第2話
最初、東王は、城から出て、まずはその綺麗な世界に目を奪われた。
孤独な王の宮殿は、世界の中心に位置し、それは鬱蒼と生い茂る森の中にあった。木々は決して緑一色ではない。地面が茶色なのは当然だが、黄緑の葉もあれば、薄緑の葉もある。ところどころ花も咲き、赤や黄だけでなく、宝石のような青色の小さな花ビラが、いくつも垂れ下がっているものもある。
魅力的なその木々や花々は、東王が歩きやすいように自然に別れ、小道となり、まるで彼の行く手を歓迎しているかのようだった。
「世界はなんと素晴らしい!」
これが東王の第一声だった。
さらに東王は進む。彼はまず東へ東へ歩いた。自らが受け持つ世界がどのようなものか、人々は幸せでいるか、どうしても知りたかった。
途中川があった。それほど広い川ではない。流れも緩やかだった。
彼は川辺に跪き、手で水を掬った。とても澄んでいて綺麗な水だった。その水で顔を洗う。ひんやりとして昂った心に染み込むようだった。気持ちが良かった。
「ん?」
水面に映った自分と目が合った。
「私はこんな感じなのか…」
たまに城に訪れる人の代表者たちとほとんど変わらない。何の変哲もない、取り立てて優れた容姿でもない、その風体を東王はとても喜んだ。
もしかしたら自分は人々の世界で普通に暮らしていけるのではないか、と少しだけ微笑んだ。少し違うのは、額の両端ぐらいから骨が出ているところぐらいだ。東王の元に訪れた人々にはそんなものは無かったが、その程度なら特に問題ないだろう。
東王は顔を洗い終わると、また歩き出した。
先ほどは気づかなかったが、小鳥の鳴き声がする。虫の鳴き声も混ざっているのか、何か音楽のようだった。音楽とは、人々が作り出したものだと王が言っていた。だが、自然にもこういった音楽が存在する。これは大きな発見だった。
森には小さな獣、大きな獣たちもいた。皆東王を見て、体を伏せたり頭を下げたり、食べ物などを貢ごうとする。彼らはその存在を清らかで厳かなものだと本能で悟り、それぞれのやり方で存在していることに感謝する。
「お前たちがそのようなことをすることはないよ。いいからいつも健やかでいておくれ」
東王がそう言うと、どの獣たちもさらに感謝を伝え、喜び勇んで森の奥へ向かう。
まだまだ東王は歩き続ける。
あの城にはないものがまだまだある。全てが息づき、生命を感じさせ、新鮮だった。
まだ人々の暮らす場所までは時間がかかる。
東王は何度目の朝を木々の中で迎えた。
ある朝東王は、空を見上げた。木々からこぼれ落ちる陽の光が頬にかかる様子がまるでくすぐられているかのようだったから、気になったのだ。
「あれ~? あれあれ?」
ふと近くに白い小鳥が近くの枝にやってきた。小鳥は澄んだ声でこちらを興味深く見守っている。
「なぜかしら~? ツノが生えているわ~?」
たまたま長い枝だったせいか、右へ左へ忙しく動いている。
「うわ~、こっちを見ているわ~、なんか怖いわ~」
さっきから小鳥は1人で喋っている。なんとも可愛らしい。東王は笑顔を浮かべ、
「大丈夫。安心しておくれ。私はあなたに危害を加えることはないよ」
「まあまあ、私の声が聞こえるのね。でも安心できないわ、ぱっと見、あなたは人族でしょ? 人族は狡猾で残忍だって知っているもの」
「…人族が狡猾? 残忍? どうしてそんなことを言うのかな?」
トウは小鳥の言葉に少し驚いた。だが、
「でも、よく見るとあなたは人族ではないわね。人にツノは生えてないもの…。それに何だか心が綺麗な気がする。あなたのような人族はいないと思うわ…」
小鳥は未だ枝の上を忙しく動き回っている。やがて柔らかな光に包まれたかと思うと、パッと姿が変わる。
そこには羽を生やした人の姿の少女がいた。子供と大人の中間ぐらいの背丈だ。木の枝からふわりと飛び降りる。
「危ない!」
東王は咄嗟に叫ぶが少女は何事もなかったかのように舞い降りて笑う。
「あはは、このぐらいどうってことないわよ。だって私は妖精だから」
「妖精…?」
