第7話

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 志道はサンが飛び立つのを見送ったあと、すぐに自分の研究所へ向かい、ロケット発射の準備に取り掛かった。

 ロケットはすでに移動発射台に乗せてある。

 それを外まで引っ張るのに、またも社用トラックが活躍してくれた。

 ありがたいと思うが、志道がその恩を会社に返すことは出来ないだろう。

 何せ、もうすぐ志道は大犯罪者になってしまう。

 恩どころか、想像できないくらいの仇で返すことになるはずだ。本当に申し訳ない。

 発射台を外に出すと、ロケットを垂直に立たせた。全長14m、総重量12.8tもある巨大な鉄の塊が直立すると、かなりの迫力がある。

 サンに食べられてしまったせいで、元々弾頭に詰める予定だった核物質の60%ほどしか用意出来なかったが、これでも十分な威力があるはずだ。

 後はこれに液体燃料を入れれば、発射準備完了だ。

 しかし、この液体燃料である、エタノールと液体酸素をロケットに注入するのに時間が掛かる。

 液体酸素の沸点は−183度だ。

 極低温のため、ゆっくりと燃料タンクに注がなければ、周りの金属が収縮、脆化し、ロケット本体が折れ曲がってしまうこともある。

 よって、ロケット発射までの準備に、大体4〜5時間掛かってしまう。

「終わるのは、6時くらいかな?」

 ほぼ夜明けと同じ時刻だ。

 ちょうど良い。

 朝日と同時に、このロケットを喰らわせてやろう。

 志道は、液体燃料がちゃんと注がれているか確認しながら、その時が来るのを待った。

 何もない時間が過ぎる。

 ただじっと座っていると、不意にサンのことを思い出してしまう。

 初めて出会ったのがこの場所で、光る髪の女がプルトニウムを食っていたなんて、今でも信じられない。

 いくら美人だったからと言って、自称太陽人の女を1週間も匿うなんて、本当にどうかしていた。

 その1週間だって、別に特別なことをしていたわけじゃない。

 ただ、ずっと音楽と愛について話していただけだ。

 それは、本当にくだらない時間だった。

 でも、その時間を全部覚えている。

 サンとの何気ないやり取りを思い出しながら、志道は夜明けを待った。

 1人でニヤニヤしたり、ちょっとムスッとしたり、側から見ればそれはそれは気持ち悪いことだっただろう。

 志道がハッと我に帰ったのは、ロケットへの液体燃料の注入が終わったことを告げるブザーがなった時だった。

 空を見上げれば、東の空がうっすらと明るくなっていた。

「もう、夜明けか…」

 問題なく、ロケットを発射するための準備が完了した。

 後は本当に、ボタン1つで全てが終わる。

「……」

 志道の心の中は、今までにないほど穏やかだった。

 ここから先は、志道にもどうなるか分からない。

 ただ何かが少しでも変わって、外様の人々がちょっとでも幸せになったら良いと思う。

 こんな願いなんて、ただ罪悪感を紛らわそうとしているだけなのは分かっている。

 でも、志道は目を閉じて、少しだけ祈った。

「どうか、いつか、この世界が愛で溢れますように」

 志道が目を開くと、太陽の光が飛び込んできた。

 夜明けだ。

 そして、夜明けの方向に江戸城がある。

 志道は、太陽に向かってロケットを撃ち込むのだ。

 その決意を持って、志道はロケットの発射スイッチを押した。

 ロケットのノズルから、少しずつ白い煙が吐き出される。

 そしてその後すