後編

 あれから、一週間が経った。

 が、まだ怒りは収まらず、さーちゃんとは一言も会話をしていない。

 正直、長い付き合いでこんなことは初めてだったが、それだけ先日のことが尾を引いていた。

(……さーちゃんの馬鹿! あたしがどれだけの思いをして、先輩への思いを断ち切ったと思うの! それなのに、よく分からない理由で諦めちゃうなんて、あたしの思いはもう台無しよ!)

「――ねぇ、花。桜さんと何かあった?」

 学校での休み時間中、仲の良いC子と話をしていると、突然話を振られて、あたしは目を丸くする。

「えっ! なんで?」

「いや、最近さ、桜さんと話をしているの全然見ないから……」

「……その、ちょっと色々あって、今距離を置いているんだ」

「そうなんだ……」

 C子は何となく察してくれたようで、これ以上は触れないでおくわと言ってくれた。

 ――しかし、

「これで桜花おうかコンビも解散とかになっちゃうのかなぁ……」

 どこか寂しげにC子はポツリと呟いた。

(さーちゃんと縁が切れる。それは思ってもみなかった。でも、このままの状態が続いたら……)

 ――いやいや、そこまでは行かないだろう。

 だって、ただ一週間口を聞いていないだけだし――。

(うん、多分大丈夫)

 ――この時までのあたしは、事態がどれだけ重くなっているのか、知る由もなかった。

 のちに大馬鹿者だったと、自分を強く責めることになる――。


 さーちゃんに異変が起きたのは、それからさらに一週間が経った頃だった。


          *


 いつも元気だったさーちゃんが自殺未遂を犯した。

 学校から帰って来たあたしは、ウチのお母さんからその話を聞きつけ、今急いでさーちゃんの家に向かっているところだ。

(自殺未遂ってさーちゃんは大丈夫なの……!? さーちゃんと会話をしなくなってから、もう二週間……。ここ一週間は学校にも来ていなかった……。あたしのせいだ……! あたしがさーちゃんをそこまで追い詰めてしまったんだ……!)

 さーちゃんと会う前から涙が止まらない。

 もしも、もしものことがあったら、どうしよう……。

 さーちゃんが居なくなった世界なんて、あたしには耐えられない。

 ……どうか! どうか無事でいて!

 あたしの大事な親友、さーちゃん……!

 全速力で走ったので、さーちゃんの家にはすぐに着いた。

 あたしは玄関のインターホンを勢いよく何度も押す。

 しばらくして、さーちゃんのお母さんが焦った様子で玄関から飛び出てきた。

「良かった……! 花ちゃん来てくれたのね! あの子、ここのところずっと様子がおかしかったんだけど、今日気付いたら、自殺しようとした形跡があって……! ああ、もう! とにかく家に入って!」

「はい!」

 さーちゃんのお母さんに促され、すぐさま家に入る。

「おばさん、さーちゃんの部屋に行ってもいいですか!?」

「花ちゃん、お願いよ! 桜から話を聞いてあげて! わたしじゃ何も話してくれないのよ……」

 あたしは首肯すると、さーちゃんの部屋へと一目散に走った。

 二階の一番奥にある部屋。

 そこがさーちゃんの部屋だ。

 あたしはさーちゃんの部屋の前まで行くと、ドアを数回ノックする。

「さーちゃん、あたしだよ。部屋に入ってもいい?」

 返事はない。

 鍵が掛かっているわけではないので、あたしはそのまま部屋に入ることにした。

「……入るよ」

 部屋に入ると、さーちゃんはベッドの上で体育座りをしながら塞ぎ込んでいた。

「……さーちゃん」

「来て……くれたんだ……」

「当たり前だよ! それよりも自殺未遂をしたって本当?」

「……ただカッターナイフで軽く手首を切っただけだよ」

「……なんでそんなことをしたの!?」

 そう言って、後悔した。

 今回の件は多分、あたしが一方的に悪い。

 元気いっぱいだったあのさーちゃんがここまで病んでしまったのは間違いなくあたしが原因だ……。

「わたしね、本当に好きな人が出来たの……」

「えっ!? それはこの前言っていた?」

「……そう」

「でもね、その人にはわたしのことなんてどうでもいいみたい……」

「そんな……」

「もうどうでも良くなっちゃった……」

 顔を上げたさーちゃんは大粒の涙を零していた。

「白いワニさん、わたしのこの想いをどうか食べてください」

 ――白いワニ!?

 さーちゃんも白いワニに自分の恋心を食べて貰っていたの!?

