1-8 同行者

 『巫女老』とは。

 『白の巫女』の神託を聞き、世間に知らしめる役割を持つ。神の言葉は我々の言葉とは異なり、只人にはその意を酌むことが難しい。それを、『色の抜けた者』の中で、言葉を繋げる能力を与えられた者が伝えるのだ。

 齟齬のないように複数人で当たり、現在では四人、欠けが出たら補充という形になっている。

 また、特殊な巫女の生活や健康も管理しているため、彼らが直接政治に関わることはない。


 レンドールの頭の中には、護国士の試験の時に復習したことが流れていた。

 巫女を支えているのが巫女老たちだ。

 老いた者なのは、それまでの生活での知恵があることと、能力の使い方が洗練されていくからだという。


「インコンは眠っているの。後で伝えておくので安心してちょうだい」

「はい」


 柔らかな老女の声は、何も言わずともわかっています、というように言葉を紡いだ。


「若い時は時間が惜しいでしょうけど、今は急いでも結果は変わらないわ。お茶を飲んでから、お行きなさい」

「あ、はい」


 促されて、レンドールはお茶に口をつける。苦みの少ない、後味がさっぱりとしたお茶だった。


「少年。信ずるものを誤るな」

「巫女の加護があらんことを」


 老いた男の声と、もうひとつの老女の声。短く告げられたものの、それ以上は誰も話さなかった。

 ゆっくりとお茶を飲み干し、ラーロがカップを置く。


「ごちそうさまでした」


 皆がこくりと頷いたのを見届けて、ラーロは立ち上がってレンドールに手を伸ばした。レンドールもそっとカップを置いて立ち上がる。


「ごちそう……さまでした」


 と、朝から何も口にしなかったところへお茶を流し込んだからか、この場から去れると安心したからか、レンドールの腹の虫が盛大な鳴き声を上げた。

 げっ、と腹を押さえても時すでに遅く、柔らかな老女の声がくすくすと笑った。


「あらあら。お腹が空いていては力は出ないわ。これをどうぞ。ちゃんとご飯をお食べなさいね?」


 レンドールに渡される一掴みの飴を見て、ふとラーロが漏らした。


「巫女はどうです?」

「ええ。少しずつ食も戻っています」

「……よかった。では、また」


 軽い会釈が交わされ、再びレンドールの腕を引きながらラーロはドアをくぐる。

 次に出た場所は、宮廷のエントランスだった。


「国防大臣に」

「少々お待ちください」


 ラーロの姿に軽く目礼して、受付の女性が手元で紙の束をチェックした。

 レンドールは飴をポケットに突っ込んでから、そっとラーロの袖を引く。


「なあ。俺は対策室とエントランスしか移動できないんじゃなかったのかよ」

「あなたお一人ならそうですね。私はどこにでも行けますから。付属品を持ち込むことくらいできるということですよ」

「俺は荷物かよ」


 女性が顔を上げたので、ラーロは口をつぐんで指示を待つ。


「直接どうぞとのことです」

「ありがとう」


 レンドールはまた腕を引かれてアーチをくぐる。

 今度は行き先がわかっているだけましだなと、足を踏み入れた先で敬礼した。



 ◇ ◇ ◇



 それから、書記官など政府側の文官数人に挨拶して、ようやくレンドールは解放された。

 とは言っても、一時的なものだったが。

 見張り役との待ち合わせ場所を決めろと言われて、いいかげん空っぽの腹に何か入れたいと、試験のときも何度か世話になった食事処を指定した。

 こってりした肉汁の滴るステーキを頼んで、残りも肉料理を選ぶ。酒も欲しいところだったが、すぐ出発するつもりだったのでさすがに諦めた。


 腹が落ち着くと、周囲の話に耳を傾ける。

 どこどこの村が獣の群れに襲われた。誰々の知り合いが山の中で恐ろしい化け物を見た。出所も怪しい噂がいくつも飛び交っている。

 そういう噂は、確かにいつだってあるものだけれど。

