2-20 閑話
レンドールの記憶が次に繋がるのは二、三日後のことだ。
知らない天井が目に入って、パチパチと瞬く。悪い夢を見ていたのかと辺りを窺おうとして、先にぼさぼさ頭のおっさんが視界に飛び込んできた。
「おっ。今度はちゃんと起きたか?」
今度? とレンドールが首を傾げているうちに医者が呼ばれて、空腹以外は良好とお墨付きをもらい、そのまま治療院を追い出された。
ずっとついていてくれたらしいリンセと、食事をしながら現状と記憶のすり合わせをしていく。
そこは最北の村と呼ばれている所だった。まだ北にも集落のようなものはあるらしいのだが、移動したり消滅したりが激しいらしく、国が把握している安定した村はここが最北だと。
「いつの間にか、そんな北まで来てたようだな。ここが一番近かったんだ」
狼を倒したレンドールはその場で意識を失って、リンセが背負って来たのだ。
霧の中落ちてゆくエラリオの姿を思い出して、レンドールの瞳は陰る。もう痺れもない左腕を押さえて、自分の未熟さに歯噛みした。
「さて、どうする?」
リンセの質問に、レンドールは周囲を見渡した。
「アロは?」
「中央に戻った。レンが目覚めたら知らせることにはなってる」
まだ知らせてないと言外に示すからには、彼にも政務官抜きで何か話したいことがあるのだろう。レンドールはそう察して、椀の底に残っていた麦粥を口に流し込んだ。
「俺はエラリオを追いかける」
静かに囁くように告げた言葉に、リンセは目を見開き、息をつめた。
「おまえ……それ……」
「身投げするって意味じゃねーよ。アロはなんて? 俺もリンセに聞きたいことがある」
「彼は……これでひとまず打ち切りだと。魔物が戻ったり、他の魔物が現れた時は対処するから、引き続き警戒は続けるという話だった。中央から派遣した『
「……ふうん」
アロが決めたのか、王が決めたのか、訊きたいところではあったけれど、本人もいないので確かめようがない。国の意向だということは理解したので、レンドールは立ち上がってリンセを外へ促した。
「ずっと寝てたから足もなまってんだろ? 無理すんな」
「聞かれたくない話をすんだろ。人の多いところに留まれるかよ」
にやりと笑ったリンセは、黙ってレンドールを
白い幹が真直ぐ天へと伸びる木々の森を散歩するように、ゆっくりとしたペースで分け入っていく。
「エラリオの声、聞こえてたか? リンセも『
単刀直入に聞くレンドールに気を悪くした様子もなく、リンセは頷いた。
「そうだ。おかげで、彼もそうだと確信できた。国は把握してるんだろうが、わざわざその情報は出さないからな」
「リンセは……髪を染めてるのか? その、色が抜けてる?」
辺りを気にして、声を落とすレンドールをリンセは笑い飛ばした。
「いや。そんなことはない。レンの親友も、色が抜けてるわけじゃねえよ。その可能性を期待してるんなら、申し訳ないが。手入れすれば、綺麗な金髪っぽいもんなぁ。期待したくもなるか……」
リンセの答えに、レンドールは肩を落とす。一縷の望みを抱いたのはその通りだった。しかし、それはまた新たな疑問を呼び起こす。
「じゃあ、リンセのアレは」
「それなぁ……」
口ごもるリンセは、しばらく無言で足を進めて、やがてぽっかりと開けた空間に出た。少し突き出した場所で、落差は三メートくらい。緩やかに下る草原が眼下に広がっていた。リンセはそこに腰を下ろす。
「レンの親友もそうなら、レンは知ってるのかとも思ったんだが、そっちの賭けは外れたみたいだ。ちょっと待ってくれよ。説明は難しいというか……ややこしい事情があるというか……」
「じゃあ、先に聞かせてくれ。リンセはどこからこの国に入ったんだ?」
ふっとリンセは笑った。
「言えねぇ。やましい理由とかじゃねえぞ? 覚えてないんだ」
