春⑤
おかわりをした湖凪さんが食べ終わるのを少し待って、食後のコーヒーを淹れた。我が家には、彼女が喫茶店で毎回頼む紅茶は残念ながら存在しない。
甘いものが得意ではない僕は、ブラックのままで。甘党の湖凪さんは、砂糖スプーン三杯分に、ミルク一つ。
「あ、そうだ。湖凪さん。ケーキ買ってきたんだ、食べる?」
「え?いいの!ありがとう」
僕は、冷蔵庫から白い箱を取り出す。駅の改札前の販売スペースで販売していたので、土産に買ってきたものだった。
「僕はどっちでもいいから、好きな方選んでよ」
箱の中身は、ショートケーキとティラミス。好きな方を選んでと言ったものの、当たり外れが怖かったので、一応湖凪さんには王道の、生クリームたっぷりのショートケーキ。僕は、スポンジにコーヒーを含んだティラミスのつもりで買ってきた。
「じゃあ、私ティラミスで」
「……」
言葉にはしないものの、内心で予想外に少しうろたえながら、皿にティラミスを乗せ、湖凪さんに渡そうとする。差し出した皿が一向に受け取られないから不思議に思って顔を上げると、湖凪さんはプルプルと震えていて、堪えきれないとばかりに、抑えた口から漏れ出した笑い声が響く。
「冗談だよ。私はショートケーキで。奏は、顔に出すぎ」
「このままショートケーキ、目の前で平らげてあげようか?」
からかわれたと気づいて、額に青筋が浮かびそうな気持ちでショートケーキに手を伸ばすと、今度は湖凪さんが慌てた様子で「ごめんってば」と僕の腕を制する。
本当に甘いのが好きな人だ。
「ん、おいし」
「本当だ。美味しい」
一口、口に含んでみると湖凪さんが声を上げるのも頷けるほど美味しかった。駅にスペースをもらえるくらいだから、有名なパティスリーのものだったのだろうかと考える。
「これ、高かったでしょ?あとでお金払うよ」
「別にいいよ、親からの仕送り、とてもじゃないけど、毎月使いきれなくて溜まってる一方だし」
「そんなこと言ったら、私だって両親の遺産も、おばあちゃんの残してくれたお金も、全く使いきれないんだから」
そう。僕らが毎晩毎晩、ふらふらと遊び歩いたり、外食できる理由は、金銭的な余裕もあった。二人とも、とてもじゃないが死ぬまでの一年で使い切れる額じゃない。
「死ぬまでに、何かドカンと使っちゃう?顔も知らない親戚に、お金取られちゃうくらいならさ」
「僕らみたいな子供が、そんなに一気に使えることなんてある?」
僕がそう言うと、湖凪さんは考え込むように腕を組むと、うんうんと唸る。
「ホテルのスイートルームでも貸し切って遊ぶ」
「未成年だけで泊まれるかな」
「お菓子のお家を作るとか!」
「多分、ドアがなくなったあたりでギブアップ」
「…お金使うのって難しいね」
「僕らなんて、お金の稼ぎ方もわからなければ、使い方もわかんないんだね」
その後も色々と、頭を悩ませてみたが、結局、ろくな案が出てこなかった。きっと、最後までそんなもんなのだと思う。
「そういえば、未成年云々の下りで思い出したけど、私ギリギリ二十歳には、なれるんだよね」
いつか聞いた話だと、湖凪さんの誕生日は、十月の三十日。ただ、その頃になると、彼女が一日に起きていられる時間は、たったの二時間。祝うには心もとない時間に、彼女は何を思っているのだろう。
「そういえば、奏の誕生日は?」
「え?あー、一昨日だな。四月の四日」
「は?」
僕がそう告げた瞬間、目の前から、ワントーン下がった低い声が聞こえた。
「こ、湖凪さん?」
「なんで言わなかったの!?」
「いや、なんでと言われましても」
一昨日といえば、湖凪さんと同じ病気にかかった人間が亡くなったという知らせが届いた日。
落ち込む湖凪さんをみて、誕生日のことなど頭から抜けていた。それに、もし仮に覚えていたとしても、あの状況で「今日、誕生日なんです」なんて言っていたとも思えない。
湖凪さんも一昨日の状況を思い出したのか、グッと言葉に詰まると「じゃあ!」と声を張り上げる。
「今からでも遅くない!今日は祝いの日にします!」
「えっ?」
「さあ、お店が閉まらないうちに、早く行くよ!準備して!」
湖凪さんは、僕が洗濯しておいた服に脱衣所でさっさと着替えると、同じく着替えを終えた僕を急かすように戸締りを終えさせて、外に出た。
一人で歩き慣れた駅までの道を、二人で寄り添うように歩いていくのが不思議だった。けれど、肝心の隣にいる人が早足なので、正直ついていくのに精一杯だった。だから、そんな感慨は春風に乗って吹き飛んでしまった。それに少し感じ入るものがある自分も一緒に。
快速列車に乗って病院の最寄り駅につくと、閉店間際の併設されたデパートに滑り込んだ。
嫌な顔をされそうなものだけれど凄いもので、閉店まで三十分ほどの今でも店員さんはにこやかに客である僕たちを迎えてくれる。
いくつかの店舗を早足で回っていく。回るお店に一貫性はなく、服飾品店、雑貨屋、宝飾店などを、ノンストップで。
振り回されるのに慣れてきた自分に驚きながら、湖凪さんの背中を追って歩いていく。ようやく、日常に戻った気がした。これに安心感を覚えるのは、どうかと思うけれど。
