第6話

「石の加工だぁ?」

「そ。できるでしょ、ここなら」


 後日。

 フードを目深に被ったアリオーシュが訪れたのは、サントの外れに位置する加工屋。岩石をくり抜いて作られた家屋に、後から煙突を付け足した外観は村の中では唯一性が強い。

 鉄を打っていた男が目を丸くするのも無理はない。

 アリオーシュの鋭利な緋の目は、明確な意思を以って掌の上に置かれた赤い石を突き出していたのだから。


「指輪に加工して……そうね、右の人差し指に入る感じでお願い」

「指輪ねぇ。ま、出来ねぇってことはないが……そんなにいい石なのか。それ?」


 少女の自信に満ちた顔と掌に置かれた石を男は交互に見直す。

 指輪に加工して欲しいと願う石など、相当な価値があるのだろうと推測こそすれども。実際に提示された石は、控え目に言って路傍の石。精々、子供が家に持って帰る程度の代物であり、宝石類のような付加価値は欠片も見通せない。

 職人からの質問にやはりとでもいうべきか、アリオーシュは白い歯を覗かせて答える。


「えぇ、逸品よ」

「そういうことならいいが……そうだな。このサイズなら銀貨四枚だ」

「あら、思ってたより安いのね」

「俺はカヴォルストからの避難民だ。店開くのにも無茶やってる、少しは技術の安売りでもしないと、生活もままならん」

「……」


 カヴォルスト。

 隣国の名を口にした途端、アリオーシュの纏う空気が変わった。

 目深く被っていたフードを一層深めて顔を覆い、端を掴む左手は引き千切らんばかりに力を加える。微かに震える肩からは敵意が滲み、零れる吐息もまた何かを我慢するかの如く。

 抑え切れぬ何かを予感させるものの、幸いにも加工屋にそこまで人の機微を敏感に感じ取る必要性は皆無。


「あっちでも加工屋を嗜んでた……腕には信頼を置いてもらって構わんぞ」

「……そう、ね。腕は買ってやるわ。腕は」

「?」


 含みを持たせた言い回しに怪訝な表情を浮かべる男であったが、特段深く追及することはない。わざわざ客と店の関係で藪をつつく意味はなく、金さえ繋がっていれば生活は成り立つのだから。

 職人が人差し指のサイズを確認すると、指輪のデザインについて幾つかの質問を重ねる。

 そうして依頼を終えると、アリオーシュは加工屋に飾られている武具を手に持つ男へ話しかけた。


「三日でできるって。馬鹿クロム」

「三日か、そりゃ早い。見た感じ、細かな装飾品はメインじゃないだろうに」


 クロムが掲げているくわは、農具に相応しいシンプルな造形をしていた。荒野を耕すために先端が普段よりも鋭く、土地への理解も伺える。反面、普段使いの道具ということもあってか飾り気はなく、見た目は無骨そのもの。

 他の展示されている品にしても同様で、派手な意匠は微塵もない。まさしく職人芸と呼ぶに相応する地に足着いた機能性に満ちていた。


「……カヴォルストからの、避難民だって言ってたわ」

「なるほどね。そりゃ腕前は確かだわな」

「銀貨四枚でね」

「避難民で首も回らん感じか。チップでも弾むか?」

「いいわよ……馬鹿らしい」


 呪詛の念を吐き捨てると、アリオーシュはクロムの横を通り抜けて出入口を目指す。

 一刻も早く店から出たいのか。小走りで進む様は何かを忌避するようにも見え、故に正面への意識が疎かになる。


「つっ」

「ごめんなさッ……」


 正面から襲い来る衝撃に、反射ででかけた謝罪の言葉が喉に詰まった。

 ぶつかった男の顔に、恰幅の良さに心当たりがあったために。


「テメェ、あの時のクソ女……!」

「……あら、何時ぞやの宿での魔物食い」


 アリオーシュ達が滞在している宿の食堂で店員と揉めていた男は、再会を果たした少女に対して鋭利な眼光で挨拶を交わす。応じる彼女もまた、口端を歪めて相手の無知を嘲るが如く言葉を綴った。


