第11話
クロムが盗賊の軍勢を相手に騎士としての本領を発揮している同時刻。
「はぁ……馬鹿クロムめ、美味しいところ持っていっちゃって」
アリオーシュは師匠からの指示を受け、嫌々ながらも内部に囚われている人がいないかの捜索を行っていた。
尤も、盗賊達は行商人の髪の毛までむしり取るような手合い。わざわざ人質を取るような理性が働くとは露ほどにも思えず、故に洞窟を探る彼女の動きはどこか無警戒さが拭えない。
存在しない人物を探すくらいならいっそ、盗賊の残りに見つかった方が遥かにマシ。
彼女の動きには、確かな邪念が見え隠れしていた。
洞窟内部は等間隔に設置された魔石から噴き出す炎によって最低限の光源を確保してこそいる。が、直前まで陽の下で活動していたアリオーシュからすれば視界は劣悪という他にない。
「どうせ捕まえるような頭もないでしょ、コイツらに……全く、心配性め」
そもそも目先の利益に目が眩んで、より広い視野でものを考えられないのが盗賊。彼らは金の卵を産む鶏を縊り殺して今日を生きる肉にする程度の価値観しか持ち備えておらず、故に行商団を躊躇いなく襲撃できるのだ。
他者の抱く痛痒への想像が欠如した暴力。
それこそが盗賊の強みであり、同時に限界でもある。
「あぁ、誰も彼も苛つくなぁ!」
湧き上がる激情の赴くままに剣を抜くと、アリオーシュは壁面を乱雑に切り裂いた。
壁に深々と刻まれた刻印と残響する咆哮が、少女の迸る怒気を洞窟に伝播させる。にも関わらず、反応する者は皆無。
正面から殴り込みをかけ、迎撃に赴いた盗賊を次々と返り討ちにしている化物がいれば止むを得まい。しかし、相手の事情など彼女には知ったことではない。
「チッ、臆病者ばっか……!」
なおも吐き捨てる言葉は、寸前の所で遮られる。
背を逸らした刹那に振るわれた、フードを掠める刃によって。
剣筋自体は微塵も伺えず。どころか今もなお、刃を振るった存在すらも視界に収めることは叶わない。ただ掠めた布地が捲れ上がり、露わになった鮮やかな赤髪が殺意を持った敵の実在を証明している。
肌に突き刺さる感覚に従い、アリオーシュは半歩後方へと飛び退く。
「ハッ、言ってれば来たか。顔も出さない臆病者がッ」
「……」
三点着地で滑りつつ好戦的に口角を吊り上げるアリオーシュの挑発を前にしても、敵は姿を現す前兆を見せず。
視界に干渉する類の魔法か、あるいは何らかの手段で別の場所から手を出しているのか。
いずれにせよ、フラストレーションが溜まっている彼女にとっては好都合。
「私はアリオーシュ・トルエライトッ。名乗れるものなら名乗ってみせろ、臆病者ッ!」
切先を正面へ突きつけ、アリオーシュは惜しげもなく偽名を口走る。
相手は姿を隠蔽する臆病者、名乗りに応じる訳がない。ある意味では侮蔑とも取れる余裕を肉食獣の如き笑みに含めて。
だからであろうか。
「フッ……」
「ん?」
大気を震わす微笑に、問いかけた彼女自身が多少の動揺を見せたのは。
「フッフッフッ……騎士の真似事をする割には偽名を通すのか。アリオーシュ・トルエラ・ルビィライト?」
「ッ……どこで、その名前を?」
「王家の証たる赤髪を見れば誰でも分かるさ。カヴォルスト王国第三王女……民に反逆された愚かな王家」
「ハッ。耳が痛い、とでも言えば満足かしら?」
男の言葉を否定することなく、アリオーシュは前髪を掻き上げる。
如何に血が繋がっているとはいえ、反逆されて当然の愚行を積み重ねてきた者達に同情する気はない。滅ぶべくして滅んだだけの、単純な話として彼女は早々に整理をつけていた。
故に姿なき刺客の言葉に動じることなく、半身の姿勢で待ち構える。
「で、名乗る気はないのかしら?」
「……エル・ネイム、とだけ言っておこうか」
「あら、
皮肉交じりの賞賛を送るも、刺客に動じる様子はない。
代替として放たれたのは、喉元へと迫る鋭利な刃。
刺突の一撃に対してほぼ直感で身を捩って回避すると、勢いをそのままにアリオーシュは剣を薙ぐ。
炎熱を纏った灼熱の刃は、しかして虚空を切り裂くばかり。
確かな手応えを感じない、影と手合わせをしているにも等しい状況に少女は歯噛みする。敵意を込めて周囲を見渡すも、確かに迫る脅威への痕跡一つ残されてはいなかった。
「チッ、面倒な……あぁ、そうだわ」