早足でフロアを物色して回っていた湖凪さんが足を止めたのは、小さな時計店の、ショーケースの前だった。
「見て、奏。これ」
指差したのは、シンプルな革ベルトの腕時計。黒の中に、淡いピンクが施された、上品なデザインだ。
「男物の時計にピンクって珍しいね」
「そうじゃなくて!これの材質!」
そう言われて、商品の詳細が書かれたプレートの材質の部分に目をやると、
「桜…?」
そこには、思いもよらない材質が表記されていた。よく見ると、時計の針であったり、ボディの部分が、渋い木製になっているのが見てとれた。
「そう!しかも、黒に淡い桜色なんて、昨日見た夜桜みたいじゃない?まるで、思い出を切り取ったみたい」
「確かに、言われてみれば…」
桜が材質だと聞かされてから見ると、デザインもそこを意識しているのか、闇夜に浮かぶ提灯の、微かな灯りに照らされた桜の木が見えてくるようだった。
「決めた、これにする」
「これにするって、湖凪さん…」
先ほど材質を見たときに横目に値段が見えたのだが、とてもじゃないが十代の人間が十代の人間にプレゼントで渡す値段のものではない。
「いいの。さっきも言ったけど、お金使いきらなきゃいけないの。早速、使いどころが見つかって良かった」
湖凪さんはそう言うと、店内に堂々と入ると「あのショーケースの、桜の時計が欲しいんです」と店員さんに告げる。百貨店の百戦錬磨の店員さんの接客スマイルが一瞬、時を止めたように固まったのが見えたが、気づかないふりをしておく。
「ほら、ベルトの長さとか調整してもらわなきゃ」
店先で佇んでいたら、そう言うが早いか、 腕を引かれて、カウンターのような席に座らされる。湖凪さんはニコニコと「誕生日プレゼントなんですよー」と店員さんに話しているが、一瞬僕を見た店員さんの目が、凄まじく訝しげだった。
店員さんの頭の中で、僕らの関係がとてつもなくややこしいことになっていそうだが、堪えるしかないだろう。
腕の太さを計られたり、様々な調整をしてもらっている間、湖凪さんは相変わらず笑顔を絶やさず会計をしている。
店員さんが彼女の差し出したクレジットカードの色に、またしてもドン引きしている風景が見えたが、無視だ無視。
支払いを終えると、湖凪さんは凄まじく満足げな顔をして、祝いと称して出されたオレンジジュースを美味しそうに飲んでいる。
僕は居心地が悪くて、一口飲んだジュースの味などわからないまま、時計の機能の説明を受けた。
仰々しくも美しい箱に入った時計を受け取り、店員さんたちに深々とお辞儀されて店を出ると、百貨店全体の閉店アナウンスが流れた。
「ギリギリだったね」
「ギリギリすぎだよ。あと、これを抱えてるの生きた心地がしないよ」
「堂々としてた方が逆にいいと思うけど?というか、高い買い物って、気持ちいんだねー、アドレナリンが出るっていうかさ」
「頼むから変なハマり方しないでよ…」
やたらと重く感じる紙袋を抱えながら、病院への道を急ぐ。一度、これをどこかに置かないと、気が気じゃないのだ。
「どうせ、今日からずっと腕につけるんだからさ、慣れてよ。時計なんて、つけてなんぼだよ?」
「せめてこの華美な装飾の箱だけは、置きたいんだよ…」
すでに消灯された病院内は薄暗く、施錠されていない救急用の出入り口から病院内に入る。
もはや慣れてしまった薄気味悪さの残る廊下を進むと、すぐに突き当たりにはいつもの病室だ。
「さて、その荷物を置いたら、アドベントカレンダー空けよっか」
「はいはい…出来れば何もなしがいいなあ、今日は」
そんなことを呟くと、得てして神は面白がってその逆を提示してくるもので、開かれた神には「桜餅を食べに行く」と書かれていた。
「桜づくしだね。その腕時計も喜んでるでしょ…」
「この時間でも、桜餅食べられそうなところ検索するね…」
結局、近くの食堂兼茶屋のような場所に向かうことになった。何も気づいていないふりをして病室から出ようとすると、コートの襟首を掴まれて、引き戻される。
「さ、せっかくプレゼントなんだから、私がつけてあげるよ」
大人しくコートの袖を少し捲って湖凪さんに差し出すと、上品な腕時計を丁寧に巻いてくれた。
「いいじゃん!控えめだけど、ちょうどよく主張する感じが、すごく奏に合ってる」
「さすが私の目利きだね!」と、自分の手柄もちゃんと褒める湖凪さんに苦笑しながら、部屋の端に設置された姿見で自分の腕を見てみると、悪くないと思えた。自画自賛するだけあって、彼女のセンスはとてもいいのかもしれない。
そして、この時計は湖凪さんにもよく似合うのだろうなと思った。
茶屋へ向かうまでの間も、彼女は時計をつけた僕を褒めちぎった。僕は、ほどほどに礼を言いながらも、内心の沸きたつものを抑えるのに必死だった。
きっとそれは高級品を身につけた時の、どこか不安にも似た浮き足立ちだけではなかったのだと思う。
だって、春の陽気にも早いというのに、なぜか、頬が熱かったのだから。
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