夏⑤

 夏は佳境へと近づき、八月へと時は移ろい、湖凪さんの起きていられる時間は、また一時間減った。二十二時から深夜二時まで。たった四時間。


 僕は、真美さんと出会ったあの日から、少し考え込むことが多くなった。でも、それはその四時間には持ち込まないように心がけている。僕の一日は既に、湖凪さんの意識がない時間の方が随分と多いから。


 そんな、暑さに隙を見せた時に、厄介ごとというのはやってくる。


 例の如く、湖凪さんのことを聞きたがる記者が目の前に現れた時だ。よりにもよって、病院に行くまでの道で絡まれたものだから、目的地を知られていて振り切ることができない。


 考え事をしていて、気が立っていたのもある。僕は最悪の選択をしてしまった。


「鬱陶しい!」


 記者の手の中の、メモ帳とペンを僕が振り上げた手に当たって吹き飛んだ。この人間に絡まれて、初めて感情を昂らせた瞬間だった。


 その隙を待っていたのだろう。記者は嬉々として、僕の写真を撮った。きっと、ひどく感情が逆立った顔をしているだろう。フラッシュに冷静になった頭が警鐘を鳴らす。


 このままだと、湖凪さんまで何を書かれるかわかったもんじゃない。焦って、次にすべきことを考えるが、思いつかない。心臓だけが焦りを僕に教えてくる。


「おい、天野。お前何してんだ?」


 そんな僕の元に現れたのは。


「先生…」


 僕の担任だった。どう考えても、厄介ごとに巻き込まれていて焦っている生徒と、それを撮っている大人を不思議そうに見つめている。


「助けてください。数日前から、変な難癖つけてくる記者に追われてるんです」


「はあ?」


 まさしく神の恩恵だろうと、すぐさま助けを求めた。教師だと知ってまずいと思ったのか、記者は逃げようとするが、先生の腕は肩を掴んで離さない。


「うちの生徒に、何を聞きたいんです?」


 記者が話したのは、僕が奇病を抱えた人間の介添人をしているということ。それを取材したいのだと主張する人間に、先生は呆れたという顔をして「そんなものあるわけないだろう、いい大人が何を言っているんだ」と頭を抱えた。


「天野、そんな事はしてないんだな?」


 思いっきり嘘だけれど、僕は大きく頷く。


「うちの生徒はこう言ってます。こんな与太話のために、未成年、それに一般人に付き纏い行為をしたとなったら、おたくも外聞悪いでしょう」


 写真を消して去れと暗に言った先生に、記者は悔しそうに走り去っていった。写真、使われないといいのだけれど。


「先生…その…」


「あー、礼なんかはいいよ。ただ、あーいう人間も世にいるって事は覚えとけ」


「はい」


「じゃあ、ちゃんと夏休みの宿題やれよ」


 それだけ言い残すと、担任は何も聞かずに去っていった。僕は驚いて、何も言えなかった。


「ってことがあったんです」


「その先生、格好いいね」


 僕も、大人になる未来が存在するならば、ああなりたいと思った。それでも、現状は変わることなく夏は進んでいく。

 

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