佐藤湖凪③

ガタガタと、列車が私を街へと運んで行く。列車がホームから完全に抜け出した頃、私は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。


 思いのほか床が大きな音を立てたから、車両唯一の乗客だと思わしき居眠りした酔っぱらいが、目を開けて私を睨んだ。


 私は、そんなことも構わずに、膝に顔を埋めて激情の声を抑えた。でも、涙だけは抑えられなかった。


「これでいい…」


 そう呟いてみても、誰も肯定も否定もしてくれない。彼を失うかもしれない恐怖と、彼のためを想う『これでいい』が、水と油みたいに混ざり合わずに、私の中に溜まって汚れてく。


 彼と教師とのやりとりを聞いたとき。そして、想像とは違って奏を想う態度と言葉を浮かべた彼の父とのやりとりを見た時。


 私は思ってしまったのだ。もう、私さえいなくなれば、奏は死にたいなんて思わないんじゃないか。


 私と接する中で、奏は少しだけ穏やかになった気がする。そして、それは私と彼が近づけば近づくほど顕著になっていく。


 私の死が近づいて、奏と触れ合う機会が増すたびに、彼は死から遠ざかっていく気がした。


 そんな矛盾の関係が、耐えられなかった。彼が愛しいから傍にいて欲しい気持ちと、彼が愛おしいから彼の好きに生きて欲しい気持ち。


 私には抱えきれなくて、奏に委ねようと思った。


 きっと優しくて、それでいて自分のことには無頓着なあなただから。このまま、ずるい私が何も言わなければ、嫌とも言わずあなたは私とクリスマスの日を迎えて、私に殺されたんだと思う。


 でも、私があなたを想ってしまった瞬間から、きっとその可能性は消え失せてしまったんだ。


 死ぬまでの毎日ぐらい彩りたいと思って、カレンダーなんて作ってしまう私だから。強欲な私だから。


 私はあなたの全てが欲しい。あなたの全てを捨てて、私を求めて欲しい。そのために、ずるい私を殺して、月が見守る駅のホームで、私は奏の隣にいる権利だった投票を取り下げた。彼の誕生日にあげた、桜の時計。


「何が、ずるい私は殺したよ…」


 奏から預かった…預かっただけだと信じている時計を抱きしめながら、立ち上がって四人席のボックスシートの窓際に腰掛ける。酔っ払いは再び眠りの底で、スヤスヤとお酒で夢を買っていた。羨ましい限りだ。

 進行方向と逆に街が消えていくのをぼうっと眺めて、暗闇が訪れると共に映る自分の顔と睨めっこを続けた。


 最後に言ってしまった言葉。それが、奏に聞こえてなければいいと、そう思う。


「私を選んで。なんて」


 ずるさ以外のなにものでもないじゃないか。


 全部失った人生だったと思う。両親も、第二の親であるおばあちゃんも亡くして、最後は自分の時間さえ奪われていった。それで諦めがついたと思っていたのに。


 最後に手に残ったものも、やっぱり諦められない。そんな私が、嫌いだった。ずっとどこかで、救いの手を差し伸べられるのを待っている悲劇のヒロインぶった自分が、嫌だった。


 だから、私は真っ黒な服を着る。プリンセスは、葬儀以外の時は黒い服は着ないのだと、昔おばあちゃんが教えてくれたのを覚えていたからだ。


 感傷的な私の気持ちを置き去りに、予定となんら変わらず列車は私をいつもの街まで運んできた。

 きっと、置き去りにした気持ちは彼が届けてくれると信じて、夏夜の街で寝床を目指して歩き始めた。


 思えば、時間ギリギリだった。今日は、途中で眠ってしまっても送り届けてくれる人はいない。

 足早に、病室へと向かう。腹立たしくてたまらない、時間の簒奪者の来訪まであと二分というところで私はベッドに寝転んだ。


 いつも聞こえるおやすみの代わりに、自分で小さく「おやすみ」と呟いた。


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