 最後まで食べていた鳥の足の骨をしゃぶりながら、レンドールは頭の中の地図に印をつけていく。

 あの山はここ。その森はこっち。耳に入る情報に夢中になっている間に、目の前にすとんと誰かが腰を下ろしたのにも気付かなかった。


 その人物は、レンドールの残した付け合わせの野菜をつまんで、じっとレンドールの顔を見つめていた。が、待てど暮らせど気付く様子のない彼に、徐々に不機嫌になっていく。レンドールの目の前で手を振ってみたり、指先でトントンとテーブルを叩いてみたり、そのほとんどのアピールが無駄になっていた。

 最終的に立ち上がって、ドン、とテーブルにこぶしを落とす。


「初めまして、レン!」


 威嚇するような声に、ようやくレンドールの視線が目の前の人物を捉えた。


「ん? ああ。えーと、はじめ……まして?」


 ゆるく癖のある髪は耳にかかるほどではなく。艶のない金髪で、青い制服、ということは宮廷側の人員のようだ。不機嫌な瞳は薄い灰色で、全体的には確かに初めましてなのだが。


「……ラーロ?」

「違いますよ。僕のことは「アロ」と呼んでください」


 腰に手を当て、胸を逸らす。


「いや……だって」

「一刻も早く、みたいなことを言うから、急いで来たっていうのに!」


 さあさあ、と、アロと名乗った少年はレンドールの手を掴んで引っ張った。店から連れ出され、ぐいぐいと腕を引かれる様も既視感がある。


「だから、ちょっと待てよ。何の冗談だ? あんたが行くのはまずいんじゃ」


 腕を引いている手を逆に掴み返してアロを止める。

 アロは眉を寄せて振り返った。


「だから、違うって言ってるでしょ。僕はアロ。だから、問題ないの!」

「双子設定でもつけるつもりか? 日を空けたならまだしも、さっきまで一緒にいた奴を俺が間違えるかよ」

「何その自信。だいたい、ラーロはずっと面をつけてたでしょ。僕は色も抜けてないよ」

「細けえことはわかんねーし、他の奴は誤魔化せるんだろうが、俺には通用しねえっつってんだ」


 むぅっとレンドールを睨み上げる目が、一瞬だけ銀に揺らいだ。


「あんたの勝手な判断なら、このまま安全省に連れてくぞ。俺はこれ以上の疑惑はかけられたくないんでな」

「なんでそういうとこだけ律儀かな!?」


 はあ、とため息をついたアロは、じっとりした目でレンドールを見上げながら不服そうに続けた。


「留守番は置いてきたから、本当に大丈夫。時々戻るし、不本意ながら君が親友を見つけられるというのも信憑性が出てきた。だから、僕は政務官のアロで、君の見張りだ。能力的にも相応だと思うのだけど」

「宮廷側の政務官に妙な能力はねぇだろ。誰がついてこようと、俺のやることは変わんねーよ。何かあっても知らねーからな。俺は帰れと言ったからな!」

「大丈夫ですって。レン。さあ、行きましょう! 遠出をするのは久しぶりです!」


 だから、遊びに行くんじゃねーぞ、と、苦虫を噛み潰したような顔でレンドールは独り言ちた。それから、ふと気づく。


「おい、なに勝手に略称で呼んでるんだよ」

「正式名で呼んでいると、問題が無きにしも非ずなので。正式名の方がいいですか?」


 ほくそ笑むアロは確かに油断ならないラーロの印象で。

 レンドールは隔離部屋で会ったとき、最初に名を呼ばれて妙な感覚に陥ったのを思い出した。それ以降は確かに彼に名前を呼ばれていない。


「……まあ、いいけどな」


 諸手を上げて「いい」、とは言えないが、嫌な予感がするのでおとなしく了承しておく。

 ともかくも、ようやくエラリオを追いかけられるのだ。これ以上足止めを食らいたくない。

 不安や疑問は一息に纏めて吐き出して、レンドールはまず東へと進路を決めた。

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