第12話

 クロム達が盗賊を討伐して数日。

 村長室に存在した緊急時の対応マニュアルに記載していた行商団管理の伝書バトのみが訪れた際の対応に従い、ハトは足首に脅威討伐の暗号を記載した上で飛翔させていた。

 行商関係者が常駐している都市ならばともかく、月に数度訪れるかのサントではどうしてもアナログな報告手段に頼らずを得ない。そしてハトが本部への帰還途中で魔物や戦闘の巻き添えを食う可能性もまた、あり得る。

 故にアクエを筆頭としたサントの村人は神への祈りを欠かさずに数日間を過ごした。


「フッ……ハッ……このッ……!」


 一方で盗賊の首魁たるエル・ネイム討伐を果たしたアリオーシュは、日の出と共に今日も素振りを繰り返す。

 陽光の照り返しによって強調されたのが白刃ではなく木刃というのが、一目で分かる差異か。

 彼女が普段使用していた片手剣は、彼女自身が注いだ規格外の魔力と恒星にも匹敵する熱量によって原形を失い、今や柄までしか保てていない。その上、加工屋の男からも刀身そのものを喪失しては修理もできないと匙を投げられる始末。


『お前さぁ……感情任せに剣を振るなって、俺はいつも言ってるよな。遂に剣までぶっ壊しやがって。

 帰るまでが討伐だろが……道中で襲われても知らねぇぞ』

「うっさい、あの馬鹿……」


 脳裏を反芻する師匠の小言に口を尖らせるも、全面的に非があることも理解している故に正面から吐き捨てる気分にもなれず。

 特に今回などクロムの介入がなければ最悪、共倒れすらもあり得たとなってはさしもの彼女も内心に留める他になく。

 だからこそ握る木刀にも過剰な力が蓄積する。

 風切り音が鼓膜を揺さぶる中、宿の方から足音が響いた。


「はー、ねみぃな」

「洗濯物を干し終わったらまた寝れんだ。ほら、さっさとやるぞ」


 クロムと盗賊の討伐に赴いている間に村の方も変わったのか。今では一定頻度で洗濯などの分担可能な仕事を、アクエと村人が代わり代わりで行っているらしい。

 そして今日の担当は二人組の男性。

 彼らは気怠そうな言動こそ繰り返すものの、手際は決して劣悪ではない。もしかしたら、普段から自宅で家事を担当していて慣れていたのかも知れない。


「……チッ、遅いんだよ。気づくのが」


 鋭利な瞳で睨みつけ、小声で呟くアリオーシュだが、しかし。

 言葉とは裏腹に口端は上機嫌に吊り上がっていた。

 そして彼女が気を取り直して手に持つ木刀へと意識を引き戻した時、別の異音が鼓膜を揺さぶる。

 蹄鉄が地面を抉り、軋む木材が牧歌的な印象を聞く者に与える音。時折木霊する馬の嘶きも疲労より最後の気力を振り絞っているように聞こえ、少女は視線を音の方角へと移す。

 地平線より顔を覗かせる太陽を背負い、幾つかの馬車がサント周辺の魔避けの魔石を突破。目映い水晶の照り返しを超えると、一つ間を置く。そして肺へ充分な空気を送った男は手綱を握り締めて調子のいい声音を張った。


