中編
心の底から白いワニを渇望したその日の夜。
あたしは不可思議な夢を見た。
夢の中であたしは宇宙空間のようなところに漂っていた。
はあ……と大きな溜め息をつく。
(面白くない夢……。夢でくらい先輩と結ばれたいのに……)
あたしは体育座りになりながら、そのまま流れに身を任せる。
(……あたし、どうしたらいいんだろう……)
再び大きな溜め息をついていると、目の前でたくさんの光が瞬いた。
「なっ、何!?」
あたしは顔に手をやりながら、目を細め、その光をじっと見る。
キラキラと輝く宝石のようにまばゆいその光は、やがてスイカほどの大きさのしゃぼん玉を形作った。
「ぼくを呼んだのはきみかい?」
目の前のしゃぼん玉の中には、真っ白で小さなワニが入っている。
ワニが人の言葉を喋ったことに驚くあたしだったが、すぐさま『これ夢だもんな……』と我に返った。
「ぼくを呼んだのは――」
「……あなたは何?」
白いワニの言葉を遮るようにあたしはポツリと呟く。
「ぼくは〝白いワニ〟。ぼくを呼んだということは、あの子への恋心を食べて欲しいんだね」
「……まだ何も言ってないのにあたしの気持ちが分かるの?」
「まぁね。だってぼくは――」
何かを言い掛けて、おっと行けないと口を閉じる白いワニ。
あたしは疑問符を浮かべる。
それにしてもけったいな夢だ。
〝白いワニ〟って、まるで都市伝説の〝白いワニ〟のようじゃないか。
(……どうせ夢なんだ。それなら……!)
駄目で元々だ。
あたしは決意する。
「……あたしの恋心を真っ白に染めてっ!」
必死な表情で胸に手を当て、あたしは白いワニに訴えかける。
――先輩のことは好きだ。
――正直に言って大好きだ。
――けれども、
〝さーちゃんのことは先輩以上に大大大好きなんだ〟
幸せを願う。
さーちゃんの幸せを誰よりも一番に願う。
だから、だから――!
白いワニよ、あたしのこの恋心をどうか真っ白に染めて――!
白いワニを包んでいたしゃぼん玉がパチンと割れる。
「了承したよ。きみがどうか〝〇〇〇〟へとたどり着けますように」
夢の中なのにあたしの意識が段々と遠くなる。
はっと気付いた時には、あたしは自室のベッドで仰向けになって寝ていた。
時刻は朝でそろそろ学校の支度をする時間だ。
あたしはベッドから起き上がり、部屋に置いてあった姿見を見る。
姿見には心にぽっかりと穴の空いたあたしが映っていて、そこには恋に悩んでいたあたしはいなかった。
「――あれだけ恋しかった先輩への思い入れがまったくなくなってる」
白いワニの都市伝説は本当だった――。
「これであたしは心置きなくさーちゃんを応援出来る!」
あたしは大急ぎで学校の支度をすると、家から飛び出し、駆け足で学校へと向かった。
*
しばらくして学校に着くと、一目散に昇降口へと向かう。
昇降口はたくさんの生徒で溢れ返っていた。
「おはよう、はーちゃん」
背後から声を掛けられ、パッと振り向くと、そこには笑顔のさーちゃんがいた。
「お、おはよう。今日は学校に来るの早いね」
(あれ? どうしちゃったんだ、あたし。さーちゃんの顔を見ると、何だか気持ちがそわそわして落ち着かない)
「……ちょっと色々あってね。居ても立っても居られなくて、早く学校に来ちゃった。あはは」
さーちゃんは意味深にけらけらと笑う。
「……さーちゃんもか」
小さな声でポツリと呟いた為、さーちゃんに聞こえた様子はなかった。
「……実はわたし、はーちゃんと早く会いたかったんだ」
「ど、どういうこと?」
「……今日の放課後、時間あるかな?」
話したいことがある。
何時になく真剣な面持ちで、さーちゃんはあたしをじっと見つめた。
「……分かった。多分、あたし以外には聞かれたくない話だよね。もし良かったら、家に来る?」
さーちゃんは何も言わず、ゆっくりと首を縦に振った。
「よし。じゃあ、放課後は家で話そう」
話が纏まり、あたしたちは笑い合う。
「それじゃ、そろそろ教室に行こうか」
あたしたちは少しよそよそしく、自分たちの教室へと向かった。
*
あっという間に放課後になり、今さーちゃんはあたしの部屋でのんびりと寛いでいる。
「わたし、はーちゃんの部屋大好き! だって、可愛い物がいっぱいあって癒されるんだもん!」
さーちゃんはベッドの上で壁に寄り掛かりながら、〝おおかわ〟と呼ばれるアニメキャラのぬいぐるみを抱きかかえている。
「ふふっ。それ、気に入った? 最近ハマってるんだ、〝おおかわ〟」
「〝なんか大きくてかわいいやつ〟だよね? わたしも大好き!」
ふたりで〝おおかわ〟の話をしていると、ふとあたしの中で一つの疑問が思い浮かんだ。
「ねえ。さーちゃんってさ、可愛い物が大好きな割りに部屋にはあまりそういうのって置かないよね。何か理由でもあるの?」
あたしの質問がNGだったのか、さーちゃんは下を向いて黙り込んでしまう。
「ご、ごめんっ! 変なこと訊いちゃった?」
「……わないから」
「えっ?」
「……わたし、ガサツで男みたいな性格だし、可愛い物とか似合わないと思ったの……」
さーちゃんの顔をよく見ると、恥ずかしさの為か真っ赤になっていた。
「……そんなことないよ。さーちゃんはいつだって、あたしにとっては可愛い女の子だよ」
ベッドに上がり、さーちゃんの横に座って、そっと手を重ねる。
「……ん」
「――今日の朝、言ってたよね。あたしに話したいことがあるって。そろそろ話してくれる?」
顔を見られないように俯きながら、さーちゃんは静かに口を開いて行く。
「わたしね、好きな人がいたの……」
――知ってる。
さーちゃんの好きな人は、あたしも好きだったあの人――。
「本当に、本当に大好きで……、あの人を見るとね、わたし、とても幸せな気持ちになれたんだ……。でもね、わたしが一番の幸せは、〝ある人〟が幸せになること。わたしにとって〝ある人〟とは、文字通り全てであることに気付いたの……。〝ある人〟の為なら……、たとえ自分の幸せを投げ打ったとしても後悔しない。だから、わたしは――」
ここであたしはさーちゃんの言葉に違和感を覚える。
〝好きな人がいた〟
それって、つまり――。
「えっ! ちょっと待って! 〝いたの〟って、今は違うってこと!?」
さーちゃんは顔を上げると、何も言わず小さく笑った。
……そんな。
あの人のこと、好きだったんじゃないの……?
本当に、本当に大好きだったんじゃないの……?
〝ある人〟って何? さーちゃんは何を言ってるの……?
あたしは言い知れぬ怒りが込み上げてきてしまう。
それが顔に出てしまっているのか、さーちゃんがオロオロしている。
「……帰って」
「えっ!?」
「今日はもう帰って……!」
あたしはさーちゃんを部屋から締め出す。
ひとりになっても怒りは収まらず、〝おおかわ〟のぬいぐるみに八つ当たりをしてしまった。
「あたしがしたことはいったい何だったのよ……!」
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