2-9 保存食

 何かあるのかとレンドールも視線を落として、土にぽこりと開いた靴の跡に首を傾げた。


「何すか? 靴でも持ってかれました?」


 言いながら、リンセの靴がどちらも欠けてないのを確かめる。けれど、確かに片方は足首ほどまで土で汚れていた。


「足を、取られたんだ」


 見ればわかることを大真面目に言われて、レンドールはリンセの視線の先をよくよく見てみる。

 足が埋まるほど柔らかい土。足跡の周囲は少し乱れているものの、うっすらと盛り上がっているようでもあり、わずかに周囲と色が違う。犬か狼かとその範囲を視線で追って行って、リンセが何故それを睨みつけるようにしているのかが理解できた。

 犬や狼が掘り返した跡にしては大きすぎる。

 ちょうど、


「……嫌な予感がする」

「だろ?」


 レンドールは荷物から折りたたみ式のシャベルを取り出して、その土のど真ん中に突き立てた。


「掘るのか?」

「確かめねーと。獣の仕業なら、そこまで深くないはずだ。ペルラさんにもう一本借りて、見張りも頼んでくる」


 踵を返すレンドールに軽く手を上げて、リンセはシャベルに手をかけた。

 厳しい顔で戻ったレンドールにアロもペルラも緊張を漂わせる。


「何かありましたか?」

「何か埋まってるかもしれねぇ。ペルラさん、シャベル貸してくれねーか」

「ああ。私も掘ろうか」

「手は大丈夫だ。獣の気配が濃いし、辺りを見張っててもらえるとありがたい。アロは……」

「待ってますよ。お構いなく」

「何か来たら教えろ」


 ペルラからシャベルを受け取って、レンドールはまた茂みの向こうへ引き返した。

 小型のシャベルでも、埋まったものに当たるのに時間はかからなかった。赤っぽい布が見えて、手は早まる。半分ほど土を避けた後は二人で力任せに引きずり出した。

 護国士の制服は擦り傷だらけで、背中は破れて肌があらわになっていた。深く抉られた傷は複数あり、斬られた傷とは違うように見える。他に目立った外傷はなく、資格証をまだ首にかけていたので、レンドールは額にこぶしを当てて短く哀悼を示してからそれを外した。


「ペルラさん! ちょっと、確認してくれ!」


 声を張り上げ、待機しているアロの元へと急ぐ。

 資格証を押し付け、顔を寄せれば、アロは迷惑そうに身を引いた。


「確認はできるのか」


 レンドールの小声での確認に、アロは一転して高慢に口の端を引き上げる。


「できますよ。しませんけど。通常の手続きを踏ませればいいことです」

「悠長に待ってる気はねぇからな。後始末はペルラさんに任せるから、そっちはどうでもいいんだ。預けとくから、俺に後でこっそり教えてくれよ」

「僕がそれを聞く道理はないですが」

「「僕を使えばいい」って言ったじゃねーか。頼んだ」

「あれはこういう……あっ。ちょっと……!」


 言うだけ言って身を翻したレンドールの背中に声を荒げても、その背中はすぐに茂みの向こうに消えてしまった。

 レンドールが戻った時にはペルラが遺体の傍で屈みこんでいて、振り返った顔が重く歪んでいた。


「サディだと、思います」


 顔が腫れていて核心は持てないものの、ベルトにつけていた飾りが同じものだと言った。


「資格証はアロに預けてきた。伝書鳥パッハロを使うんだろ? 少し場所を移して応援を待とう」

「あんまり待ってられないぞ。山の夜は早いからな。戻ってもう一泊するつもりならいいが」


 木々の梢が邪魔で見えない空を見上げながら、リンセが腕を組む。


「わかってる。でも、状況から言ってペルラさん一人を残していくのは危険だ」

「……まあ、そうだな。どう見てもエサを保存してた跡だもんな……相手によっちゃあ取り返しに来る」

「熊の目撃はあまりないのですが……」

「『』がほとんど抵抗もなくやられて、保存食にされてるのも無ぇことだろ」


 ともかく、と、しまい込んでいたマントを担架代わりにして、山道近くまで遺体を運び出した。ペルラが吹く呼び笛の音階を聞きながら、レンドールはもう一度じっくりと遺体を確認してみる。

