1-3 徳を積む
ラーロがドアを開くと、本棚が目に入った。
思わず目をこすって、レンドールはあんぐりと大口を開ける。
「おっと。その恰好では騒がれますね。先にこちらだ」
軽やかに指を鳴らすと、本棚はロッカーに変わった。レンドールが何度も目をしばたかせるのを見て、ラーロは満足気に腰に手を当てる。得意げな顔をしているのだろうけれど、そういう雰囲気だけで表情は見えない。白い布の表面に這う白い糸の刺繍が、レンドールを嗤っているような気がした。
ラーロはクリーム色の法衣(一番簡素な物で、袖口と襟にオレンジ色の切り替えが入っている)を取り出すとレンドールに押し付けた。
ちなみにラーロが着ている物は袖口と襟が白の切り替えで、白い糸で細かい刺繍が入っている。
この国では徳を積むと色が抜けると言われていて、白は神聖な色だ。色の抜けた人々は神を祀り、仕え、その力を分けてもらう。純白に近づくほど分けられる力は大きくなり、その力を
護国司の序列は白の濃淡で決まるけれど、他の色の濃淡で一般市民が差別されることはない。だれしも歳をとるにつれてある程度の色は抜けるからだ。例外は漆黒。黒だけは魔の色で、忌避される。
護国司を目指す者が修行する場所が『巫女の庭』という。節制と、奉仕の生活だとレンドールは聞いている。若くても色が抜ける者はいるが、金髪だから早いとか、こげ茶の髪だから遅いということもない。才能さえあれば、ある日突然色は抜けるらしい。そういう人間はエリートであり、年齢に関係なく高い役職に就く。
つまり、ラーロは国家安全省の中でもだいぶ上の人間、ということになる。
政治は王を筆頭に大臣たちが運営しているが、逐一巫女にお伺いを立てていることから、どちらに力があるかは歴然だろう。宮殿と国家安全省の建物は、国の中央の丘の上に対を成すようにして建っている。その鳥が羽を広げたような優美な造形は、辺境の子供達でも知っていた。
慣れない法衣に腕を通しながら、レンドールはその丘の上の建物を思い出していた。
式典や祭典の時などでも立ち入れる場所は限られる。そんな場所に、もしや? と。
興味はないが、好奇心はある。
ラーロは目元だけを隠す白い布の面をつけたレンドールに、仕上げにと布付きの帽子を被せた。
「うん。髪が短いのでこれで見えないですね」
レンドールの髪は
気が付けば、ドアの向こうはまた本棚が並んでいた。さあさあと急かされて、レンドールは慎重に足を踏み出す。
まず感じたのは、空気が違うということだった。山の上の爽やかなあの感じに似ている。かび臭い空間にいたからか、廊下に出たわけではないということだけは嫌でもわかった。振り返ってみたが、ドアは閉じていて、その向こうがどうなっているのかわからない。
「さあ、こちらですよ。『魔物』騒ぎで人手が足りなくて。整理が中途半端なままになってまして……あ、面倒を増やさないように、誰かがいても話しかけるとかはやめてくださいね? 禁止事項を増やしてもいいのですが……私が近くにいれば、話しかけられることはないはずですので」
机の上に積まれた本をいくつかまとめてレンドールに渡すと、ラーロは空いた棚を指差した。
「年代順に並べていってください。難しくないでしょう?」
書かれた年代を確認して、並べていく。簡単な作業だ。だが、時に片手で持てない厚さの本は重く、机に積まれてある数も膨大だった。空の本棚は充分にあり、棚の上から下まで本を詰めるのに背伸びしたり、屈んだり。本を抱えての作業は、確かに体力仕事かもしれなかった。
レンドールは物珍しさもあり、しばらく黙って作業していたのだが、単調な動きにやがて飽きてきた。ラーロは、と窺えば、空いた机で何やら書類仕事をしている。手にした本に何が書かれているのかとパラパラめくってみたものの、びっしりと詰まった文字にめまいがしそうになってすぐ閉じた。仕方なく作業を再開する。
時々パラパラとページを送って、挿絵を探すことで気を紛らわすことにした。歴史や『白の巫女』関係の本が多いので、見つかる挿絵も神や巫女の神々しいものがほとんどだ。
厚めの一冊をめくっていた時、間からはらりとページが落ちた。
レンドールは慌ててそれを拾い上げる。数ページ戻って内容を確認しつつ見比べたが、どうにも繋がらない。
不思議に思ってよく確認してみれば、落ちたのは別の薄い一冊のようだった。表紙もない一ページが本と呼べるのかは微妙だが。人の名前と所在地が羅列されていて、年代と書いた者の署名もちゃんとある。
「ラーロ。これもそのまま並べていいのか?」
ラーロは顔を上げてこちらを見ると、書類の上で手を振った。すると、ラーロの前にあるものには全てすりガラスを被せたようになった。手を差し出されたので、レンドールは近づいて一ページを手渡す。
自分が持って行ったものより、すりガラスがどうなっているのか気になって、逆に書類の方を凝視してしまっていた。
布面の向こうからじっと見つめる気配がして、レンドールはハッとして視線を逸らした。
「あ、いや。書類を覗きたいわけじゃなくてだな……」
「視覚情報を歪ませているだけですよ」
「……あ、そう」
レンドールには何でもないことのように言う感覚がわからなくて、そう答えるしかなかった。見えないものを見たことも罪状になるんだろうかと不安になる。
ラーロはレンドールが手渡したものを少し眺めてから机の上に置いた。
「『
「わかった……『外者』って、記録されてんの?」
「できるだけ。『国民』ですから」
「結構多いのか?」
「多いということは。この年は過去数年にさかのぼって記録されたようなので。報告のない年の方が多いですよ」
エラリオも、と幼馴染の名がレンドールの脳裏を掠める。『外者』の犯罪率は高いんだろうか。もし、国がそういう意識で監視しているのだとしたら……
ラーロはまたじっとレンドールを見ていた。レンドールが何も言わずに作業に戻ろうとすると、吐息だけの笑いが聞こえた。
「『外者』でも、護国士になれるし、色の抜けた者もいますよ」
「えっ。そうなのか」
確かにエラリオはすんなり護国士になれた。なれると思ったからレンドールも勧めたのだし。でも、
「どこかにその記録もありますから、気になるなら探していいですよ?」
まだ整理されていない本の山と、ずらりと並んだ本棚を指差されて、レンドールは顔をひきつらせて遠慮した。今度は、ラーロも声を立てて笑った。
「ラーロ?」
第三者の声がして、レンドールは強張った。しっかりと口を閉じて、適当な一冊を掴んで本棚の前に立つ。
「戻っていたのですか。巫女様が……」
「……! 今行く。先に戻れ」
本棚の間にラーロの姿を探していたしわがれた声と気配にそう言って、ラーロは立ち上がった。レンドールの腕をひき、有無を言わせず近くのドアを開けて押し込む。閉じかかったドアを慌てて掴んで、レンドールは半ば叫んだ。
「あ、おい、これ……!」
手にした本を差し出せば、ラーロは一瞥して押し返してきた。
「後で返してもらいます」
「……は?」
閉じたドアは、レンドールが叩いても蹴ってももう開かなかった。看守に怒鳴られ、ようやく振り返ってみれば、元の窓もないかび臭い小部屋だった。
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