佐藤湖凪①
また、目を覚ます。短針はきっちりと、七の数字を指している。いつも通りの光景だ。寝起き特有の霞なんてもう思い出せなくなってしまった。
私の体は機械みたいに、ただ決まった時間に目を覚ます。そこに微睡みや、心地よさなど一切ない。
強制的に呼び戻された思考能力で感じる。ただ時間を奪われただけなのだと。
ベッドから立ち上がり、カーテンを開くと、冬の世界は既に薄暗い。陽は沈み、なんとなく自分が怠惰な人間な気がしてくる。
大きな検査である今日も、非常にきっちりとした一日が始まる。きっと、あと数分で私が起きる時間になったことに気づいた医者が部屋をノックする。
事務的にカルテを渡され、私もそれに倣うように、昨日と何も変わらない体のことを記入していく。
そうしてしまえば基本的に私は自由だ。強制的に眠ってしまう朝方まで、この病室にいようと出かけようと、何か言われることはない。
存在する制約は、眠ってしまう一時間前には病室にいることと、出かけるときは位置情報を共有するために発信機の埋め込まれたアンクレットを身につけることくらいだ。
顔を洗うために私は、洗面台に向かう。蛇口をひねろうとすると、鏡の中の自分と目があった。
今日も今日とて、不健康そうな白い肌と、寝起きだというのに、全く乱れのない髪をした女が写っている。
一切の寝ぼけがない表情と、整った髪が、寝起きという自覚に対して、なんだかアンバランスで、私はこの状態の私が嫌いだ。
早めに顔を洗い、シャワーを浴びて、ドライヤーで髪を整えると、ようやく内面と外面が釣り合った気がする。
それでも、不健康そうな白い肌と、まるで細木みたいな腕は変わらないのだけれど。
そうやって、完成された私をひとしきり眺めると、ノックの音が響いて、藤井先生がやって来た。私は、無言で頷くと、彼に先導されながら、無機質な廊下を歩いていく。
連れてこられたのは、私なんかじゃ、何を調べるのかすらわからない、大仰な機械が所狭しと置かれた部屋だった。
そこから、夜中の十二時くらいまで体のいたるところを調べ尽くされたというのに、ガラスの向こうで何やらモニターとにらめっこしている白衣の集団の顔は、渋い顔のままだった。
成果なしということなのだろう。半ば予想はしていたけれど。そうやって諦念に襲われていると、もう病室に帰っていいよと言われた。
なんだか、思ったより早い終わりだ。なら、奏に来てもらえば良かった。そう考えて、私の脳裏に、とあるアイデアが浮かんだ。
私はこの病気にかかってから、即断即結をモットーとしているので、早速アイデアを現実にしようと、難しい顔をしている藤井先生に手招きすると、とあることを耳打ちした。
「え!?いや、それは」
「いいじゃん。検査頑張ったんだし。私の貴重な一日潰したんだからさ」
私はいつからか、こうやって、ずるい子になっていく。藤井先生の困った顔に、少し申し訳ないなと思いながらも、懇願する。
そこから粘ること数分。先生は、諦めたみたいに首を縦に振った。きちんとアンクルはつけるようにという声を尻目に、急いで病室に戻った。
そして素早く、いつものモノトーンの装いに着替え、きっちりとマフラーを巻いて病室の外に出る。
その時に、一つ大事なことを思い出して、病室に引き返すと、今日の分のアドベントカレンダーを開けた。中身を見ると、私のこれからの行動の言い訳に御誂え向きのことが書かれていた。どうやら、今日は神様にそこそこ好かれているかもしれない。
アドベントカレンダーの紙を、ポッケにしまうと、もう一度外に飛び出る。しっかりと暖房の聞いていた病室とは違って、廊下は少し肌寒くて、マフラーを顔に近づけるようにもう一度整えて、外へと歩き出す。
病院の外に出ると、さすがは春になってきたとは思えないほどに寒い。そうやって、夜空に想いを馳せながら、夜道を急ぐ。まだ、終電に間に合うはずだ。
私は夜が好きだった。こんな変な病気にかかる前から。
ようやく最近気づいた。夜は特別だからこそ、あんなにも愛おしかったのだと。誰もが孤独を感じることが出来る時間。なんとなく、大人でも子供でもない歳の私にとって、正しい居場所ではないと感じられるあの感覚こそが私は好きだった。
でも、今となっては私の居場所は夜にしかない。
この病気にかかって、辛いことといえばそれだ。昼夜がひっくり返るということは、常識もひっくり返るということなのだと私は知った。
朝起きて、お日様と共に活動して、彼が眠ると人も眠る。
太古から連なってきたその営みに反するということは、一般から乖離していくことなのだ。
二度と私は真上に見えるお日様を見ることは出来ない。
彼が私を見ていてくれる間、私はすやすや眠り続けて、決して目を覚まさない。
次第に我慢強い彼も根負けして、寝坊助の私が起きる頃には、不貞腐れて彼が眠ってしまっている。
私は、彼の寝顔しか知らない。なんとなく、その事が悲しくなるのだ。
別にお日様なんていつでも頭上にあって、見上げると目が痛いので特別見つめたことなんてなかったけれど、もう見れないと言われると、今はとてつもない寂寥感に襲われる。
お月様が俺じゃ不満か?と拗ねているけど、知ったことか。お前の顔は見飽きるんだ。
この病気について教えられた時、君は一年後に確実に死ぬと言われたことより、太陽が猛烈に恋しくなったことを覚えている。
それはきっと、一種の現実逃避で。先にある非現実的な恐怖より、少し身近な嫌なことで頭をいっぱいにして、理解を拒んだ。
今もその途中。太陽を惜しみながら生きて、死を遠ざける。
きっと私がさっきから心の中で太陽の呼称を「彼」にしてしまうのは、あの彼のせいだ。
私が沈む時に一緒に沈むと言う、おかしな彼。私は彼を太陽に見立ててしまっているのかもしれない。
もう二度と会えないものの代わりに、するりと私の掌に新たに現れた彼。
どう見ても太陽なんて柄じゃないし、本人も嫌な顔をする。
そんな下らない感情を抱えながら、夜道を歩く。死ぬまでに何をしようかなんてことはあまり考えていない。
けれど、したいことはするって決めたから。そんなことを考えていると、駅に到着した。電光掲示板を確認すると、あと数分で、目的の終電が発車するところだった。
小走りで、階段を登り、なんとかドアの隙間に滑り込んだ。息を整えながら「奏は驚くかな」なんて考えながら、住所をマップに打ち込む。
それは、以前教えてもらった、奏の自宅の住所だった。彼が話す、川の近くの部屋。
なぜか、検査が終わって、医者たちの浮かない顔を見たとき、死の恐怖よりも先に「奏に会いたい」と、そう思った。
だから、電車を降りてからも、いつしか早足になり、そして、堪えきれずに気づけば走り出していた。
そしてようやくたどり着く。地図アプリが示すマンション。無遠慮にエントランスに足を踏み入れると、彼の住んでいる部屋の前まで急いだ。
そして、乱れた呼吸と、跳ね上がる鼓動のリズムに合わせて、戸をノックした。私の心をノックする、名前のない感情の分だけ、ノックした。
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