「リンセも……?」
「まあ、待て。どこまで話せるか……いや。話すことはできないんだが、レンなら解るんじゃないかと。レンは状況からいって、尋問を受けてるよな?」
少し飛んだ話に眉を寄せつつ、レンドールは頷いた。
「その時、自分の意思で言葉を選べなくなったりしなかったか?」
レンドールはハッとする。
「嘘とか、聞かれたこと以外は出てこなかった」
「お。それそれ。俺たち『外者』はおそらく誰もが同じような状況にある。一人の時はなんてこたぁないんだ。だが、誰かに『外』の話をしようとすると、全てがぼやける。鍵がかかったように出てこなくなる。努力ではどうにもならねぇ。だから、「覚えてない」とか「忘れた」と言わざるを得ない」
レンドールは何度も頷いた。自分もラーロの力に直接接していなかったら理解出来なかっただろう。たとえ、エラリオが言ったとしても。
「俺は護国士に向いてる。だが、アレは他の奴に披露できるものでもない。面倒になるのが見えるからな。だから、ひとりの行動が多い。政務官様に言われたのもあるが、こうして残ってたのはレンに口止めしたかったのもあるんだ」
「わかった。大丈夫だ。言わない。答えられる範囲でいい。外者はみんな何かしらできるのか」
「みんなじゃない。言えるのはそのくらいだが……だから、これからも『外者』というだけで身構えるようなことはしないでほしい」
ゆるく風が吹いて、眼下の緑が波のように揺れて流れて見える。リンセの緑の髪も同じように揺れて、憐れむようなまなざしを覆い隠した。
「もうひとつ」
レンドールは憐れまれる理由など何もないと声で示す。
「リンセは外に戻りたいか?」
そこが素晴らしいところだったのなら。思い出があるのなら。大切な人がいるのなら。他人には言えなくても、どれだけぼやけても、きっと芯に残っているはず。
リンセはほとんど考えることもなく首を振った。
「いいや。俺にはここが合ってる。多少の不便はあっても」
「そっか。じゃあ、俺もやっぱり護国士を続けないと。誰も確認しないのなら、俺がきっちりケリをつける」
こんな中途半端な幕切れを、村に帰ってエラリオの母親に告げるなんてとてもできない。少女は短期間であんなにエラリオに懐いていた。彼女が本当に魔物なら、エラリオのピンチに手を貸さないわけがない。少なくとも彼らの死体を確認するまでは、そう信じていたかった。
◇ ◇ ◇
夜。久々の独り寝を堪能していたレンドールの元にラーロがやってきた。法衣に面をつけた姿は相変わらず偉そうで、眠りを妨げることも当然という態度に眉を寄せる。
「あのさ。もう終わったんだろ? 勝手に入ってこないでくれよ」
「刻印を
伸ばされるラーロの手を、レンドールは思わず避けた。
「寝こんでる間にやってくれればよかったのに」
「リンセさんがつきっきりでしたし……アロがするわけにもいきませんでしたから」
まあ、それはそうかと息を吐いて、今一度雷のような痕を眺める。これがなければエラリオを捉まえられただろうか。捉まえた後、その手で命を刈り取れただろうか。
どちらの結末も、結局後味が悪いことに変わりはなかった。
腕をラーロに差し出しつつ、レンドールはふと思いつきを口にした。
「あのさ、その痕だけ残せる?」
腕を取って、ラーロは怪訝そうにレンドールに顔を向けた。
「……まあ、できますが。何の意味が?」
「俺、エラリオを追いかけるから。見つけるまでの誓い」
ラーロはしばらくじっと動かなかった。面の向こうで何を思っているのか、さすがにわからない。
「……ばかですねぇ」
ひどく優しく刻印の痕を撫でて、それだけでラーロはドアの向こうに消えていった。
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