12月24日
クリスマスイブの日。予想通り、特に起伏のない一日を過ごした。朝起きて、学校に行き、浮かれた雰囲気の教室の中で成績通知表をもらった。中身は、案の定散々だった。けれど、どうでも良かった。
校長の話は、僕の心のどこにも響かなかった。明日がある前提の話をしているからだ。逆に、明後日にはこの世に居ない僕の胸を打つスピーチが出来たなら、校長の天職とは教師ではないということだ。
担任に「ありがとうございました」と告げると、不思議そうな顔をしていた。けれど、悪い気分ではなさそうだった。最悪の自己満足を終えて、僕は家に帰って少しだけ眠った。
夜を待って、繭に包まり羽化を待つかのように、ただ眠った。
湖凪さんが起きる夜の二十三時。それに決して遅刻しないように街へ出ると、街中はすごい人だった。
まるで光のもとに群がる虫のように、イルミネーションの下にごった返しているのだ。病院に続く道もライトアップされて、いつもより人が多い。遅刻しないように、人の間を縫って、急いで湖凪さんの元へ向かった。
裏口から入った病院内も、クリスマスムードだった。子供たちが作ったであろう切り絵やポスター。掲示板には、小さなリースが飾られていた。見に行きはしないけれど、正面玄関にはクリスマスツリーも飾られていると張り紙がしてあった。
「おはよう、湖凪さん」
サンタクロースが世界中の子供達のために活動し始める時間帯。ゆっくりと体を起こした湖凪さんは、何の気なしといった風に「行こっか」とコートを羽織った。
「最後のデートだよ!」
いつものように湖凪さんに手を引かれて街へ出た。吐く息が真っ白だ。言わずもがな、凍えそうなくらい寒い。
それなのに、僕たちは海風の発生源の方へ向かって歩いていく。僕らが出会ったあの場所に行くのだと、そう分かった。
「懐かしいね」
「あれから一年だよ」
初めて彼女に手を引かれて困惑した日から、一年。長かったような、短かったような気がする。僕にとっては、間違いなく人生で一番長い一年だったけれど、この一年だけ切り取ってしまえば、短かったような気もする。人の感性とは妙な風に出来ている。
あのクリスマスの日、僕たちはたくさんの浮かれた恋人たちに紛れた余命患者と、自死を選ぶ人間だった。一年の間に、それは変わらないのに、僕らの心の中は大きく変わった。
今はこの時間が、心から愛おしい。そうなっただけで、この一年間にはきっと何かの意味があったのだと思う。
相変わらず人気が一切ない倉庫街。僕たちは海を眺めている。暖かい部分は手のひらと、心だけだった。他の部分は風に吹きさらされて、凍えそうだ。そんな風に生きてきたから、痛くはなかった。
「最後のデートにしては、色気がないかな?」
「そうでもないよ。二人が出会った場所を見るなんて、洒落てると思う」
「最近思うようになったんだけど、奏って結構ロマンチストなんだと思う」
「そんな綺麗な風に、世界を見てはいないよ」
「どうなんだろうね」
海の向こうは、カラフルなたくさんの光で彩られている。あの光は、彩られているから綺麗なのだ。なのに、無色で彩られた湖凪さんが、僕には世界で一番美しく、綺麗に輝いて見えた。その時点で、僕の世界にはあなたしかいなかったんだ。
「もしかしたら、ロマンチストなのかもしれないな」
頭の中で思ったモノローグを振り返って、そんなことを口に出す。湖凪さんは「絶対そうだよ」と笑った。
「ねえ、世界で一番大事な女の子と、思い出の場所でクリスマスイブに二人。ロマンチストならさどうするんだと思う?」
揶揄うように、湖凪さんが目を閉じる。僕はこの人には一生勝てないのだと思う。あと一日強しかない人生だけれど。
そっと、湖凪さんに唇を重ねる。冷え切った体温が流れ込んできた気がした。
「冷たい」
「お互い様だよ」
「でも、去年ここから飛び込んでたら、こんなんじゃ済まなかったよ?」
「そうだね、それに比べたら温かい」
もう一度唇を奪う。今度は温かかった。
「私の温かさに感謝するべきね、カナヅチの死にたがりくん?」
「感謝してますよ。首絞め女さん?」
湖凪さんはコロコロと笑った。僕も笑った。
湖凪さんは最後に「今日はいい夢が見れそう」と言った。それは、いつものジョークだったのか、本当だったのかわからないけれど、本当だったらいいなと思った。
クリスマスイブの終わりと共に眠った湖凪さんを見守って、僕も家路についた。シャワーを浴びると、すぐにベッドに潜り込んで眠った。
常人なら、どうなのだろうと考えた。勿体無いから眠らない?死への恐怖で眠れない?僕は眠りについて、夢を見られるだけありがたいと思って、眠った。人生で一番深い眠りだった気がした。
そのせいだろう。僕は夢は見なかった。
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