「行商団ー、行商団が訪れたよー」



「ウチの髪を買ってくれないかいッ。ホラ、こんないい黒、早々見れたもんじゃないだろ?」

「馬鹿仰いな。ダンナさん、それよりアタシの茶髪はどうだいッ。こっちよりも艶があっていい値がつくと思わないかい?」

「それより私の旦那のこの剥げ頭を……!」

「あー、皆さん。一人一人見ますから順番に並んで下さい。それと旦那の剥げ頭にはこちらのカツラがおススメですが」


 ほぼ一月振りの行商団ということもあってか、馬車の周辺には人口の半分はいるのではないかと錯覚する程の人盛りが生まれていた。

 元々餓死者が出ていないのが奇跡と言える、深刻な物資不足に悩まされていた村である。金の工面にも苦労している声が散見され、積み荷は湯水の如く村の手に渡っていく。

 彼らの逞しさから一歩引いた場所に立つアリオーシュは喧騒には耳も貸さず、右人差し指に嵌められた指輪を青空へと掲げていた。


「思ってたよりも綺麗……」


 陽光に鈍く反射する赤い石は、王宮で飽きる程見てきた宝石類と比較すれば価値の一つも見出せない。正しく路傍の石に過ぎず、アリオーシュ自身もわざわざ指輪に加工している物好きを一目すれば奇異の眼差しを注ぐ可能性を否定できない。

