謎の遺体

 遺体は確かに、屋敷の人間ではなかった。だが、その姿――作業着には見覚えがある。

「ねえ緋簾葦、この人って……」

「昨日、屋敷の門にいた人ね。爛道反対派の村人と言ったかしら」

 緋簾葦と小声で確認し合う。緋簾葦も言うなら、他人の空似という可能性は著しく低いだろう。

 外傷はパッと見で見受けられないが、全身が水か何かで濡れている。水……まさか、池に浮いていたのだろうか?

「深夜の見回り中、池に浮いているところを、私が発見いたしました。発見して直ぐに皆様にお伝えしたため、時間は一時過ぎと言った所でしょうか。皆様がいらっしゃる前に池から引き上げました。鯉が傷ついては一大事ですので」

 日向の燕尾服が水で濡れている。特にズボンの方は、池に入ったからだろうが、膝上までビッショリだ。相当大変な作業だったに違いないが、日向がそれを愚痴ることは無いらしい。出来た執事だ。

「遺体の確認は一通り済ませてあります。後頭部に大きな傷が確認されました。死因はそれに間違いないかと」

「後頭部に傷だと?」

 燕治が酷く鼻知らんだ顔で言う。今回ばかりは、燕治に同意しても良い。だってそんなの、自分では付けようがない。

「はい。何か固いものにぶつけたような傷です。頭蓋骨が一部陥没しております。酷い傷です」

「転んで池の縁に頭をぶつけたんじゃないか?」

 燕治か言ったのに対し、緋簾葦が冷ややかな目をする。

「ならば池のどこかに出血が確認できるはずですわね。日向さん、そんなものはありましたか」

「いいえ」

「でしょうね。池の水が血で汚れている様子もない。池に入る前には、出血は落ち着いていたのでしょう」

「緋簾葦、それって……」

「この方は、池に入る前に既に死んでいた可能性が高い。そういうこと」

 遺体を囲んでいる数名が、ハッと息を飲む。

 緋簾葦の言うことはきっと正しい。そうでなければ、今頃は池の水全てが血で真っ赤に染まっていたことだろう。数億の鯉も、死んでしまっていたかもしれない。

「だがそれだと、緋簾葦くん」

 九郎の呼び掛けに、緋簾葦が顔を向ける。

「なんでしょう?」

「……それだと、誰かがこの可哀想な村人を殺して、その上で池に遺体を突き落とした。 そういうことになるが」

「だから、そうだと言っています」

 緋簾葦は、だからなんだと言いたげな顔をする。

「殺人犯がいることは、父の件で既に確定していたではありませんか。驚くことはありません。尤も、どうしてこの方が標的になったのかは、大きな疑問たり得ますけれど」

 大きな疑問――爛道の毒殺未遂に続いて、殺されたのが爛道反対派の村人だということ。これは同一犯による犯行なのか、はたまた全く別の殺人鬼が誕生したのか。そもそもどうして、この人は殺されたのか。村人とは言うけれど、この人の詳しい身元は。

 緋簾葦に腕を小突かれて、戸鞠の意識は彼女に向いた。緋簾葦が死体に顎をしゃくる。なるほど、やれと。

 戸鞠が一本前に進みでると、周囲の人間が皆驚いた顔に変わった。そんなのには目も向けず、戸鞠は遺体に近づき――跪く。

「……皮膚の状態は良好。池に浸かっていた時間はそう長くないだろう。恐らく三〇分も無い」

 仰向けの遺体の、顔の部分を少しずらす。濡れた他人の、しかも死んでいる人間の髪の毛なんて、最悪以外の何物でもない。生理的嫌悪のオンパレードだ。後で念入りに手を洗うことを誓いながら、傷口の確認をする。

「出血は止まっている。遺体の硬直具合からしても、死後数時間は経っている可能性が高い。死んだ時間と、池に落とされた時間の間に、数時間のタイムラグがある。その間、遺体がどこに隠されていたかが問題だ。犯人が池に遺体を落とした理由も気になる」

「なるほど、もういいわよ」

「ああ――ん?」

 ふと、作業着の胸ポケットの……ボールペンが気になった。

「どうかしたの?」

 緋簾葦の声も頭に届かず、戸鞠はそのボールペンを手に取る。

「――冷たい」

「濡れているのでしょ? 当たり前だわ」

「そうじゃない」

 くるくるとボールペンのペン先の方を回して、外側の部品を外した。インクが入っている透明な容器に、折るように爪を立てる。すると、パキリという音ともに、インクが折れた。しかし、液体は流れ出てこない。

「……凍ってる」

 胸元のボールペンのインクが、凍っている。

 何故――ああいや、そういう事か。

「遺体は元々凍っていたんだ。それを誤魔化すために、池に落とされた」

「なんですって」

「でも時間の偽装とか、多分そういうことじゃない……」

 戸鞠は立ち上がり、日向に向いた。いや、屋敷の人間なら誰でも良いと言えば良かったのだが。

「鯉庭に、人間を保管できるような大きな冷凍室はありますか」

「人間を……ですか」

 日向の表情が凍りついた。ややあって、彼は小さくか細く答える。

「……あります」


 屋敷内に戻り、二階西館に案内された。西館は確か客室には使っておらず、全ての部屋が物置等に改築されていたのだった。鍵が掛けられているので普通の人は入れない。

「食材用の冷凍室があります。部屋丸ごと氷点下に保たれており、間違って入ろうものなら凍死の恐れがありますので、入るのは私かくいなぐらいのものでした」

 廊下からではなく、調理室の真上の部屋から、更に扉を開けるというルートらしい。小学位の時、社会科見学で行った町のスーパーみたいだなと思う。日向は、ギザギザした金属の板みたいな変わった形状の鍵を、調理室真上の部屋の扉に差すと、ガチャガチャ回して扉を開けた。瞬間、刺すような冷気が肌を舐め回す。

「さむっ」

「マイナス20度ですので。長居は私どもでもしません」

 真っ白に凍りついた中に、人間ほどもある大きな肉の塊が何個もぶら下がっている。足元は膝下ほどまですっぽりと、霧のように冷気が立ち込め、歩く度にフワフワと舞う。真冬の雪国でもここまではならないだろう。奥には銀色の巨大な冷凍庫が、いくつか見えた。

「おい、まさかここに死体が隠されていたなんて言うわけじゃないだろうな」

 燕治が嫌悪感を顕にした声をはりあげた。

「これまでにお出ししたお食事には、ここの食材は使っておりませんから」

「当たり前だ! 死体と一緒の飯なんて……」

 振り返ると、燕治がブルっと大型犬みたく体を震わせているのが見えた。冷凍室に入ってくる気は無いらしい。

「死体を食べたわけでもないのに、そんなに嫌か?」

「さあね」

 緋簾葦と小声で言い合った。冷凍室全体のブーンという機械音で、緋簾葦たちの会話は日向にも聞こえなかった。

 見渡しても、冷気がもうもうと立ち込めていて、遺体の痕跡は見受けられない。

「ここで殺したわけじゃなさそうだ。血の跡が無い」

「掃除したのかもしれないわよ?」

「今一切血が流れてこない以上、故意かは分からないが血抜きされたはずだろ? 水で洗い流すのも結構大変な作業だ。マイナス二十度なら、例え流水でも凍りつくだろうし。遺体なら尚更」

「立ったまま凍死なんて話も北海道では聞くわね……わたくしも、少し辛くなってきたわ」

 夏の訪れを待つ晩春では、冬の装備なんてしていない。緋簾葦が鎖骨の覗く肩を抱く。

「寒かったら外出てもいいけど」

「あなたがわたくしの期待に全て応えられるならね」

 緋簾葦はにっこり笑うと、日向に向き直った。日向は服が濡れている。凍傷の危険があるから、彼は出た方が良いのだけれど。さすがはプロか。

「日向さん、ここは先程の鍵を使わなければ、来られない場所ですか?」

「そういう訳では。鍵は普段、私が常駐しております執事控え室に保管されていますが、私はそこを空けていることが多いので。また、私どもは調理室の外階段を通ることが多く、屋敷内から冷凍室に立ち入ることはほとんどありません」

「その鍵も普段は使わないのね」

「廊下入口の方はそうですね……何者かが持ち出していたとしても、私は気づきさえしなかったでしょう。今もそうかもしれません」

「ならば、これからは気をつけなければいけませんわね」

 緋簾葦がやんわりと窘めると、日向は腰を腰を低くして礼をする。もとより小柄な人間だからダンゴムシみたく、より縮こまって見えた。

「それにしても、遺体の痕跡なんて残っていないと思うけれど。犯人は遺体を隠していたのを知られたくなくて池に落としたのでしょ? ここに証拠があったら、うっかりさんになってしまうじゃない」

