はしご
加賀倉 創作【書く精】
はしご
あるところに、風変わりな部族がいた。
彼らは非常に狭い村に住んでおり、その上人口の増加も著しく、ゴミゴミとした、背の高い階層構造の建物で暮らしていた。そして、己が寝食する場所の標高は、地位の高さを表していた。
また彼らは、独特の価値観を持っていた。
彼らは時間を、限りなく無に近い刹那を、とても大事にした。生活におけるあらゆる行動を効率化し、一分一秒も無駄にはしない。朝起きるための目覚まし時計はトースターになっている。アラームと同時にパンが飛び出し、起床直後には口に朝食のパンをくわえている。勉強机や書斎のデスクに備え付けてある椅子は、全てトイレを内蔵しており、長時間の作業で席を立つ必要はない。夜寝る前は、歯を磨きながら、ストレッチをし、学生は学校の授業を録音したものを聞き、大人たちはラジオから情報を得る。そんな姿から、非常に向上心に溢れる部族だ、とも言える。
ある時、村に傷だらけの女性が転がり込んできた。彼女の全身には、打撲や切り傷があった。骨を調べると、幸い折れてはいないものの、骨粗鬆症気味だった。部族の医師たちは、決して思いやりがない訳ではないのだが、淡々と、最低限の挙動で彼女の傷を癒やし、労った。
「本当に助かりました。あなた方は命の恩人です」
女性は、ベッドに横たわりながら、族長に感謝を伝えた。
「いやいや、当然のことをしたまで。なぜそんな大怪我をされたんです?」
「えーっと、乗っていた旅客機がハイジャックにあって、決死の覚悟でパラシュートで飛び降りたんです。それはもう大変でした。あ、それにしても、皆さん、とってもてきぱきと動きますね」
女性は早口で答えた。
「はぁ、そんなことが。まぁ、時間は、大事ですから。我々はとにかく時間を大事にし、効率化が好きなものでして」
「へぇ、素敵ですね。あ、そういえば私、まだ名乗っていませんでした。エムハカセとお呼びください」
彼女は独特な訛りで名乗った。
「えっと、もう一度お願いします。耳が遠いもので」
そこそこ高齢な族長は、聞き取った名前に自信が持てなかったのか、聞き返した。
「M博士です」
「あぁ、M博士。わかりました。ではM博士、しばらくはお休みになさってください。我々は怪我人を追い出すような真似はしませんので」
「いえ、働きます! お礼に、私に何かさせてください」
「いやぁ、でもあんなに打撲や傷があるのに」
「思ったより大したことはないみたいです。ほら、ピンピンしています」
彼女はベッドから降りて、突然、世にも奇妙な踊りを始めた。それが彼女なりの、己の健康を示す方法らしい。
「確かに、元気ではありそうだ。何をしてもらおうか」
「物理を教えます」
「物理ですって?」
「はい。私、こう見えても物理学者なんです」
「そうでしたか。ならちょうど良かったかもしれない。我が部族には物理の得意なものが少なくてね」
「なら、ぜひ私に任せてください」
そして彼女は村の学校の生徒たちに、相対性理論とかいう、小難しい講義を始めた。その理論は、速く動けば時間が遅れるだの、重力が小さくなれば時間が速くなるだの、また逆に重力が大きくなれば時間が遅れるだの、とにかく突拍子もない話だった。
すぐそばで村の教師が講義を聞いていたが、何やら気に食わない様子だった。
「あのう、M博士。お言葉ですが、あまり変な考えを生徒たちに植え付けるのは、やめてくださいよ」
「変な考えなんかじゃありませんよ。必ずや、あなたたち部族の力になります」
彼女は自信満々にそう言った。
「はぁ、そんなにすごい理論なんですか」
「ええ、もちろん。理由は詳しくは言えませんが、この理論をいち早く伝えるべき相手は、時間を大切にするあなたたちであると思ったんです。まぁ、他の誰かがこの理論に辿り着くのも、時間の問題ではありますが」
「なんだかよくわかりませんが、あなたが来なければ、そんな奇妙な理論はこの村に伝わらなかったでしょう。生徒の知的好奇心への刺激になるなら、いいとしますよ」
「大いになりますよ。では誰か、私の話した理論に関して、質問はありますか?」
彼女は講義を続けた。そして、生徒の一人が手を挙げた。
「じゃあ、そこのあなた、どうぞ」
「地球の中心に近づけば近づくほど、重力は大きくなると、授業で習いました。これを博士のお話と合わせて考えると、上の階層に住んでいる人の方が、より速い時の流れの中で暮らしている、ということになるのですか?」
