2-6 噂の出所
次の村までは山越えをしなくていい。左右に森を見て街道を行く。
途中に小さな湖があるので、そこで休憩をとった。さらに進むと川に突き当たるが、その脇に小さな村がある。小さいと言っても、周囲に点在する集落にとっては市も立つ生活に欠かせない場所だった。
幸い、陽のあるうちに着くことができたので、レンドールとアロは宿の風呂に浸かることができた。
行商人や船乗り、旅する者が多く、陽に焼けた者たちの中でアロの白い肌は目立つのか、なんとなく注目を集めていた。
「こんな共同浴場なんて使いそうにないもんな」
周囲の視線にレンドールがニヤニヤして言えば、アロは小さく肩をすくめてみせた。
「機会がないだけで、別に……さっぱりできるならありがたい限りです」
山の中で蜘蛛の巣に引っかかったり、
「ところで、休憩した時に何か聞き回っていましたけど、彼の目撃情報でも集めていたんですか? もう日にちも経っていますし、通りすがりの者も多いでしょう?」
「目撃情報と言えばそうかな。あいつじゃなくて、
湯の中から湯船の縁に腰掛け直して、レンドールはにっと笑った。
アロは眉を顰める。
「本来なら、それも『
「集中してるさ。最近、出るって噂多いと思わねーか?」
「え……そう、ですか?」
『
レンドールは反対側へ首を捻って、少し離れた場所に浸かっているオヤジに声をかける。
「なぁ。森にも峠にも、人を襲う獣が出るって聞くよな?」
「おぅ。聞いたな。俺は行き会わんかったが、ちょっと移動を控えるってやつも出てきてる。川ルートは混み合ってるぞ」
な、とアロに視線を戻したレンドールに、アロは目を丸くしていた。
「魔物が活性化し始めていて、周囲に影響を与えているんでしょうか?」
「どうかな。そういうことってあんのか?」
「ないとは言えません。魔物の力は黒変を進ませますから」
「なるほどねぇ……」
他人事のように口元を緩めたままのレンドールを見上げながら、アロはムッとして続けた。
「可笑しくはありませんよ? 凶暴化した獣をけしかけられれば、追跡は困難になっていきます。数が増えているというのならば……」
「だから、確かめてくれよ。『士』が対処してるはずだろ?」
言葉を遮られて、けれど当然のことを先に言われたので、アロは面白くなさそうに顔をしかめた。勢いよく立ち上がって、レンドールを睨みつける。
「わかりました!」
そのまま浴場を出て行ったので、周りからは小さな笑いが漏れた。
「あの坊ちゃん、役人さんかい?」
「そう。俺よりだいぶ偉い」
「あんまりいじめてやるなよ? 机仕事の民にゃあ、辺境はきついぞ」
「向こうが来たいって言ったからなぁ。それより、出るってどこの峠とか森とかわかる?」
「西のイエロとか、コンヘラルは聞いたな。エンシーナは……どうだったかな」
「オルモやアベドルも闇狼が増えたとか」
「結構広範囲だな。そのうち確実に目撃されたっていうのは?」
裸の男達はお互いに顔を見合わせて、一様に首を捻った。
「噂があるから、気をつけろってしか……なぁ」
「聞いた話だってぇのばかりだな」
「護国士がたくさん見回ってるから、隠れちまったんじゃねえのか?」
「いやいや。ちゃんと駆除されてるから、出て来ねえんだろ?」
口々に出る話は、しかし結局はっきりしないものばかり。レンドールはもう一度湯に身体を浸して、天井を仰いだ。
「すぐだ。すぐ見つけてやるからな。エラリオ」
そうやってのんびりと部屋に戻れば、アロがベッドに座って待ち構えていた。
「確認できました」
「え。マジか。早くね?」
レンドールの驚く顔を見て、アロは少し機嫌を直したようだった。半日程度は監視の目から逃れられるんじゃないかというレンドールの考えは、甘かったようだ。
「噂は確かにあちこちで聞かれているようです。ただ、討伐されている魔化獣の数は特に増えてはいません。普段より『士』の数も投入されていますし、噂のある所は念入りに警戒しているはずですので、魔物が逃げているという話を知った故の人々の不安が、そういう噂を広めているんじゃないかと」
「意外と冷静な判断」
「馬鹿にしないでください。僕たちは不確かな情報に踊らされはしません」
つんつんと顎を上げる様子に苦笑しながら、レンドールは手にしていた物をアロの手に置いた。
「……なんです? これ」
「風呂上がりのデザート」
削った氷にハニベリのソースをかけただけのものだが、庶民の間では風呂上りや夏のおやつとして親しまれている。
赤紫のソースをすくって香りを確かめてから、アロはそれを口に入れた。
氷の冷たさと果実の酸味が火照った体を冷ましてくれるはずだ。
「……悪くないね」
「だろ。黒変のない獣の方も調べたのか?」
「そっちも増えているとは言えないね。調べに来てくれという依頼は多いらしいけど」
「依頼は北と西に多いんじゃないか」
スプーンを咥えたまま、アロはパチパチと瞬いた。
「そう。全土で増えてはいるけど、ほんの少しこの辺りから北と西に多い感じ」
「地図を出せるか?」
「……いいけど」
氷を一旦ベッドサイドに置いて、アロは灰色の石を手にした。宙に広がった地図にレンドールは指を差していく。
「出発からここまでで、俺が耳にした噂の場所はこことここと、ここ……」
「ちょ、ちょっと、待って!」
「……んだよ指差すくらいいいだろ」
「そうじゃないよ。ん、と。これでいいかな。もう一回やって」
アロは地図に何か指を走らせてから、レンドールを促した。
レンドールがもう一度地図上を指すと、その場所に黄色で印がついた。へぇ、と思わず声に出して、次々と点をつけていく。
「まあ、こんなもんか」
それは国の全域に散らばっていた。ただ、南側よりは北、そして西寄りにわずかに固まっている。
レンドールは少し離れてそれを眺めた。
「レンはフェイクが含まれているって言うんだろうけど、どれがそうかは特定しづらいな」
「特定する必要はないさ。エラリオの進みたい方角がわかればいい」
「これを見て? わかるの? 噂で『士』や『司』を集めて、手の薄い方へってこと?」
それならばとアロは南の方へ視線を動かした。それでもその目は懐疑的だ。黄色の点は南側にもあるし、各地に派遣した者を一定の地域に集めたりはしていない。
「南はな、ないと思うんだ。あの場所から南へ行くと俺らの故郷がある。顔を知っている人間が多い」
「身内や親しい人に匿われているかも」
「他人に迷惑かけるやつじゃねぇよ」
食い気味の返答にアロの表情が不機嫌に曇る。
「東から大渓谷沿いの移動は今のところ選ばないだろうから、北か西は確定だ」
「今のところ?」
「あったばかりの子連れじゃリスクが高すぎる。だが、その先はちょっと確信がない」
両手を上げて、レンドールはお手上げの仕草をした。置いてあった氷をひとすくい口に放り込んで、ベッドに横になる。
「明日、西の方の村でいい話が聞けるといいな」
一連の行動を目で追っていたアロは、呆れた表情で小さくため息をついたのだった。
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