「どうしたの、いよいよ加工と調理も違いも分からなくなった?」

「んだとッ。テメェこそ何しに来やがった?!」

「話す理由がないわ。馬鹿には何を言っても分からないでしょ、言葉を理解できないんだから」

「んだとゴラァッ!」

「そこで暴れんなよ、二人とも。他のお客様に迷惑だろうが」


 一触即発どころか手を出す数秒前といった空気に、背後からクロムが声をかけた。

 実際、出入口で揉めてもらっては入店したい客やクロムのように退店したい客の迷惑となる。店への影響を思えば、せめて外で口論を交わすのが吉と言えた。

 だが、既にヒートアップしていた二人によって道理は蹴り飛ばされ、空白は無茶で埋められている。


「テメェはすっこんでろッ。つうか、コイツはコイツでなんで顔を隠してんだよッ」

「陽暴症の対策よ。陽光を浴びると苦痛が生じるってあの……あぁ、もっと分かりやすい言葉で教えるべきかしら?」

「ハハハッ。本当かよ、実は別の理由があるんじゃねぇのか。たとえば……髪を切っちまってるとか?」

「……!」


 男の正鵠を得た指摘に、アリオーシュは僅かに言葉が詰まった。

 そして数秒の空白は男の証言に揺るがぬ証拠としての説得力を付与する。


「図星かよッ。ハハハッ、こいつは笑えるぜ。セイヴァ教の教えに逆らう程の馬鹿だったとはなぁッ!」


 頭髪、特に女性の髪が尽きぬことなき幸福の象徴とされるセイヴァ教に於いて、身内の不幸以外で髪を切ることは禁じられている。ストン民国ならず多数の国に浸透している価値観は数多の女性に長髪を余儀なくし、同時に髪を短く切り落とした少女を異端視する根拠ともなる。

 男の嘲笑に奥歯を噛み締めるアリオーシュは腰の剣を掴むも、流石に刃傷沙汰を引き起こす程に血迷ってはいない。ただ、握り締めた剣は全身を飲み込まん程の怒気で音を鳴らすばかり。

 故にこそ、男は突然飛んできた拳を前に完全なる不意を打たれる。


「つッ……!」


 右頬を打ち抜かれ、受け身の一つも取れぬ男はきりもみ回転して床と衝突。無事に豪快な接吻を果たす。

 訳も分からず呆然とするアリオーシュが首を回すと、すぐ側には拳を振り抜いたクロムの姿。

 普段は気怠げに半開きの目蓋が怒りに開き、眉間にも加齢とは異なる皺が幾つか刻まれており、口端からは怒気を孕んだ白煙が渦を巻く。


「クロム……?」

「流石に今のは、冗談にしても性質が悪いと思うなぁ。おじさんは……!」

『これで文句はないかしら』


 クロムの脳内に浮かんでいたのは、アリオーシュが断髪した時の光景。

 風に揺られて宙を舞う鮮やかな赤に、確かな眼差しで睨みつけて来る未だ幼き少女。手に持つ剣に絡まった髪も両の腕が鮮血に染まる覚悟を暗示するかの如くに見え、事実として彼女が魔物や盗賊を斬り捨てて後悔した所をお目にかかったことはない。

 女性が髪を切ってまで、禁忌を侵してまで示した覚悟を知っている師匠に弟子への愚弄を許容することなど不可能。


「チッ、クソ野郎が……!」


 目を激痛で潤ませた男は腫れた頬を抑えて反転し、捨て台詞を残して店の外へと逃げ出していく。

 臆病者の逃避を眺めると、クロムは血でも付着したように右手を振った。


「普通に身内の不幸があった線もあるだろうが、ったく」

「クロム、その……」

「おう、なんだ?」


 横合いから声をかけられたクロムが振り向くと、そこには目線を地面へ落としたアリオーシュの姿。

 一瞬、男の暴言に落ち込んでいるのかと邪推したものの、僅かに上気した頬が否と突きつける。

 いうべき言葉が浮かんでいないのか、もしくは素直に口へ出す事に羞恥の念が混じっているのか。いずれにせよ、アリオーシュは中々本題を切り出すことなく、暫しの時が流れる。

 一秒か、十秒か。もしくは一分。

 一時間はかかっていないだろう時の末、漸く意を決した少女は心中に宿した念を吐き出した。


「クロム、その……ありが──」

「行商人がきたぞぉッ!」


 だが現実はひたすらに非情。

 時間切れと言わんばかりに外からの喧騒が、アリオーシュのか細い覚悟を薙ぎ払った。

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