12月23日
そして、アドベントカレンダー最後の一枚を迎えたのは、十二月二十三日のことだった。
クリスマスイブと、クリスマス当日は自分達ですることを決めようとしたからだった。湖凪さん曰く「クリスマスまでの日々を彩るものなんだから、本番の日はなくても楽しいでしょ」とのことだ。
観覧車に乗る。それが、最後のアドベントカレンダーの中身だった。
ただ、ひとつ存在する問題が、こんな夜更けに回る観覧車が存在するのかということである。もちろん、近くにという条件付きで。
「夜行観覧車って小説あったし、どこかにはあるんじゃない?」
近くにあるか怪しいと言った時、湖凪さんから返ってきたセリフがこれである。僕は諦めて、スマホとにらめっこする羽目になった。
「そしたら、あった訳だね?」
「あったね。僕もびっくりしてるよ」
そう。存在したのだ。夜行観覧車とやらは。
見覚えのある場所から、極彩色を纏いながら回る遊具を見上げた。ここは、例の花火をした遊園地の駐車場である。
今回は遊園地に用があるので、ここは通り道に過ぎないが。まだちらほらと、車が停る駐車場を縦断し、入口へと向かう。
平時は完全に閉園を迎えた時間の遊園地。それにまだ明かりが点っているのは、幸運の賜物と言える。
というのも、園内で気球体験のイベントが行われているらしく、その影響で営業時間が延びたことにより、目的のゆりかごはまだ息を止めずにいる。
ちらほら、ゴンドラの中に人が見えた。
あの人から、僕達はどう見えているのだろう。見える景色の些細な一部だろうか。それとも、夜景の光に押しつぶされて、見えないのだろうか。
まぁ、乗ればわかる事だと、受付で大人用のチケットを二枚買った。まさか来園者がこの時間帯から来るとは思っていなかった様子の受付の老人は「今から入っても、30分くらいで閉まっちゃうよ?」と、親切に教えてくれたが、問題ない。
不思議そうな目をしてチケットを手渡してきた老人を尻目に入場ゲートへ行くと、ここでも係員に同じような目で見られた。この数ヶ月で、このような視線を浴びることには慣れつつある。
人気がほとんどない園内に入場すると、目に見えて湖凪さんのテンションは上がった。」
「夜の遊園地なんて、初めて」
「僕は遊園地が初めてだよ」
両手を広げて、伸びをするような格好で、少し妖しい光を放つ遊具たちを眺める湖凪さんに、事実を伝えると、物凄い勢いで僕の方へと振り向いた。
「えっ、そうなの?」
可哀想な人を見る目で、湖凪さんが僕を見る。
それを受け止めながら「連れてってくれる人も、行く気もなかったからね」とおどけると、湖凪さんは無言で僕の手を握った。
「少しだけどさ、楽しもうよ!」
「観覧車乗らないと、時間ないよ」
結局、一周二十分かかるという観覧車に乗ることを考えると、他のアトラクションを楽しむ余裕はなかった。
残念そうにする湖凪さんに、果たせぬ次の約束をすると、随分と念押しされた。死んでから向こうで、なんとか果たそうと思う。
手を引かれるままに、ランドマークの真下までたどり着く。それまでに、観覧車を最後に、明らかに園内を後にするであろう人間二組とすれ違った。
どちらも、僕たちが見えていないかのように、二人の世界にいた。あの、頭がクラクラするような光を放つ揺りかごに乗ると、僕たちもこうなるのだろうか。それが少し気になった。
券売機でチケットを2人分買って、係員さんに渡した。大学生くらいの係員は「今日は、お客さん達で最後にするんで、貸切ですよ。楽しんで」と言って、扉を開けた。
色あせ、所々はげた赤色のゴンドラに乗り込む。時計回りの旅が始まる。
向かい合って座った僕達は、しばらく無言だった。聞こえるのは、風の音と、どこからか鳴るクラクション。
しばらくすると、見える景色を解説するひび割れたガイド音声が流れ始める。誇れるんだか、誇れないんだか分からない、県内で2番目に大きいらしいこの観覧車は、今はただ僕らを頂上へと運んでいく。
「見て、奏。空港が見えるよ」
指さす方向へと目をやると、長い長い滑走路が見えた。そこを滑るように、金属の塊が走っては旅立っていくのが見えた。点滅が、遠ざかっていく。
「綺麗だけど、気に食わないね。簡単に、僕らより高いとこに行っちゃうから」
「確かにそうかも。でもさ、もうすぐ私達も行けるよ。誰よりも遠く、高い所まで」
「雲よりも?」
「星よりも、だよ」
湖凪さんの想像する天国は、どこにあるのだろうか。死ぬその日までに、確かめておかなければならない。僕も同じ場所に行きたいから。すれ違ってしまっては困る。
未だ光が消えないビル群。道に沿って並び立つ街路灯。そこを走って、遠ざかっていくパトカーの赤いランプ。
何もかもがジオラマみたいに見えた。駐車場の車たちが、ミニカーに。歩く人が、棒人間みたいに見える。
「なんか、不思議だね。ここから見ると、世界に現実味がなくなっちゃう」
「天国みたいだね」
湖凪さんが、ぽつりと呟いた。それは、頂上に達したことを知らせるアナウンスに、すぐにかき消されてしまった。
「頂上だね」
「僕らが来れる、精一杯の天国に一番近い場所だよ」
ガタリと、ゴンドラが揺れた。高度が上がって、吹きすさぶようになった風のせい?
違う。貴方が立ち上がったから。湖凪さんが、座っている僕より、ほんの少し天国に近づいたから。
それが嫌で、僕も立ち上がった。数センチ。身長差分、僕の方が、天国へと近づいた。
少しずつ、地上へと近づいていくゴンドラの傾きを感じながら、天使に近づいた湖凪さんに、そっとキスをした。
あなたが、病に侵されるただの人に戻ってしまう前に、現実が横たわる地上に戻る前に、なにか伝えたかった。
大丈夫。楽しい。綺麗だよ。好きだ。愛してる。
全部言葉にならなかったから、そうするしか無かった。
眺める景色に輪郭が戻ってくるまで、僕らはそうしていた。また一機、滑走路から飛行機が飛び立ったのが、横目に見えた。
見下ろすような赤い点滅が、僕を責めているみたいに思えて、ゆっくりと湖凪さんを手放した。惜しむように、慈しむように。
「明後日には、あそこに行くのね」
「飛行機に乗っても、いけない場所だ」
「乗って、それが落ちたらいけるけどね」
久しぶりの不謹慎ジョークは最高にブラックで、僕は不覚にも笑いをこぼしてしまった。最後の最後に、湖凪さんに負けた気分になる。
「それ、面白いね」
「でしょ?それでも、飛行機が墜ちることを願わない私たちは、すごくいい人なんだと思う」
湖凪さんは、それだけ言い残すと眠りの底に落ちていった。これで、あなたに残された時間はあと二時間。僕にとっては、あと二日。
明日はまだ終業式とはいえ学校だし、特に変わらない日なんだと思う。きっと誰もが、僕が二日後にいなくなるなんて思わない。
きっと人間誰しもがそうなんだと思った。隣にいる人が、いなくなるなんて心の底では思っていない。
世界はそういう考えに優しくない。それを知った一年だったと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます