第四章
「いやーただの骨折で済んで良かったですよ」
「あ、ありがとうございます」
白衣を着たオールバックの男子医師はほっとした表情で俺と病室のベットで横になっている父を見る。
「まぁ階段の段数も少なかったようですしね。ただ、足に違和感があったのにそのまま放置していたのはダメですよ。今度からちゃんと病院に行ってくださいね、立山さん。息子さんも学校を早退してくれて心配をかけてますから」
「はい。すみません」
父は反省した様子でペコペコと頭を下げる。
「でも命に別状がなくて本当に良かったです」
医師の先生は腰に手をまわしてうんうんと頷く。これを聞くだけでもこの人がいかにいい先生か分かる。
俺は荒れていた家族ラインに『父さん、ただの骨折でした』と送っておく。するとすぐに母と兄から安心した様子のメッセージが入ってくる。
母さんは看護師ですぐに職場を空けることができなかったため、一旦俺が家族代表として父のところに行くことになったのだ。しかし本当に肝を冷やした。骨折で済んで本当に良かったよ。
「とりあえず、これから少なくとも四週間は入院してもらって経過を見ながら治療していきましょう」
「四週間、ですか……。あの、仕事をここですることは……」
「ダメです。他の患者さんの迷惑になりますから。それに、医者としても治療に専念していただきたいです」
「そ、そうですよね」
父は雑誌の編集長になったと言っていた。編集長となると色んな仕事があってやはりそこが気になるようだ。
力なく肩を落とす父は本当に寂しそうで同情してしまう。まぁでも流石に入院中の仕事は体の面はもちろんメンタル的にもあまりよくないだろうから俺としてもあまりやってほしくはない。
「では、あとの細かいところは奥様が来てから話しますので一旦失礼します」
医師の先生はそう言って病室を出た。
この病室には他に三人の患者がいるようだが、全員カーテンを閉め切っていてどんな人なのかはよく分からない。時計を見ると午後三時を過ぎていた。
「座ったらどうだ?」
ベットに横たわる父からそう促され、近くの丸椅子に腰を下ろす。最近ちょっと父と話すようになったとはいえ、二人きりになるのはまだ抵抗があるし、何を話せばいいのか分からない。そもそもこうして父と二人きりになったころがあまり記憶にない。もしかして、ここ最近で父と二人きりになるのは初めてか?
しばらくの静寂が俺と父の間で流れる。
「お母さん、いつ来るって?」
「……あと一時間くらいで来るみたい」
「そうか。仕事中なのに申し訳ないな。信二も、学校を早退してきてくれたんだろ? 迷惑をかけてすまない」
父は深々と頭を下げる。いつもバシッとスーツを着ている父を見ていたからこんなに弱っているのを見るのは新鮮だった。
「別にそんなに気にしなくていいよ。早退できてラッキーくらいに思ってるから」
恥ずかしくなってそう答える。
「そっか。ありがとな信二」
それからまた一時の静寂が訪れる。
病院という環境もあって、廊下を歩く足音などが鮮明に耳に通ってくる。次にガラガラと医療道具を運んでいるような音も聞こえてくる。そして、また張りつめたような静寂が訪れた。
病室の窓からはさっき降り始めた雨が弱弱しく木々を濡らしている景色が見えた。その木々には緑がほとんどなくて冬の訪れを感じさせられる。
「こうやって二人で病院にいると、小学校の時の職場見学の時を思い出すな」
「……ん?」
あまりピンと来ていない。小学生の時に父の職場見学に行った事だよな。
「なにかあったっけ?」
「あったよ。うちの出版社に職場見学した後、お前が急に体調を崩して、俺が病院に連れて行ったんだぞ」
「あっ、そうだったっけ?」
「そうだよ。あの時は大変だったんだぞ。信二が三十九度くらいまで熱が出したんだから」
全く記憶にない。そんなことがあったのか。だからあの時の記憶が曖昧なのかな。
「確か小学二年生のときだからな。記憶がなくても当然だ」
父はほくそ笑み、俺と同じように外の風景を眺める。
「あの時職場見学をしてくれた先生方はすごく豪華だったんだぞ」
「それはちょっと覚えてる。確か『裏勇者』の作者来てたよね? 元々『裏勇者』のこと好きだったけどもっと好きになった記憶があるよ」
「確かにそうだったな。あの先生はいまやうちの看板作家だからな。すごいだろ?」
まるで自分のことのように胸を張る父。
「いや別に父さんがすごいわけじゃないんじゃない? 作家さんがすごいだけで」
「確かにそうだな。ははっ」
そう笑う父だったが、その顔は嬉しそうなままだった。
また、職場見学の時の記憶が頭をよぎる。あの職場見学の時、俺は確かになにかを強烈にかっこいいと思ったんだ。それは作家さんのことだったんだろうか。
「それで、最近はどうなんだ? 早起きや夜にランニングしたりして調子良さそうに見えるが」
すると父が話題を変えた。その表情はどこか嬉しそうに見える。
最近の調子……。どうなのだろうか。あの時の清水と伊藤の言葉が脳裏によぎる。
『結局お前は何も変わってないんだろ?』
そうだ。結局俺は他人から見て何も変わっていない。他人からかっこいいと思われてない。調子よくなんてない。どうしていいか分からない。
そう思いつつもそんな弱音を父に吐くのはなんだか恥ずかしくて、取り繕うな言葉を並べる。
「まぁそうだね、結構調子いいかも。最近筋トレとかして、懸垂も一般男性の平均七回よりも多い十回できるようになったし。それに、最近SNSとかでもダンスとかやってみて結構バズってるんだよ俺。文化祭でも演劇やることになってクラスの中心としてとりまとめたりしてさ。周りからもすごいねなんて言われてさ。結構、かっこいいでしょ?」
嘘で塗り固められた言葉がすいすいと出てくる。
何言ってんだよ。全然違うだろ。本当のお前は、懸垂すら平均以上できなくて、ミスコンでダンスをしようとしている人をサポートしているだけで、演劇だって自分で何か結果を残したわけでもない。
全部すごいのは三島さんや小鳥さんであって、俺自身は何もすごくない。何も変わっていない。
そんなことを分かっているのにこんな言葉を吐く自分に嫌気がさす。俺は何をやっているんだ? なんでこんなことを言っているんだ?
そう自問するとふと気づく。
そうか、俺は自分の『かっこいい』が間違っていないか、父に判断してほしいんだ。今俺が父に話した虚構はすべて今の俺が思う『かっこいい』の姿。周りよりもいろんなことができて、周りから称賛されているその姿。それを父がかっこいいと言ってくれたら、俺が今目指している方向が間違いじゃないと分かる。だから父には今の虚構の俺をかっこいいと言ってほしい。
「そうか……」
俺の嘘を見透かしているかどうかは分からないけど、父は俯いてそう相槌を打つだけだった。どこかその瞳は寂しそうにも見えた。
その瞬間サーっと体の力が抜けるのを感じた。父は俺のことをかっこいいと言わなかった。
なんだよその反応。かっこいいだろ? 周りよりすごいやつがかっこいいんだ。みんな、他よりすごい結果を残した人をすごいって言うんだ。だから俺は間違ってないはずだろ?
