第7話
レインの誘いで、俺は再びカリバー家の食卓にお邪魔させてもらうことになった。
「アレン君、昨日は帰還できなくてすまなかったな」
「いえいえ、お気になさらず……」
今日はデュランダルも同席しており、やけに威圧感のある食卓となっていた。上背は俺と比べてとても高いというわけではないはずなのだが、横幅が大きすぎて椅子やテーブルが小さく見えてくる。彼が薄着を纏っているので、その筋骨隆々とした肉体が目に入った。
「それで、依頼の首尾は?」
「実は……」
あの森は『成りかけ』が支配しており、それを討伐したことを語るとデュランダルは愉快そうに笑った。
「はっはっはっはっは! 何、たった二人で成りかけを倒しただと!?」
「信じてもらえないのも仕方ありませんが……」
「いやいや、それはまさかだ。君は何かとんでもないことをする器だと思っていたんだが……まさか、さっそくそこまで暴れているとは思わなくてな。実に痛快だ」
どうやら、デュランダルはかなり俺のことを評価していてくれるらしい。
無名の魔術師に成りかけを二人で倒したなどと言われたら、俺とて一笑に付すだろう。それをこうもあっさり信じてくれるのは、少し嬉しさを感じた。
「オレの剣に着いてきたことといい、レインが連れてくるのだからただの魔術師ではないだろうとは思っていたが……まさかそれほどの化け物だとは思わなかった。これなら代理として不足もないだろう」
「は……はは」
化け物中の化け物にそう言われてしまっては、さすがに反応に困る。
「それではアレンさん……約束していた通りすべてお話します。事の始まりは一か月ほど前。私に縁談の話が届いたことなのです」
レインが唐突にそう切り出した。
縁談……いわゆる、政略結婚というやつだろう。貴族の娘にそれが届くのはさして珍しいことでもないような気がするのだが。
「相手は名家の跡継ぎ……格としては相応のお方でしたが、私はお断りするつもりでした。しかし、父上はなぜか強硬にその話を進めようとし始めたのです。優しいお父様だったのに、いきなり私の言葉は届かなくなってしまいました」
「そこで、オレが提案したわけだ。もともと恋人がいたことにすれば、さしものアイツも無理に押し進めることは躊躇うだろうってな。その点君なら不足はない。何せ成りかけをたった二人で倒してしまうぐらいなんだからな」
「な、なるほど……」
第一に訪れた感情は安心だった。
途轍もなく低い可能性であることは理解していたが、もしあの言葉が本心からのものであったのなら、俺には真剣に向き合い答えを出す責任がある。
それにしても……話を聞く限りレインは政略結婚が嫌でどうにか逃げ回っていることになるのだが、それがどうにも彼女の人物像とマッチしなかった。
「レインは、カリバー家のためならって受け入れるタイプだと思ってたけどな」
「……私だって、本当はそうすることが正しいとわかっています。皆この家のために尽くしているのに、私だけがわがままなんて許されないって解っています。でも、でも。お父様との大恋慕を語ってくださった、あの時のお母様の顔が忘れられないんです。あの時のお母様は本当に幸せそうな顔をしていて……いつか私も、そんな風に思えるような恋をしたい。そうずっと思って生きてきたから……この想いは簡単には捨てられなかったんです」
「……そうか」
半分涙目で語るレインを見て、俺は何も言えなくなった。
「っていうか、そのお母様に言いくるめて貰うってのはどうなんだ?」
俺がそう言うと、レインは更に顔を曇らせた。
「お母様は、十年ほど前に亡くなられました」
「……」
あー、ヤバい。
さっきからレインの痛みをほじくり返すような事しか言えていない。なぜ俺にはこうもデリカシーや洞察力が備わっていないのだろう?