 しかし実際の金銭価値とは別の部分で、彼女は指輪を彩る赤を愛おしげに眺めた。

 反対の指で普段の言動からは想像もつかぬ手触りで優しく触れ、口端にも柔らかな笑みを浮かべている。

 視線を横へと注げば、クロムが側に立つ幼い村長代理と目線を合わせるべくしゃがんでいた。


「これで約束は完遂だ。今後の安全は別の奴を頼ってくれや」

「はい、ご心配には及びませんよクロムウェル様。行商団の方が今回の補填として、傭兵さんを口聞きして下さるらしいですから」

「そうかい、それは良かったな」


 満開の花が咲き誇る笑顔を前に、クロムも釣られて微笑むと少女の緑髪を撫で回す。そして彼女も頭を触れられる感触に表情を崩して喜びを発露。

 無事に成立した無限ループに、外から眺めていたアリオーシュが顔に手を当てた。

 親子か、娘の頑張りを褒める父親か。

 喉まで出かかった言葉を上向きにして飲み込むと、砂を擦る音に視線を戻す。


「……今は気分がいいから、その顔は見たくなかったんだけど」


 緋の瞳が蔑視の眼差しを注ぐ先、そこには恰幅のいい服を羽織った──宿の食堂でひと悶着あった男の立ち姿。

 どこかバツの悪い表情を浮かべる男の姿は滑稽で、状況が許すのであればアリオーシュは大口を開けて嘲笑していただろう。

 何せ彼女達はサントを物資不足の危機から救った英雄。押しも押されぬ救世主であり、二人へ面と向かって罵倒を飛ばす変わり者などいようはずもなし。


「いったい何しに来たの。まさか、村を出るからって今の内に馬鹿にしようとか?」


 代わりに勝気な笑みを浮かべると、男は言葉を言い淀んで背丈を縮めて丸まる。


「……いや、その……」

「聞こえないけど?」

「……悪かった。食堂で突っかかって」

「ッ……?」


 謝罪は流石に想定していなかったのか。頭を下げる男を見つめるアリオーシュの目は驚愕に見開かれ、信じられないといった表情を露わにする。

 一方で誠意を示す男は視線を上げぬまま、ありのままに少女への謝意を綴った。


「気が立ってたのは事実だ。否定できねぇ……何で謝罪を示せるでもねぇが、とにかく頭だけでも下げねぇと……!」

「え、あ、その、いや……!」


 言葉を尽くす男を前に、アリオーシュは続く台詞が思い浮かばず両手を前で振るばかり。

 悪意には過多なまでに触れ続け、神経を擦り減らしてきた。だが、反面で素直な謝罪や善意といったものには早々触れる機会が訪れず、彼女自身も耐性を失って久しい。

 茶化していいものでは決してなく、かといって否定するほどの適当さは皆無。

 彼の誠意を理解できるからこそ、少女は両手で虚空を薙ぐばかりで意味のある反論を述べられない。


「頭を下げられたなら、相応の対応があるだろ。アリオーシュ」

「え、あ、ク、クロム?」


 故に気づけばクロムが側に立ち、助け船を出していた。

 しかし、彼女は師匠が語る相応の対応というもの事態に、皆目検討がつかない。

 頭上に疑問符を浮かべて困惑する弟子の姿を見かねてか、男は嘆息を零すと先陣を切った。


「頭を上げなさいな。こっちはそんな気にしてねぇしよ」

「そうは言っても、俺はアンタにも失礼な真似を……!」

「飯に泥を混ぜられた訳でもねぇ。そんな細かく突っ込むような器の狭いつもりはねぇさ」

「本当かッ……本当に、済まなかった……!」


 アリオーシュはクロムの対応を眺めると、倣うように男と向き合った。


「あの、その……わ、私もそこまで気にしてないというか……売り言葉に買い言葉というか、こう……私もごめん」

「……謝れてよろしい。だったら、次に頭を下げる相手もいるよな?」


 言い、クロムの指差す先には事情も分からず小首を傾げる幼い少女の姿。

 確かに、男から売られた言いがかりに対抗すべく、アリオーシュは手料理を振る舞ってくれた少女に対しても酷い仕打ちを見せた。

 吐き出された言葉達は完食したからと言って、容易に許されるものでもないだろう。


「ッ……」


 殊更ゆっくり唾を呑み込み、緊張に高鳴る心臓の音が鼓膜を揺さぶった。

 僅か一一になる少女相手に何とも恥ずかしい話である。が、羞恥心で言葉を濁せば本心は伝わらない。

 それこそ、アリオーシュが胸に抱いた謝意は。


「そ、その、えっと……ご、ごめん、なさい」


 消え入りそうな声音で頭を下げる。

 顔は気恥ずかしさに紅葉し、ともすれば彼女の赤髪よりもなお赤く染まった。

 一瞬、何を言われたのか理解が及ばず、アクエは小首を傾げる。

 緊張によるものか、アリオーシュの謝罪からは主語が抜け落ちていた。食堂での一件だと明言されなかったばかりに、少女の脳内では何に対する言葉を判断できず、思い当たりのある内容を片端から引っ張り出す。


「んー……とにかく大丈夫です。私はこの村の村長代理ですから!」


 満開の花が咲き誇る彼女の笑みに、つられてアリオーシュもまた心中が氷解する感覚を味わった。



「で、次はどこに向かうつもりなの?」


 行商団がサントを離れるのに伴って馬車に同乗したアリオーシュが、同じく荷台に乗り込んだクロムへ問いかけた。

 元より二人の旅に目的地はない。

 アリオーシュは最終的に自分一人で生き抜けるだけの力を求めてクロムへ師事したに過ぎず。クロムもまた、一つの目標を定めて足を運んでいる訳ではない。

 だからなのか。師匠は弟子の言葉を聞いているのかも分からず、ただ幌の隙間から伺える青空を眺めていた。


「そうだなー……あぁ、アレだ。剣の参考にと、お前に見せたいもんがあるんだわ」

「剣の参考? それってッ……?」


 どこにあるのか。

 綴られた言葉は途中で彼女自身の手で遮られる。

 アクエや村人との交流に引き摺られてか、誰かを頼ろうとした──信じようとした自分に遅かれながら気づいたのだ。

 驚愕に薄く開かれる緋の目は幸か不幸か、青空へうつつを抜かす男の視界には入らない。

 動揺する瞳がやがて揺れを抑えると、アリオーシュは露悪的に表情を歪める。


「それって、どれ程の意味があるのかしら。精々時間の無駄じゃなきゃいいんだけど」


 肩を竦めて嫌味を吐き、嫌われて当然のポーズを取る。師匠が愛想を尽かしても仕方ないように。

 だが、彼女が自らの心を守る処世術を取ったところで男にとっては関係ない。


「それはもう間違いなし、効果テキメンだ。ミツルギ国にあるから、距離はちょっとあるけどな……」

「ミツルギ国って大陸から離れるじゃない?!」


 弟子の心を導くこともまた、師匠の務めなのだから。

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王剣真儒──祖国を追われて歪んだ王女は自国の元騎士に師事した旅で善意に触れる 幼縁会 @yo_en_kai

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