自分の本当の功績ではないものすら認めてくれない父の反応から、体に熱が入ってしまう。
「いやかっこいいよね? 他の人よりも頑張ってるし、周りの人からもすごいって言われてるんだよ? ねぇ、そうでしょ?」
そう問い詰めると父は顔色を変えずにじっと俺を見る。やはりその表情はどこか寂し気だった。
「そうだな。他人からかっこいいと言われるやつは確かにかっこいい。でも、自分の軸で自分をかっこいいと思ってないやつは、どれだけ周りから称賛されていようとも、かっこよくはないな」
「……っ」
言葉に詰まる。父の病人とは思えない目力に圧倒されてしまっていることはもちろんだけど、俺は父の言っていることに納得してしまっていた。
『あなたはこれから、どんなことをしている自分がかっこいいのかを見つける必要があるわ』
少し前に二海さんから言われた言葉を思い出す。
自分がかっこいいと思うこと。あの時は全くわからなかったけど、今の俺にとってのそれは、他人がかっこいいと思うことだった。二海さんや小鳥さんや三島さんに褒められて、頑張ったと言ってもらえて、それで心が満たされたような感覚になった。だから、他の人が考えるかっこいいを追い求めて、他人と比べて優位に立ち続けられれば、いずれ自分もかっこよくなれて、最終的に自分を好きになれると思っていた。現に、他人を上回った時や他人に承認されたときは嬉しかったし。
でも父の言うこともその通りだと思う。結局俺には自分の軸がない。周りのことばかり気にしている。ここ最近で色んな行動を起こして俺は自分が変われたと思っていた。でも、結局根っこにある、他人を気にする部分は何も変わっていなくて。
俺はいつも、他人の評価で自信を持って、他人の評価で自信を無くす。こんな他人の軸でジェットコースターのように気持ちが揺れているような奴、確かに全然かっこよくないな。
俺はまた間違えたんだ。かっこいいと思うためには、他人から承認が必要だと思っていたけど、それは本当の意味でかっこいいと思えるわけじゃない、ただの仮初のかっこいいにしかならない。本当のかっこいいは自分の軸で自分をかっこいいと思える人間なんだ。
自分の軸……。他人ではなく自分の軸で、かっこいいこと……。
俺は、どんな時に自分をかっこいいと思うんだ? 最近自分がかっこいいと思ったことを考えてみる。
二海さんに褒められた時。小鳥さんに褒められた時。三島さんに褒められた時。やっぱり全部他人から評価された時だけだ。
じゃあ、自分はどんな人をかっこいいと思うんだ?
前に二階さんに話したように、兄のことはかっこいいと思って尊敬している。周りから評判の良い難関大学に行っているし、高校時代にサッカーで全国大会に行って町中で称賛されていたし、英語を話せるのだって色んな人から褒められていたし……そんな風に一つ一つ兄のかっこいいと思っているところを挙げていると
ふと気づいた。
俺は、兄の残した結果とそれによる周りの反応から、かっこいいかどうかを判断している。自分の軸で自分の意志で兄をかっこいいと思っていない。
「ふっ、マジか俺」
唯一尊敬できると思っていた兄に対しても、結局自分軸じゃなくて他人の軸で評価していたことに辟易する。
俺の軸で俺が考える兄のかっこいいところは何だろう。
……わからない。兄のことは尊敬しているし、大好きだし、すごいとも思う。でも、自分の軸が分からないから、どんなところをかっこいいと思っているかが分からない。そもそも俺は兄のことをかっこいいと思っているのだろうか。
自分の人生を振り返ってみる。
小さい時から、俺と兄の性格は全く違った。
兄は目立ちたがり屋でどんな時も自分がやったことを褒めてもらいたいタイプの子供だった。逆に俺は極力目立ちたくなくて別に自分が褒めてもらおうとも思ってなかった。
そういえば小学校の時、兄とサッカーをするときはよく兄のゴールをアシストしていた。自分が打てば決まりそうな場面でも兄にパスを出していた。理由は分からないけど、多分兄がどんなゴールでも全身を使って喜びを表現して、周りの大人から称賛されているところを見るのが好きだったから。
そんな性格の違いからか、小さい時は別に兄みたいになりたいと思うことはなかったと思う。でも兄が中学生になりサッカークラブを抜けた時からそれは変わった。俺は、周りの大人から今までのパサーとしての役割ではなく、兄のようなストライカーとしてゴールを取る役割を求められたのだ。
俺と兄はサッカーのスキルも積極性も何もかもが違う。当然ながら俺は兄のような成績を残すことができず、またプレッシャーからかこれまでできていたパサーとしてのプレーもできなくなり、周りの大人から幻滅したような視線を向けられた。
その時に初めて、周りの視線や期待というものを意識した。そして兄のようにならなければならないと思うようになった。でもそんなことはできなくて、結局期待に押しつぶされた俺は、サッカークラブをやめた。周りから引き留められたが、俺と兄を比べるような視線にこれ以上耐えることができなかった。
サッカーを止めても、周りの大人の幻滅したような視線は、俺の脳裏に強烈に残っていて、サッカー以外でも俺は兄の背中を追い続けるようになった。兄のように周りから称賛されないといけない。兄のようにすごいと思われないといけない。そんな思考から周りのことばかり考えるようになって、学校でも塾でも兄のやったことを全部真似た。
けど、どれも兄以上の成功を収めることができなくて、いつの日か俺は兄を自分とは次元の違う存在だと線引きをした。そして、自分はダメな人間なんだと、何もできない人間なんだと思いこむことにした。
そうしたら意外にも、心は楽になった。兄と比べる必要はないから何も頑張らなくていい。何もしなくていい。そんな怠惰な思考で俺はランクを落とした高校へ進学して、今に至る。
ただ、やっぱり心の中には兄のように周りから認められる何者かになりたいという気持ちが残っていて、それは認めざる負えない事実だ。だから小説家や漫画家みたいに周りがすごいと言う何者かになろうとしていた。きっとこれはある種のコンプレックスなのだろう。
この気持ちのせいで、俺は他人のことばかり考えるようになって、自分の軸がなくなっていってしまったんだ。
それに気づいたところで、どうしたらこのコンプレックスを克服できるのか分からない。結局、兄のようにならないといけない、兄と同じように他人に評価されないといけないという気持ちは俺の中にずっと残っている。
「どうしたら、兄さんを気にしないでいられるのかな」
意図せずそんな言葉が漏れていた。父の顔を見ることはできない。
「……そうだな。やっぱり信二は、俺に似ているな。性格も考え方も」
「……」
「気持ちはよく分かるよ。お父さんも仕事で身近な人と比べて一喜一憂することもあるから。特に兄弟だったら比べてしまうのは仕方ない。他の人よりも上になりたいってことは人間が生まれ持った本能なんだよ。だから、そこは別に嫌悪する感情じゃないと思う」
その声音はとても優しくて。耳を通して、まるで溶けていくように体に吸い込まれていく。
「でも、その本能と同じくらい自分の軸で自分を評価する気持ちも持っているべきだと思う。他人の軸だけだったら結局自分の好きなことはできないからな。信二は、昔うちの雑誌で連載してた『裏勇者』好きだっただろ?」
「……うん」
俺の人生の中で一番好きな漫画だ。
「あの漫画、実は俺の上司からは面白くないって酷評だったんだよ。でも俺が絶対人気になるから連載させてくれって頼み込んで、結果うちの雑誌を代表する漫画になった。つまり言いたいことは、自分の軸で行動するだけで、案外人生の結果って変わっていって、それが人生の面白さだったりするんじゃないかなと最近思ってて。そうやって行動してると、案外周りのことも目に入らなくなっていくんだよ」
「……」
「だから、信二にも自分の軸で自分がかっこいいと思うことをやってほしいと思う。そうすれば他のことを気にしなくなるんじゃないか? 勿論、多少周りに気を遣わないと生きてくうえで苦労するとは思うけど」
自分の軸、か……。それが分からないんだよな。
言葉が出てこず下を向いているとそれを感じ取ったのか、父が続けて話す。
