2-18 手加減はできない
次の日は朝一で誰もいなかったという『
少しだけ山に入ったところに、小さな木組みの小屋があった。
暖炉のある部屋とベッドのある寝室。それもドアがあるわけでもなく、半分を壁で仕切っているだけだった。
小屋の隣に何かが埋められた跡があって、石が二つ三つ積まれていたらしい。今はもう掘り返されて、死体もどこかに運ばれてしまったようだ。
できれば死体も確かめたかったなと、レンドールは哀悼を示してから小さく息をついた。
聞いた話でも外傷はなかったようだから、病死か寿命かだったと思われる。
壁には白の巫女らしき女性の絵が飾ってあり、机の上には日記帳が置かれていた。
毎日丁寧に綴っていたようで、最後の日付は六日前だった。ざっと見返していけば、『ゆりかご』の文字が頻繁に出てきているのがわかる。
物忘れがひどくなって、週一回の報告の仕方もどこかに書き留めている記述もあった。探せばすぐ見つかるだろう。
「これだけいい
ある程度読んで、アロに手渡す。
ざっと見ただけでも、この『
「舟はどこから、と思っていましたが」
「孤児院の持ち物だったのかもな。いなくなった院長は何もかも置いて行ったんだろう」
「それにしても大胆な。どこに逃げるつもりだったのでしょう」
パラパラとページをめくりながら、アロはイラついた声を出した。
「舟はまだ見つかってねーのか?」
「夜のうちには……そろそろ、どこからか連絡が入ると思いますが」
「あの川沿いには見つからなかったから、途中で王都の方に分かれてる、あっちの方が怪しいと思うんだよな」
「わざわざ中央都市の方に向かうと?」
「都市部以外に『
「どっちなんですか!」
睨み上げるアロに、レンドールはにやりと笑う。
「寝不足か? ちゃんと寝ねーと判断鈍るぞ?」
「余計なお世話です。あなたこそ、逃げられたというのにずいぶん余裕ではないですか。もう少し恥じてください」
「孤児院自体を調べることを怠ったのは反省するよ。でも、それはそっちもそうだろ。俺は矛盾したことは言ってねぇ。舟はそっちの方で見つかる。あれ、駆動機ついてたからな。動かしたまま、そっちに流したんじゃねーかな」
「舟は」
レンドールの拾ってほしいところを復唱して、アロは少し眉を開いた。
「細かいとこはわかんねーけど、川が分かれる辺りで陸に上がって、それから『士』の格好に戻ったんだろうな。絶対招集かかるから、この辺で『士』がウロウロしてても見咎められない。舟を追ってそっちに追手が集中してくれればもっと御の字だ」
なるほど、と、後ろの方でリンセの声がした。
「陽動するために、姿を見せたと?」
「ムエーレで宿に入るとこ、やっぱり見てたんかもしれねぇ。そうだと仮定すれば、魔物とはどこかで落ち合うはず。で、『士』の流れを考えたら、ここから北に向かって、ムエーレの西、湖の辺りだと死角になるんじゃねぇか。その辺に彼女を隠して、いったん川の上流へ戻ってから舟で孤児院に向かう。あっちに行くにゃあ流れに乗れば手漕ぎでもなんとかなるから、途中で駆動機を止めて音も消せるし」
「……どうしてそれを昨日のうちに」
「舟がこっちの方で見つかるかもしれなかっただろ! 先に舟が見つかってりゃ、その時点で思いついたかもだが」
まあまあ、とリンセが間に入った。
「完全に乗せられるのは避けられたと思おうぜ。つまり、俺たちはムエーレから北西の山ん中へ向かえばいいわけだ」
「そういうこと!」
「他の可能性は捨てきれないので、人員は割かれることになりますが……やむを得ないですね……」
「俺は、他の可能性を潰してもらった方が動きやすいけどな。相手は子連れだ。半日や一日の遅れなんて、すぐ取り戻してやるぜ」
レンドールがそう息巻いてから、次にエラリオの背が見えるまで、結局ひと月近くかかったことを、ここに記しておく。
◇ ◇ ◇
「…………! 見つけたぞ! エラリオ!!」
レンドールが自身で言っていた心理戦と、野外での
「俺が見捨てられないのわかってやってる」
と、レンドールは何度かぶすくれた。
アロなど、地形を利用した巨大な落とし穴に落ちかけたのをレンドールに助けられ、「自分よりも彼と魔物を追え」と逆に叱りつけるものだから、レンドールが不機嫌になるのも仕方ないのかもしれない。
レンドールは感謝しろと言いたいわけではない。エラリオが誰かの命を奪う機会を増やしたくないだけ、という側面もあった。でなければ、彼が命を守るために逃げているという説得力が薄れかねないのだから。
どこかに少女を置いたまま、食料を調達しに行った帰りだったのか、エラリオは一人だった。腕に抱えた木の実や小動物を投げ出すようにして背を向ける。
逃げるのなら、少女から遠ざかるはず。さすがに、リンセもアロも判っていた。アロが残り、リンセとレンドールで後を追う。
足元には細心の注意を払い、エラリオの靴跡をトレースするようについていく。追いつきそうになった時、エラリオがわずかに後ろを確認した。その足が何かを引っかけるのを見て、レンドールは前に進めるはずの足を止め、体を反らせた。後ろから来たリンセがその身体を受け止め、さらに後ろへと下がる。
レンドールの目の前を、丸太が通り過ぎて行った。
戻ってくるそれを避けるタイミングを見つつ、もう一度エラリオを追い始める。細い木々が立ち並ぶ中で、エラリオは振り向いた。
レンドールも剣を抜き、正面からぶつかる。
エラリオの剣はいつもより小ぶりだったけれど、木や枝に遮られて大振りできないレンドールの攻撃を受けるのに苦労はないようだった。
回り込むリンセをエラリオは目で追っている。レンドールの剣を少し下がりながら右に流しつつ、左手の木の陰に身体を滑り込ませていく。体を隠せるほどの太さはなくとも、剣を振るのに邪魔で、レンドールは一度身体を戻した。
「少しは連携取れるようになった? もう一人は政務官なのかな。よくついてきてるね」
「何度か危なかったぞ。ばかやろう」
「こっちも手加減してられないんだって。もう少し、ゆっくり時間が欲しいんだけど」
「悪ぃけど、追いついちまったら見逃せねーな」
「だよね」
レンドールは左手からこちらを窺っているリンセに繋げやすいようにと、右手に動く。エラリオはまた少し下がって、レンドールが踏み出した同じ方向に走り出した。二人は行く手を遮る木々を避けながら、つかず離れずお互いの隙を窺う。邪魔な木が無くなればどちらかが踏み込んで、剣をかち合わせる。
レンドールはふと、幼い頃の遊びにも似ているなと思い出した。エラリオにわずかな苦笑が浮かぶ。
「レン、余計なことを考えている暇は――」
「レン!! 伏せろ!」
リンセの声に先に反応したのはエラリオだった。レンドールの腕を掴み、体当たりするようにしてレンドールを押し倒す。何かがエラリオの伸びた金髪を散らして、通り過ぎて行った。
「――彼も
エラリオが思わず漏れた自身の呟きにハッとして、レンドールから飛び退く。一瞬だけ合った瞳からは何も読み取れず、エラリオはさっき掴んだレンドールの左腕に一瞥をくれてから、身を翻してまた駆けだした。
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