2-19 幕切れ

(どういうことだ?)


 何故急に『外者そともの』なんて言葉が……疑問を深く考えるより先に、駆けて行くエラリオの背中がはっきりと見えて、ようやくレンドールは気付いた。

 一メートほどの幅で、腰から上の木々がすっぱりと無くなっている。ちょうど、巨人が草を刈り取ったような具合に。距離的には五メートくらいだろうか。

 訳も分からぬまま、とりあえずエラリオの後を追う。追いついてきたリンセにレンドールは鋭い声を上げた。


「なんだよ、これ!」


 リンセは走りながらエラリオの背中を見つめ、肩をすくめた。


「説明してる暇はねぇよ。剣を振るのに邪魔だったろ。ワンチャン、当たればいいと思ったが」


 レンドールはもろもろをひとつの舌打ちに込める。

 倒れた木や枝を踏み越え、今度は少し広い場所でエラリオに追いつく。

 足を狙った一振りは跳んで躱され、そこから捻った半身でレンドールを斬りつけてきた。足を止めることには成功したが、そのまま打ち込まれる。

 リンセに自分がやりたいと言ってはあったが、エラリオもちゃんとレンドールをリンセとの間に立たせるように立ち回っていた。

 それは、先ほどの攻撃を牽制してのことでもあるのだろうが、レンドールの望むことを解っているようでもあって、その胸を熱くさせる。

 受けた剣を跳ね除けて、少しの距離をつくる。


「彼女はどこだ」

「言うとでも? レンこそ、強制されてるの?」


 一瞬の視線で左腕を指されて、僅かに身体が硬くなる。


「関係ねぇ!」


 それもまた本心だ。

 迷いは振り切ったとレンドールは思っている。そうでなければ、エラリオはレンドールを頼らない。

 間合いを詰めて、激しく切り結ぶ。エラリオの顔から表情が消えて、余裕がなくなっていることがわかった。


(このまま押し切れるか?)


 ――と、レンドールが思ったとき、か細い悲鳴が聞こえた。

 リンセが一番先に反応して駆け出す。続いて、焦ったようにエラリオも。


「エラリオ……!」


 エラリオを呼ぶ少女の声は余裕がなく、その声の方へ走るエラリオは逃げているときよりも数段早かった。


「来るな! こっちはダメだ……!」


 応えるエラリオの声にも余裕はなく、やがて木々が途切れて明るい場所へ飛び出すと、その声も飲み込まれた。

 少し先は断崖絶壁。国を囲う渓谷だ。その縁を、ともすると躓き、転びそうになりながら少女がひとり駆けてくる。その後ろにピタリと、禍々しい黒い角を持つ大柄な狼を引き連れて。

 獲物を弄ぶかのように、狼はよろけた少女の足をすくった。少女は顔面から地面に衝突して、それでも逃げようと腕だけで前に進もうとした。

 エラリオは前を走るリンセに一度だけ視線をやって、意を決したように追い抜いていく。

 ついさっき見た技に、期待したのか、警戒したのか。

 駆け寄る足音に、少女が顔を上げて手を伸ばす。あっという間にその顔が歪んで、大粒の涙がこぼれだした。


「えらりお……」


 狼もレンドールたちに気が付いた。唸り声と遠吠えで威嚇する。

 リンセが剣を構えたので、レンドールは足を速めた。リンセが何を狙うのかわからなかった。

 けれど、リンセは結局構えを解いてしまう。疑問に思っているうちに、狼のだいぶ後方からアロがやってくるのが見えた。

 少女を足先で転がして、狼はエラリオに飛び掛かる。崖の縁で、少女は膝を抱えるように丸くなった。

 迎え撃ったエラリオの剣を狼は自身の角で受け止める。押し返されたエラリオの横から、リンセが狼を斬りつけた。狼が一瞬早く飛び退ったので、エラリオはその隙をついて少女に駆け寄ろうとした。


 わずかに遅れていたレンドールの目に、リンセの剣がエラリオの背を狙うのが映った。

 心臓が一つ高く打って、世界から色が消えたような気がした。

 何もかもがゆっくりと流れていき、自分の動きさえももどかしい。

 狼の腕が動いた。

 リンセの剣よりも早く。

 その腕は図らずもリンセの剣からエラリオを守り、そのままエラリオと少女を弾き飛ばした。


 レンドールは何も考えていなかった。

 おそらく剣も手放したのだろう。

 ようやく追いつき、そのままの勢いで宙に浮いたエラリオに手を伸ばす。

 少女をしっかりと抱えたまま、エラリオもレンドールに手を伸ばした。

 その指先が触れようとした瞬間、レンドールの左腕に雷が走った。

 思わず腕を押さえ、膝から崩れ落ちる。膝が付くはずの地面は、そこにはなかった。霧のかかる巨大な亀裂に、レンドールも吸い込まれそうになる。それを引き戻したのはリンセだった。

 揺れる視線の先に、虚ろな瞳の少女と手を伸ばしたままのエラリオが見える。

 エラリオは微かに苦笑して、霞む渓谷の底へと落ちていった。




 何を感じる暇もなかった。まだそこに魔化獣まかじゅうはいて、うかうかしていれば自分も落とされる。リンセが拾った剣を押し付けてきたのはそういうことだ。

 左腕の痺れに冷や汗は出るけれど、何に対してかもわからない鬱憤をぶつけられる相手がいたのは、良かったのかもしれない。

 後に、レンドールはその時のことをそう思い返した。

 左腕をだらりと垂らしたままのレンドールに、狼は怯んだという。

 後退り、背を向けて逃げ出そうとして、反対からやってきていたアロを見て動きを止めた。じり、と一歩足を引いて、それが狼の最後の動きだったと。


 ――レンドールは憶えていない。

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