「多分信二にも、小さい時に自分の軸があったはずなんだ。こういうのが好きとか、こういうのをかっこいいと思う、とか。今はそれが気づけていないだけで、きっとまだ信二の中には残ってると思うぞ。だから、小学校の記憶とかを思い出してみながら見つけてみたらいいんじゃないか」
今のこんな空っぽな俺にも何か残っているのかな。自分の軸なんてあるのかな。でも、探してみるだけ探してみようと思った。
「うん。そうだね。ありが」
「お父さん大丈夫⁉︎」
俺が感謝を伝えようとした時にちょうど母親が病室に入ってきた。完全に病院であることを忘れているボリュームだ。
「お母さん静かに」
「あ、ごめんなさい……。それで、大丈夫なの?」
「大丈夫。骨折だけだったよ。四週間の入院になってしまったけど」
「四週間? 結構長いわね。まぁでも骨折で済んで良かったわ~」
母さんは安心したように肩を下ろし、空いていた丸椅子に座った
「信二も来てくれてありがとうね。って、何よその不満そうな顔。お母さんが来て嫌だって言うの?」
「いや、別に」
最後まで父に感謝を伝えることができなかった事を不満に思っているだけだ。今言うと母さんがいるから少し恥ずかしいし。
「何よそれ。まぁいいわ。とりあえず先生呼んでこれからの話しましょう」
母はそう言ってナースコールを押す。
「……」
少し胸のしこりが残っている。その後、先生から色々と説明を受けて俺と母さん病院を出ることになった。結局父に感謝の言葉を伝えることができなかった。
〇
三週間経ち、文化祭まで残り一週間を切った。
つい最近まではあまり人がいなかった朝の早い時間であっても、学校の中は文化祭一色で、あちらこちらで文化祭の準備を進めている様子が見える。
いつも通りの始業の三十分前に教室に着くと、そこにはつい最近までなかった喧騒が広がっていた。
「ちょっとー清水くん! そこはもっと物欲しそうな顔で! 神宮寺君も俺様感もっと出して!」
「「はいっ! 分かりました!」」
完全に小鳥さんの軍隊と化しているうちの演劇部隊の男子は、小鳥さんの指示に対して敬礼をしながら答える。今やもう慣れてしまったがよく考えてみればおかしいよな。あんなにBLを嫌がっていた男子がこんなに小鳥さんの尻に敷かれるなんて。それもこれもやっぱり小鳥さんの情熱のおかげか。
そんな小鳥さんもここ最近でかなり変わったと思う。クラスメイトにおどおどしていた影はもうなくて自信を持って話しているし、何より外見が大きく変わった。鼻先まで届きそうだった前髪をバッサリと切って、前髪パッツンスタイルで今まで隠していた目元を露わにしたのだ。もともと前髪から時折見える目元が綺麗だと思っていたが、それは俺の予想以上で、ぱっちりと二重で茶色の瞳はとても美しい。それに加えメイクもするようになり、瞬く間に彼女はクラスでも指折りの美少女となった。
ここ最近で、おとなしいキャラから頭のおかしいBLオタク、そしてクラスで有数の美少女、とびっくりするほどの変身を遂げている。
この外見の変化にはクラスの一軍女子が絡んでいるらしく、なんでも文化祭の準備で仲良くなりそのまま休日に遊ぶ流れで美容室に連れていかれたという。最初は前髪がなくて不安そうだった小鳥さんだが最近は慣れたのか、これまでよりも強めの指示をガンガン飛ばせるようになっている。俺としては小鳥さんが活き活きしていて何よりだ。
スケジュールについても俺が立てた通りに問題なく進んでいる。それこれも小鳥さんが引っ張ってくれているおかげだ。……あと、俺のスケジュールが良かったということもあるだろう。多分三パーセントくらいだけど。
それでも自分がこの演劇の、というか小鳥さんの力になれていることは嬉しい。
そんな満足感を感じながら、俺の担当である道具作り部隊の席に向かう。すでに二人の男子がその場所で道具を作っていた。
「小鳥さん今日も可愛いな」
「文化祭終わったら告白したら? お前もオタクだしいけるんじゃね」
二人はそんな話で盛り上がっている。小鳥さんがクラスメイトからこんな話をされているなんて、ちょっと涙が出そうだ。
「あ、てか立山くんは小鳥さんのことどう思うの? 席近くてたまに話してるだろ?」
俺が席に座るやいなやそんな言葉を投げられる。
「あー別に、普通に面白い友達って感じかな。小鳥さんと話すのは好きだけど」
彼女に対して特別な恋愛感情はない。あるとしたら、尊敬の気持ちくらいだ。
「そうなんだ。なんかあるかなーと思ったけど。じゃあやっぱお前が行くしかないだろ」
「いや無理だって」
その後二人はそんな話を続けた。朝っぱらからそんなカロリーの高い会話をよくできるな。そんな二人を横目に俺は道具作りを始める。すると後ろから声かけられた。
「あ、立山やば。やばい教室からやばい紙をやばいくらいやばってきてくれない? やばやばのやばでお願い」
そこにはおよそ高校生とは思えない言葉を発しているうちのクラスの一軍女子が立っていた。彼女らは俺と同じ道具作り部隊であり、最近はよく話すようになった。
相変わらず彼女たちの言語は分からないが、これまでの経験でなんとなく言いたいことは分かる。とりあえず資料室から段ボールを取ってこいということだろう。てか俺の翻訳能力すごくない?
「了解」
それだけ答えて教室を出る。朝の時間だが、他の教室も文化祭準備で賑わっていた。そんな学校の音に耳を澄ませながら歩みを進める。
最近こうやって一人になると、病院で父から言われた言葉を思い出す。自分の軸を探すこと。自分のかっこいいを探すこと。
結局この三週間で答えは出なかった。一人の時にぼんやりと考えても答えは出ないし、そもそもこういうことをどういう風に考えればいいかも分からない。
堂々巡りをするように頭に「かっこいいとは?」という問いが周り続ける。
今もまた答えは見つからずに、資料室までたどり着いた。教室からは歩いて三分程度だった。
十畳ほどの資料室の中には、段ボールやマーカー、ガムテープなど文化祭の道具作成で必要なものが並べられていた。ここは全生徒が小道具の材料を貰える場所として学校が用意していて、放課後は道具を貰いに来た多くの生徒で賑わっているのだが、今日は朝ということもあって人はいなかった。
「とりあえず、段ボールだよな」
俺は、折りたたまれた段ボールを三枚ほど取り出し脇に抱える。あと、何か必要なものはないだろうか。教室の中にあった小道具たちを思い浮かべていると、ふと資料室に入ってきた一人の女子生徒が目に入った。その子はさっきも教室で見た子だ。
「立山さん。お久しぶりです」
「久しぶりって、別にクラス一緒でしょ。小鳥さん」
「いや、こうやって二人で話すのは久しぶりだと思いまして」
彼女はどこか緊張した面持ちのまま俺に向かって歩いてくる。
確かに小鳥さんと二人で話すのは久しぶりかもしれない。いつもは朝の時間に話していたが、文化祭の準備で他のクラスメイトが早く来るようになってそれもなくなった。一応連絡先は交換しているから、スケジュールの相談などでたまに連絡はするんだけど。
「確かにそうだね。でも、いい感じで演劇の準備進んでるんじゃない?」
「そうですね。立山さんのスケジュールのおかげです」
なんだか俺も少し緊張する。そういえば小鳥さんが前髪を切った後に直接話すのは初めてかもしれない。見た目が変わりすぎて緊張してるのかな。
「そんなことないよ。小鳥さんが頑張ってるから」
「いや、立山さんのおかげです! 私なんか立山さんがいなかったら何もできてませんから! 私はただ気持ち悪い台本を作っただけで、それを演劇という形にできて私が今日も致死量のBL成分を摂取できているのはクラスの皆さんと、そして立山さんのおかげです。特に立山さんのあのサバンナイチャイチャというアドバイスはとても良くて、異空間との間を取ったピラミッドイチャイチャは本当に良かったと思ってます!」
「力になれてよかったよ」
すっと緊張が取れたような気がした。やっぱり、見た目が変わっても小鳥さんは小鳥さんだな。いつも楽しそうでなんか安心する。ふと、小鳥さんは自分自身のことをどう思ってるのか気になった。何か軸とかあるのかな。
「小鳥さん、一つ聞いいてもいい?」
「……っ! はい! なんでも!」
何故か期待するような瞳を向けてくる。
「小鳥さんって、自分のどんなところが好き?」
聞くと、途端に小鳥さんは目の色を黒くさせて溜息をついた。あれ、何かダメなことでも言ったか?