「そんな顔をなさらないでください。私も話していませんでしたから」
レインはそう言って苦笑した。
「シュノレス山をご存じですか? この王都の北東にある、年中極寒の雪山です」
「ああ、行ったことはないけど聞いたことはある。なんでも、神獣『フブキ』が棲んでるとか……って、まさか」
俺が行き着いたとある結論に、レインは首肯した。
「はい。十年前に起きたフブキの暴走……それを止めるためにお母様はシュノレス山に向かい、そして帰らぬ人となったのです」
「……な……。いや待て、神獣ってのは基本自分から人間を襲ったりしないもんじゃないのか?」
神の名が示すとおり、成りかけがそのまま進化した神獣はモンスターの枠を超えた存在である。人を襲うことは基本的にはなく、世界の観察者として振る舞うものたち……それが神獣だ。
「はい。件のフブキも、いつもは雪山で大人しくしているのですが……」
「ブラッドムーン。血より紅い月が空に輝く時、フブキはその荒ぶる本性を抑えられなくなる」
デュランダルが、そう口を挟んだ。
「……血よりも、紅い月」
俺にも見覚えがある。あれはまだ妹が生きていた頃だったか……ある日夜空を眺めていたら不気味なほど真っ赤な月が輝いていて、怖くなって親に泣きついたのを思い出す。
その現象はブラッドムーンと呼ばれており、ウルフ系モンスターはその月を見ると理性を失ってしまうと言われている。
「お母様は、冠位には及ばずともとても腕の立つ魔術師でした。優秀な魔術師がみんな王都を空けていた時、空に紅い月が輝き……お母様は、その責務を果たすために自らフブキの元へ向かわれました。結果、フブキの暴走は未然に防がれましたが……その代わり、お母様がこの家に帰ってくることもありませんでした」
話し終えたレインは、眼を伏せて手をぎゅっと握った。
「……そんなことが。とても強くて、勇敢で……誇り高い人だっんだな」
レインの母にしばし瞑目しつつ、つくづくこの世界は残酷なものだとため息をついた。魔力という力は人間に大きなものを齎すが、その代わり時として大切な物を代償として要求してくる。
「オレからも話がある。まだ未公表の情報なもんでな、ここからは口外無用で頼む。オレが昨日、この家に帰ってこられなかったのは他でもない……フブキが再び動き始めたという報告があったからだ。その調査に向かったんだが、確かにとんでもないモンスターの気配を感じた」
「なっ……」
悪い冗談だと思いたいが、デュランダルの真剣な顔つきがそれが真実であることを雄弁に語っていた。
シュノレス山に住まう神獣であるフブキは、アイスウルフ種が進化して生まれた存在とされる。絶対零度の冷気と、汚れ一つない白銀の毛皮が特徴的だ。
神獣の名に偽りなく、成りかけなど比較にもならないほど強大な力を持っている。もし奴がここに攻め込んできたら、最悪この国は滅びる。
「叔父様、それは本当ですか!?」
「ああ、カタリアの仇を討つ機会がようやく回ってきたってことだな。まぁそういうわけで、オレはまたしばらく留守にする……防衛線を貼るにも、奴が動き出す時期や襲撃の規模の大きさを測る必要があるんでな。って訳で、留守にしてる間この街をよろしく頼むぞ」
「は、はい」
俺の胸中にあったのは、成りかけと戦った時のような高揚ではなく死の冷たい予感だった。
今の俺では、恐らくフブキと戦って生き残ることは出来ない。考えねばならない……一体、俺に何ができるのかということを。
「レインのことも、しばらくアレン君に預ける。こいつを強くしてやってくれ……カタリアの仇が取れるように」
「お願いします。私に、悲願を叶えるための力を貸してください」
レインはもう強い。しかし、それはあくまで魔術師としての表面的な評価に過ぎない。
どうしようもない窮地に陥った時、それでも自分を導いてくれるような自信……確固たる一本の柱が、まだ彼女の中には通っていない。
それを見つけられたなら、彼女は一段階上のステップに進むことができるだろう。
「俺にできることをさせてもらいます」
来るべき大決戦に向けて、俺は気合を入れる。それと同時に、この場で確信してもいた……俺の力を、このまま隠し通すことは不可能だと。
何か良い手を考えておかなければ。自分を苛む悩みの多さに、俺は思わず頭を抱えそうになった。
「……むー」
頬を膨らませ、こちらを見ているレインに気づくことも無く。
地味で最弱な幻影魔術を極めたら、派手で最強な魔術に進化した件 月影リン @MagatukiRin
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