東王は自分が自然界の精霊から作られたことを知っている。妖精というのは、自然界と霊的な世界との狭間で生まれた、どちらかというと人の想念のようなもので作り出された存在、人の生まれ変わりのようなものでもあると聞かされたことがある。
それでも人族よりは高い波動を保っていることがわかる。高位な存在であることは間違いない。
「驚いた? ねえ、驚いた?」
そう言いながら妖精はキャッ、キャッと笑いながら周囲をぐるぐると飛び跳ねている。
「…私は、ある事情があって人族のところに行こうと思っている。人族は可能性に満ちた存在だと聞いている。あなたの聞いた人族の印象は勘違いだと思う…」
「え? え? え? …ふ~ん」
妖精は突然立ち止まり、ただでさえ大きな目を見開き、驚きながら、東王を真剣に観察している。
「う~ん、あなた名前は?」
「私の名前? はて? 私の名前はなんだろう?」
「ぷ、くくくく。おバカさんなの? みんなから呼ばれている名前があるでしょ? それともその年になるまで誰とも会ったことがないの?」
「呼ばれている? あ、そうか私は東王だ…」
「へ~、…とお、う? 変な名前ね」
「そうだろうか…」
東王は自身の呼ばれ方が変だとは思っていなかった。あの孤独な王がそう呼び、訪れる人々の為政者たちも、私を呼ぶときは膝をつき、恭しく呼んでいる。
「まあいいわ。私はリル。…ちょっと事故があって記憶があやふやなの。でも自分が人族とは違うってことだけはわかってる…」
「リル。…とても良い響きだ」
「…え? そ、そう? じゃあ、そうね、あなたのことはトウって呼ぶわ。そのほうが呼びやすいもの」
「トウ、私の名前…」
「あ、なんか嫌だった? だったら別の名前考えても良いけど…」
「いや、気に入った。素晴らしい! なんという響きだ!」
「ちょ、どっちなのよ。まあいいけど。喜んでもらえたら良かったわ。よろしくねトウ」
「ああ、よろしく頼むリル」
こうして東王はトウという名前を手に入れ、また東を目指すのだが、ここでリルから提案があった。
「ところでトウ、あなたもしかすると私よりも世間知らずな気がするの」
「…はあ」
トウとしては、世間について、人の為政者たちからある程度見聞きしている自負があるが、とりあえずリルの話を聞いた。
「そこでね。私と一緒に旅をするのはどう? 私、こう見えてとても弱いの。あなたとても強そうだから、私の護衛とかできそうな気がするんだ。私はその代わり、あなたに人との接し方とか色々な常識を教えてあげられると思う」
「ほう…。なるほど…」
「どう?」
「もしかしてリルも人に出会いたいと思っているのか?」
「そ、そうね。ちょっと目的があって…」
「そうか、1人では怖いんだな」
「え? 何よ! 違うわよ! 人なんて怖くないわよ、え~と、あなたが、あなたがそのままだと絶対路頭に迷いそうだから私が助けてあげると言ってるのよ。ありがたく思いなさいよ」
目に涙を溜めてそう語るリルがどうにも哀れに思えた。それに確かにリルの言う通りかもしれない。人の暮らしについて全て把握しているわけではない。
いつも訪れていた為政者たちは上等な衣服を着飾っており、言葉遣いも丁寧だった。常識については誰か同行者がいた方が得策かもしれない。それに名前も付けてもらえたのだ。何かお礼がしたい、という気持ちもある。
「…うん。そうだな。リルの言う通りだ。ぜひお願いしたい」
「何よ~、一緒に行ってよ。心細いじゃない! って、え? そう? うん。それならそれで早く言ってよ。うん。一緒に行こう!」
「…ハハハ」
こうしてトウは、リルと一緒に旅をすることになる。
リルは、人族のことも割とよく知っていた。
「…だからね。全員が全員悪いやつってわけじゃないわけ。中には優しい人だっているのよ。多分。それでね、その見極めが難しいってわけよ」
「そうか、リルはすごいな」
「そう? すごい? 私、すごいかな? そうだね、そうだ。そうに違いない。いいトウ? これから遠慮なく私を敬いなさい!」
