鳥かごのカワセミ

 チクリと刺さって開いた返しが、抜こうとする度グサグサと、傷口を広くする。溢れた体液と痛みに絶句して手を止めたのも束の間、それはもう取り返しがつかなくなっていた。痛くて、熱くて、どうしようも無く頭にこびりついて、離れない。頭の真ん中、目を逸らしてもずっと居る。焼け爛れるように、痛くて堪らない。


 それが、翠華すいかにとっての紛れもない緋簾葦だった。


 容姿も、佇まいも、会話も、交友関係も、テストの点数も、全てが叶わない。叶わなかった。決して努力を怠っているつもりも無いのに。緋簾葦が片手間にやっていることに全力を傾けても、成果が出てくれない。

 人間が二人居るとしたら、それは比較するための存在だ。翠華という人間は、緋簾葦を引き立てるために生まれてきた。自分は緋簾葦の影だ。翠華は生まれてこの方、それを思い知らされてきた。


「――何をぼーっとしているの」

 不意に頭に、母の声が強く響いた。見ると、部屋の奥、カーテンを少しだけ開いた窓辺で、母がこちらを見ていた。

「手伝ってちょうだい」

「……はい」

 返事をして、置いていたキャリーケースを持ち上げた。持ってきた何着もの服が重く、手の平に食い込む。

「全く、どうしてわたくしたちがこんなことを。こんなのは下の人間のすることだわ。翠華ちゃん、重くないかしら。大丈夫?」

「大丈夫だよ……それより、何日くらいいるんだっけ、ここ」

「さあ」

 母が不機嫌になって、そっぽを向く。

「爛道次第でしょうね。あの人ったら本当に勝手だから」

「まあまあ……でも、ママも珍しいね。出席するなんて、こんな山奥なのに」

 来る前から少し不思議だったのだけれど、なんとなく聞きづらくて放置していた疑問だった。そもそも母が父に会うこと自体久々のことでもある。何か、この機会に物申したいことでもあるんだろうか?

 だが、聞いてから私は後悔した。母の雰囲気が瞬間、ビリっとした怒りを纏ったからだ。

「……別に、たまにはそんなこともあるわ」

「あ、そうだね。うん。そうだよね」

「それに、今回はあの娘……緋簾葦も来るそうだから」

「え、」

「驚くわよね。珍しいこともあるものだわ。あの傲慢の化身が、父親の催しに参加するなんて」

 母がフンと鼻を鳴らす。傲慢の化身は母の私怨が入っているけれど、姉に苦手意識を抱いているのは私だけではない。昔から母は、姉に怯えている。

「姉さん、ずっと里帰りもしていなかったのに、どうして今回は来るのかな」

「何か事情があるのかもしれないわ。後ろめたいことでもあるんじゃないの」

「後ろめたいこと……」

 あの姉には、あまり似合わない言葉だ。想像がつかない。あの人は罪の意識とか、そういった感覚を持ち合わせていないように、私には思えるのだ。後ろを見ている暇があるなら、その瞬間にもう、三歩先にいるような人。

「あるいは、あの娘でも、父親には適わないのかもね」

「それは……そうかも」

 父は有言実行を地で行く。もし本気で姉に来てもらいたいと思ったなら、父はどんな手段を使ってもそうするだろう。姉も抵抗はするかもしれないけれど、果たしてどちらが根負けするかという結果にしかならない。

「いつの到着かは聞いていないけれど、心の準備をしておきなさいね」

「……はい」

 姉に会うことに、心の準備が必要なんて。いつの間にか床ばかり見ている顔が、自嘲的に歪むのが自分でも分かった。


 姉がいつ来るのか、日程なんか知らなかった。それに随伴者が居ることも。

 だから、一人になりたくてふらっと入った中庭に、姉とその人を見つけた時、喉が叫び出しそうになった。何も言わなかったのは、ほとんど幸運でしかない。

「……戸鞠、先輩」

 その昔、よく目をかけてくれた人が、こともあろうに姉と共にいた。

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