2-10 一段落
ゆらりと波打った尻尾が、次の瞬間には鞭のように三人を襲う。
ペルラは飛び退き、リンセは屈んでそれをやり過ごした。レンドールは剣で受け流して間合いを詰める。
「もらいっ!」
と、振り下ろした剣は、片耳を斬り落とすだけにとどまった。
巨大なネズミは前脚をばたつかせて、ますます怒りに燃える。レンドールに向けられた殺意は高速で迫ってきた。頭を丸呑みにしようと開いた口に、横にした剣を突っ込んで押しとどめる。踏ん張った足が土を抉りながら下がっていった。
押し負ける前に、ネズミの方が声を上げてのけ反った。ペルラが後ろ足を斬りつけ、振り返ろうとした喉元にリンセが剣を突き刺す。もがくネズミからいったん離れて、三人は様子を見守った。
動きが鈍くなってきたので、レンドールはアロを振り返った。黙って巨大ネズミの様子を見守っている彼の背後に、
「……アロ!」
レンドールが一歩踏み出して、アロが振り返ったと同時に、巨大ネズミがぐわっと立ち上がった。まずい、と意識をネズミに戻した時には、ペルラが最後の一太刀を浴びせていた。
ホッとしてもう一度アロを振り返る。すでに狼の姿はなく、アロもいつもの通りだった。
「大丈夫か?」
歩み寄り、狼のいた辺りまで確認する。
「アレに驚いたのか、すぐに行ってしまいましたよ」
「そうか。油断してんじゃねぇぞ?」
「普通の
「のんきなことを……」
「それより、
ネズミから自分の剣を回収しながら、リンセが答える。
「
「マジか。あいつら、通常は猫サイズだよな」
「栄養がよかったのか、黒化の副作用だったのか……これ以上大きくなられると討伐も大変になってきますから、発見できてよかったかもですね」
アロは言いながらペルラに近づくと、レンドールが預けていた資格証を差し出した。
「魔化獣が二体続けて出ることはないでしょう。山犬や狼たちもしばらくは近づかないに違いありません。私たちは行きますので、後のことはよろしく頼みます」
「はい。お気をつけて」
ペルラの敬礼につられて、レンドールとリンセも敬礼で応えた。
アロは踵を返すと、さっさと山道を先に行く。レンドールはその背中を追うのだった。
◇ ◇ ◇
結局、後半は駆け足で山を下りることになった。
プライア村へ着いたのは、陽気な酔っぱらいが酒場から出てくるくらいの時間で、さすがに三人ともぐったりと疲れ切っていた。
今日は一人で寝る、とアロが言ったので、レンドールと相部屋するのはリンセに任された。誰が一緒にいようと、何をする気力もない。携帯食を申し訳程度かじって、二人ともそれぞれのベッドに倒れ込んだのだった。
次の日の朝、リンセがまだ眠っているうちにレンドールはそっと部屋を出た。
別に逃げ出そうとか思ったわけではない。隣の部屋のドアをノックして、返事を待っていた。二度目のノックの後、眠そうなアロの声が応えたので、お邪魔する。
アロはベッドの中でうだうだと枕に顔を伏せていた。
「……まだ早いじゃない……もう少し、寝かせてよ」
「プラデラまでは乗り合いにしてやるよ。一つだけ聞かせろ。昨日渡した資格証、サディのだったか?」
「……調べてないかも、とか思わないわけ?」
「頼んだだろ」
「…………」
アロは一息吐き出すと、半分だけ顔をレンドールに向けた
「確かにサディって人のでした」
「そうか。ありがとう」
「レン」
立ち去ろうとしたレンドールの背中に、アロの声がかかる。
「それで何がわかるのさ」
「確実なことは何も。でも、ペルラもあの魔化獣と対等に渡りあえてた。サディがどんな奴か知らねーけど、ただ逃げただけだとは思えない。何か気になること――エラリオ達を追いかけて、とか、尾行しててとかで、背後の確認が疎かになってたんじゃないかって」
「なるほど?」
「体に刃物の傷は見当たらなかった。剣は無かったから確実じゃねぇけど、少なくとも、エラリオと対峙してても、あいつが殺したんじゃないんだ」
「その場合、見捨ててるということでしょうから、間接的には……」
「そうだけど。自分が追われてんのに、そこまでしてやる義理はねーじゃん。しかも子連れだ。気づいた時点で俺でも逃げる……少なくとも、あの峠の魔化獣の噂は本物だったってこった」
「だから彼は一般人に注意を促したと?」
レンドールは頷いて、それから少し笑った。
「まあ、ついでに嘘の情報もばらまいてる気はするけどな。まだ寝るなら俺、朝市見てくるわ。リンセに聞かれたら言っといて」
「……あなた、見張られてる自覚あります?」
「あるから行く場所知らせてるんだろ」
ひらりと振られた手にため息をついて、アロは諦めたように寝返りを打った。
リンセが起き出してアロの部屋を訪ねたのは、アロがもうひと眠りから覚醒したところだった。
「レン、来てるか?」
「朝市に行きましたよ」
「げっ」
仏頂面のアロに、リンセはへらりと笑う。
「見張りの仕事になってないじゃないですか」
「いやぁ……彼もさすがに疲れてそうだったから……言ってるアロさんも一人で行かせたんですよね?」
「……最悪、枷は嵌めてるんで。野生児には付き合いきれません」
「枷? そうなのか。追ってるのは親友だというし、もう少し悲壮な感じをイメージしてたんだが」
「でしょうね。僕もよくわかりません。あなたなら、親友を殺せると言いきれますか?」
「場合によりけりだが……俺にゃあ親友と呼べる奴はいねぇから、実際のところはわからんな」
肩をすくめるリンセに胡乱な目を向けて、アロはゆるりと頭を振った。
「朝食でも食べながら待ちましょう。そろそろ戻ってくるでしょうから」
宿の目の前に、イスとテーブルが出されていて、湖を見ながら食事や休憩のとれるスペースになっている。二人が朝食セットを頼んで腰を落ち着けたところで、見計らったようにレンドールが戻ってきた。手に何か抱えている。
「我ながらいいタイミング。デザートもあるぞ」
そう言って差し出したのは、カップにたくさん入ったロベリの実だった。一口サイズで赤いその実には、表面につぶつぶした小さな種がついていて、甘酸っぱい。ジャムの定番といえばそれだ。
椅子を引いてそのまま座り込んだレンドールに、アロは仏頂面のまま聞いた。
「朝食は食べないのですか?」
「
「度胸あるな。少年。俺が役立たずみたいじゃないか。隣のベッドが空で俺の心臓が止まったらどうしてくれる」
「二人とも疲れてるようだから、気を使ったんだけど? 荷物も置いて行っただろ。聞き込みして戻ってきたんだし、固いこと言うなって」
「この村に連絡係でもいるのかと疑われるとこですよ」
「何したって疑われるんじゃねーか。そんな小細工しねーって」
ぽいぽいと口にロベリの実を放り込んで、レンドールは鼻で笑った。
「で? 何を聞いてきたって?」
「この辺の獣に異変がないか。この周辺は特に騒がれてないって。まあ、予想通り? 湖挟んでとはいえ中央も近いし、さすがにこっちには来ないだろ。本命はプラデラの町の方だから、食ったら行くぞ」
パンに齧りつこうと開かれたアロの口に横からロベリの実を突っ込んで、二ッと笑ったレンドールは、宿を引き払って乗り合い獣車に乗り込むと、あっという間に寝てしまった。
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