「まあ、そうなんだけど」

「何も見つからなかったら早く出るわよ。ここに遺体があったと画定しても、犯人には繋がらないわ」


 数分探して、結局物証の類は見つからなかった。その頃にはすっかり身体中がガチガチになっていたので、慌てて室外に出る。

「さっみー!」

「……そうね」

 だがこれは犯人にも言えることだ。犯人は恐らく、遺体の運搬以外の何事もここでは行わなかったろう。圧倒的寒さの前で、人類は等しく無力である。

「お疲れ様でした、お二方。それで、なにかお分かりに?」

 日向が冷えた足を若干気にした様子で尋ねてきた。戸鞠は緋簾葦と一瞬だけ目を合わせ、どうするか考える。

「……いえ、特には」

 部屋の奥の方で誰かが「役に立たないな」と皮肉を言う。燕治だろう。

「現時点で分かっているのは、犯人は遺体を冷凍室等で保管していた可能性が高いこと。池に投げ込むことで氷を溶かし、その事実を隠蔽しようとしたこと。犯人に繋がる事実は見つかっていません。被害者の身元も」

「要は何も分からないわけか」

 燕治が野次を飛ばしてくるが、戸鞠は毅然として答える。

「ですが、昨日――もう一昨日ですが、僕たちがここに着いた時、被害者は門の前で日向さんと話していました。殺害されたのはその後に間違いない」

「我々が毒騒ぎに惑わされている間の犯行というわけか」

「つまらないミスディレクションだこと」

「でも効果は抜群だった。僕たちは誰一人として気づかなかった」

 こんなのは気づけという方が、頭のおかしい難題ではある。しかも屋敷の外の人間が標的なんて分かるわけが無い。

 ところで、戸鞠には一つ、大きな疑問があった。だがそれを、声に出して言うのははばかられる。なんたって酷く当たり前なのに、なぜだか誰も言わないからだ。緋簾葦も。

「……あの、ちょっといいですか?」

「なんだね?」

 九郎が不思議そうな顔でいるのを見て、いよいよ戸鞠は緊張で舌がもつれそうになる。いや、言い出したのだから言わなければ、

「いえ、その、まだ警察呼ばないんだなー……って」

 至極当たり前なことのはずなのに、誰も呼ぼうとしないのだ。その事実がひたすら不気味である。

 果たして、九郎は呆気に取られた後、なるほどという感じで答えた。

「ああ、まあ、確かにそうだな……だが、それは出来ない」

「何故ですか」

「爛道の意志ではないからだ」

 また爛道か。なにか根強いものを感じらながらも、戸鞠は食い下がる。

「けれど、被害者は村人なんですよね? ご家族が心配されているかもしれません」

「……確かにそうかもしれないな。だが集落から、そのような連絡は受けていない」

「集落との連絡網があるんですか?」

「集落の人間とはみな顔見知りだ。何しろ十数名も居ないからな。ほとんどお年寄りだ。だが連絡と言うのは、駐在の親父さんからは何も来ていないという意味だ」

「なるほど」

 集落の人間は堯家の手駒みたいなものと考えたほうが良いだろうか。常識的な考えは捨てたほうが良いかもしれない。

「話は煮詰まったようですわね」

 緋簾葦がまとめるように言う。

「もう疲れましたわ。深夜も良いところですし、寝ましょうよ」

「おいおい。遺体が見つかったというのに、そのままにするというのか?」

「じゃあ逆に何ができるとおっしゃいますの?」

 燕治を睨むように、緋簾葦が言い返す。戸鞠が言えたことではないが、この二人は隙あらば喧嘩をするので、周りをいつも困らせていそうだ。

「少なくとも深夜にもかかわらず部屋に居ないような怪しい奴らはぶち込んでおくべきじゃあないかな」

 爛道の部屋に忍び込んでいて集合に遅れたのを的確についてくる。まあ、そりゃあそうかという感じだが。

「ふぅん。それを言うなら伯父さまだって、なんだか妙なことをなさっていたじゃありませんか――お外で」

「うっ……」

 こいつチョロいな。

「……まあ確かに、やれることが無いのは一理ある。時間も……もう二時半過ぎか。兄さん、解散にしよう」

「あ、ああ」

 九郎が、燕治の豹変ぶりに若干狼狽を見せながらも頷く。それを聞くまでもなく、緋簾葦が部屋へと翻っていた。

「あ、あの、九郎さま、遺体はどういたしましょうか?」

 日向が助けを求めるように九郎へ尋ねた。九郎もまた困った様子で天井を睨むも、小さく「冷凍室へ」とだけ答えた。冷凍室……遺体の安置としては確かにありか。厳しい雪山では、人が死んでもそのままで出てくるという話を聞いたことがある。

