第8話

 救歴七七年。

 ストン民国の僻地サントから旅立ったクローズ・クロムウェルとアリオーシュ・トルエライトは、行商人の男が村へ来たのと逆のルートを辿った。

 男の背中は針鼠の如く弓矢が突き刺さった痛々しい様相を呈しており、血痕や足跡などの痕跡が多数残されている。加えてクロムは魔力の残滓を感知する術を心得ており、かつては追跡の任を拝命したことも一度や二度ではない。

 隠蔽に意識を割く余裕のない男の道中など、手に取るように理解できた。


「おい馬鹿クロムッ。そっち行ったぞ!」

「ゲギャァッ?!」


 アリオーシュの荒々しい斬撃がゴブリンの頭部を切り裂き、魔核を失った魔物は瞬時に肉体を魔素へと変換する。

 少女が呼びかけた先には、子供程度の体躯に二倍近い両の腕を伸ばした緑肌の悪鬼。血と油に汚れた肌は陽光の照り返しに鈍く輝き、手に持つ金棒を一層強調する。

 ゴブリン。

 人間の死骸に魔素が反応することで誕生する悪鬼は、母体から記憶でも引き継ぐかの如くに人の習性を利用する。

 たとえば同胞の死体を弔うべく、回収する習性を。


「ゲギャギャギャァッ!」


 素早く地を滑る悪鬼の先には、かつて行商団が利用していた馬車の残骸。そして烏に啄まれた死体と彼らを守護すべく立ちはだかる縮れ毛の破戒騎士。


「おいおーい、師匠を頼ってくれるなんて……」


 標的にされた上で牽制の雄叫びを上げる脅威を前に、クロムはアリオーシュに頼られたことへの歓喜を告げる。

 間合いの計り辛いゴブリンの得物を横跳びで躱し、すれ違うように剣を振り上げる間に。


「嬉しいなァ!」

「死体の無事が最優先、でしょッ。気持ち悪いッ。その程度の区別は着くつもり!」

「ゲギャァッ!」


 常識の埒外にあたる膂力の金棒を剣で受け止め、アリオーシュは苦虫を噛み潰す。

 骨にまで響き渡る衝撃が彼女の想定外であったことが一つ。そしてもう一つはクロムの馴れ馴れしい師匠面。

 そして最後の一つは、彼から押しつけられた課題が原因を成していた。


「というか、何さ魔核を壊すなってッ。そういう細かいの私苦手なんだけど!」

「ゲギャッ?!」


 積み重なった怒気を解き放ち、アリオーシュは剣から炎を噴き出して加速。鍔競り合いの形を取っていたゴブリンを強引に押し返すと、崩れた体勢へ横薙ぎの剣閃を叩き込む。

 切り裂かれ、撒き散らされる流血の中。

 濁った水晶が音を立てて砕け散り、途端にゴブリンの肉体が紫に砕け散る。


「ゲッ! またこれェッ?!」

「ハハハッ。魔核を壊すなよ、アリオーシュ!」

「壊すなったって、魔物の核って一定の場所にないじゃん!」


 魔核とは魔物の中枢を成す器官。

 凝縮した魔素が体内で結晶化したとも言われる球体は、砕くことで魔物を原形すら残さずに塵と化す。

 しかし生物の範疇から逸脱した怪物は内臓すらも一定とせず、人間でいう心臓を破壊して終了と簡潔な話でもない。ゴブリンで言えば頭部や胴体、ロックリザードならば身体の中心部と、多少の方向性こそあれどもそれもまた絶対の指針とはなり得ず。

 故に狙って破壊することが困難ならば、狙って回避することもまた困難。


「こんなの意識しないでも壊れるっての……あぁッ!!!」


 迸る怒気の赴くままに刃を振るうアリオーシュだが、再び魔核を砕かれて肉体を崩壊させるゴブリンを前に声を枯らす。

 悲鳴とも絶叫とも取れる声が響き渡り、雲一つない青空へと吸い込まれた。



「よし、群がってる連中は軒並み潰したか」

「んだよ、この……ハァッ……!」


 馬車へと群がったゴブリンの軍勢を薙ぎ払い、背中へ両手剣を収めるクロム。隣ではアリオーシュが切先を地面へと突き立て、息を切らして潰走するゴブリンを見つめていた。

 常とは異なる立ち回りに集中力を研ぎ澄まし、結果として普段以上に体力を使ったのだろう。

 緋の目には消耗が見て取れ、地面を濡らす汗も一滴や二滴ではない。

 彼女の努力が多少は芽を結んだのか、ゴブリンの骸もまた辺りには散乱していた。逃走分と加味しても、当初攻め入った数の半分にも満たないが。

 疲弊している弟子を置いてクロムが振り返ると、馬車の惨状を改めて目の当たりにする。

 横倒しとなり、幌が破られた様は辺りにぶちまけられた物資の残骸と相まって腸を食い破られた死体を連想させた。

 放り出された四つの死体はいずれも衣服が剥ぎ取られ、中には髪すらも切り落とされている。時間が経過したためか、眼球や腹部などの柔らかい部位は烏によって啄まれ、死者への尊厳は微塵も考慮されていない。


