カワセミ、苦しみ
激しい雨音と雷が響いている。朝から続く空の激情に、私は思わず身を竦めた。何度も何度も鳴る雷鳴に、いつまで経っても慣れることができない。母からは「いつまでも子供みたいで恥ずかしい」と怒られる。
夕食の席に着いたのは、集合時間の五分前だった。姉と先輩は既に居て、二人でたわいのない会話をしている。母はそれを見て僅かに眉をひそめ、あまり視界に入れないように注意しているみたいだ。
不意に、私服姿のくいなが歩いてきて、私の隣に屈み込んだ。その姿は子供の頃、私や緋簾葦姉さんの姉として仲良くしてくれた頃の彼女を思い出させた。昔は今みたいな取って付けたような敬語は使っていなかった。私にとっては、緋簾葦という姉以上に、本当の姉みたいだった。
「翠華さま、三時のデザートが残っているのですが、よろしければお召し上がりになりますか?」
「え、デザート?」
「ええ。他の方にご好評でしたので取っておいたのですが……あ、要らなければ、遠慮なくおっしゃってくださいね」
くいながちらりと戸鞠先輩の方を見た。そういえばあの人、甘いものがとても好きだった。好評だったのはあの人にか。
「あ、戸鞠さんはもうご自身のも含めて三つお召し上がりになりましたので」
「じゃあ食べるよ」
くいなが嬉しそうに破顔する。
「いつ頃お持ちいたしましょう? 食後に?」
「ええと、デザートって、具体的には……?」
内容も分からずには決められない。くいなはうっかりしていたのか、ちょっと大袈裟なくらいに頭をコツンと自分で叩く。
「おっと、そうですね。デザートはプリンです。ちなみに……緋簾葦さまにお喜びいただけたんですよ。あの人ツンデレなので、素直に言いませんけど」
「姉さんも……」
思わず視線を、姉に向けてしまった。その瞬間、パチリと視線が交錯する。心臓がドキリと脈打ち、自覚した頃には、姉はもう興味を失ったように戸鞠先輩に戻っていた。私もまた、くいなに向き直り、「食後に」とだけ言った。
何かが起きたのは、その食事後の事だった。
なんだか胸がむず痒い感じがする。それに……。
「翠華ちゃん? どうかしたの?」
「……ちょっと、息が苦しい感じが……」
大事になるのが嫌で、出来るだけ小声で言う。そのせいか、喉からヒューヒューと、変な音がした。
「翠華ちゃん?」
母の表情が、不安そうなものに一変する。大丈夫だと言わなければいけない。
「……ぁ」
それなのに、気づけば本当に声が出ない。
喉が枯れている。いや……息が、苦しい。
「翠華ちゃん? 翠華ちゃん!」
「どうした?!」
九郎伯父さんや燕治伯父さんが周囲にドタバタと集まって、私を取り囲んでいる。それなのに私は、自分の喉や胸を強く抑えることしか出来ない。なんで? どうして? 苦しい。声も出ないし、息も吸えない。段々と頭に熱がこもるように、意識が地面に吸い込まれるような感覚さえ覚え始めた。
「なんなのよ! まさか、毒じゃないでしょうね!」
母が半狂乱になっているのが、何となく分かる。自分のことに精一杯で、誰が誰なのか把握出来ない。
「毒なんて、そんなの私は……」
「これを作ったのはお前でしょ! お前が毒を入れたのね!!」
「麻衣華さま、私はそんなこと……!」
「黙りなさい!」
母の怒号だけがよく分かる。どうか怒らないで。伝えたいのに、体が動かなくなっていく。手足の感覚も、顔の感覚もない。床に粘液の水溜まりみたいなのが、微かに見えた。どうやら私の口から漏れた唾液だと分かって、遅れて怖気が走る――まさか、本当に毒じゃないよね? まさか、死――。
その時、九郎伯父さんが、なにかに気づいたように叫んだ。
「分かったぞ! 毒ではない! アーモンドだ! アレルギー反応だ!」
「アレルギー??」
母が怒鳴るように聞き返したのを、九郎伯父さんが「ああ」と頷く。
「くいな、アレルギーに効く薬があったね。急いで取ってきて」
「はい!」
くいなが走っていく気配が、かろうじてした。
「アレルギーだなんて、アレルギーなんて、アーモンド……」
「麻衣華さん、落ち着いて。大丈夫だ。原因は分かったのだし、処置も早く済む。すぐに助かる」
「けれどわたくし、アーモンドが入っているなんて、母親なのに気づかず……」
「風味のアクセントのために、粉末として少量かけられていたのだ。私もたまたま気づいただけだ」
「ああ、あのスープ……そういえば。ああどうして気づけなかったのかしら……」
「仕方の無いことだ。悔やまなくて良い」
「けれど義兄さま、わたくしはちゃんと言いましたのよ、あの女中や執事に、翠華ちゃんは木の実の類が食べられないのよって……ちゃんと言っていたのに……」
「この状況だ。わざとではない。そんなことをしたらすぐに自分が犯人だと疑われてしまうのだから。それに料理は皆同じだ。彼らを責めてはいけない」
会話が頭を上滑りしていく。何を言っているのか、全く理解できない。それでも母が、本気で心配してくれているのが分かる。九郎伯父さんも、それに燕治伯父さんも、こういう時はなんだかんだ優しかった。小さい頃転んだ時に、燕治伯父さんはおんぶして家まで送ってくれた。地面が遠くて空が近い。走馬灯みたいに思い出がチラつく――。
ふと、姉の声が聞こえないことに気がついた。それに戸鞠先輩も。
二人は、どうしているだろう?
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