「…………ぅ」

 白いワニに懇願したと同時に、さーちゃんは眠りに入ってしまった。

 唐突に、本当に唐突に、あたしも睡魔に襲われる。

「どうい……う……こと……?」

 しばらくして、抗えない眠りの世界へと、あたしも入って行った。


          *


「やぁ、また会ったね」

 宇宙空間のような不思議な空間で、スイカほどの大きさのしゃぼん玉が浮いている。

 しゃぼん玉の中に入っているのは、前と同じように真っ白で小さなワニだ。

「――これは、いったい何?」

 今回はあたしだけじゃなく、横にはさーちゃんもいる。

「白いワニさん、わたしのこの想いはもう必要ないもの。どうか早く食べてください」

 夢の中でもさーちゃんは、大粒の涙をボロボロと零している。

「ちょ! ちょっと待ってよ! さーちゃんの想いって? 本当に好きな人って何よ!? さーちゃんはいったい誰を好きなの!?」

「――まだ気付かないのかい?」

 白いワニがあぐらをかきながら、顎に手をやる。

「知らないわよ! あなたは知っているの!? だったら教えて!」

 あたしは必死の形相で白いワニに訴えかける。

 すると、白いワニは言った。

「〝きみ〟だよ」

「――え」

「桜が本当に好きなのは〝きみ〟なんだ」

 あたしは『そんな馬鹿な……』と言いかけ、それをぐっと飲み込んだ。

「で、でも、あたしたち今までそんな風には一度もならなかった。それがなんで急に……!」

「――それは」

「もういい! 白いワニさん、早くわたしのこの気持ちを食べてください!」

 さーちゃんが叫ぶと、白いワニを包んでいたしゃぼん玉がパチンと割れる。

「ま、待って! あたし、まださーちゃんに……!」

「――了承したよ。きみがどうか〝〇〇〇〟へとたどり着けますように」

 いつかのあの時と同じように、あたしの意識が段々と遠くなる。


 〝さーちゃん〟

 〝さーちゃん〟

 〝さーちゃん〟


 〝さーちゃん……〟


          *


『クピドって知ってる?』

『えーと、確か恋の神様でしょ?』

『正解』

『で、それがどうしたの?』

『実はあたし、クピドに〝誠の恋〟を見付けて貰ったんだ』

『えっ、どういうこと?』

『クピドってね、報われない恋は食べてくれるの』

『それで?』

『でも、報われる恋は食べることが出来なくて、もし食べることが出来なかったら、それは運命の相手――。〝誠の恋〟ってことなんだ』

『それで? それで?』

『クピドに報われない恋を食べて貰った者は、クピドに運命の相手と結び付けて貰えるの。だから、あたしは簡単に〝誠の恋〟と出会えたってわけ』

『ええっ! 凄い!』

『クピドって〝誠の恋〟を見付けると、消えちゃうみたいだけど、なんかたくさんいるみたいよ』

『そうなの?』

『だから、もしかしたら、あなたもそのうち会えるかもね』


          *


 目を覚ますと、横にはさーちゃんがいた。

 さーちゃんはまだスヤスヤとよく眠っている。


 ――ねぇ、さーちゃん。

 そのままでいいから聞いてくれる?


 あたしね、今ようやく自分の正直な気持ちに気付いたよ。

 振り返ってみれば、先輩を好きだった時も、いつも頭の中にいるのはさーちゃんだった。

 多分、あたしはさーちゃんとの友情が壊れるのが怖くて、さーちゃんへの想いを気付かない振りをしていたんだと思う。


 あたしが本当に好きだったのは、最初からさーちゃんただ一人だったんだ。


 なんて、今更気付いてももう遅いよね……。


 ごめんね、さーちゃん。

 あたしのせいでいっぱい辛い思いをさせたよね。苦しい思いをさせたよね。


 もしも、許して貰えるのなら……。

 ううん、きっと許して貰えないと思うけど……。

 これから目が覚めたら、あたしに〝おはよう〟を言って欲しい。


 遠回りし過ぎて、言うのが遅くなったけど――。


 〝大好きだよ、さーちゃん〟


 寝息を立てながら、よく眠っているさーちゃんのおでこにそっとキスをする。


 さーちゃんの目が覚めたら、まず一番に『おはよう』を言うんだ。

 全ては、そこから始まると思うから――。


 しばらくして、さーちゃんの目がゆっくりと開いて行く。

 あたしはそれを精一杯の笑顔で迎える。


 〝おはよう〟


 どちらからともなく。

 本当にどちらからともなくだった。


 あたしは大粒の涙を浮かべる。

 この時流した涙を、あたしは生涯忘れることはないだろう。


 ――だって、


 〝最愛の人と想いが通じ合った、最高の瞬間であったのだから〟


 あたしたちは泣き合いながら、互いを深く深く抱き締め合った――。

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ああ、純白よ。永遠なれ。 木子 すもも @kigosumomo

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