 サディ(と仮定する)の剣は鞘しか残っていない。引きずられた痕でボロボロだが、剣を受けた傷はやはりないような気がする。ペルラが言ったベルトの飾りはひとつだけ残っていて、あとは千切れていたけれど、盗賊ならば全てを持ち去るに違いない。何より背中に傷ということは、逃げていたか、背後から襲われたかだ。倒れていたのなら、わざわざこんな傷はつけないし、つかないだろう。


 脚に管のついた白い鳥がやってきて、護国士たちの頭上を回った。ペルラが腕を伸ばすと、そこに下りる。赤い瞳のこの鳥は、政府機関専用のもので、政府で繁殖も管理しているという。専用の笛で呼びつけ、足につけた管にメモや手紙を託し、行き先によって違う音階を奏でればいい。

 飛び立つ鳥を見送ったところで、遠巻きにこちらを窺う気配がした。草を揺らす音が不規則な間隔で聞こえてくる。三人は視線を交わして剣に手をかけた。アロだけがまだ鳥の飛んで行った方を見つめていた。


「アロ、獣が現れたらできるだけ離れてろよ」

「はいはい」


 緊張感もなく肩をすくめたアロだったけれど、遠かった草の揺れが近づいたのを見て、レンドールたちから数歩下がった。

 は慎重に近づいてきた。

 身を低くして、けして急がず。確実に。

 数メート先で立ち止まり、一度右へ。しばらくして左へ、と様子を伺っているのがわかる。

 その体毛に覆われた体の一部が草の間からちらりと見え、すぐにまた陰になる。

 少なくとも赤熊ではない。だが、大きさは先日仕留めたものと同じか、さらに大きい気がした。

 レンドールは呼吸を深くして、剣を握り直す。


 山道と死体を背に、真ん中にリンセ。その左がレンドールで右側にペルラ。みなほとんど動いていなかったけれど、藪の中の生き物に向かい合うよう、微妙に立ち位置を変えている。

 唸り声はしないが、しきりに臭いをかぐ鼻息は聞こえていた。

 ふと、全ての動きが止んだ数秒後、今まで身を隠していたそれが飛び出してきた。

 灰色の毛並に、尖った鼻先。耳は丸く、手は小さいが爪は鋭く尖っている。飛び掛かられたリンセはもとより、レンドールもペルラも目を瞠った。


「サイズ感間違ってんだろ!!」


 それでも経験の差か、リンセは身体を捻りながら剣の腹でそいつの顔を殴りつけた。ヂュッ! と声が上がる。


「これが本当のクマネズミ……」

「誰が上手いこと言ってんだよ!?」


 思わずという風に呟いたペルラに突っ込みを入れて、レンドールは体勢を立て直そうとしている巨大ネズミに斬りかかった。それはリンセを見据えたまま、長い尾を鞭のように叩きつけてくる。剣を受けに回したものの、片手では受け止めきれずに慌てて両手で弾き返す。根元まで黒々と染まった尾は、金属のような音を立てた。

 護国士たちの背後の死体に、巨大ネズミは黒い目を吊り上げ、良く研がれた前歯をむき出しにして怒りを露わにする。


 死体を守るように立ちはだかるリンセを追い払おうと、ネズミは大口を開けて突進した。それを両側からレンドールとペルラが阻むように剣を突き出す。ネズミは頭を下げ、二人の剣を鼻先で押し上げた。

 リンセはその露わになりかけた喉元を狙う。

 しかし、ネズミの爪がわずかに早かった。リンセの剣を払って、振りかぶられた残り二人の剣を警戒して一度飛び退る。大きさの割に敏捷性は損なわれていない。

 死体に辿り着けない苛立ちで、巨大ネズミは甲高い声を上げた。

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