2-4 赤熊

「人形?」

「まあ、案山子に近いだろうけど。その辺に生えてる草を集めて、蔓で括ればそれらしくなるだろ? 黒っぽい髪に見えるように毛糸を束ねて、フードでも被せちまえばいい。あの段階で、それを見て声をかけてきたり、斬りかかってくる護国士は政府直属の追手だ」

「魔物に危険が及ばないように? では魔物はその間どこに……」

「礼拝堂だろ」


 アロは大きく目を見開いた。


「一心に祈る子供がいたって、きっと誰も気にしない。腹が減れば食べ物もあるしな」

「そんな、危険な……」

「危なく見えねえって言ってるだろ。それに、今のところ誰も襲われたりしてない」

「獣も幼い時は庇護されやすいよう、可愛らしい見た目のものが多いです。牙を剥くようになってからでは遅い」

「猛獣だって、人に慣れることもあるだろ」

「魔物は人や獣とは違います」


 正解が見つからない。レンドールもアロもしばし口を閉じた。

 睨み合ったあと、先に小さく息を吐いたのはレンドールだった。


「――ともかく、エラリオは二人をここまで誘導して、人形を洞に置いた。洞を守るよう立ち回って、少しの隙を作る。一人が罠にかかれば、あとは楽勝だろう」

「罠?」

「単純だけど、こういう草むらだと結構引っかかるんだよなぁ。目の前に他に気にしてるものがあるとなおさら」


 レンドールは、草の束同士を結んで輪にしてあるものを指差した。ちょうど靴の先が入る大きさで、周りの草に隠れてしまう。


「子供の頃、面白がっていっぱい作って、えらい怒られた。エラリオは作った場所に動物を追い込むの上手かったぜ」


 剣を抜き、輪を切っておく。


「二人を昏倒させ、人形をばらしてむしろ代わりに敷く。毛糸はその時にいくらか落ちたんだろう。移動中に落としたのもあるかも。あとは衣服を剥いで離れた谷とかに捨ててしまえば、しばらくは動けない。エラリオのことだから、小型ナイフくらい残してくれたかも? 殺したいわけじゃなかっただろうから」


 アロは仏頂面で腕を組んだ。


「……そうです。非公開情報ですが」

「あ、やっぱり? 巣にあった毛糸の量は多くなかった。再利用するつもりだろうな。あと、もしかしてだけど、エラリオ達の髪の色、紺系に染めてるかも」

「彼はわかりますが、黒からではほとんど染まらないんじゃ?」

「一度脱色を試して、それから色を入れてると思う。何より、濃紺なら黒髪が伸びてきてもそれほど目立たないし、帽子とかで隠せる。黒髪の目撃情報が少ないなら、紺系も加えてみるといい」


