第4章 魔界都市〈新宿〉
菊地秀行のデビュー作『魔界都市〈新宿〉』が出版されるまでには、紆余曲折があった。
菊地の持ち味であるエロスとホラー要素が、
「ソノラマ文庫の読者と合っていない」
と編集者から指摘を受け、数箇所を削除しなければならなかった。
菊地には不愉快な出来事だっただろう。菊地自身が、
「『魔界都市〈新宿〉』が自分の作品の中で一番気に入っていません。無理矢理、当時のこういうヒーローがいて、こういうヒロインがいてという、ジョブナイルの定型に自分を合わせたから」
と後年になっても、この作品については口調が厳しい。
しかし、菊地は指摘を受けた箇所を直して作品を完成させた。夫人の励ましもあったのだろう。原稿の清書では、半分を夫人がおこなった。
菊地夫妻が一体となって完成させたといってもさしつかえない作品『魔界都市〈新宿〉』は1982年9月30日に発売となった。
〝魔震(デビル・クエイク)〟と呼ばれる直下型大地震で新宿のみが周囲と隔絶されて〈新宿〉となった。
世界平和を目指す地球連邦首相を守るため、十六夜京也が念法を武器に、魔道士レヴィー・ラーと戦うヒロイック・ファンタジーだ。
初版は1万3000部。9月25日生まれの菊地にとっては5日遅れではあったが、最高のバースデープレゼントだったのではないだろうか。
1ヶ月後には1万部の増刷が決まる。菊地が、
「俺が作家としてやっていける」
と感じたのは、デビュー作が出版されたときではなく、この増刷時だったという。当時のソノラマ文庫で増刷がかかっていたのは、『機動戦士ガンダム』のノベライズと高千穂遙の『クラッシャージョウ』くらいだった。
ソノラマ文庫編集部にとって、菊地秀行作品に対する読者の反応は意外なことだったのではないか。
菊地は、ソノラマ文庫を戦場に次なる作品を放っていくことになる。
1983年1月、菊地秀行の第2作目『吸血鬼ハンター〝D〟』が刊行された。
タイトルのとおり、ダンピール(吸血鬼と人間との混血)の吸血鬼ハンター〝D〟の物語だ。このシリーズ第1作目は、1985年12月にOVA化されている。
最新刊『D-魔王谷妖争記』まで、55巻が発表され続けている人気シリーズである。20作目あたりで、発行部数が1000万部を超えた人気作品だが、意外なことに、第1作発表当時はあまり読者の反応を得られなかった。
デビュー作『魔界都市〈新宿〉』が発売後すぐに増刷したこともあり、初版は1万5000部に増えたが、増刷が一度あったかどうか菊地自身記憶が曖昧というレベルだった。ただ、天野喜孝のカバーイラストも相俟って、続編を望む読者の声はあった。
1983年5月、第3作『エイリアン秘宝街』が刊行される。
トレジャー・ハンターの高校生・八頭大と太宰ゆきが活躍するシリーズの第1弾だ。
この作品は、すぐ人気作となった。
1983年と1984年だけで、下記のとおりこのシリーズが立て続けに出版されていることからも、人気の程がわかる。
1983年11月30日『エイリアン魔獣境Ⅰ』
1983年12月30日『エイリアン魔獣境Ⅱ』
1984年3月30日『エイリアン黙示録』
1984年8月31日『エイリアン怪猫伝』
1984年12月20日『エイリアン魔界航路』
また菊地は、この『エイリアン秘宝街』と『エイリアン魔獣境Ⅰ』が刊行される半年のあいだに、
1983年8月30日『インベーダー・サマー』
1983年10月31日『風の名はアムネジア』
を上梓している。
この作品群は、菊地の好きな作家が、当時、堀辰雄・山川方夫・村上春樹であり、
“「透明感を持った感傷が好きでね」”
