追跡の章

2-1 出立

 王都の東側には幅二百メー ※ほどの川が流れている。

 そこに橋が架かるまでには歴史があるのだが、それはまた別の話。現在は四代目の木造の橋がしっかりと両岸を繋いでいた。

 河岸には春に美しい花を咲かせる樹木が並び、ちょっとしたお花見スポットでもある。

 人の往来が盛んなこの場所に町ができるのは必然で、また、川を越えて旅をする者にとっては無くてはならない場所だった。


「シエルバを借りるのですか?」

「ちんたら歩いては行けねぇだろ」

「乗り合いという手も……」


 やや引け腰なアロに、レンドールはにやりと笑う。


「乗れねーのか」

「の、乗れますよ」

「別に、乗り合いを乗り継いで来てもいいぜ。俺は先に行ってるから。エスタの町で落ち合おうぜ」


 にこにこと言うレンドールに、アロは頬を膨らませて見せた。


「そういうわけにはいきません! わかりました。次の町までは我慢します」

「次まで? その後は乗り合いにするのか?」


 レンドールの疑問顔にもぷいとそっぽを向いて、アロは自分から『貸騎獣シエルバ』の看板がかかる牧場へと入っていった。

 シエルバは鹿と馬を掛け合わせたような見た目をしている。

 馬より小柄で、二本の太い角が生えているという具合だ。

 スタミナがあって悪路もいけるが、少々気の荒いところもあるので都市部への乗り入れは禁止されていた。辺境に点在する町や村では子供のころから慣れ親しむ動物ではあるのだが、落下事故や蹴られて重傷を負う者も多い。

 『ツカサ』であれば都市から出ない者がほとんどで、追い返すきっかけにならないかと思ったりしたレンドールだったが、シエルバたちはおとなしく並んで選ばれるのを待っていた。


「……ずいぶんおとなしいんすね」

「いやぁ。こんなの初めてだ。あの兄ちゃん、よほど動物に好かれるのかね?」


 牧場主とそんな会話を交わす。

 シエルバは基本乗り捨てで、返しに来るといくらかお金が戻ってくる仕組みだ。帰巣本能が強いのだけれど、たまに別の牧場や野生のものと家族を持つ個体もいるらしい。

 レンドールはちょっと拍子抜けしながら、自分も適当に一頭を選んだ。


 橋を渡った先の町は通り抜け、少し南にある湖に隣接する町を目指す。

 アロも危なっかしいところはあるものの、特にトラブルもなく、ぎりぎり陽の残っているうちに着くことができた。

 この湖の背後にそびえる山々を越え、さらに川をひとつ越えればレンドールの故郷に辿り着く。直線では意外と近いのだが、回り道を余儀なくされるので、村にいたときには縁のない町だった。


 山向こうの故郷に少しだけ思いを馳せながら宿の獣繋場にシエルバを繋いで、先に夕食を食べに行こうかと二人で正面に戻るところだった。

 別の客が連れていたシエルバが、何かに驚いたのか突然落ち着きをなくした。綱を引いていた男性も慣れていないのか、突然のことにパニックになったのか、慌てて綱を強く引きながらおたおたし始めた。


「うわ。なんだ? おい、おとなしく――!」


 周囲には子供を含む別のグループもいて、一気に緊張が高まった。

 シエルバは細かく足を踏み鳴らし、綱を振り切るかのように頭を振る。


「……危ないですね。一度宿に入ってしまいましょう……って、レン?」


 アロが入口の方へ体を向けるのと対照的に、レンドールは興奮するシエルバの方に一歩踏み出して上着を脱いだ。


「後ろには立たないで! できるだけ静かに、ゆっくり離れて! おっさん、合図したら手綱離してくれよ」

「へ!? 離す!?」


 タイミングを計って、レンドールはシエルバに飛びついた。

 自分の上着を頭に被せてしっかりと抑え込む。


「離して!」

「は、ふぁい!」


 突然視界を遮られ、動きを止めたシエルバだったけれど、今度はいやいやをするようにして後ずさりした。ざわめく周囲にレンドールは「しー!」と身振りで示す。上着が外れないようにもう一度しっかり抑え込みつつ、「どう、どう」と宥めていく。