「はぁ、まぁいいですけど。自分の好きな所ですよね? そうですね、食わず嫌いがないところですかね。食べ物でもアニメでも漫画でも。私、結構どのジャンルもすぐ好きになれるので、好きなものがいっぱいあってとても楽しいです」
彼女は照れながらそう言った。彼女は俺なんかよりも自分を持っている。他人ではなく、自分が楽しいことを軸に自分の好きな所を言えている。すごいな。
「なるほど。それは楽しそうだ」
「ちなみに、立山さんは自分のどんなところが好きなんですか?」
「うーん」
言葉に詰まる。やっぱりまだ答えが出ない。自分の軸で自分の好きなところを話すことができない。
「正直、分かんないんだよね。自分の好きなことがなんなのか」
言うと思案するように腕を組む小鳥さん。
「なるほどそうなのですか。だったら、本棚を見るといいですよ。本棚には自分の色がよく出ますから。ちなみに私の場合はBLとかラノベとか漫画とか小説とか雑誌とか、色んなものが置かれてます!」
彼女は楽しそうに話している。
そうか。確かに本棚を見てみてもいいかもしれないな。俺は、胸ポケットからメモ帳を取り出して、本棚を見る、とメモする。最近持ち歩き始めたメモ帳だが、意外に役に立って助かっている。
「……ちなみに、他になにか言うことありません? 立山さん」
小鳥さんは両手を広げて、全身を強調してくる。
え、言うこと? うーん、何も思いつかないな。
「ここっ! ここっ!」
俺が悩んでいる様子にしびれを切らした小鳥さんは自分の前髪を指さす。あ、そういえば直接言ってなかったな。
「あ、言うの遅くなったけど前髪切ったね。に、似合ってる、よ」
女の子を褒め慣れていないのがもろに出てしまったが、何とか言葉を紡ぐことができた。すると小鳥さんは顔を赤くしながら笑みをこぼす。
「立山さん合格です! ありがとうございます!」
とても嬉しそうにはにかみながら彼女は頭を下げ、資料室から出て行ってしまった。
「……」
いやー恥ずかしかった。てか小鳥さん何しに来たんだろう。そのまま教室に戻るんだったら、段ボール一個くらい持って行って欲しかったな。あーでも、あのまま二人で並んで教室に戻るのも恥ずかしかったか。
「なんだか、楽しそうだったね。信二君」
気を取り直して再度段ボールを持ち上げた時、これまた聞き覚えのある声が聞こえた。クラスが遠いため学校で話す事は滅多にないが、学校の外でたまに話す三島さんだ。
そんな彼女はジト目で俺を見ていた。
「おはよう、三島さん。どうしたのそんな顔で」
「いや相変わらず信二君は遊び人だなと思って」
どこにそんな要素があったんだ。多分さっきの小鳥さんとの会話を聞いていたんだろうけど、あんなおどおど女の子を褒める奴絶対遊び人じゃないでしょ。
「そんなことないよ。別に小鳥さんはただのクラスメイトだし」
「本当に?」
「ほんとほんと」
なんか浮気を疑っている彼女みたいになってるけど、別に三島さんも普通の友達ですよね?
「じゃあいいけど。それにしても、なんか久しぶりだね、信二君」
少し前に公園で一緒に筋トレをするという約束をした俺たちだったらが、三島さんがミスコンのダンス練習をしたいということで一旦その約束は止まっている。またダンス姿を見られたくないという彼女の強い意志によって、最近俺は公園に行けていない。一度、彼女のダンスシーンを撮影するために行ったが、それ以外は何もなかった。その撮影の時は前の約束の通り目隠してをさせられたんだけど。
「確かに、二週間ぶりかな」
「そうだね。なんだかもっと時間があったみたいに感じる」
言いながら三島さんは資料室のガムテープを取り出す。
「クラスの準備?」
「そう。うちは今回たこ焼きをするみたいでね。その看板を作らなきゃいけないの。ミスコンで当日はあまり動けないからせめてこういう誰でもできることはやっておこうと思って」
「なるほどね。ところでダンスのアドバイス、結構返ってきた?」
今は二週間前に撮影した動画を三島さんのダンス仲間に見てもらい、色々とダンスのアドバイスを貰っているところだと聞いている。最初は一人だけに送っただけだったのだが、その人が色んな人をつなげてくれたようで、合計五人のダンス経験者からアドバイスを貰えるとのことだ。
「うん、結構集まってきてるよ。みんなちゃんとアドバイスくれて本当に助かってる。このアドバイスを元にもっとダンスに磨きをかけていくよ!」
三島さんは楽しそうに笑いながらそう言う。良かった、三島さんの方も順調に進んでいるみたいだな。
「いい感じだね。また何か手伝えることがあったら言ってね。動画撮影でもなんでもするから。勿論目隠しをして」
「ありがとう! 最後の調整で動画撮ってほしいことがあるからそこで頼むかも!」
俺の中で三島さんの代名詞となりつつある、眩しいくらいの笑顔を見せてくれる。三島さんも、小鳥さんと同じようにすごく楽しそうだ。さっき小鳥さんに聞いたからか、同じような質問が口から溢れでた。
「ちなみに、全然話変わるけど、三島さんって自分のどこが好き?」
「……本当に全然話変わったね。急にどうしたの?」
「あ、いや、楽しそうな三島さんを見てたらふとそんなこと考えちゃって。なんか最近そういうことで悩んでてさ……」
訝しげな表情をされたので正直にそう答える。すると彼女は考え込むようにかぶりを落とした。
「どうだうね。結構あるけど、一番はダンスを楽しめるところかな。やっぱり私ダンス好きだから。ダンスしてるといろんな悩みとか過去の出来事とか将来の不安とか全部頭から無くなるんだよね。音楽に身を任せるように踊るあの瞬間がやっぱり好きだね」
三島さんも、自分の軸で自分の好きな所を考えることだできている。本当にすごいな。俺は好きな所がないどころか、自分の軸され見つけられていないというのに。
「私小さい時にお母さんが好きなアイドルのライブを最前列で見たことがあってね。その時にダンスしてるアイドルがすごく可愛くて、私もこんな風になりたいって思ってダンスを始めたからさ。なんていうか、ダンスすること自体が私にとって憧れっていうか、下手でも上手でもダンスをすれば、自分が憧れたあのアイドルみたいになれた気がして、嬉しいんだよね」
「……」
小さい時の記憶。確かにそれは父も言っていた。小さい時はみんな自分の軸を持っていて、その軸は育ってきた環境で変わっていく。三島さんの場合はそのアイドルのダンスを見て、衝撃を受けて、ダンスが自分の人生の軸になったんだろう。
だったら、俺の軸はなんだろう。
「まぁ、そんな感じ。なんか恥ずかしいねこんなこと言うと」
彼女は照れながら顔を赤くしている。
「ありがとう。こんな意味の分からない質問に答えてくれて」
「いいよいいよ。信二君はダンスでお世話になって、これからも色々手伝ってもらいたいからさ。よろしくねっ!」
そう言って三島さんは資料室を出た。
一人になって、三島さんの言葉を考える。自分が小さい時の記憶……。
