白の神、黒の魔物

ながる

別れの章

1-1 黒き瞳の魔物

 ――ィィィン……

 岩窟に金属同士のぶつかり合う音がこだまのように後を引く。

 雨の音も雷の音も、その瞬間だけレンドールと一緒に息を飲んだかのようだった。


「……っ! 正気か!? エラリオ!」

「もちろん」


 いつものように曇りない笑顔で、レンドールの相棒は応えた。同時に、受けたレンドールの剣を押し返す。


「いつも言ってるだろう? 未来とは、可能性だ、と」


 彼の後ろで、年端もいかぬ少女が零れそうな瞳を濡らして見上げている。薄汚れた衣を申し訳程度に纏っただけの少女の、吸いこまれそうな黒い黒い瞳。

 レンドールとて躊躇いがなかったわけではない。

 けれど、彼女がだと気付いてしまったからには、護国士ごこくしとして取るべき行動はひとつ、のはずだった。

 『』は討伐しなければならない。

 だというのに、彼は。幼いころから常にレンドールの隣にいたエラリオは、躊躇いなど微塵も感じさせずに少女の前に立ち、レンドールの剣を受け止めたのだ。


「エラリオ!!」

「彼女はただの子供だ。レンもそう思ったから、迷ったんだろう?」


 ほんの僅かな躊躇い。先に駆け出したのはエラリオだった。でなければ、レンドールの剣は彼女に届いていた。


「来いよ」


 しっかりと剣を構え直し、エラリオは言う。


「それとも、お前も来るか?」


 いつもの笑顔で、彼は片手を差し出した。

 レンドールが、その手を取らないのをっていて――



 ◇ ◇ ◇



 レンドールが護国士の資格試験を受けるのは二度目だった。

 十四から受けられるそれに、一年目は惨敗した。興味がないというエラリオを「お前が隣にいないと調子が出ない」そう泣き落として、二年目の受験に備えた。

 幼い頃に母と二人、エラリオはレンドールの住む辺境の村にやってきた。遠巻きにする大人たちを尻目に、レンドールは同い年の綺麗な青い目の少年と仲良くなった。器用で頭のいい少年に負けじと張り合うレンドール。それまでよりも村の役に立つようになり、母子が村に溶け込むのも時間はかからなかった。

 いつも二人だったから、二人ならなんとかなると、レンドールは信じて疑わなかった。


「ほらな。やっぱりお前となら上手くいくんだよ」


 首から下げた資格証を目の前まで持ち上げて、得意満面の笑顔で麦酒エールを掲げる。


「ひとりでも同じはずだぞ? レンはやる気の波が激しすぎるんだよ」

「うるせぇ! 合格したからもういいんだよ!」


 エラリオの持った杯に強引に自分の杯をぶつけて、レンドールはその日五度目の「乾杯」をした。護国士の資格を持てば、毎月国から支給が出る。有事には最前線に出なければいけないが、あとは郷里と中央都市での勤務をこなしていればいい。

 何より、国家資格があれば、エラリオも『外者そともの』と後ろ指差されることも無くなる。


 上機嫌に杯を空けて、七度目か、八度目の乾杯をしようとしたときだった。

 レンドールの手の中でもてあそばれていた資格証が、エラリオの胸元で、酒場のあちこちで、それぞれが光を放った。光は一度広がってから収縮し、護国士たちの視線の先に丸く集まってゆく。

 呆気にとられているうちに、光の中に二人の人物が映し出された。何人か椅子から降りて跪いたが、ほとんどの者はこぶしを前にする簡易な敬礼姿勢だった。レンドールとエラリオもそれに倣う。


『全護国士に告ぐ』


 年輪を刻んだ、重々しい老人の声がした。

 映し出されているのは白の法衣を着た人物で、一人は背の高い椅子に腰かけ、もう一人はその横に立っている。どちらも布の面を垂らしているので顔はわからないけれど、体つきから座っているのが女性で、立っている方が男性だと知れた。映像は荒いが、女性の方が凝った刺繍の上等な布を纏っているように見えた。