「……」


 静かに目を瞑って数秒、黙祷するとアリオーシュと向き直す。


「これ以上死骸を晒すのもアレだ。お前の炎で焼いてやれ」

「焼いてって……まだ祈りの一つも捧げてない。せめて聖職者なりが通るのを……!」

「魔物は生物と魔素が反応して誕生する。時間を置いちゃ取り返しのつかねぇことになるぞ。それとも一人一人深く埋めるか?」


 魔素による影響を防ぐのに一番早いのは火葬。

 そもそも魔素が付着する肉体を失ってしまえば、魔物へ成り果てるはずもない。燃え滓の骨などを媒介とするケースも存在するが、脅威度としては大きく劣る。

 一方の土葬は、少なくともセイヴァ教の浸透した地域では一般的な弔い方ではない。

 人力で土を掘る労力が遺体を燃やし尽くす労力とは比べ物にならず、また手間の割に土から這い出るケースも枚挙に暇がない。都市に被害をもたらした魔物が元を辿れば、殺害後に死体遺棄の一環で埋葬された人物であったという事例も年に何度か報告されている。

 クロム達の目的はあくまで盗賊の討伐、被害者の安寧は仕事に含まれてはいない。


「チッ……分かったよ」


 師匠の忠告を受けてか、アリオーシュは舌打ちを零す。

 そしてワンピースに血が付着するのも厭わず、死体を動かすと魔物の残骸を拾い上げる男へ問いかけた。


「で、どの程度深く掘ればいい?」

「は? 本気か?」


 さしものクロムも、アリオーシュの質問に声を上擦らせる。

 一方の少女は億劫そうにフード越しに頭を掻くと、緋の瞳が死体を射抜いた。


「本気よ。なんか……こういうのは嫌だ」


 死者の尊厳まで踏み躙られる行為に拒否感を抱くのか。

 アリオーシュの口調は普段のものからかけ離れた、どこか弱々しい音色で奏でられた。


「そうかよ。言っとくが俺は手伝わねぇぞ」


 他にやることがあるんだと言い、クロムはバッグから空の容器を取り出す。サントを出る前に保存食の他に見繕って貰った品の一つであり、盗賊の拠点を割り出すのに大きな役割を兼ね備えている。

 背後では地面に鋭利なものが小気味よく突き刺さる音が鼓膜を揺さぶった。元より師匠の手を煩わせるつもりはなかったのか、アリオーシュは黙々と地面へ向き合う。

 そうして陽も下り、燈色の明かりが荒野を塗り潰す中。


「ハァ……ハァ……これで、聖職者が通れば……後は向こうが、やってくれるでしょ……!」


 剣を支えにアリオーシュは前屈みに立つと、恥も外聞もなく舌を垂らした。

 彼女の背後には五つ分の不自然な色身を持つ地面──掘り返された証左が刻み込まれている。そして側には馬車の残骸で作り上げた即興の十字架、更には未だ火葬も成していないことを主張する文面が綴られていた。

 暑さが限界を迎えたのか。フードも拭い去られ、赤の短髪からは汗が滴る。

 見るからに疲弊している少女の元へ、労いの言葉を携えてクロムは歩み寄った。手には中身の詰まった容器を持って。


「おー、馬の分まで用意したのか。よくやったな」

「うっさい、馬鹿ッ……疲れてんのよ、こっちは……!」

「いやいや、実際一人でここまでやるのは大したもんだよ」


 実際、クロムが丁寧な手順を取らずに早々の火葬を提案したのも、逐一埋める手間を惜しんだため。本命を前にして疲労困憊でダウンされるなど、本末転倒に他ならない。


「俺だったら絶対やりたくないもん。いや、これをやるのは本当に頑張ったな」

「ハッ、珍しいことも……あるもんね……ところで、その手に持ってるのは?」

「あぁ、これか?」


 アリオーシュの質問を受けて翳したのは、中身を鮮血で満たした容器であった。


「これこそ、盗賊の拠点を探る奥の手だ」

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