とそこまで考えて、自分がここに段ボールを取りに来ていたことを思い出す。早く戻らない道具作り部隊のみんなから怒られてしまうな。
俺は三島さんと話したことを走り書きでメモして段ボールを持ち上げた。
その後教室に段ボールを持っていくと、同じ道具作り部隊の一軍女子たちは俺に対して、「立山やばやばだね」と褒め言葉をくれたのだが何故なのか分からない。ただその一軍女子たちの近くには珍しく小鳥さんがいて、彼女の顔はとても赤く染まっていた。
そんな朝を送った後はいつも通り授業受け放課後になった。放課後も十八時までクラスで道具作りに励み、家に着いたのは十九時前だった。すでに母さんが帰ってきている。
「お父さん、元気そうだったよ。思ったより治りが早いみたいで今日からリハビリ始めてる」
母さんはあれから毎日父さんのところに行っているみたいで、こうして父さんの近況を話してくる。
「信二は行かないの? 父さんも会いたがってるけど」
俺はあれから一度も行っていない。父に感謝を伝えたいと思っているが、それは俺が自分のかっこいいを見つけてからだと勝手に決めているからだ。まぁそんなことしていたら父が退院してくるかもしれないんだけど。
「いや、俺はまだいいや」
「そう。なんだか、お父さん信二のこと心配してたわよ。何か二人で話したの?」
あの時の内容までは母さんに言っていないみたいだ。自分に似ていると言っていたから、俺が嫌がることも大体分かっているのだろう。
「いや別に何もないよ」
「……あんたもお父さんと同じこと言うわね。絶対なんかあったのに」
恨めしそうに俺を見てくる。そんなことをされても言う気はない。という言いたくもない。これは俺と父だけの秘密だ。
「ほんと何もないよ。じゃあちょっと作業があるから部屋にいくよ。ご飯は後で食べるね」
母さんにそう言って自分の部屋に入る。
スクールバックを机の上に置いて制服のままベットの上に寝転がった。別に今日はそんなに疲れたわけではないけど、ちょっとゆっくりしたい気分だった。きっと今日一日ずっと、自分の軸について考えていたからだろう。
胸ポケットに入れているメモ帳を取り出す。最初に、朝小鳥さん言われた『本段を見る』という言葉が書かれていた。
確か彼女は自分の『好き』を探すのには本棚が良いと言っていた。
俺は体を起こして部屋の本棚を見る。うちの本棚は俺の身長の半分くらいの大きさで縦三段に分れている。横幅はちょうど肩幅と同じくらいであるあり、三十冊程度しか入らない大きさだ。ただ、俺は本をたくさん読むタイプでもないし、漫画も基本電子版で読んでいるためこの大きさの本棚でも持て余してしまうくらいの本しか持っていない。
しゃがんで本棚を見てみる。ほとんどが、小学生の時にハマっていたギャグマンガだった。懐かしいな、確かこれは奇想天外な幼稚園児を中心に話が進む頭のおかしいギャグ漫画だった。今ではあまり読み返さなくなったが、中学生くらいの時までは定期的に読み返していたな。
他には古本屋で買った全二巻の打ち切り漫画や佐々木たちに誕生プレゼントで貰ったよく分からない劇画調の漫画がある。この辺りも懐かしい。買ったとき以来全く読んでないけど。思い出ではあるな。
「あ……」
そんな風に本棚を見ていると、ある作品を見つけた。これは俺の人生の中で最も好きな漫画である『裏勇者』だ。この作品は裏で暗躍する主人公を描いた物語で、そのスマートでクールな様子がとても読者に刺さり人気を博した。連載期間は六年と短かったが、ちょうど俺が小学生の間に連載していたため、俺の中ではかなり印象に残っている作品だった。
その『裏勇者』の最終巻である三十二巻。当時俺は父さんが持っていた単行本を読んでいたが、最終巻だけは自分のお金で買って読んだ。これ以上この話の続きが読めないと思うと、あの時は本当に悲しくなったし今でもちょっと寂しい。それくらい俺の大好きな作品だった。
もしかしてこの作品が俺の軸だったり、するのかな。俺はこの作品の何が好きなんだろう。異能力モノで戦闘描写や必殺技の名前もかっこよかったのが真っ先に思いつく。一番好きなキャラはもちろん主人公で、あの淡々としていて裏で成果を上げる感じがとても好きで、かっこいいと思っていた。
今思い出したけど、サッカーでアシストばっかりしてたのもこの主人公に影響されたからだった気がするな。兄さんが俺のアシストでゴールを決めて、みんなが喜んでいるのを見て、実は自分の成果だなんて考えて『裏勇者』の主人公気分を味わっていたんだった。
「ふっ」
今考えるとちょっと痛々しいな。まぁ小学生なんかそんなもんか。
俺は『裏勇者』の最終巻を手に取り、パラパラと捲る。久しぶりに読んだがやっぱりこの戦闘描写は面白い。それに主人公の佇まいもかっこいい。
この主人公みたいになれたら、自分をかっこいいって思えるのかな。
いややめておこう、暗躍なんて俺には無理だ。この主人公みたいに一人で色んな敵と戦って世界を平和にすることなんて俺にはできない。せいぜい俺にできることは、誰かを裏からサポートすることくらいで、自分で何かをしたり何かを為すことができないことは十六年間生きてきて痛いほど分かっている。
でも、裏で誰かを支えるのも、暗躍って言えば暗躍、だったりして……。う~ん、どうだろう、それがかっこいいのかどうかはよく分からないな。
本棚に漫画を戻して再度メモ帳に目を移す。今度は三島さんが言っていた『小さい時の記憶』について考えてみる。
小さい時の記憶として印象に残っているのは、やっぱり父の職場見学のこと。あの時確かに何かをかっこいいと思ったんだ。でも、いかんせん重要なことを覚えていない。多分その後に高熱を出したから記憶が曖昧になってしまったんだろう。
あの感情は、どこで見つけたものだったんだろう。
結局それが分からないと答えはでない。でも逆にそれさえ分かれば、自分の軸が、自分が『かっこいい』と思うことが分かるような気がした。
もう一回、父さんの編集部にでも行ってみようかな。そしたら思い出せる気がするけど、そんな簡単にできる話じゃないだろうしな。
「う~ん、どうしよう」
頭を抱えたまま、またベットに倒れこむ。するとすぐに俺は意識を無くしてしまった。
〇
「あんた、今日文化祭でしょ。なんでそんなに寝てるの」
待ちに待った文化祭の当日はそんな母さんの声から始まった。
「あー」
重い眼をこすりながら時間を見ると、ちょうど七時三十分を指していた。ここ最近で一番起きるのが遅い。それも仕方ないだろう。なんせ昨日は道具が壊れたとかなんとかで、道具作り部隊の仕事が忙しすぎて帰り着いたのは夜の十一時を過ぎていたのだから。夜遅くまで残業する社会人ってこんな気持ちなのかな。ネットで見たけどブラック企業だったら、こんなことをほぼ毎日やるんでしょ? いや普通に生きてられないよね。
なんとか体を起こしてみたが、やっぱりいつもより体が重い気がする。
「今日、お母さん仕事で文化祭いけないけど、ちゃんとクラスの仕事やるのよ。分かった?」
「はいはい」