『白の巫女様が真詞しんしを給われた。以下に続く文言を胸に刻め』


 老人と思われる方が緩やかに手を振ると、彼の声に続いて文字が浮かび上がる。


 《雲晴れぬ山の向こう、虹のかかる谷の先

  黒き瞳の魔物あり

  は己を知らぬ

  知らぬまま力を蓄え、そして、全てを滅ぼす》


『道を違えたければ、それを探し出し、力付けぬ間に闇へ返せ!』


 応、と声が揃い、こぶしが胸を叩く。

 巫女の預言を目の当たりにして、レンドールは身を震わせた。

 この国が国の体を成しているのは、巫女の預言のおかげだ。他に国があるのか、レンドールは知らない。底の見えない巨大な渓谷に、この国は囲まれているのだ。だが、もしあったとしても、この国より富んで安全な国はないだろうと確信している。

 でなければ、エラリオのように命からがらやってくる人々がいるわけがないと。

 映像からエラリオに視線を移せば、彼はこぶしを胸に当てたまま、無表情に映像を眺めていた。


 村に帰ることも出来た。けれど、護国士としての初仕事にレンドールの胸は躍っていた。大手を振って国のあちこちを見て回れると、その理由に呆れるエラリオを引きずって、彼らは旅に出る。

 腕に覚えはあった。エラリオは強い。それに並ぶ自分も。

 故郷のような辺境の村を渡り歩き、黒々とした瞳を持つ凶暴な獣を退治して回る。村人たちの感謝の声に、自分の選んだ道が誇らしかった。

 二年近くもそうして、一度村に帰ろうとしていたところだった。

 山間で雨に降られ、たまたま見つけた洞窟で雨宿りをしていた時、すぐ近くに落ちた雷の音と地響きに、自分たちのものではない小さな悲鳴が重なった。

 暗がりに、怯えて縮こまったもの。

 明かりを向ければ……闇を纏い、黒々とした瞳の――



 ◇ ◇ ◇



 ギリギリと奥歯を噛みしめる音が響いた。

 レンドールは、ほんの今さっきまで相棒だった男に剣を振り下ろす。

 エラリオは笑いながらそれを軽くいなしてしまった。


「どうした? そんなんじゃ俺を倒せないぞ」


 レンドールの剣を握る手が震えている。今まで、二人の勝負に決着がついたことはなかった。腹を決めたエラリオに、半端な気持ちでレンドールが勝てるはずもない。


「あああああああああああああああ!!」


 喉が痛くなるほど腹の底から声を出して迷いを断ち切る。

 それを見て、エラリオは少しだけ寂しそうに笑った。

 こっちが振り切ったのに、なんだよそれ。卑怯だろ。

 怒りにも似た思いと共に放たれたレンドールの一撃はエラリオの胸を掠めて、返す刃は弾かれた。

 レンドールが一度距離を取った隙に、エラリオは少女の手を取って背中を向ける。


「エラリオ!」

「レン、俺は可能性を信じるよ。俺がこの子に教える」


 追いすがり、その背中を狙う。

 エラリオは少女の手を放し、そう来ることが判っていたようなタイミングで身を低くした。素早く振り返り、剣が振り下ろされる前に体当たりをくらわせる。

 よろめいたレンドールに追い打ちをかけるように、エラリオは剣の柄でレンドールのこめかみを殴りつけた。

 容赦のない一撃にレンドールの身体は横に飛び、視界はブレて滲んだ。

 伸ばした手の向こうに見えたエラリオの笑顔に、もう寂しさはなく。


「きっと違う道を歩ませてみせる。だから」

「うるさい! 馬鹿! 追ってやる! 追って、その『魔物』を――」


 満面の笑みを浮かべたエラリオは、不思議そうな顔で見上げる少女を抱え上げて、軽やかに駆けて行く。

 人々は噂するだろう。あの男は魔物に魅入られたのだと。


 レンドールは暗くなる視界と吐き気に悪態をつきながら誓う。

 俺だけはお前の正気を心に刻む。

 お前は彼女を慈しみ育て、それでも預言の通りになるのなら、自らの手で終わらせるつもりだろう。俺はもしもの為の切り札か。

 ならば俺は、お前を追い続けなければいけない。

 あの瞬間、お前が先に剣を抜いていたら、彼女の前に立ったのは俺だったのかもしれないのだから。


 この日この場所。道は分かたれた。

 どちらを進むのか、選んだのか、選ばれたのか。

 それは神の悪戯とも悪魔の囁きともいえる。


 迷いもなく追われる方を選んだ彼に少しの嫉妬を覚えながら、レンドールは意識を手放した。

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2024年11月30日 00:00
2024年12月1日 00:00
2024年12月2日 00:00

白の神、黒の魔物 ながる @nagal

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