 あるいは、とレンドールは考える。

 青鴉の羽根のように美しい光沢が出るのなら、さぞや――

 一瞬過ぎった想像を、頭をひと振りして追い出す。そうなら、もっと噂になっているはずだ。


「次は護国士が一人帰ってないって報告が来た町だな。ここから北に二日ほど、だっけ」

「方向的には北西なんですが、一度北上してから向かわないと。山間の町なので」

騎獣シエルバでいいよな?」


 アロは渋々というように頷いた。


「僕だけ先に行くわけにもいかないし、それが一番速そうです」

「うっし。順調に追いついてやる」


 自信たっぷりに歩き出したレンドールだったけれど、途中でアロに腕を引かれた。


「町へ出るならこっちですよ。順調が聞いて呆れます」

「……細けえ地図は入ってないんだよ!」


 少し頬を染めて、レンドールは自分の頭を指でつつく。レンドールが踏み出した先も間違いではなかった。元来た方向だ。

 安全を確保するなら、知らない道は通らない方がいい。自分一人なら、多少の無茶はしてもいいが。

 アロを気遣ったつもりだったが、余計なことだったようだと彼が息を吐き出しかけた時、アロが灰色の石を取り出した。


「地図はあります。僕を使えばいい。無駄はできるだけ削ぎ落としていきましょう。気遣いは無用です。必要な最短距離で追いつきますよ」


 不敵に笑うアロの目から、レンドールを疑う光が薄れていた。

 宙に地図が浮かび上がる。それは少し回転しながら縮尺を縮めていき、町までの道のりを光る線で示していった。



 ◇ ◇ ◇



 地図があってさえ、倒木やがけ崩れで回り道を余儀なくされる。身に着けるものもなく、明かりもなく、放置された二人が山を下りるのに二日かかったというのも当然だ。

 アロは行く手を遮られるたびに意気消沈している。陽が傾き始めた山の中は、すでに足元が見えにくくなっていた。

 元の道を戻っていても、ようやく街道に出たくらいではあっただろうけれど。

 風が止み、葉擦れの音が途切れた瞬間、アロの腹がくぅ、と鳴った。朝はしっかり食べさせてもらったが、昼は携帯食くらいで済ませてしまっていた。

 レンドールは足を止める。


「アロ、ちょっと休憩だ」

「でも、もう少しですから」

「明かりも入れたい。早目にやっとかないと、思ってるより早く暗くなる」


 その場に腰を下ろしてしまったレンドールに、アロは仕方ないという風に戻ってきた。


「ほら、食っとけ」


 ポケットから巫女老にもらった飴玉を取り出して、少し離れて並んだアロに渡す。自分もひとつ口に入れてから、レンドールはカンテラに灯を入れた。

 街の明かりは見えている。しかし、ほっと気を緩めた時に事故は起こりがちだ。山歩きに慣れていないアロが足を滑らせたりしたら、あれこれ支障が出るに違いない。

 アロは飴玉とレンドールを交互に見ていた。


「なんだよ。婆さんにもらったやつだぞ。毒じゃねぇだろ」

「レンがもらったのに」

「は? 俺も食ってるし」


 べえっと舌の上に乗せた飴を見せれば、アロはいかにも嫌そうに身を引いた。


「いえ。いいならいいです。いただきます」


 真っ白いその飴はミルクと蜂蜜の優しい味がした。

 軽いマッサージもアロに教えて、さあもうひと頑張り、と腰を上げた時だった。

 レンドールの背後で草むらが揺れた。風の音とは違う、地を踏みしめる音に、レンドールは剣に手をかけて振り返る。

 不規則に揺れる草の向こうを睨みつけるようにして待つこと数十秒。荒い息遣いと共に顔を出したのは赤熊だった。


 ぼたぼたとよだれを垂らしながらレンドールを視界に入れると、赤熊は一度動きを止めた。喉の奥で低い唸り声が渦を巻いている。カンテラの明かりを映す瞳は黒々として、剥きだす牙と共に本来少し愛嬌のあるその顔を凶悪に見せていた。

 レンドールが剣を抜き放ったのと、赤熊が立ち上がったのはほぼ同時だった。

 前のめりに自らの体重を乗せて、鋭い爪がレンドールに振り下ろされる。斜め後方に飛び退ってから一歩踏みこんで、レンドールは熊の鼻先を斬りつけた。

 声を上げ、鼻先を両手で覆った赤熊だったが、怯んで逃走する様子はない。レンドールを捕まえ、咬みつこうとする手や口を、避け、受け止め、押し返す。少し下がり、身を低くする様子に突進を警戒して、レンドールは自身も半身になった。お互いゆっくりと、右回りに円を描くように立ち位置を変えていく。


 ふと、視界の端に青い服が目に入った。

 それは赤熊も同じようで、瞬間、そちらに気が逸れる。

 レンドールは息を飲んで、僅かな間に多くのことを考えた。

 離れるか、隠れるかしていると思っていたアロに赤熊がどう動くのか。

 アロは動けないのか、動かないのか。策があるのかないのか。

 そこにいるのがエラリオだったら、何一つ迷うことはないのに。と。


 身体は右に流れている。赤熊がアロに目標を変え飛び掛かれば対応が遅れる。熊の動きから目が離せずに、レンドールはアロの様子が窺えなかった。

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