胸を張るリル。トウは笑いを堪えながら、
「ところでリルはなぜ人の住処に行きたいんだ?」
「え? うん、そうね。なんというか、自分でもよくわからないの。行くべきところに行けば、もしくは会う人に会えば、何かが分かりそうな気がして…」
「なにか…。なんだろうね」
リルは、トウのように長く生きているわけでもないだろう。リルの言うなにか、が幸せなものであることを願った。時折見せる寂しそうな表情はリルには似合わないと、心の中でのみ思った。
それからまた、数日前よりゆっくりと森を歩いた。
途中大雨が降ることもあった。トウは雨に濡れることも素敵なことだと両手を広げてなるべく全身に雨を浴びた。リルが嫌がったので簡単な傘を作り渡した。
「え? 何これ? どうやって出てきたの?」
驚くリルに伝えた。
「万物は揺れているだろ? あの木の大きな葉を借りてちょうど良い形に変形するように揺らぎを加えたんだよ。雨を凌げるだろ?」
「え? 波動にそんな使い方あるの?」
「もちろん。波動力は万能だよ。万物は物と波の側面があるだろ? 波の周波数をいじるだけで良いんだよ。知ってるよね?」
「う~ん…」
しばらく雨が止むまでリルは少し考え込んでいた。やがて雨が上がると、傘をトウに返しながら、
「ねえ、人里でその能力絶対使っちゃダメよ、って、うわ~」
と言いながら、トウが傘をまた葉に戻し、葉が地面に付いて根を張っていく様子を見て驚いていた。
「…ぶ、物質を変換させたわけよね? …かなりすごいんだけど」
リルの言葉をトウは最後まで聞いていなかった。
それからまたしばらく歩いていく。それ以降もリルは人について一生懸命トウに教えた。中には非道な話もあり、トウはとても信じられない、と首を横に振るばかりだった。
「あ、村だわ!」
そのうちリルが前方を見ると、小さな人里を見ることができた。
その村は決して広くないが、何軒も家が並んでいるところとポツポツ家があるところがまばらで、広大な畑だけでなく、牧畜も盛んなようだ。トウたちは小高い崖の上から眺めていたので村の全景が見て取れた。
「なんか立派ね。田舎とは思えないほど家があるわ」
「そうなのかい? 本来もっと少ないのかい?」
「そうね~、ここが村なのか街なのかちょっとわからないけど、村にしては人が多いわね」
「そうか。ここに人が住んでいるのか」
トウはいよいよ人々の暮らしに接することができると、期待に胸を膨らませた。
「あ、そうだ。ここでちょっとだけ、もう一つ助言させて」
「え? なんだい?」
「…そのね、あなたのそのツノなんだけど、おそらく人族はまず驚くか、下手すると村に入れてもらえないかもしれないの…」
「そんなバカな…」
「いや、これって人族特有なんだけどね。人って何か自分と違うものを見出すとすごい勢いで排除するらしいの…」
「リル、それは大袈裟だよ。そんな生き物はいないんじゃないかな? 他者と違っているからこそ面白いんだろ? ましてあらゆるものを開発してきた好奇心旺盛な種族がそんな…」
トウの反論に悲しそうな顔をするリル。いつものように強気で突っかかって来ない。その様子が気になった。
「どうした?」
「トウ、あなたは心がキレイ過ぎるんだよ…」
今までで一番悲しそうな顔でそう言いながら、リルはまっすぐトウを見つめる。
それから何秒か2人は見つめ合ったままだった。リルは今にも泣きそうだった。トウは孤独な王の言葉を少しだけ思い出した。
「…わかった。ツノは隠すようにするよ」
そしてトウは、着ていた服の布を引きちぎり、帽子を作った。頭をすっぽりと覆い尽くすようなゆったりとした帽子だ。ちぎって被せてしばっただけだが、これならツノは絶対にわからない。
孤独な王から分け与えられた波動力を使えば、もっと簡単に物質素そのものを変換したり、構築できるはずだが、あえてそうしなかった。少なくともリルの前では止めようと思ったのだ。
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