舌打ちを零しつつ風切り音を頼りに刃を回避していると、彼女は事態に対する一つの解法へと思い至った。
見応見真似の所業であり、姿なき敵への対処に適切なのかは不明。
だが、現状の破れかぶれに剣を振るう虚無にも等しい状況を続けるよりは遥かにマシ。
ならば良しと解法を実行すべく、アリオーシュは足を止めて息を整えた。
イメージとしては身体の輪郭に沿った魔力の膜。薄く、均一の厚みを、全身隈なく覆う形で。服装でいえば社交界で一度だけ着用した布地の薄いパーティドレスが相応しいのであろうか。
攻めっ気が失われたことでネイムからの刃が思う存分振るわれ、迎撃の剣閃を放つ度に集中が乱れるものの、所詮相手も剣士にあらず。姿が見えず、刃の起こりから剣筋を推測できないだけで捌くのは難しくない。
そして全身に魔力のパーティドレスを纏うと、アリオーシュは一気にそれを解き放つ。
クロムが盗賊の残した魔力の残滓から逃走した方角を探ってみせたように。
「ッ……なんだ、この圧力ッ」
瞬間、紙袋の破裂を何千倍にも増幅した破砕音が洞窟中に響き渡る。少女周辺の壁面には雷鳴の如き亀裂が広がり、正面からは地を滑る音が鼓膜を震わせた。
幾つかの魔石が破損したことで視認性こそ悪化したが、目論見自体は完璧に成功。
「ハッ、見つけたッ!」
「何ッ?!」
背後へ向けていた切先から魔力を開放。
自らを弓矢と化して直進すると、魔力感知擬きで掴んだ人影へ横薙ぎの剣閃を見舞う。鼓膜を揺さぶる甲高い接触音と、振り切れぬ確かな手応えが下手人の存在を肯定した。
得物から伝わる動揺を前に、追い打ちをかけるべく一気に攻勢へ。
全身に包んでなお有り余る膨大な魔力が刀身へと注ぎ込まれ、アリオーシュの剣が陽炎を纏う。炎熱の一閃が視認性の落ちた洞窟に一つの輪郭を与え、僅かな屈折から少女は敏感に敵との距離を詰めた。
「この、呪われた王家め……!」
炎熱に押し出される破滅の剣戟を前に、次はネイムが防戦に徹する番。
膨大な魔力量を武器に際限なく一太刀の重みを増す彼女の刃は、二振りのナイフだけで捌き切るのは困難を極める。
一撃を受け止め、斬り払うごとにナイフの根幹が歪み、加速的に使い勝手の劣化を招く。かといって回避に徹しようにも既に姿の隠蔽は意味を成さず。
加えて、アリオーシュは稚拙ながらも剣技の形を取っている。
「ハハハッ。呪われた王家に呪われた民、互いに呪い合って相思相愛じゃないッ!」
「こ、の……!」
苦し紛れに放たれた刺突を軽々しく掬い上げられ、懐に踏み込んだところへ一閃。
胴体を両断する寸前で反対のナイフが割り込み直撃こそ叶わないものの、力づくで振り抜くことでネイムの身体を射出。間髪入れずに踏み込むと、破裂した地面の反動で地を離れた敵との距離を詰めた。
アリオーシュは直感していた。
今刃を重ねている姿なき刺客こそ、盗賊の頭にあたる存在であると。
部下を捨てて逃走する気だったのか。もしくは囮にして死角から不意打ちを放つつもりだったのか。
目論見自体はどうでもよく、重要なことはネイムの討伐こそが行商団の安全確保に直結すること。万が一にも逃走を許せば、再び盗賊行為を繰り返すということ。
だからこそ通路の突き当たりに衝突したナニカの亀裂へ向け、彼女は躊躇いなく刃を振るう。
「ガァッ!!!」
野太い絶叫が響き、数瞬遅れて輪郭を得た左腕が宙を舞う。
「いい悲鳴ねッ。もっと鳴けェッ!」
「こ、の……ガキを犠牲に生き延びた分際でェッ!」
「ッ……何を……いきなり!」
追撃の刃は僅かな動揺の隙に躱され、代わりに通路の一角に横薙ぎの斬痕が刻みつけられた。
未だ敵の姿を視認することは叶わないものの、滴る流血がネイムの居場所を特定する。
にも関わらず、アリオーシュの見開かれた緋の目は殺意を滲ませるばかりで刃を振るう兆しを見せず。柄を握る掌から一筋の流血が尾を引く。
「私が、誰を犠牲にしたとッ……!」
「今更しらばっくれるつもりかッ。
俺は見てたんだよ。お前が七ツの弟を贄に生き延びた瞬間をッ。そいつが処刑される間、肩を震わせていた様子をなァッ!」
「そ、れは……だって、死にたくないし……!」
所詮は刃を重ねた敵の言葉。ましてや片腕を失った死に損ない。
問答無用で斬り捨てて、永遠に黙らせてしまえばいい。無駄口ばかりを叩く不快な鳴き声を、根本から潰せばいい。
