第10話
クローム・クロムウェルにとって最も印象深い剣とは、断頭台のギロチンである。
カヴォルスト王国在籍時。当時の友好国であるミツルギ国との技術交流のため赴いた際、彼はギロチンによる処刑の光景を目の当たりにした。
処刑用の広場付近に位置する床屋や商店は軒並み臨時閉店し、聴衆は階段を登る罪人と遥か頭上で鈍く輝く刃を凝視する。
魔法や魔力による補助もなければ、高度な技術で切れ味を研ぎ澄ました訳でもない。単なる質量と重力加速、そして人体の弱点たる首を固定する拘束具の原始的な組み合わせが命と罪を切り離す。
野蛮な催しだ、と口にしたのは同行した騎士の一人か。
不満の捌け口とばかりになじられ、命を散らす瞬間だけを待望される光景は確かに異常で、カヴォルストで拝める光景では断じてない。
クロムとて最初からのめり込んでいた訳ではなく、あくまで聴衆の集まる先へ視線を注いだだけの話。
ならば運命の分かれ道は、やはり手放された紐が天へと飛び上がり、反比例して死の刃が振り下ろされた刹那。
『……!』
罪人の首が、宙を舞う。
綺麗な弧を描き、青空に真紅の後を残して。
同時に歓声が湧き上がり、生首の先からは胴体を無くした嘆きが地面を伝う。荒々しき前時代的な処刑方法は、しかして野蛮さとは対極的に綺麗な断面を晒す。
今からでも頭部と首を繋げれば、罪人は息を吹き返すのではと錯覚する程に。
唾棄すべき催しだと吐き捨てる同僚もいる中で、気づけばクロムは足を止めて次の処刑を待ち侘びていた。
救歴六四年。
今から一三年前、クロムが遭遇した運命である。
そして一三年の時を超え、盗賊の首が宙を舞う。
勢い良く飛び上がる様は鳥の巣立ちを彷彿とさせ、事実肉体という枠からも抜け出した男の魂は自由の身なのだろう。
神の手で取り行われる審判の時までは。
一方、迅雷の速度で駆け抜けて剣閃を繰り出した断頭台は、盗賊一団の背後を取ると反転。振り向き様に付近の首を切り落とす。
「こいつ、いつの間にッ……!」
「まだだ」
屍の言葉を置き去りにクロムは加速。
足に蓄積した魔力を限界まで絞り抜き、神経を研ぎ澄ます極々小さな穴から排出する。解き放たれた弓矢の百数倍を誇る規格外の速度は盗賊達に瞬間移動を連想させ、視界から消え去る錯覚さえも植えつけた。
姿を見つけた時には低くしゃがみ、掬い上げの構え。
黒刃の煌めきは一陣の光芒を成し、遅れて袈裟掛けにされた盗賊の血が軌跡を彩る。
刃を押す魔力もまた、限界まで密度を高めた瞬間速度重視。ともすれば腕が吹き飛びかねない危険域を精密に操作し、涼しい顔でクロムは断面を眺めた。
「これも違う」
続いて加速、加速、加速。
精密な魔力操作による流麗な動きはしかし、盗賊には動作の切り抜き程度の光景にしか映らない。そして更なる映像を収めようと足を止めれば、即座に命が肉体から零れ落ちる。
数十人は下らない盗賊の大軍勢が、たった一人の男によって壊滅の憂き目に合うのは悪夢としか形容できず、中には戦意を喪失して武器を手放す者も少なくない。既に罪咎が蓄積し過ぎた彼らに対して、断頭台が手を緩める理由とはなり得ないのだが。
「あ、あぁ……!」
盗賊の一人。
比較的若輩の男が足を止め、返り血と真水に濡れた顔にも厭わずに口を上下させる。
心当たりが一人いるのだ。
今や盗賊の首を刈り落とす断頭台と成り果てた剣鬼の、真名にして元の所属に。
「あ、あれはカヴォルスト最強の……
カヴォルスト王国が誇る最精鋭部隊、宝石騎士団。
僅か一〇八名に過ぎぬ騎士の集まりにして、カヴォルストはおろか大陸中に勇名を轟かせる精強なる騎士団。
劣勢の戦況を僅か一部隊で切り返した逸話に事欠かず、周辺国には血濡れの宝石とすら恐れられた歩く伝説。総身を以って大陸最強の軍事力を支え、末期でさえ度重なる連戦による消耗の果てに撤退が精々という脅威的な戦闘力を誇る。
男とてかつては子供心に憧れ、理想を抱いて剣を磨き、そして何時しか届かぬ星に焼かれて堕落した果ての盗賊。
夢見の枕で語られたお伽噺の再現に、放心するのも無理はない。
「しかも、アレは……クローズ、クロムウェ……!」
名を呟く刹那、呼び水の如く切り離された頭部は、流転する視界の中に剣鬼を捉える。
盗賊の存在など意にも介さず、ただ一つの目標にのみ視線を注ぐクロムの姿を。
「ちげぇ、あの切れ味には程遠い」
重みが違う。狙いが違う。鋭さが違う。切れ味が違う。
クロムの脳裏に焼きついた、あの断面の綺麗さには程遠い。
故に男は魔力をより精密に研ぎ澄ます。
薄く。鋭く。職人が手触りの感覚を元に調整するように細かく操り、自身の身体を弓矢へと変換。迅雷の速度を以って、すれ違い様の断頭を実行する。
しかして騎士の理想は遥か彼方、望む断面とは致命的なまでに形を異とした。
力づくで切り裂いたかのような荒い切り口。辺りに散乱する肉片。引き摺られた皮が半ばまで剣筋の影響を受け、断面を微かに覆ってしまっている。
その全てが、彼の理想から乖離した醜い絵面。
「これも違う」
思い描く図からかけ離れた代物を端的に切り捨てると、クロムは次なる獲物へ照準を合わせた。
幸いにも盗賊は未だに数十人残っている。
微調整を施す余地は、十二分に残されているのだから。
そうして盗賊の拠点に乗り込んでから数分、多く見積もって十数分後。
「ちげぇ……全部ちげぇ。これじゃ師匠として形無しだな」
首を傾げて不満気に呟き、クロムは黒刃の両手剣を引き摺って感想を述べる。
明確な終着点を持つ自身ですら頂きは遥かに遠い。ましてや絵図を描くことさえできないアリオーシュでは、到達までにどれだけの時間を使うのか。
教えを説く側があまり懇切丁寧に教える訳にはいかない。が、かといって要らぬ苦労をさせるのもまた先人として正しい行いではないだろう。
どうすべきか思案しながら、男は全滅した盗賊の亡骸を避けて深淵の先を目指す。
すると、頬を撫でる風の質に変化が生じた。
「……異様に高い熱。またアイツ、魔力を垂れ流してんのか……」
アリオーシュは魔力に対して極めて高い潜在能力を秘めているが、故に力押しでの解決を好む悪癖がある。確かに格下相手であれば正面から磨り潰せるものの、ある程度の技量が拮抗すれば話も単純ではなくなる。
だからこそ感情的に刃を振るうべきではないと、口を酸っぱくして教えていたのだが。
「またやらかしたな、アイツ……はぁ」
嘆息を一つ。
幸福を逃がすと男は深淵の顎へと歩を進めた。
弟子の痴態を指摘する、師匠として。
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