第10話 エスコートって必要なのか



 公爵様が訪れた翌日。急遽、淑女教育が行われることになった。


 講義を受けるために部屋に向かえば、既にクリスタ姉様と執事見習いのトッドが待機していた。


「いらっしゃい、アンジェ」


「お願います……」


 トッドがいることを不思議に思いながらも、私は着席した。


「今日は座学ではなく実践よ。公爵様とのお誘いに備えて、エスコートについて教えるわ」


「エスコート」


 聞いたことはあるし、以前クリスタ姉様が私に必要な授業だと言っていたことも覚えている。どうやらトッドがいるのは、実践での男性役とのことだった。


「まず初歩的なことから教えるけれど、何をするにしても手を差し出されたら無視せずその手を取るのよ」


「……握手ってことですか?」


「違うわ。実際見てもらう方がわかりやすいから見ていて。トッド」


「はい、クリスタルお嬢様」


 トッドはクリスタ姉様の隣に立つと、そっと手を差し出した。姉様はその手に自分の手を重ねた。


(なるほど、手繋ぎってことか)


 一人納得していれば、その様子を見たクリスタ姉様がやってみましょうと私に実践を指示した。立ち上がれば、トッドが私の隣に移動する。


「どうぞ」


 クリスタ姉様の合図で、トッドは先程と同じように手をそっと差し出した。


(手を繋げばいいんだよな?)


 一人で確認しながら、私は差し出された手を握り締めた。


「うっ。ア、アンジェリカお嬢様。力加減が――」


「あっ。足りないのか」


 ギュッとさらに力を強めれば、トッドは悲鳴を上げた。


「逆です! 痛いです!」


「アンジェ、一度手を放しなさい」


「すみません」


 二人の反応から、慌ててバッと手を放した。どうやら何かが違ったらしい。


「アンジェ。手は握らないで、重ねるだけでいいの。本当にそっと置くだけよ」


「そっと置くだけ……?」


 手を繋ぐのではないなら一体何の意味があるんだろうと思いながらトッドを見上げれば、彼は苦笑いをしていた。


「左様にございます、アンジェリカお嬢様」


 腑に落ちない心境だが、取り敢えずクリスタ姉様の言う通り手を置くことにした。


「……こう、か?」


「はい。正しいエスコートの手の置き方かと」


「えぇ。それであっているわ」


 クリスタ姉様は微笑んで頷いてくれた。

 本当にちょこんと手を置いただけだが、どうやらこれがエスコートらしい。


(ほんとにこれでいいのか……?)


 疑問を感じるものの、講義は進んでいく。


「基本的に手を差し出されたら重ねればいいけれど、どんな状況でエスコートを受けるかは知っておくべきね」


「……パーティーだけじゃないんですか?」


「いいえ、違うわ」


 各パーティーに参加してみて、婚約者同士でいる貴族が同じことをしているのを見たことがある。その記憶しかなかったので、エスコートが他の状況でも行われるのが想像できなかった。


「例えば馬車でもエスコートがあるの。男性はエスコートするために必ず後に乗り、先に降りるの」


「馬車くらい一人で乗れますよ」


「確かにそうかもしれないわ。だけどエスコートは礼儀であり男性からの気遣いでもあるの。差し出された手を無視するのはもちろん、払いのけるのも失礼なことなのよ。もちろん、強く握りしめるのも駄目」


「は、はい」


 にっこりと微笑むクリスタ姉様だが、目は笑っていなかった。思わず背筋を伸ばす。


「だからアンジェ。しっかりエスコートは受けるようにね」


「見逃さないように頑張ります」


「えぇ」


 私が思っていたよりも、エスコートというものは重要なものだった。これの対応で印象が変わるとまでクリスタ姉様は言っていたので、公爵様の動きには注意しないといけない。そう気を引き締めるのだった。




 二日後の朝。

 ゆっくり寝ようと思っていたら、専属侍女達に叩き起こされた。


「何を寝ていらっしゃるんですお嬢様! ささ、早く起きてください!」


「まだ寝ててもいいだろ……」


 公爵様が来るのは四時間後だぞ? 少なくともあと一時間は寝ていたい。


 そう思っていたのに、侍女達に布団を引っぺがされていく。


「いけません! 今日は時間をかけて着飾らなくては‼」


「男性とお出かけなさるなら、今日は世界一美しくするのが私達の役目」


「もっとよもっと、お相手を射止められるほどにしましょう‼」


 私に仕える三人の専属侍女が代わる代わる声を上げて準備を整えていく。

 三対一で勝てるわけもなく、私はあっという間に起こされ、着替えさせられ、顔と髪を整えられた。


 嵐のような侍女達だ。


「とってもお素敵ですわお嬢様……!」


「これならお相手様もきっと射止められますよ」


 どうして私が相手を射止める前提になっているかは知らないが、私は朝に弱く反論する力もなかったのでそういうことにするしかなかった。


 身支度を終えてしばらくすると、アーヴィング公爵様が我が家にやって来た。

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