第7話

 サントを訪れた男を、村人が即座に行商人だと認識した理由は幾つか存在する。

 一つ目は推理でも何でもない、行商団を待ち侘びる期待の念が来訪者を皆行商の類と認識してしまう誤認。とはいえ単なる勘違いで村中の人々が足を運ぶ騒ぎとなろうはずもなし。

 二つ目は身なりの良さ。仕入れる元手に加えて村間の移動を可能とするには相応の資金が必要であり、必然的に見目の良さを意識する余裕も生まれるというもの。だが三つ目の理由と比較すれば、重視した者は皆無に違いない。

 そう、三つ目の理由。

 針鼠の如く背中に刺さった弓矢──盗賊に襲われた決定的な証拠と比べれば。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 魔避けの魔石を跨ぎ安心したのか、もしくは体力の限界か。

 膝から崩れた男が地面に突っ伏すと、背中の傷から夥しいまでの血が地面に海を形成する。肩に止まっていたハトもまた、飛び散る血に白翼を朱に穢した。

 遅れて駆け寄ってきたのは村長代理を務めるアクエ。そして村在住の医師が追随する。


「だ、大丈夫ですかッ。いったい何がッ?!」


 半狂乱状態で声をかける子供の声に意識を覚醒させた男は、内臓にまで至った傷に血反吐を吐くのも厭わずに音を紡ぐ。

 行商団に降りかかった悲劇を、村の危機を伝えるために。


「と、盗、賊だ……奴ら、武器に、毒を……すぐ、国に、連絡……!」

「静かにして下さいッ。今喋ると傷がッ!」

「俺は、もう……ダメだ……だか、ら、国に……軍、を……!」


 派兵して貰え。

 そう口にする気力すら最早男に残されてはおらず。

 焦点を失った瞳から光が消え去ると同時に身体から力が抜け落ち、男は肉の塊へと変換される。医師の確認を待つまでもなく、誰の目から見ても明らかな死体へと。

 目の前で誰かが亡くなったという現実を認められず、アクエは血に濡れるのも厭わずに身体を揺さぶる。


「お、起きて下さい……こんな場所で寝ると風邪引きますよ……!」


 目元に熱い水が蓄積し、徐々に頬を伝って流れ落ちる。

 ただでさえ子供には過ぎた責任が圧し掛かる村長代理の立場。近辺の魔物や盗賊討伐を担っているクロム達への労いも、如何に料理が趣味といえども負担が皆無とは言えず。精神を追い詰める数多の要因が襲いかかる中で人死にという追い打ちは、幼い子供の限界を超える要素としては相応しく。

