君はどうしてそうなったんだ

友川創希

君がいない世界で

 ――昨夜午後8時頃、✕✕高校の校庭でこの高校に通う2年生の守山真舞もりやままなさんが意識を失った状態で倒れているのを学校関係者が発見し、119番通報をしましたが、守山さんは搬送から3時間後に息を引き取りました。




「昨夜、守山真舞さんが亡くなりました」


 衝撃以外の何物でもない言葉だ。


 クラスメートの守山真舞が亡くなったことは朝のHRホームルームで先生の口からも直接伝えられた。僕の周りにはハンカチで目の辺りを強く抑え、今の気持ちを表す大きな雫――涙を流している人が目立った。彼女は学級委員長など、積極的に様々な役割を担っており、いわばクラスのムードメーカーだった。その存在の大きさを改めて痛感させられた。


 そんな彼女の突然の訃報に、彼女と何度か話したこともある僕も言葉を失った。出るはずがない。


「ただ、一つ疑問があって――」


 先生が逆接を挟んだ瞬間、教室の空気が一変し、生徒たちは一斉に先生の方を向いた。


「守山真舞が亡くなったのは、事故なのか、事件なのか……あるいは自殺なのか」


 事故、事件、自殺。彼女の命を奪った原因はこの3つのうちどれかなのか。事故でならばどのようにして起きたのか。事件ならば犯人は誰なのか。自殺ならば彼女は何に悩んでいたのか。仮にどの選択肢であろうと謎が残る。


「先生、警察からは……?」


「まだなにも言えない状態だと聞いています」


「そうですか……」


 先生がその時間に校内にいた人を尋ねたが、誰も手を挙げなかった。死亡推定時刻は午後8時頃。最終下校はとっくに過ぎているから、仮にいたとしても手を挙げるのは躊躇われるだろう。


 その日の空気は重いという言葉で片付けられるものではなかった。まるで雷を伴う巨大な雨雲が教室を覆い尽くしている……そう表せざる終えない状況だった。先生もまともに授業なんかしてくれず、僕のノートには名前もわからない不気味な生物の落書きでいっぱいになっていた。


 僕は放課後、守山真舞のことについて聞くために先生を訪ねた。だが、先生からは警察の人から伝えられていることが少なく、特に言えることはないと言われてしまった。ただ、僕が職員室に帰る先生の後を無理についていくと、突然先生が口を開いた。


「あまりこういうことを言うのは良くないと思うけれど、私は守山さんの心に何かあったのかなって思ってるんだ。ちゃんと皆を見てあげられなかった……」


 生徒たちの前で決して泣くことのなかった先生が、今は涙が頬を伝って床にこぼれている。


「……まあ、思春期って複雑ですから」


 僕は先生にしわくちゃのハンカチを渡した後、僕がこれ以上ここにいるのはよくないと思い、失礼しますと言ってからその場から離れ、家路についた。




 いつもは人がほとんど通らない道路の端で悠々と歩いている蟻を踏んだりすることがあるけれど、今日に限ってはそんなことは到底できなかった。


「あっ――」


 僕のポケットから紙が落ちる。北風がそれを運び、数メートル先でピタリと止まった。僕は小走りでその紙の方に向かった。


『僕には価値はあるのか』


 その文字がかすかに見えた。僕は周囲を見回すと、急いでその紙を落ちないようにリュックサックに入れ込んだ。そして、僕はスマホを取り出して、バイト先に電話をかける。


「あの、急で申し訳ないのですが、今日、少し体調が悪くて……。夜のバイトを休ませていただくことはできますでしょうか?」


 体調が悪いというのは嘘であるが、今日の僕にはバイトに行く気力なんてものは存在しない。やり取りの中で、言葉の裏に潜む気持ちを表に出さないようにして伝える。


『うん、大丈夫だよ。夕方勤務の島野さんが確か空いてるって言ってたし、その人に代わりにやってもらうよ』


「はい、ありがとうございます。それでは、失礼します」


 僕はそう言うと、電話をぶっきらぼうに切った。


 ――代わりに。


 この言葉が、僕の脳内の回路を攻撃してきたのだ。その言葉から逃げたかった。僕はその言葉を振り払うため、無我夢中であるところに向かった。靴紐がほどけようが、僕の頭に鳥の糞が落ちようが、全く気にならなかった。



 また学校に来てしまった。彼女が死んだとされる推定時刻の8時まではあと2時間ある。自習室で時間を潰していると、事務員さんが窓の開閉などを調べるために、自習室に入ってきた。


「あ、昨日は災難だったね。まさかそういう結果になってしまうとは。君が昨日、なにか大きな音がしましたって言ってきてくれて僕が駆けつけたけど、そこには……。ただ君は警察にいたことが知られると、この時間にいることがばれるし、ただでさえ心が動揺してるからこのことは言わないでほしいって言ったから、落ちた後の彼女を一番最初に見たのは僕だし、君のことは特に言ってないよ」