一応そう答えるが、正直今日の俺はやることがない。道具係は当日にやることがほとんどないからだ。しいて言えば、道具が壊れた時に修理するくらいだけど、一応予備は作っているし、他の道具係もいるだろうから俺が行く必要は全くない。だからのんびりと文化祭を巡りつつ、小鳥さんの集大成である舞台と三島さんのミスコンを見られたらそれでいいと思っている。
俺はいつもよりゆっくりと準備をして家を出た。
当然だけど学校の最寄り駅はいつもよりも混雑していた。うちの生徒はもちろん、その保護者や他校の生徒など、見慣れない服を着た人たちが学校に向かって歩いている。ただでさえ人の多いこの通学路がもっと多くなって少しテンションが下がる。
しかし、校門の近くになるとその下がったテンションが嘘のように胸が躍った。
去年も同じようなものを見たが、この校門にでかでかと置かれている一枚絵。五メートルくらいの正方形の板に青々しい女子高生の絵が描かれている。その校門を抜けるとメインストリート一面にテントが立てられていて、それぞれに看板が立っている。いかにも文化祭という感じがした。
まだ出店が始まる時間ではないが、どこか学校全体が浮足立っているようなそんな非日常を感じて、さらにテンションが上がる。そんな気持ちのままうちの教室に行くと、すでに準備ができていて、看板や受付の椅子などは完璧に揃っていた。
「あっ、立山! 遅いぞ! 早くこっち来い!」
ゆっくりと店の見た目を見ながら教室に入ると、クラスメイトの神宮寺の言葉が聞こえた。教室の中もすでに準備ができているようで、観客用のパイプ椅子とステージの準備が整っていた。そしてその教室の中心でクラスメイト全員で円陣を組んでいる。
「あ、え」
「ほら、こっちこっち!」
神宮寺になされるがまま俺は彼と肩を組んで円陣に参加する。円陣の中でクラスメイトを見回してみる。流石に全員が来ているというわけではなかったが、それも道具部隊の人以外はほとんど全員がそろっていた。
「じゃあ小鳥姉さん、言っちゃってください!」
「承知です!」
小鳥さんの舎弟のようになっている神宮寺の言葉に小鳥さんが頷く。ちょっと見てない間にどういう関係性になっての?
「ほんと、みんなのおかげでここまでこれたと思います! 今日は最高に楽しみましょう! そして、私を悶えさせてください! よろしくお願いします!」
「「萌えー!!」」
ちょっと意味の分からない円陣で盛り上がりを見せる教室の中。どうやらクラスメイトの大半が小鳥さんの情熱に毒されてしまったようだ。
どういう掛け声なのそれ。そんな変化球的な掛け声するなら事前に言っておいてよ。初見で分かるわけないじゃん。
「すごい! みんな全く打ち合わせしてないのによく合いましたね!」
「いや俺もびっくりした」
「私もー」
全員初見かよ。なおさらこのクラスに恐怖を覚えるね。
「さっ、じゃあ準備を進めましょう」
小鳥さんの言葉でクラスメイトがそれぞれ準備を始めた。特段やることのない俺は空いている観客席に腰を下ろしてステージの準備をしている小鳥さんを眺める。
見た目が変わったのもそうだけど、なんか自信がでてきたよな。ほんとに彼女が楽しそうで良かったよ。
そんな風に思いふけっていると、ふと彼女と目が合ってしまう。小鳥さんは恥ずかしそうに目を逸らした。なんか最近目が合うといつもこうなるんだよな。なんか嫌われたのかね、俺。連絡は取り合ってるし、流石にそんなことはないと思いたいけど。
「信二。何サボってんだよ」
そんなことを考えてると、ふくよかなデブである牛島が隣の席に座ってきた。いや、ふくよかな体だったな、ふくよかなデブは普通に悪口だ。ごめん牛島。
「別にサボってねーよ。俺は昨日までたらふく仕事したの! そういう牛島は?」
「俺は受付担当だな。今日は午後からずっとここ」
「ふーん、そういえば佐々木は? 佐々木も受付?」
「呼んだか?」
俺の言葉になにかのポージングをしながら反応する佐々木。腰をくねらせて右手を頭の裏を左手で右腕の肘を触っている、本当によく分からないとしか表現できないポーズだ。あれ? 佐々木ってこんなことするキャラだっけ?
「どうしたのあれ」
「いや佐々木は元々受付担当だったんだけど、小鳥さんたっての希望で演者の方に入ってな。で、小鳥さんに調教された結果、あんな意味の分からない感じになった。正直俺も困ってる」
「まじか」
小鳥さん恐るべしだな。常識人の佐々木をここまで変えてしまうなんて。
「まぁ、そんな佐々木は置いといて、信二は今日何すんの?」
「別に決めてないな。とりあえずこの演劇を見てミスコンも見ようと思ってるけど」
小鳥さんと三島さん、それぞれの結果を確認するためだ。特に三島さんのダンスは本当に一度も見ていないから楽しみだ。
「おっ! いいね信二! 俺もミスコン行きたかったから一緒に見に行こうぜ。一次予選はちょうど午前中にあるしさ」
「おっけー」
「じゃ、俺受付の練習してくるからまたなー」
そう言って牛島は隣の席からいなくなる。視線の中では文化祭に胸を躍らせているクラスメイトが沢山いて、なんだかそれだけで嬉しいと思えた。
時計を見るとちょうど九時を回っていた。確か、一回目の演劇は九時半からって言ってたよな。このままここにいても邪魔だろうし、ちょっと散歩してみるか。
教室を出て、同じ棟の中を散策する。いつも移動教室で使う理科教室や空き教室も今日は華やかに彩られていて何か出店で使われているみたいだった。どの教室にも笑顔で準備を進めている生徒の姿が見えて、本当に楽しいんだろうなと思う。傍から見たら俺もそう見えてるのかな。いやそんなことないか。
結局俺はまだ、自分の軸を見つけることができないままでいる。だからこそ少し胸がつっかえているような、そんな感覚があるのだ。
何度も自分に、どんな自分が好きか、どんな自分をかっこいいと思うかと尋ねてみても答えは出なかった。父の職場見学の記憶、あれがあれば俺が何かを思い出せる気がしているけど、やっぱり何もでてこなかった。きっと何かの引き金がないと思い出せないんだと思う。
そんな悶々とした気持ちのまま散歩しているとあっという間に三十分になった。
俺がちょうどいいタイミングで戻ると、すでに観客席は満員で、立ち見をしている生徒もいる。その全員が一様に、「BL演劇ってなんだろうな」「すごい楽しみ」と、ワクワクした様子だった。
俺の予想以上に人が集まってくれていた。BL演劇という物珍しさからある程度注目を集めると思ってはいたが、これほどまでだと思っていなかった。
そして、演劇が始まる。
『鏡よ鏡、世界で一番美しいピーナッツは何か分かる?』
開始早々のその言葉で会場がざわつく。ステージには鏡役の男とその鏡を見ているイケメン役の男の二人がいる。鏡役と言われても意味が分からないと思うが、とりあえず自分のことを鏡だと思っている男で、イケメン役もそれ鏡だと思っている世界観なのだ。いや本当によく分からないと思うんだけどさ。
『それはもちろん鏡です』