 緋簾葦を追って、戸鞠は部屋を出た。


 寝室に戻ると壁掛け時計が三時を差していた。残業にしても酷い時間外労働だ。欠伸にもならない何かが口を出て行く。疲れすぎて眠い。長い、長い一日だった。

「さすがに、状況の整理は明日でいいわね」

 緋簾葦もまた、疲れた笑みを浮かべる。

「朝食が九時になったのが幸いだよ。三十分しか変わってないけど」

「けれど三十分あれば、たくさんのことが出来るわ。起きたらシャワーでも浴びようかしら」

「どうぞ浴びてくれ。僕はその時間眠っていることにするよ……」

 言っている途中で生欠伸が出て行く。

「早く部屋に戻って眠りなさいよ」

「そうなんだけど……そうなんだけど」

「だけど、なに」

 今すぐ倒れ込みたいくらいに疲れているけれど、それ以上の理性によって、言葉が詰まる。緋簾葦が困ったように、唇を浅く噛んだ。

「言いたいことがあるなら言いなさい。もう遅いのだから」

 緋簾葦がそう言うなら仕方が無い。戸鞠は別段優れてもいない勇気を振り絞って、言う。

「……その、このまま、ここに居ちゃダメかな……緋簾葦の部屋に」

「ここに?」

 予想だにしなかったのか、緋簾葦の顔が驚きで止まる。

「だって、色々あって、死ぬほど疲れてるくせに気が昂ってるんだ。今一人になると、余計なことばっかり考えそうな気がする……」

「……そうね。わたくしも、きっとそうだわ」

 緋簾葦が頷き、音もなく微笑む。

「けれど床で眠るのは良くないわ。ソファも少し小さいみたい」

「……そうだね」

「仕方ないのでしょうね」

 緋簾葦が戸鞠の手を取る。

「おいで」

 シングルベッドと言えど、二人で寝られないわけじゃないみたいだ。冷たいシーツに体温が溶けていく。

「あなた……体は大きいけど、こうしてみるとパピーみたいだわ」

 緋簾葦の指先が戸鞠の顎を撫でた。冷たくて心地よい、緋簾葦の手。

「……僕は、子犬じゃないよ……」

 水に溶かした砂糖みたいに、意識の境界線が薄れていく。

「そうね……子犬と言うには、あなたは――」

 世界が途切れ途切れになり始める。

「明日からも大変でしょうけれど、生きて帰りましょうね、二人で」

 なんだかいいことを聞いた気がする。

「あなたは、わたくしの大事な――」


 昨夜――と言っても五時間前とかだが、なんだかいい話を聞いた気がする。とても幸せな気持ちで眠りについたような、そんな気がしてならないのだ。

 今朝の緋簾葦は、昨日と同様にパンツスタイルにしたようだ。グレーのテーパードパンツにレースの装飾が目を惹く襟付きの黒いブラウス。シックで上品な装いは、寝ぼけ眼を揺すり起こすには十分すぎる鮮烈さで佇んでいた。今日も美しい。

「早く顔を洗って着替えなさい」

「はーい」

 今更すぎる話だが、緋簾葦がスカートを選ばないのは、動きやすい服装を心掛けているからだろう。ならば自分もそうするかと言う考えがよぎったが、生憎と戸鞠は、気をつけなくても普段からそうだった。

「……あ、やべ、着替え向こうだ……」

 顔を洗うのを先にするか、着替えるのを先にするか逡巡する。緋簾葦は、他人に洗面所を使われたら嫌だろう。汚れた顔で廊下を歩きたくは無いが、三秒もあれば部屋には入れるか。

 ふと、緋簾葦の様子が気になった。彼女は備え付けのドレッサーにて、書類のようなものを複数チェックしていた。あんなもの、昨日まであったろうか?