「鋭い質問です。あなたのおっしゃる通りですよ。ただ、時間の速さの差はほんの僅か。何か実際的な影響があるわけではありません。もう少し詳しく説明しますと、地上にいるものと高い塔の上にいるものでは、後者の方が時間の進みが速い。だから、高いところに住んだ方が速く老け、低いところに住んだ方が、いくらか年老いるのが遅くなるのです」
これは、彼らにとって、小さいようで、非常に大きな問題だった。なぜなら、極端に時間を重要視する彼らが、せっかく成り上がって高層階に住めば、限りなく僅かではあるものの、早く老いる。つまりは、捉え方次第では、時間を失ってしまうという本末転倒な事態なのである。
彼らは最初、M博士の理論に半信半疑だったが、やがて彼女の考えが世界中で認められるようになると、次第に信じるものが出てきた。
そして彼らは、より低い土地を求めるようになった。高い場所に住むのが名誉であり、地位の高さを表すという構造が、ひっくり返ってしまった。
しかし、それでもなお、部族の中にはM博士の話に疑問を抱くものが一定数いた。
「彼女の話は、あくまで理論に過ぎないんだろう? 簡単にこれまでの部族の歩みをひっくり返されてたまるか。本当に彼女の言うことが正しいのか、実践的な方法で確かめないと、納得がいかない。皆、そう思わないか?」
村の教師が訴えた。
「先生のおっしゃる通りです。族長は、どう思います?」
他のものも同調した。
「うむ、ぜひそうしよう。では我々が心から納得できるような手段を、M博士自身に聞いてみよう。彼女が一番相対性理論とやらについて、熟知しているのだから」
族長は、M博士に助言を求めることにした。
「どうすれば、そなたの理論の正しさを、机上の空論ではなく、身をもって理解することができるか?」
族長は、M博士に問う。
「族長さん、私はその質問を待っていたんです」
「待っていた……? まぁいい、詳しく聞かせてくれ」
彼は少し、違和感を感じたが、気にしないことにした。
「ええ。まず一つ目の手段は、可能な限り、光の速さに近い速度で一定時間動く。そしてもう一つは、限りなく大きい重力の影響を一定時間受ける。そんな体験をできる場所へ行けばいい。そのどちらか、あるいは両方の体験をしたものがもしいれば、そのものは我々よりも、遥かに若々しい姿で帰ってくるでしょう。逆を言えば、我々はヨボヨボの老人になってしまっていますが」
彼女は淡々と答える。
「二つ手段があるのか。でも両方は難しそうだ。どちらの方が現実的か?」
「そうですねぇ。亜光速を出すのは難しいと思います。なのでブラックホールのような、極度に縮こまった重い天体に向かうのが良いかと。宇宙船はもちろん、私が用意しますよ」
「もちろん……? まぁいい。わかった、そうしよう。宇宙船は頼んだぞ。我々がやるべきことは?」
「身をもって確かめたいのなら、当然、部族の中から宇宙飛行士を育成する必要がありますね。宇宙では、知恵も体力も入りますから、少なくとも二年の座学と一年の訓練とが必要です。宇宙船のほうも、三年もあれば、手配して見せますよ」
彼女は、やけに宇宙関係のことに詳しかった。
「そうか。任せてくれ」
彼らは、M博士の提案を実現する決意をした。
__三年後__
彼らは、多くのことを学び、何人もの宇宙飛行士を育て上げた。
これから宇宙飛行士たちを待っているのは、強大な重力を持つブラックホールの探索。重力による時間への影響を、身をもって体感するのだ。
旅立ちの日、M博士は、宇宙船があるという場所に、皆を案内した。
「こちらが皆様お待ちかねの、宇宙船です」
彼女が指す先には、葉巻型の、鈍色をした、奇妙な金属塊があった。
「想像していたものと違うな。本当に動くのか、これは」
村の教師は、訝しげにM博士に質問する。
「ええ、もちろんです」
「それに、打ち上げ用のロケットはないんですか?」
「ええ。必要ありません」
彼女は、全てを熟知しているような口ぶりだ。
「では、宇宙飛行士の皆さん、気をつけていってらっしゃいませ。戻ってくる頃には、私を含め、ここにいる皆さんのほとんどは亡くなって、次の世代の人々が待っていることでしょう」
彼女の言葉から、旅がとても長いものになることがわかった。
そしてついに、宇宙飛行士たちはM博士の用意した不思議な形の宇宙船に乗り込み、空の彼方へ消えた。
____およそ八十年後____
宇宙船が帰ってきた。
中からは、宇宙飛行士たちが、若々しい姿で現れた。
誰一人として欠けてはいなかった。
そしてM博士の言った通り、もはや村には、宇宙飛行士たちの知るものは数える程度しかおらず、その知っているものも、肌のシワシワな老人だった。
もちろん、M博士も、族長も、村の教師も既に亡くなっていた。