『なるほど。ではお前を食べれば私は世界一美しいピーナッツを食べた世界一ハートフルなヤンキーになれるわけだな。ではお前をいただくとしよう』
『なぁー!』
イケメン役が鏡役の頭を撫でて、鏡役の男がまるで絶頂したように声を上げる。観客も世界観に戸惑っていたがその鏡役の演技でドッと笑いが起きる。
いや演技上手いな。あの意味の分からない台本をこんなに忠実に再現できるなんて、俺感動してるよ。
そんな感じで終始観客を戸惑わせながらも演劇は進んでいき、最後に佐々木と神宮寺がまさぐり合うシーンで演劇は締めくくられた。
さて、反応はどんなものか。演劇の途中で何度か笑いも起きていたし間違いなくネガティブではないと思うが。
俺は何故か少し緊張していた。別に自分が演者をしているわけでも取りまとめをしてわけでもないのに。ゴクリと自分の唾をのむ音が聞こえる。
そして、パチ、パチ、パチっと小さな拍手が鳴った。それは一人の観客からだった。それは徐々に伝播していき、最終的に万来の拍手が教室中に響き渡った。
演者と小鳥さんがステージに上がって観客に一礼をするとさらに拍手は大きくなり、立って拍手をする人までいた。観客全員がこの演劇に満足したように口角を上げていて、この様子は演劇が成功したことを示していた。
「面白かったよー」
「マジで笑った!」
「私は萌えたね!」
口々にそんな感想が飛び交う。ステージの中心にいる小鳥さんは顔を赤くしつつも嬉しさを隠し切れないような様子で、再度大きく頭を下げた。その舎弟である演者全員も再び頭を下げる。
そんな彼女はとてもかっこいいと思った。やっぱりすごいなとも思った。
でも、それと同じくらいなんか、不思議な感情が渦巻いている。別に自分が褒められたわけじゃないのに、まるで自分が褒められみたいに嬉しいし、心がすっと軽くなるような、そんな感覚。なんだこれ。すごく不思議だけど、全然嫌いじゃない感覚で、むしろとても好きだ。
「……どんな顔してんだよ信二」
「なんだよ、って、牛島今写真撮っただろ」
「いや友達が面白い顔してたからつい」
俺が感嘆していると牛島がそんな茶々を入れてきた。
「ちゃんと後で消しとけよ。てかその前見せてよ」
牛島が写真を撮るほどの顔がどんな顔だったら見てみたい。というか、そんな面白い顔になるようなこと考えてなかったんだけどな。
「分かった分かった、あとで見せるか。それよりそろそろミスコン始まるから先そっち行こうぜ」
「あ、そうなのか。そりゃいかないと」
万が一にも三島さんの出番を見逃すわけにはいかないからな。
俺と牛島は拍手が鳴る教室を背に、ミスコンが行われるメインストリートに向かった。
そこはさっきの演劇とは比べ物にならないほど人でごった返していた。うちの学校の生徒だけでなく、他校の生徒やマスコミみたいな人も見える。やっぱりうちの学校のミスコンは注目度高いんだな。
「おっ、ここなら見れそうだな」
押しの強いデブ、牛島のおかげでなんとかステージが見られる場所に留まることができた。今日ばかりは牛島が太っていたことに感謝しなくちゃいけない。
「牛島、太っててありがとう」
「え、喧嘩売ってる?」
そんな小言を言い合っていると、ミスコンが始まった。驚いたのはそのメンツ。
三島さんやうちのクラスの女子までは出場することが分かっていたのだが、なんと二海さんも参加していたのだ。これには他の生徒もびっくりしたようだ。
「おいおい二海さん出るのかよ」
「サプライズだな」
そんな言葉が飛び交っていた。かくいう俺もめちゃくちゃ驚いていて思わず牛島と顔を見合わせてしまった。そんな観客の喧騒はお構いなしにミスコンは進行が始まった。
まず最初は、ツインテールでダーク目なファッションのどこか地雷臭のする可愛い系女子だった。彼女はアピールタイムでSNSでよく見る簡単な振付のダンスを披露した。
そこまでインパクトがあるわけではなかったが、ちゃんと可愛いので観客から一定の支持を得ているように見える。
次に二番目、呼ばれたのは三島さんの名前だった。
まさかこんなに早く来ると思っていなかったので急に胸の鼓動が早くなる。さっきの演劇の時もそうだけど別に俺が何かやるわけでもないのに変に緊張している。
三島さんはいつも通りの金髪ショートに、今日はスポーティなファッションだった。いつもの制服姿を見慣れている男子たちは少しテンションが上がっているようだ。その気持ちはよく分かる。俺もこういうスポーツ系のファッション大好きだから。
「二年の三島澄です。ダンスします。よろしくお願いします」
ガチガチに緊張しているのが分かる自己紹介。さっきの地雷系女子と差がありすぎて少し心配になる。おいおい、大丈夫か三島さん……。
心配でじわっと手汗が出てくる。しかし、この心配が杞憂だったことはすぐに分かった。
三島さんが選曲したポップ系の曲が流れ始めると、彼女はまるで人が変わったように体を自由自在に操る。それは、中学時代に見たダンスよりもキレと表現力が洗練されているような気がして、視線が吸い込まれてしまうような迫力があった。それは周りの人も同じで、手拍子をしながら見入っている。
そんな、長いような短いような一分間が過ぎ、音楽が止まった瞬間。一斉に拍手が鳴った。人の数が違うから当たり前だが、さっきの演劇よりも何倍も大きな音だ。
三島さんは照れながらも、嬉しそうに顔をほころばせながら頭を下げていた。
やっぱり、三島さんのダンスは他人を魅了する何かあるんだ。俺もすごく見入ってしまったし他の人もきっとそれは同じだと思う。本当にすごい。三島さんはすごい。
さっき小鳥さんに感じたような尊敬の感情を三島さんに対しても感じる。
と同時に、やっぱり俺の胸の中の何かが軽くなったような、そんな心地の良い感覚を感じる。別に自分はなにもすごくない、すごいのは彼女なのに。なんなんだ、これは。
「おいおい、また変な顔すんじゃねーよ。ほら、お前顔見てみろ」
隣からそんな呆れ声が聞こえて、インカメにした状態でスマホを向けられる。
そこで初めて自分の顔を見た。
鼻が伸びていて、口角は上がっていて、口を噤もうとしてもこぼれる白い歯があって、目は絵に描いたように潰れている。この顔を形容する言葉を知らないが、俺は昔この顔をどこかで見たことがある。
「ほら、さっき演劇見たときも同じ顔してるぞ。嬉しいのは分かるんだけど、なんか不気味なんだけどその顔」
言いながら牛島が見せてくる写真にはさっきカメラで見た自分と同様形容し難いほど不気味な俺の顔が映っていた。
この顔もさっきと同じで見覚えがある。そうだ、あの時だ。
ずっと俺が探していた父の職場見学のこと。
その時に俺はこの顔とよく似た顔をしている人物を見つけた。確かあの時は、『裏勇者』の作家さんが見学に来た子供にどの作品が好きかと尋ねて、全員が『裏勇者』を好きだと言った時だった。
後ろの方に見えたその人の顔が、今の俺の顔のように変だったけど、とてもかっこよく見えたんだ。彼のように、表には出ないけど裏でサポートする姿がとてもかっこいいと思った。それはまるで俺が好きな『裏勇者』の主人公のようだったから。