という嗜好に帰するところがあるが、『魔界都市〈新宿〉』でも『吸血鬼ハンター〝D〟』そして、『トレジャー・ハンター(エイリアン)』シリーズとも色彩が大きく異なる2作品を放っていることは特筆に値する。
なお、『風の名はアムネジア』は1990年にアニメ映画として劇場公開されている。
この年、菊地の本はすべて朝日ソノラマから刊行されていた。
それ以外では、『幻想文学』に寄稿しているが、ノベルス界に進出してベストセラーを連発する1985年以降と比べると、作品の発表は年5冊と当時からハイペースだが、菊地にとっては一作品に時間をたっぷり掛けられる、いささか牧歌的な時代だったのかもしれない。
1984年に入って、菊地は『トレジャー・ハンター(エイリアン)』シリーズを中心に朝日ソノラマで作品を執筆していく。
先に挙げた『トレジャー・ハンター(エイリアン)』シリーズを除くと、
1984年3月11日『風立ちて〝D〟』
1984年5月9日『妖神グルメ』
を刊行している。
菊地秀行作品のタイトルではおなじみの〝妖〟の字がここで登場する。
7月頃から、朝日ソノラマ一辺倒だった菊地に他出版社から執筆依頼がやってくる。
早川書房、祥伝社、光文社、徳間書店。
すべて、朝日ソノラマのようなジョヴナイル小説ではなく、一般文芸やノベルスの依頼だった。
菊地は喜んで引き受けた。
この時期、立て続けに菊地に他社から執筆依頼が来始めたのには理由がある。
同じく朝日ソノラマで『幻獣少年キマイラ』(1982年7月30日刊)に始まる『キマイラ』シリーズを刊行していた夢枕獏が、1984年2月に祥伝社 ノン・ノベルから『魔獣狩り 淫楽編』、7月に『魔獣狩り 暗黒編』、12月に『魔獣狩り 鬼哭編』。
徳間書店 トクマ・ノベルスから同年7月に『闇狩り師』10月に『闇狩り師2』を上梓して、それぞれが、10万部から15万部を売るベストセラーとなっていたのだ。
夢枕獏もソノラマ文庫では、菊地同様に、いままでのソノラマ文庫作品とは、すこし毛色の違う作品を書いていた。
菊地も、
“「いい小説、面白い小説がでてきた」”
と感じていた。
その夢枕獏が、ノベルスに進出して一気にブレイクを果たした。
九十九乱蔵が活躍する『闇狩り師』を立て続けに上梓した徳間書店の編集者は、当時、こう語っている。
“「ウチはもう完全なバックアップ態勢です。第二の西村寿行になりうると確信しています」”(出典・引用:週刊文春1984年9月27日号「バイオレンスのニューパワー夢枕獏の正体」より)
〝ハードロマン〟と呼ばれるバイオレンス小説を中心に、1970年代後半から1980年代にかけて活躍した作家・西村寿行は、後続の作家・漫画家に大きな影響を与えている。
小説家では篠田節子・飴村行、漫画家では荒木飛呂彦・藤田和日郎。
菊地秀行も山田風太郎、大藪春彦とともに西村寿行の影響を受けているが、夢枕獏の場合は、文体からして一番顕著だ。
また、夢枕獏自身が野末陳平との対談で、
“「昨年(前年の1983年分)の年収は780万円だったのに、今年は6,800万円でした。あるときに、通帳記帳に行ったら、機械がダダダッて印字がとまらなくて、『来たな』と思いました」”(出典・引用:週刊文春1985年3月「野末陳平のおカネ対談 只今月産四百枚 年収は七倍に 作家 夢枕獏」より)
と話している。夢枕はこの印税を頭金にして小田原に邸宅を建てる、この邸は『魔獣狩り 淫楽編』の印税で購入したことから、“「淫楽御殿」”と呼ばれることになる。
少し話が飛んでしまうが、翌1985年以降も夢枕獏の勢いは止まらず、1985年分の長者番付・作家部門では納税額5,971万円で第14位に登場する。