「あ、ありがとうございます。助かります」


 僕の存在を言われてないことに少し安堵する。事務員さんに対して僕は軽く頭を下げた。


「そういえば、顔の傷はどうしたの? 昨日できたの?」


「あ、いえ、元々です。気にしないでください」


「そうか、お大事に」


 事務員さんは窓の開閉を確認し終えると、僕に対して気をつけて帰えるんだよとだけ言って何事もなかったかのようにその場を立ち去った。


 僕は最終下校の時間は過ぎているが、8時まで誰もいない自習室に居座ったあと、教室に向かった。この時間が昨日、彼女が校舎から落ちたとされる推定時刻。


 ――いや、推定でもなんでもない、たしかな時刻だ。


 事件現場は封鎖されているため、その隣の教室の窓を開けて少し身を乗り出した。生ぬるい風が僕にまとわりつく。気持ち悪い。


「あいつも本当に、バカだな……」


 僕は一旦窓を締めて、さっきリュックに入れ込んだ紙を、近くにあった机に広げた。


『最近の人生は平凡で、楽しいと感じる瞬間がない。むしろやられて辛いと感じることばかり。僕には価値はあるのか。ないんじゃないか、そう思ったので自分勝手ですが、僕は自ら命を断つことにしました。皆さん、今までありがとうございました』


 僕はその文字を全て目に映した瞬間、思わず言葉が漏れた。


 ――あいつに、僕の計画をめちゃくちゃにされたな


 と。




 僕が目をつぶると、なぜだかそこはだった。いや、脳内に昨日の情景が映し出されたのだ。


 ――昨日の午後8時、守山真舞から教室に来いと言われたのだ。僕は渋々行ったのだが、僕が教室に入ると彼女は窓の側に立っていて、僕を睨むようにして見てきたのだ。思わずその目つきに後退りしてしまいそうになる。


「これ……」


 彼女は次にそう言った。とある紙を広げてて、見せてきたのだ。


「これって遺書でしょ。どういうつもり? 自分で命を断つの?」


 そうか、見つかってしまったのか。無くしてしまって焦っていたのだ。たぶん彼女は僕と隣の席だから僕が偶然落としてしまった時に、それを拾ったのだろう。


「そうだよ……自分の価値が分からなくなってね」


 もうばれてしまったのなら仕方ないと思い、僕は本心を打ち明けた。


「ほら、顔に傷があるんだよ。つまりさ、いじめられてるんだ。そんな世界で生きたくない」


 そして僕は彼女に顔の傷を近づけた。何してるんだろうとは思うけど、体が勝手に動いてしまったのだ。僕の傷を彼女に見てほしかったのだ。


「私が説得したとしても、このことを中止することはない?」


「ああ、もう決めたことだから」


 そうか、彼女は僕を説得するために呼び出したのか。相変わらず正義感の強いやつだ。それが人気の秘密なんだろう。ただ、決めたことを簡単に覆す僕ではない。


「まあ、言うだけならいいよ」


 彼女は口を閉じていたが、なにか言いたそうな顔をしているなと僕なりに感じた。だから、僕は言うだけなら自由にさせてやろうと思い、そういう言葉を放つ。


「じゃあ、実はさ――私、君のことが好きなんだよ」


「はぁ?」


 考えもしなかった言葉に僕は思わずそう言ってしまう。僕のことが好き?


「なんかさ、よく分からないけど、君は心がかっこいいんだよ」


 彼女はなぜか泣き始めた。僕の胸が痛む。


「君が命を断ったら、私の好きな人がいなくなっちゃうじゃん。私、そしたら生きる意味を失っちゃうよ。見捨てられるのはいやだ。私、耐えられない。本当は心が弱いからこそ、クラスのムードメーカになって明るく振る舞ってたんだよ。でも、そういうのなら私が先に命を断つ。そしたら自由にしていいよ」


 彼女は更に大粒の涙を流しながらそう言った。なんだか少し苛ついた。邪魔されているようで。でも、どこか心配でもあった。


「もう言うことないなら僕は命を断つよ。でも、君が自ら命を断ったら申し訳ない気持ちになってできないかもな――けど、君は人気者だろ? まあ、勝手にしろ」


 僕は気持ち悪い笑い方をしながら言った。彼女の言葉を本気にはしてなかった。そこまで僕に対する愛が強いとは到底思えなかった。


「本当? 死なない?」


 でも、彼女は僕にそう確認したのだ。真剣な目で。だから僕はまあなと言った。


 僕は言いたいことを言い終わると、後ろを振り返って教室を出ようとした。だが、その時、僕の後ろから大きな音が響いたのだ。


 ――彼女が窓から飛び降りた。




 僕は目を開く。いや、閉じていたのかも分からない。でも、もうさっきの景色を見ることはできない。


 僕は遺書をくちゃくちゃにした後、細かく破る。ゴミ袋にそれを入れ、何重にも結んだ。


 僕だけが誰にも言えない彼女の真実を抱いている。この場合、自殺というのが正しいのだろうか。いや、ある意味事件なのかもしれない。いずれにせよ、思春期は不安定だ。すぐに傾いてしまう。人といることでも。でも、そこまで彼女が僕に生きてほしいと思っていたのはなぜかを考えるのには、まだ時間が必要なんだろう。


 僕はスマートフォンから彼女のSNSを探し、とある文字を打った。


『君の分まで生きてみることにするよ。ありがとう』


 届かない彼女へ、送信。


 明日、僕をいじめている奴らに反抗してみよう。


 僕も好きなんだろうな。

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君はどうしてそうなったんだ 友川創希 @20060629

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