第9話
「奥の、手……?」
アリオーシュの目に映るのは、鮮血で満ちた容器。
容器自体はガラス細工で、サント周辺で取れる砂を素材にしているのだろう。不純物のない透明さは窓ガラスなどへの応用が効くのならば、村の名産にできるのではと疑う程に。
一方の中身はあくまで手作業故か、鮮やかな赤の中に多少の気泡や肉片が目についた。
そして殊更に彼女の関心を集めたのは、ゴブリンの小指辺りから子削ぎ出したと思しき骨。クロムの振る手に乗って左右に動いては、時折壁にぶつかって軽い音を鳴らす。
「こんな、のが……?」
「ゴブリンの血と骨。後はまぁ、削ぎ損ねた肉とかだな」
息も絶え絶え、地面には滴る無数の汗と疲弊具合が伺えるアリオーシュであったが、用途不明の道具を作成していたクロムを叱責する態度だけは取らず。
自らの疲労は自己満足のために押し切った結果という自覚が、容器に浮かぶ骨へ怪訝な眼差しを注ぐに留まらせた。
目に見えて消耗している少女への労いか、クロムは然して勿体ぶらずに口を開く。
「突然の問題だが、魔物は何故魔避けの魔石を嫌う?」
「そんなの……魔石が魔物を構成する魔素まで吸い取る、からでしょ……」
クロムはアリオーシュの答えに満足して大正解、と笑顔で人差し指を突き立てる。
魔素の吸収効率が極めて高い魔避けの魔石は、魔素によって肉体が構成されている魔物にとっては天敵とも言える存在。特にゴブリンなどの人間サイズの個体では魔核が精製する魔素を上回る速度で吸収され、肉体を維持することさえできないという実験報告すらも上がっている。
また大気中からも一切の容赦なく吸収していくため、魔物達は魔避けの魔石の存在を敏感に感じ取れるという。故に人類の敵は魔石の先に人類が文明を築いていると本能では理解しても、正面から攻め込むことが叶わないのだ。
「つまりだ、魔素を内包する物質は魔避けの魔石へと引き寄せられる。そして盗賊といえども四六時中魔物の脅威を警戒しながら生活する訳がねぇ。
かといって他所の村に移住する訳にもいかねぇわな、犯罪者が。そうすると、外で暮らすためには何が必要だと思う?」
「そんなの安全を確保するための……!」
綴る言葉は途中で湧き上がる驚愕に遮られ、最後まで音を繋げることはない。
そしてアリオーシュが正解に辿り着いたことを察し、クロムは両手で彼女を指差した。
「大正解。
盗賊の拠点にもキチンと魔避けの魔石が設置されている、という訳さ。そして、この容器はある程度の距離まで近づけば音を立てて反応を示してくれる」
こういう風に、と容器を振ると乾いた音が数度ガラスを叩く。
盗賊の拠点を割り出す手段は理解した。
だが、なおも課題は数点残されている。故にアリオーシュはある程度呼吸を整えると、浮かび上がった別の疑問を口にした。
「なるほど……で、その即興品はどんだけ役に立つんです……?
まさか、このまま着の身着のままに進むって訳でもないでしょ?」
「ある程度はどうしてもカンになるが、逃げた方角くらいなら……ホラッ」
瞬間、男を起点に目に見えないナニカが開放。
頬を撫でる違和感を含んだ風へ不快気に眉を潜める少女を他所に、クロムは別の方角を指差した。
「盗賊の痕跡はあっちだな。あっちの方へ進みつつ、これが反応するのを待つ。
ま、今日はここで休むから本格的に探るのは明日からだがな」
「ハッ……まだ私は行ける、けど」
「そうかいそうかい。ま、俺はゆっくり寝るつもりだから、それでも行きたいなら一人でどうぞだ」
「チッ……」
アリオーシュの強がりに付き合うつもりは毛頭なく、クロムは早々に一夜を明かす準備を始めた。
仕方ないと師匠に続く弟子の側では、馬車の木材から作成した槍に突き立てられたゴブリンの頭部。今や生気を失った瞳から涙の代わりに血が滴っていた。
物資不足を補う非常用の手段故に安眠とは行かない男であったが、彼の不安は杞憂となり朝日を無事に拝むことが叶う。弟子は弟子で携帯用の食事に少なくない不満を抱えていたが、睡眠自体は充実していたのだろう。鮮やかな緋の目には確かな快眠が見て取れた。
「さて、今日こそ盗賊共を切り刻むか」
「ハハッ。いいね、その目標。馬鹿クロムにしてはいい提案ッ」
快活に笑う弟子と共に焚き木や毛布を片づけると、昨日の時点で感知した方角への道へ着いた。
「……」
直前、黙祷を捧げるアリオーシュに便乗して頭を下げるも、クロムとしては面識も何もない相手。形式的なものになってしまったのは否めない。
