1-2 隔離部屋

「ほらメシだ。有難く食え」


 ドアに付いたもうひとつの小さなドアから、乱暴に食事が差し込まれる。

 スープは零れるし、パンは皿から転げ落ちてる。

 俺はまだ犯罪者じゃねーぞ、と、思いながら、レンドールは落ちたパンを皿の上に戻した。


(都市部に住むような上品な金持ちじゃない。落ちたパンだって食ってやる)


 レンドールは半ば自棄になって美味くもない食事を綺麗に腹に詰め込んだ。辺境では天気ひとつで作物の収穫量が変わる。食べ物を無駄にするなと親から口を酸っぱく言われて育ったので、彼に嫌いなものは存在しなかった。食えるか、食えないか、である。


 そもそも、何故自分が牢屋のような狭い隔離部屋に入れられているのか、レンドールはわからなかった。

 うっすら意識を取り戻して、まだ頭がぐらぐらしていたから、資格証に備わっている救難信号を使おうとした、気はする。

 誰かが来てくれた、気もする。

 次にはっきり目が覚めたときには、もうこの場所だった。

 看守の話では、王都の施設の一つらしいが、詳しいことは教えてもらえなかった。

 扱いが完全に犯罪者へのそれだ。親に連絡が行っているのだとしたら、烈火のごとく怒っていることだろう。


 寝返りを打てば落ちてしまうような、狭く硬いベッドにごろりと横になって足を組む。足先をぶらぶらと揺らしながら、エラリオならどこへ向かうだろうかと思考を巡らせた。

 髪はまだしも隠せるが、あの瞳はどうしようもない。目立たないよう着替えを用意した後は、人目を避けて山や森を行くはずだ。

 しかし、どこへ。

 ひとつはっきりしているのは、王都の方へは近づかないだろうということ。

 それはつまり、この瞬間もエラリオとの距離は離れる一方だということだ。

 転がっている場合ではないのに、転がることしかできない。盛大な舌打ちくらいでは、看守は反応すらしなかった。


 と、ドアの軋む音がした。

 看守の交代の時間ではない。耳をすませば、看守も慌てて立ち上がり、囚人たちに対する態度からは考えられないほどかしこまった受け答えをしているようだ。気になって、レンドールは体を起こした。

 衣擦れの音と、静かな足運び。この場に似つかわしくない気配は、レンドールの見つめているドアの前で止まった。

 開錠の音に続いて、ドアが開いていく。


「ありがとうございます。お戻りいただいて結構ですよ」

「しかし……」


 焦ったように何か言いかけた看守の鼻先で、ドアは音を立てて閉じた。

 入ってきた男はドアに向かって指先でバツ印を描くようにしてから、レンドールに向き直る。

 クリーム色の法衣を纏ったその人物を、レンドールは「お偉いさんだな」と判断した。

 態度からも透けて見えるが、一番はその容姿。優雅な動きをするその手はすべやかで、癖のある柔らかそうな髪は耳を隠すほどではなく、白と見紛うばかりだが、反射する光沢はわずかに金に見える。白い布の面を垂らしているので目の色や表情はわからないものの、声からは若い男だと判断がついた。その法衣から政務官、それも、国家安全省の人間に間違いない。


「会いに来るのが遅れて申し訳ありませんでした。こう見えても、忙しい身で」


 レンドールは跪くべきかしばし迷って、諦めた。勧める椅子もないことだし、こんなところへ入れられている、色素の濃い男の信心など期待しないだろう。

 彼の心を読んだかのように、法衣の男はわずかに笑った。


「わたくし、ラーロと申します。『ティサハ村のレンドール』さん、でお間違えないでしょうか」

「そう、だが」


 名を呼ばれたとたん、レンドールの喉を誰かが撫でたような感覚がした。のけ反るまでいかないが、知らずうちに背筋が伸びる。こちらからは見えないのに、相手の視線が全身に刺さるのがわかって冷や汗が出た。


「『魔物』を見つけたとの報告は本当ですか?」

「そうだ」

「取り逃がしたというのは」

「……そうだ」

「あなたの相棒が連れて逃げたと」

「……そうだ!」


 鋭くなった目つきと、こめかみの痣を見て、ラーロはふむ、と指を鳴らした。とたんにレンドールの喉の圧迫感が無くなる。は、とこぼれた息をかき集めるかのように吸い込んで、レンドールはここ数日ため込んでいた気持ちを吐き出した。


「ここから出せよ! 俺はあいつを追わなくちゃなんねーんだ!」

「なんのために追うのですか。今のあなたの証言で、彼は討伐対象に加わりました。連れ戻すなどと生易しいことはできませんよ」


 レンドールは思わず喉を押さえた。さっきまで必要以上のことも、嘘も、抑え付けられたように出てこなかった。白の巫女の傍にはそういう不思議な技を使う者がいるのだ。

 奥歯を噛みしめる。


「……わかってるさ。それでも! あいつを追えるのは俺だけだし、あいつを殺せるのも俺だけだ!」


 ラーロは、ぱちぱちと子供を褒めるようなわざとらしい拍手をして、笑みを含んだ声で続ける。


「大きく出ますねぇ。残念ですが、彼の身内とも言っていいあなたを我々はまだ信用できません。合流されるくらいなら手間が省けますが、攪乱されてはたまりませんから」


 調べられてるんだな、とレンドールは感じた。そのための数日だったと。

 取り繕うことになんの意味もない。


「攪乱できるほど頭がありゃあ、追わせてくれなんて頼みゃあしねーよ。バカじゃないのか」


 動きを止めたラーロに、若干胸がすく。資格を返上してしまえば、個人的に追うことを誰も止められないだろうか。

 資格証に触れたレンドールの手を、ラーロはため息をつきながら止めた。


「まあ、お待ちなさい。あなたの心意気は解りました。現在、追わせている者たちからの連絡が途絶えたら考えましょう。彼の資格もまだ剥奪されていません……が、彼はすでに、そんなもの捨ててしまっているかもしれませんけど」


 レンドールが救難信号を発したのかしなかったのか定かではないが、こうして収容されているということは、どうにかして場所を特定できたということ。

 なるほどね、とふてくされて、レンドールはまたごろりと横になった。


「……非生産的ですねぇ」

「ほっとけよ。こんなところで他に何ができるってぇんだよ。剣は取り上げられてるし」

「祈ることも、看守に本の差し入れも頼めるではないですか」

「俺が祈って世界が救えるならそうしてる。本なんて三行読んだらぐっすりだ」

「あなた、よく筆記試験通りましたね?」

「エラリオには負けねぇ」


 呆れたように腕を組むと、ラーロはしばし黙った。レンドールが「もう帰れよ」と言いかけた時、ラーロはパンッと手を合わせた。


「体力が余っているのなら、使いましょう。『逃げ出すことを禁じます』『暴力をふるうことも禁じます』」


 ラーロが謡うように禁則事項を口にするたびに、レンドールの手足が何かに締め付けられたように重くなった。わずかな時間で、すぐにその感覚は消えてなくなったものの、不気味さで飛び起きる。


「……何したよ?」

「外へ出たいのでしょう? 目を離すわけにはいきませんので、雑用を手伝っていただきます」


 少し楽しそうにそう言って、ラーロはドアの表面を撫でるような仕草をした。

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