そう簡単に割り切ることは、彼女にはできなかった。
弟と自分。どちらを処刑するかで前者を選択し、火炙りにされた瞬間を目の当たりにして安堵した事実は拭えないが故に。
「そうやってお前らは全てを犠牲にしたッ。だからこそ民は扇動され、国は傾いたァッ」
「そ、それがどうしたッ。私には知ったことじゃないッ!」
火花が舞い散る。
激情に突き動かされるネイムと精彩を欠いたアリオーシュの間で。
「わ、私に何が出来るとッ。一五の小娘に何がッ?!」
無論、何もできない。
王が君臨し、上の兄二人は共に軍や政治で辣腕を発揮している以上、継承権もない小娘にできることなど皆無。
それを理解できぬのは政治を分からず分かろうともせぬ民草。
「それが贅を貪る者の言葉かァッ!」
「そ、それだってそっちが勝手に渡したものでしょぉがッ!」
国に、誰かに、世界に。
所詮は群れねば何もできない癖に群れの中でも不満は尽きずに溢れ、挙句の果てに他者へとぶつける醜い肉塊。
それがアリオーシュ・トルエラ・ルビィライトが結論を下した、生命のあり方。
命の本質。
「だから嫌いだッ。国も王家も国民もッ。アナタ達なんかと私を一緒にするなッ!」
殺意を握る。強く強く握り締める。
眼前の敵への万感の殺意を。
何があっても確実に殺し尽くすという昏い情熱を秘めて、剣を固く握り締める。
脳裏によぎる
森羅万象一切合切、形ある全てを滅ぼし飲み込む破滅の光芒が今、少女の細腕より岩壁を舐め回す炎熱の奔流と共に解き放たれる。
「死ねェッ!!!」
取り繕う術も無くした激情が横薙ぎの剣戟と共に振るわれ、ネイムとの距離を詰めた。
剣技も何もなく無造作で力任せな、膨大な魔力に支えられた暴力を前に男は腰を落として待ち構える。ナイフで軌跡を逸らし、空いた胴体を返しの剣戟を打ち込むために。
彼の読みは正しく、才覚に溺れた剣士程度であれば必殺のコンビネーションとなり得ただろう。
誤算があるとすれば。
「なッ……!」
彼我の魔力差を考慮に入れなかったこと。
竜種を相手に関節技で挑む人はいないように。
あるいは山を踏んで平らにしようと目論む人がいないように。
もしくは広大な海を火炎魔法で蒸発させようと狙う人がいないように。
世界に存在するあらゆる技術は、最低限の膂力による均衡を前提とする。それすら賄えなければ、単なる暴力に磨り潰され果てるのみ。
そう、ナイフと人体と羊皮紙の区別もつかぬ恒星の斬撃に裂かれたネイムのように。
「に……?!」
「まだまだァッ!」
通り過ぎた先で身を翻し、アリオーシュは迷彩魔法が解けて炎熱に包まれた骸へ突撃。腰の辺りで構えた切先を、男の身体へ突き立てるために。
半身を失った挙句に焼き爛れ、崩れ落ちる肉体への追撃など意味に乏しい。ましてや過剰な魔力供給によって激しく損耗した剣では、徒に消耗を深めるばかり。
否、仮面の剥がれた奥に浮かぶ狂笑を一目すれば、接近の選択肢すらも失せていた。
だが、そうではない事実が二人の距離を詰め──
「相手を良く見ろ、馬鹿弟子」
黒刃の一閃が身元不明の骸を引き裂く。
弧を描き舞い上がる頭部は流転した状況に対応し切れず、一拍子ズレた狂笑を浮かべていた。
「馬……クロム……」
地面を転がる頭が軽い音を弾ませる中、アリオーシュの口が黒刃の担い手の名を紡ぐ。
「ハァ……お前さぁ、剣の状態とか良く見て……」
「……!」
弟子の握る剣の有様に苦言を呈するつもりであったクロムだが、肝心の得物を手放して抱きつかれては言葉を失う。
既に外の盗賊は全員仲良く首を無くし、彼女が討ち取った男もまた首から上を殺風景なものへと変えていた。故に死角からの奇襲を心配する意味は薄く、更に言えば彼自身も囚われの人物などいないと予想を立てている。
限界を迎えてガラスの如く砕け散る刀身に嘆息するも、持ち主は意識を傾けるつりもさえもない。
「少し、こうさせて……」
「俺はお前の親じゃねぇんだがな」
「あんなのに……こうはしない」
鼻声で語る少女は男と視線を合わせる素振りも見せず。
代替とばかりに時折啜り泣く声音が、静寂に包まれた洞窟に木霊する。
「そうよ……あんなのに、こんな」
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