そうか。俺の『かっこいい』は、父さんだったんだ。
父さんみたいに、裏で活躍することが俺のかっこいいなんだ。だから、小鳥さんの時も三島さんも時も俺は嬉しくなっていたんだ。表で活躍する人がすごければすごいほど、サポートする俺もかっこいいから。
「かっこいいじゃん、俺」
牛島が見せてくれた写真を見て、ぼそっと呟く。牛島は一瞬困惑した様子だったらしばらくして何も言わずに頷いた。
「ありがとう、牛島」
俺はそれだけ言って、ミスコンのステージに背を向けて歩みを進める。
「ちょっ、信二どこ行くんだよ。まだミスコンはこれからだぞ」
「ちょっとある人に伝えたいことがあって」
それだけ言って俺は再び足を進めた。ミスコン見物者の間を縫うように進み、ようやく人混みから出た後、俺は駅まで走った。文化祭中に勢いよく学校を出る俺に困惑しているような視線を向けられたが、それもあまり気にならない。
早く父さんに伝えたい。
家から最寄りの駅で降り十分ほどバスに揺られると父さんが入院している病院に着く。
「あ、あの立山の家族なんですけれども」
一人でこんなに大きい病院に来るのは初めてだったため、そわそわした様子だったと思うが、なんとか父さんの部屋まで案内してもらえた。
父さんに会うのは、約一か月ぶりだ。
ドア口から見える父さんは特段痩せている様子もなく元気そうだった。そのことに少し安心する。
「久しぶり」
そう声をかけると父さんは、驚いたように目を見開いていた。
「お前今日文化祭だったんじゃ」
「早く出てきた。少しでも早く父さんに伝えたいことがあってさ」
言いながら、ベット近くの丸椅子に腰を下ろす。
「俺見つけたよ、自分の軸。自分が本当にかっこいいって思えるもの」
言うと父さんは、嬉しそうに頬をほころばせる。
「それはいいな。一体なんだんだ?」
「父さん」
「……え?」
「だから、俺のかっこいいは父さんだよ」
俺の言葉が頭に入ってこないのかぱちくりと目を動かす。確かに最近まであまり口もきいていなかった息子にこんなことを言われたら戸惑うだろうな。
「まぁ厳密言えば、裏で人を支える人、かな」
「……そうか」
その表情はどこか嬉しそうだった。
「今年の文化祭さ、俺結構頑張って。まずクラスの出店で演劇をしたいっていう女の子のサポートをしてさ。結構その子の裏でタスクとスケジュールとかも考えて支えることができてた気がするんだよね」
「うんうん」
「で、同じ中学だった子のミスコンをサポートまでしてさ。その子がミスコンの場でダンスできるように、本番までのスケジュールを立てたり、どのダンスをするか決めたり、撮影を手伝ったり、その子の力にもなれた気がしてて」
「うんうん」
「で、今日その二人が色んな人からすごい拍手受けててさ。別に俺に拍手されたわけでもないし、俺がすごいわけでもないんだけどさ。なんか、まるで自分が褒められてるみたいに嬉しくなっちゃってね」
「うん」
「なんか、俺、かっこいいなって。あの時の父さんみたいだなって思ったんだよね。どう? 俺かっこいいいでしょ?」
恥ずかしくはあったが、確かに俺の言葉には自信があって、まっすぐ父さんの顔を見ることができた。
そして父さんも柔和な笑みを浮かべながら俺を見てくれている。
「うん、かっこいいな、信二」
その父さんの言葉はとても嬉しかった。
でも多分それがなくても俺は今日満足していたと思う。
だって俺は今日、自分で自分を認めることができたのだから。自分の軸で自分をかっこいいと思えているのだから。
「あ、あと最後に、父さん、本当にありがとう。前、言いそびれたから」
この感謝の言葉は、少し照れ臭かった。
窓を見ると、どこまでも続くような青い空が広がっていた。
〇
「というわけで、文化祭終わったね。寂しいような悔しいような……」
「なんでまたここに来ているのかしら。文化祭も終わったのだし、私に用はないと思うのだけど」
文化祭の熱が冷めやらぬ翌週。俺は久しぶりに二海さんの元に訪れていた。相変わらず彼女は小説を読みながら、俺に視線も向けない。
「そんな言わないでよー、ミスコン取ったんでしょー」
そう、結局あの後ミスコンは二海さんが優勝したらしい。なんでも二海さんのアピールが一分プレゼンで、いかに自分がミスコンで優勝するにふさわしいか、資料を交えて熱弁したとのこと。文化祭の前に会った時に、眼鏡をかけてパソコンをいじっていたのはそれが理由だったようだ。
ちなみに三島さんは二位で終わってしまったが、あのダンスが学校中に衝撃を与え、今度ダンス部を発足することになったという。一から部活を生み出すなんて流石だ。
「別にミスコンは関係ないでしょう」
「ちなみに、二海さんってなんでミスコン出たの? あんまり興味なさそうだけど」
「それをあなたに答える義務があるのかしら?」
相当話したくないのか、二海さんはギロリと俺を睨んでくる。
「いや、言わなくていいなら大丈夫です」
「……ただ、少しあなたにあてられただけよ」
「え、なんか言った? 小さくて聞き取れなかったんだけど。もう一回言って!」
「うるさい! 二度と言わないから」
彼女はまた小説に視線を戻す。
「それは残念だ。まぁそれは置いといて、今日は報連相をしにきたんだ」
「前も言った気がするけど、別にあなたの報連相なんて受けなくていいのだけど」
「まぁそう言わずにこれで最後だから」
「……最後?」
俺の言葉に少し反応して、彼女は視線を上げる。
「うん。この一か月くらい、二海さんのおかげで俺すごく成長できたんだよ。自分の軸を見つけることができて、自分を自分で認めることができて、今ちょっと自分のことを好きになることができてる。これも全部二海さんと話せて、色々アドバイスを貰えたからだと思ってる」
「そんなことないわよ。あなたが頑張ったからよ」
二海さんは顔を俺から隠すようにそらしてそう言った。やっぱり、二海さんは優しいな。
「二海さんがそう思ってても、俺が二海さんのおかげだと思ってるから、だから、本当にありがとう」
直立して頭を下げる。彼女は何も言わない。
まぁ二海さんからしたら、うるさい虫が一人減ったくらいの感覚だろうし。そんな気にならないか。
「じゃあもうここに来ないから安心して。もし教室で絡むことがあったらその時はよろしく」
そう言って教室を出ようと立ち上がった瞬間。
「別に」
彼女の高い声で俺の動きが止まった。
彼女はいつになく体をモジモジさせながら横目で俺を見ていた。
「最後じゃなくても、これからもたまにここに来ていいわよ。暇つぶしにもなるし」
「……え」
途端に俺は顔が熱くなる。今まで感じたことない感覚だ。なんだか、心が揺れる。これは、どんな感情なんだ?
また、俺が分からない感情が心に渦巻いてしまった。
かっこ悪い男 @shu012296
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