宇宙飛行士たちは部族の皆に、ブラックホールのそばはとてつもない重力だったと語った。
その時の実際の映像記録も見せた。
彼女の理論は、正しかったのだと、目に見える形で証明された。
しかし、その後問題が起きた。
依然として、村には時間を過度に大事にする慣習が残っていた。
部族のもの全員が、相対性理論に納得した今、もはや高みを目指す必要はない。
住む場所が高ければ高いほど、ほんのちょっぴり、老いるスピードは速くなる。
決して目に見える変化にはならないが、彼らにとっては変化量の問題などではなく、時間を失う事実の方がよっぽど気がかりなのである。
村には、標高の高い居住区があれば低い居住区もあるし、標高の高い山地があれば低い沿岸部もある。
皆、ほんの一瞬の時間を求めて争い、低い土地を取り合った。
一時、村は存続の危機に瀕した。
しかし、ある賢人の名案により、争いはぴたりと止んだ。
その案というのは、地下に平坦で広大な土地を築くというものだった。
地下の奥深くなら、多少よその土地に入り込んでしまえば、広さは十分確保できる。
部族間の対立が起こるのは、誰か自分よりも低い場所にいるものが、より多くの時間を得るという、ある種妬みのような感情があるせいだ。
皆が同じ高さで暮らすことができれば、嫉妬する理由はない。結局は土地不足が原因なのである。
それに、今、味方同士で争っていることこそ、不毛で、時間を蔑ろにする行為である。
彼らは、地面を掘ることにした。
もう、これ以上は地面が硬すぎてドリルさえ通らない、というところまで掘り進めた。
ついには平坦で広大な地下都市を築き上げ、いつの間にか、階層構造の居住区からは人の影がなくなり、部族のものは皆、地下へ移った。
時たま、太陽の光が恋しくなって、日光浴をしに地下から出ることはあったが、地上に出る必要性は、ほとんどなかった。
平坦で広大な地下都市は、彼らの村の土地不足問題と時間に対する拘りの問題を、同時に解消したのである。
その頃、地球の他の人間たちは、彼らのことを、変な奴らだなぁと、奇異の眼差しで見ていた。
しかし、彼らの異常なまでの時間への拘りと、そこから来る標高の低さに対する拘りは、思わぬ形で報われた。
とある国の間抜けな独裁者が、世界の終焉を引き起こすスイッチを、押してしまったのだ。
各国は、彼ら部族の地下都市に助けを求めた。
「地上はもうおしまいだ。お願いだ、あなたたちの地下都市に、避難させてほしい」
と、どこかの国の偉い人が懇願する声。
「すまないが、あなた方をこの土地に入れることはできない」
族長は、硬い意志を持って、懇願を断った。
地上の文明社会は、炎の渦と、非常に恐ろしい物質とで満たされ、完全に崩壊した。
________それから何百万年もの時が経った________
「太陽とやらを見に、地上に行こうではないか。もはや僅かな時間への固執など、古い慣習に過ぎないわけだ。少し地球の中心から離れたところで、大した問題ではない」
族長がそう提案する。
「ですが族長、古の書物によると、地上は、それはそれは恐ろしい物質で満たされているから、みだりに足を踏み入れてはならないとありますが……」
部族の若ものが、不安げに物申す。
「大丈夫、もう危ない物質は、安全な物質に変わっているだろう」
族長は冷静に返す。
「ですが、万一のことがあります。今の生活に、皆満足していますし、無理にここ出る必要はないのでは?」
「いいや、出るべきだ」
「なぜ、そう言えるのですか?」
「我々部族の族長家に、代々伝わる秘密の予言があってな」
「はぁ、と言いますと?」
「先代の族長が、エムハカセというものから、ある言葉を預かったんだ」
族長は、一枚の手紙を取り出した。そこには、こんなことが書かれていた。
私を親切にも助けてくれたあなた方にこそ、土地不足に困るあなた方にこそ、そして、時間に対する強い思いを持つあなた方にこそ、この相対性理論を託すべきだと、直感で感じました。いずれ人は、愚かにも私の理論をきっかけとして、非常に危険な兵器を作る。人はその兵器のせいで自滅し、地上は住める場所ではなくなる。それよりも前に、あなたたちにはまず、下を目指してほしい。その先に、あなた方が大事にしている時間を、贅沢に使った後にはなってしまいますが、平坦で、広大な、暖かい光に照らされた自由の緑の土地が、きっと手に入りますから。
彼らは、再び上を目指した。
〈完〉
はしご 加賀倉 創作【書く精】 @sousakukagakura
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