ちなみに、7位には『グインサーガ』の栗本薫が登場している。納税額は9,717万円だった。
そして、菊地秀行もこの年、納税額3,971万円で高額納税者として初めて登場する。
話を元に戻す。
夢枕獏の次に、出版社が注目したのは菊地秀行だった。
また、この年、菊地と銚子の実家のあいだでも少し変化が見られた。
14歳年下の弟・成孔が、菊地と同じ銚子市立銚子高等学校卒業後に上京。
コピーライターに憧れていた成孔は、一年間の予備校生活を経て都内の私立大学文学部に合格したものの、雰囲気に馴染めそうになく、オリエンテーションに出席しただけで、大学を中退することを決意する。
かといって、ただ大学を中退したのでは、菊地が継がなかった実家の店を継がされる羽目になる。
そこで、苦し紛れに父・徳太郎に、
「ジャズミュージシャンになるための学校へ行きます」
と宣言する。
言い放ったまではよかったが、成孔はサックスをまだ持っていなかった。
成孔が頼ったのは、没交渉となっていた兄だった。
連絡を受けて、待ち合わせ場所に現れた菊地は、分厚い封筒を成孔に差し出した。
成孔はその封筒からサックス購入に必要な額だけ〝借りた〟。
そして成孔は早速サックスを買い、開校したばかりの音楽学校メーザー・ハウスに入学する。
まずは、下記のリストを見ていただきたい。
菊地秀行が1985年の1年間に上梓した著作リストである。
3月『エイリアン妖山記』(朝日ソノラマ 文庫)『魔界行 復讐編』(祥伝社 ノン・ノベル)
5月『幻夢戦記 レダ』(講談社 講談社文庫)『妖魔戦線』(光文社 カッパノベルス)
7月『魔界行Ⅱ 殺戮編』(祥伝社 ノン・ノベル)『D-妖殺行』(朝日ソノラマ 文庫)
7月『妖獣都市』(徳間書店 トクマ・ノベルス)
8月『切り裂き街のジャック』(早川書房 ハヤカワ文庫)
9月『妖魔陣』(光文社 光文社文庫)『夢幻舞踏会』(大和書房 ハードカバー)
10月『妖戦地帯Ⅰ 淫鬼編』(講談社 講談社ノベルス)『妖人狩り』(有楽出版社・実業之日本社 ジョイ・ノベルス)『妖魔軍団』(光文社 カッパノベルス)
11月『魔戦記 第1部 バルバロイの覇王』(角川書店 カドカワノベルス)
12月『魔界行Ⅲ 淫獄編』(祥伝社 ノン・ノベル)
合計15冊。
執筆量が激増している。
なかには、1984年中に書き終えられていたものもあるが、後年、『涼宮ハルヒの憂鬱』において、【長門有希の100冊】のうち1冊に選ばれた『エイリアン妖山記』(現在は『トレジャー・ハンター八頭大 ファイルⅣ』に収録)のように、最終〆切りまで10日間しかない時点で、まだ原稿は1枚も書けておらず、最低でも原稿用紙300枚分は必要という段階において、朝日ソノラマ側が、
「〆切りを延ばしましょうか?」
と提案したにもかかわらず、菊地が、
「やりましょう」
と返し、最高で1日80枚を書き上げ、有言実行で10日間で仕上げたものもある。
菊地に注目した出版者各社との打ち合わせが、連日続く中での強行執筆となったが、局地的なストーリーになったとはいえ、筆も荒れず読者が満足する出来に仕上がっているのは、この当時、菊地の才能が豊かに花開いたことの証左だろう。
押し寄せる執筆依頼を受けて、大量の原稿を、菊地は上北沢の自宅マンションで、時にはホテルにカンヅメになりながら書き上げていった。
この1985年に放たれた物語のなかでも、『魔界行』と『妖獣都市』は一気に20万部を発行する勢いを見せた。
しかし、作品執筆については苦労があった。