 ちゃかちゃかしていた足元も止まり、だいぶ落ち着いたな、という段になってからレンドールは上着の袖どうしを軽く結んだ。手綱を取り、ゆっくりと綱木まで導いていく。

 きちんと綱を結わえ付けたところで周囲から拍手が沸いた。


「あ、ありがとうございます」

「なんとかできる範囲で良かったわ。繊細なやつもいるから、急いでてもあんまりぐいぐい引かない方がいいよ」

「あ、はい。あの、何か礼を……」


 立ち止まらず、何か言いかけた男にひらりと手を振って、レンドールはアロに行くぞと手招いた。


「お節介ですねぇ。宿の者に任せればよかったのに」

「あれ以上興奮すると厄介なんだよ。子供もいたし、暴れさせるわけにいかねーだろ」

「借主はまだ何か言いたそうでしたけど」

ことばだけで充分だろ。仕事の内だし」

「仕事、ですか?」


 アロはきょとん、と首を捻った。


「レンの今の仕事は『魔物』と『魔物に魅入られた者』を見つけ出し、討伐すること、ですが。先ほどのことが何かヒントに?」

「そうじゃねーけど。『護国士』は人を護ってなんぼだろ?」

「『護国士』は国を護る者ですよ」


 レンドールはわずかに眉を寄せ口を開いたが、結局思ったこととは違うことを口にした。


「……ここはたしか湖で取れる魚と山の幸が自慢だったはず。苦手なものはあるか?」

「苦いものはちょっと」


 子供かよ、という言葉もレンドールはかろうじて飲み込んだ。

 この先長い付き合いになるのだろうから、初日から波風立ちそうなことはできるだけ避けようと。


「そのくらいならどこでもいいな。お上品なとこは知らねーからな」

「レンは来たことがあるのですか?」

「『』になってから何度かな。物資の補充とか。山も近いから加工食品の種類も豊富だ」

「彼が立ち寄る可能性は?」

「低いな。俺が寄るだろうって思ってるだろうから」


 アロはとたんに腰に手を当てて不機嫌を露わにした。


「じゃあ、別のところに寄った方がよかったんじゃないの?」

「確認したいことがあったんだよ。いいから腹ごしらえだ」


 酒場の看板を見つけて、レンドールはその扉を指差した。



 ◇ ◇ ◇



 お腹も満ちて、情報収集も終えたレンドールは、お酒が入ったこともあって上機嫌で宿に戻った。

 不機嫌そうだと思っていたアロが、こっくりと舟を漕いでいるのに気付いて背負ってきたのだが、そうしていると本当に子供のようだった。感情が先走ると口調も子供っぽくなるのは、アロを演じる上でのことなのか素なのか判断がつきかねる。

 レンドールもその点ではあまり人のことは言えないというのは重々承知だ。

 アロをベッドに下ろす時、少し瞼を持ち上げたものの、銀に波打つ瞳はすぐ閉じられた。毛布を掛けてやれば、猫のように丸まっていた。

 レンドールも隣のベッドにもぐりこみながら次の日の行程を頭の中で組み立てていく。

 アロも少しはシエルバに慣れてくるはずだと、少しの期待を抱いて。


 翌朝。

 陽が昇り始めたばかりの時間にレンドールは起こされた。


「なんだなんだ? ずいぶんやる気じゃねーの……」

「何言ってるの? 僕の失態の間に逃げ出さなかったのは褒めてあげるけど、だからって君を信用したわけじゃないんですからね!」

「あー……そう。なんでもいいけど」


 急かされて着替えを終えると、レンドールはようやく頭がはっきりしてきた。

 出発が早まるのは、遅れるよりましだなと荷物を纏める。


「ぅし、行くか」


 準備を終えたレンドールに、待ちかねたようにアロが手を伸ばす。

 腕を掴まれ、アロがドアを開けた瞬間、「あっ」と思ったのは確かだった。でも、思考に身体はついてこなかった。

 一歩踏み出して、空気の匂いが変わったのを感じる。不快な臭いではなかったのだけれど、突然襲ってきためまいと吐き気で、レンドールはその場に膝をついた。




※1メート=1メートルくらい。距離の単位。誤記ではない。

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