 決壊を防ぐべく天を仰ぎ見るも堪え切れず、噛み締めた奥歯から心の軋みが迸り──


「アクエちゃん。このハトを鳥籠にでも入れて、絶対に逃がさないで」

「ぁ……クロム、ウェル様……?」


 不意に乗せられた掌から伝わる熱が心地よく、投げかけられた言葉と合わせて心の決壊を寸前で食い止める。

 涙で霞んだ視界が捉えたのは、普段はだらしない印象を抱く男の横顔。

 しかしアクエの頭を抑えるクロムの顔立ちは真剣で、正面を見据える漆黒の瞳は強い決意を秘めていた。

 男の手には幼い少女の頭ともう一つ、自由を求めて足掻くハト。

 首を左右に振って手から逃れようと蠢き、クチバシを何度も繰り返し上下させる。見開いた目も相まって、飼い主の死を切欠に正気を失ったのかと錯覚させた。


「このハトには軽い催眠魔法が施されてる。行商団の壊滅を切欠に本部へと帰還するような類のがね。

 そしてハトが単独で帰ってくれば、本部のお偉いさんはそのルートには何らかの危険があるとして今後は使用を避けるようになる」


 長らく行商団がサントを訪れなかった一因も、男に降りかかった悲劇と密接に関わっているのだろう。

 襲う側からすれば首都から遠く離れて軍に介入される心配もなく、独自に傭兵を雇って護衛をつける金銭的余裕もない。

 全ての好条件が揃った狩場に踏み込み、襲ってくれとフェロモンを撒き散らしているにも等しい行商団。彼らを前に獣の本能を剥き出しにするのは当然の話であろう。

 人々の受ける被害を勘定から外せば。


「辻褄は合う……か」


 クロムはハトを片手に踵を返し、背後から遅れて追いかけてきたアリオーシュとすれ違った。


「どうしたの?」

「宿に戻って準備しな、アリオーシュ」

「準備って何の? てか質問に答えろよ、馬鹿クロム」

「そりゃあアレだよ、アレ」


 盗賊狩りだよ。

 クロムは何ら変哲のない、平時と同様の声色で告げた。

 それが彼の、師事した男の経歴を改めて証明するようで少女は微かに背筋から冷たいものを走らせる。

 寸前の所で後退る足を縫い留めたのは、彼らが盗賊を排除することで誰が一番利益を得るのかという邪推。背後で集団を形成する連中に頼まれたのかと、アリオーシュが敵意を込めて歯軋りを鳴らす。


「こんな人に頼るしか能のない連中をいつまで助けるつもりなのッ。盗賊が原因だって分かったんなら自分達で倒せよッ。

 弱い分際で人様のことをさァッ!」

「お前だって宿を借りたり、アクエちゃんの手料理を食べてただろ。人がお前に奉仕するのは当然か?」

「ッ……それはあの娘がやってるだけで、他の連中は……!」


 クロムは振り返り、言葉に詰まるアリオーシュを凝視。

 ナイフを喉元に突きつけるような眼光に、少女は不満諸共に奥歯を噛み締めることしかできない。

 とはいえ、彼女の気持ちが全く理解できないかといえば、それもまた否。


「他の連中に益を与えるのが不満なら、俺の我儘に付き合うってことで勘弁してくれ」

「我儘ァ?」


 怪訝な顔をするアリオーシュから顔を逸らすと、クロムは再び宿への帰路に着く。

 無辜の民を苦しめ、徒に殺める連中の許容などできようはずもない。

 如何に正道を歩む騎士からかけ離れた身分に落ちぶれようとも、王国所属の騎士団を離脱しようとも。流血の道を歩むクローズ・クロムウェルは、罪なき民の味方でもある。

 流れ滴る血の中に、他国の民が混ざろうとも。


「あぁ、師匠のやりたいことに弟子が引き摺られる。これで……」

「いいえ、これは私からのお願いです」


 クロムの言葉を遮ったのは、鈴のような声。

 二人が声の方角へと振り返れば、背後に立つは幼き少女。

 目元に浮かんでいた涙は拭われ、代わりに決意を秘めた瞳が二人の騎士を力強く見つめる。


「あの男の人の……これまでサントを訪れようとした人達の敵討ちをお願いしますッ」

「……ハッ。何、こんな時まで自分が村長ですアピールって訳?

 人望がない人はご苦労なことね」


 アクエの言葉に対して、先に口火を切ったのはアリオーシュであった。

 人を乏しめることしか考えていない悪辣な物言いに、少女の奥に立つ村人は声を揃えて反感を抱く。

 しかし、肝心の村長は悪意に歪んだ緋の瞳を前にしても一切動じることなく、確かな眼差しで見つめ返した。

 アリオーシュは悪意に満ちた言葉を好むものの、決して単なる悪人ではないと彼女はよく知っていたのだから。


「まるで嫌われたがってるみたいな言い方ですけど、私はトルエライト様のことも信じていますから。きっと私達のことを助けて下さる、礼をいうべき人だって」

「ッ……この、ガキッ……!」


 図星なのか。

 激情が喉に突っかかったアリオーシュは二の句を告げることが出来ず、逃げるようにクロムの後を追う。それは無言の首肯であると、アクエは確信に近いものを抱いた。

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