改めて道を進むも、流石は盗賊が逃避先に選んだだけのことはある。
最低限の整備すらもままならない道は、早々に馬車の通行は不可能だろうと察する荒れ模様を見せつけた。おそらく多少の損をしてでも馬車を破壊しているのも、輸送が不可能であると理解しているからこそなのだろう。
とはいえ盗賊が逃げ帰れるのと同様に、徒歩の二人ならば踏破も叶う。
むしろ身軽な剣士二人ともなれば、弱者を食い物にする盗賊よりも一層首尾良く進む。
半日かけて踏破した果てにクロム達を待ち受けていたのは、崖の一角をくり抜いた洞窟であった。
悪意ある第三者の介入を想定していないのか、クロムの推測通りに表には魔避けの魔石が堂々と設置されている。そして魔石の輝きが届かぬ先では、深淵が顎を広げて侵入者を食らわんと待ち侘びていた。
「ここが、盗賊の拠点ね」
「そういうことだな」
クロムが翳した容器も魔避けの魔石に反応し、骨が割れんばかりにガラスを叩いていた。揺れ動く血液もまた、激しく波打ち容器を刺激する。
「ここから先は敵の拠点に殴り込みをかけることになる。当然、本来なら気配を殺して隠密に徹するのが一番なんだろうが……」
不審な言葉の区切りにアリオーシュが視線を入口から師匠へ移すも、既に手遅れ。
「ちょ……馬鹿何をッ」
彼女が発した静止の訴えも虚しく、豪快なモーションで振り抜かれた腕に乗って、容器は一人入口の先へと先行する。
流石は騎士の膂力か、物々しい音を立てて大気を切り裂く入れ物も、やがては勢いを無くして落下。派手な音を立てて中身の血液や肉片を外気へと晒した。
「……」
「良し、これで奴らも起きただろ」
「良し、じゃないわよッ。馬鹿ッ、馬鹿クロムッ。何を血迷ってこんな奇行をッ?!」
満足気に入口を眺めるクロムに対して、アリオーシュが声を荒げるのも無理はない。
せっかく奇襲の好機を得たにも関わらず、師匠は豪快にアドバンテージを投げ捨てたのだ。事実として深淵の奥からはガラスの割れた音につられ、徐々に喧騒が地響きの如く大きくなっていく。
内部に余程反響したのだろうか。闇の中から二人を覗く眼光は一つや二つではない。
「別に問題ねぇのさ。寝起きの盗賊程度なら」
一方のクロムは、弟子からの至極当然な訴えにも我関せぬとばかりに眼光を深淵へと研ぎ澄ます。
「何が問題ないって?!」
「あー、アレだよアレ。もしも囚われの何かがいたら一か所に陽動したいだろ。そういうことだ」
「囚われッ? 髪の毛一本むしり取る連中が?!」
「そ。こう、あるだろ。どっかの偉い人が通って、その顔をこいつらが知ってて交渉しようとしたー、とかそんなの」
「凄いふわふわなんだけど?!」
なんだか急に適当な表現を口にしたことでアリオーシュは不安を抱くも、面倒そうに頭を掻くクロムに取り合うつもりはない。
とにかく、と区切ると剣の切先を洞窟の奥へと向けた。
「お前は中に入って索敵しろ。敵はこっちで切り刻むから、お前は可能な限り囚われの人の救出オンリーな」
「チッ……美味しいとこは独り占めかよ」
「そういうなよ、もしかしたら掘り出し物があるかも知れねぇぞ?」
男の余裕そうな口振りに再度舌打ちを零すと、アリオーシュは納得したように一歩後退。クロムの前へ突出してきた盗賊を凝視した。
逆手持ちのナイフが二振り。魔物の皮を剥いで繋ぎ合わせた盗賊の出で立ちはある意味では非常にらしく、テンプレートに押し嵌めたかのような印象をも受ける。
「誰だか知らねぇが、テメェも瞬殺!」
盗賊は身を低く屈め、地を滑るようにクロムとの距離を詰めると唐突に地面を切り上げた。
舞い上がる粉塵は彼我の視界を潰すも、盗賊はなおも淀みなく男の首元へと目掛けてナイフを振りかざし──
「おせぇ」
刹那、黒刃が薙がれたことで頭部と胴体が今生の別れを告げる。あまりに突然過ぎる別れに遅れて断面から赤い涙を流し、盗賊の胴体は頭部の後を追って地面へと倒れ伏した。
同時に粉塵も切り裂かれたことで、他の面々もクロムの怜悧なまでの漆黒を正面から捉える。
地面に縫いつけられたかの如き衝撃はアリオーシュの侵入に気づく素振りすらも伺えず、鮮血を浴びた男の姿に釘付けとなった。
「……ちげぇなぁ」
クロムは盗賊の亡骸を見つめて呟くと、次の標的を目指して両の足に魔力を込めた。
肉食獣が獲物へ跳びかかる寸前のように。
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