 まあ後でいいか。戸鞠はそう思い直して、緋簾葦の部屋を出た。

 そこで、萃華と鉢合わせた。

「えっ」

「え、」

 萃華が一歩後ずさる。見てはいけないものを見てしまったみたいな顔だ。そんなに、この顔が汚いんだろうか。目ヤニがこびりついているとか……。

「あ、ごめん、僕さっき起きたから」

 なんで朝から謝っているのだろうか。いや謝れ僕。

「あ、はい。それは分かるんですけど……あ、あはは」

 気まず過ぎる愛想悪いをして、萃華がまた後ずさった。

「あ、私、出直します。じゃあ後で……」

 萃華がパタパタと走り去っていく。向かう先は、北館だ。自室か、母親の部屋に戻るのだろう。

 なんだったのか分からないが、あの様子だと、また後で話してくれるに違いない。戸鞠は自室のノブに触れ、今は何時だろうかとぼんやり考えながら、朝支度をすることにした。ちゃんとした感を出すべく、今日はヘアアイロンをしようかな、とも思った。


 出席者全員がお通夜みたいな顔をしていることを除けば、朝食は昨日よりもずっと平和に終わった。言い合いみたいなのは昨日の時点で終わらせていたし、さもありなんではある。

 天気は良くも悪くもない。馬鹿みたいな雨風雷が止んだことを考慮すれば、楽園みたいな曇天だ。緋簾葦によれば、この地方はそもそも天気が悪いことが多く、地形的に風も強いらしい。今回が特別に運が悪い滞在というわけではないのだ。よく、こんな場所に住み続けられるものだと、村民には感心する。戸鞠であれば、曇りの日が続いただけで、冬季うつみたいになってしまう。

 朝食の後になって緋簾葦の部屋を訪れる。緋簾葦はまたドレッサーにて、何かを読んでいた。エネルギーを供給したとはいえ、朝から書類の確認なんて頭痛が起きそうだ。

「気になってたんだけど、それってなに?」

「爛道の部屋で回収した書類よ」

「えっ」

「全てではないわ。引き出しの中に入っていた中で、爛道が直近で触れていたと思われるものだけを持ってきた」

「パクったりしてバレないの?」

「鍵がかかっていたもの。きちんと閉じたわ。すぐにはバレない」

「すぐにはかぁ〜」

 だが、仮にバレた頃には、戸鞠たちがやった証拠など何も無いのだ。ならば問題無い。

「内容は?」

「色々ね。『地域と歴史』、『村民リスト』、『旧地方名士の変遷』、『海外販路計画』、『身辺調査結果』」

「身辺調査?」

「爛道反対派の村民みたいよ」

 緋簾葦がクリップ付きの紙束を差し出してきたので受け取る。写真と名前と、育ち、直近の同行等がまとめられているようだ。敵情把握を欠かさないあたり、爛道という人物の抜け目のなさが伺える。

 パラパラとめくってみるも、そもそも反対派自体がとても少ないらしい。若干三名の調査結果だ。

 だから、それにはすぐに気がついた。

「……えっ?」

「あら、なにか驚いているみたいね」

 緋簾葦が意味ありげに笑う。彼女ももう確認済みなのだろう。

「だって、この人……」

 三人目の反対派の名前。

「『日向累(二十六)』」

 そして、驚くべきその顔は――。

「日向累さん。昨夜お亡くなりになられた村人だわ」

 そう、調査結果の写真に写っているのは、どう見ても昨夜の遺体と同じ人物なのだ。

 これは一体、どういうことなのだろう?

「……この日向ってのは、執事の日向さんに関係あるのかな」

「断定はできないけれど……そうね」

 緋簾葦が呟くように言う。

「子供の頃ここに来た時、日向さん言ったのよ。『私はこの村出身なんですよ』って」

「……それじゃあ……」

 日向累は二十六歳らしい。くいなと同じくらいの年齢だ。顔は似ていないが、もしかして……。

「狭い村だもの。少なくとも身内の可能性は限りなく高いわね」

「……だよな。けど昨日の日向さん、そんなこと一言も言わなかった」

 動揺はしているようだったが、遺体を見て動揺しない人間なんてほとんど居ない。だから、彼もそうなのだと思っていた。

「好意的に捉えてあげるならば、『執事として堯家の世話を優先し、わたくし事は慎んだ』、否定的に捉えるならば……」

「後ろめたいことがある。遺体が身内だとバレたくない理由が」

「その可能性が高いかしらね」

 緋簾葦は頷き、書類を横にまとめ直す。終わったのか、はたまた疲れてしまったのか。入れたばかりの熱いコーヒーを!ほんの少しだけ口に含み、憂鬱そうにどこでもなく目をやる。

「他は郷土史とか商業戦略みたいな感じかな?」

「そうね。面白みはあまり無いわ」

「本当に、倒れる直前まで仕事をしていたんだな」

「お仕事大好き仕事人間ですもの。当然よ」

 突き放すような言い方だ。娘となれば、思うところがあったんだろうか? 家族の話を皆無と言っていいほど聞いたことが無かったのも、爛道の仕事人間ぶりが原因なのかもしれない。

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