタ姉様にまで言われると、さすがに父様も言葉を詰まらせた。


「もちろん条件付きですが」


「条件付き?」


 単純な援護だと思っていた私は、クリスタ姉様の声色が変わったことに身構えた。


「えぇ。アンジェ、貴女がもしあの馬を飼いならすことができずに、また暴走が起きてしまった時には、殺処分にするという条件よ」


「クリスタ、それは……」


「厳しいことを言うけれど、もうあの馬は一度問題を起こしているわ。本来なら、返品という形が正しいの。それでも貴女が飼うというのなら、問題が起きた時に今度は目をつむることはできない。……わかるわね?」


 クリスタ姉様の言い分は正しい。

 暴れ馬を飼うということは、それだけ責任が伴うということだった。


 それでも私はあの馬がいい。この気持ちは変わらなかった。


「絶対、死人も怪我人も出しません」


「……だそうですよ、お父様」


「アンジェ。気を付けるんだぞ」


 私は力強く頷くと、早速暴れ馬の元へ急ぐのだった。


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