これまで主戦場だった朝日ソノラマ文庫は、現在でいえばライトノベル的な位置にあった。性描写や暴力描写、そして菊地が最も得意とするホラー描写には制限があった。ノベルスにはそれが一切ない。
だが、一切制限がないということは、作家の個性が最大限に試される舞台でもある。
菊地が最初に手掛けたのは、光文社 カッパノベルスから刊行された『妖魔戦線』だった。この作品に挑んだとき、菊地は丸3日間、何も書けず机の前に座っていただけだった。
現代社会を舞台に妖魔を暴れさせる――
「どう書けばいいのか?」
悩みの連続だったことが、文庫版のあとがきに記されている。
それでも、菊地は『妖魔戦線』を1984年中に書き上げた。
本来は、この『妖魔戦線』がノベルス第1作目となるはずだったが、出版社の都合で刊行が繰り下げになる。
続けて書いた『魔界行 復讐編』が、1985年3月に祥伝社 ノン・ノベルから刊行された。初版は2万5000部。当時のノベルス界では、下限の初版部数だった。
しかし、すぐに増刷、そして増刷が続き、10万部、15万部、20万部を超えていった。この『魔界行』『妖魔戦線』『妖獣都市』が続けて、ベストセラーとなる。
また、12月に『吸血鬼ハンター〝D〟』がアニメ化され、その人気に火が付いた。菊地は一気にベストセラー作家の仲間入りを果たす。
ノベルスと文庫は、毎週増刷を重ねた。
売上ではこれまでリードしてきた『トレジャー・ハンター(エイリアン)』シリーズを一気に飛び越していった。
余談だが、このOVA『吸血鬼ハンター〝D〟』の音楽は、まだブレイク前の小室哲哉が担当している。小室はこの年の7月にリリースされた渡辺美里のシングル『My Revolution』で作曲を担当し、コンポーザーとして注目されたばかりで、主題歌の『Your Song』もTM NETWORKだったが、まだ、一般的な知名度と人気を得ては居なかった。(TM NETWORKは一気に知名度を上げ、注目されるのは1987年4月にリリースした『Get Wild』まで時間がかかっている)
この年の12月、菊地は週刊誌のインタビューに応じて現状を語っている。
“「収入は去年の4~5倍にはなってますね。でも、この10月から来年3月までの収入は全部税金でなくなるようです」”
“「(収入が増えて変わったことを聞かれて)どこへ食事に出かけても、勘定を気にしないで済むというこの余裕(笑)」”(週刊宝石1985年12月 「人物日本列島 菊地秀行」より引用)
打ち合わせと執筆に追いまくられる日々のなかでも、どこか飄々としているのが印象的だ。
〝夢枕獏が火をつけて、その火に菊地秀行が流れをつけた〟
と云われる、伝奇バイオレンスブームが、ついに幕を開けた。
参考文献・一部引用
菊地秀行『幻妖魔宴(げんようまえん)』(1987年8月25日 角川文庫
菊地秀行『夢みる怪奇男爵』(1991年1月30日 角川書店)
週刊小説1986年2月21日号 「十五年前の私」 『人生と戦いたくなかった』
小説春秋 1987年6月号 『作家になるまえ』
『小説現代臨時増刊 菊地秀行スペシャル 新妖戦地帯+劇画・妖戦地帯&All ABOUT秀行』(1986年10月15日 講談社)
『SFアドベンチャー増刊 夢枕獏VS.菊池秀行ジョイント・マガジン 妖魔獣鬼譚』(1986年11月15日発行 徳間書店)
全日本菊地秀行ファンクラブ・編 菊地秀行学会・協力 菊地秀行・監修『菊地秀行解体新書』(1996年4月15日発行 スコラ)
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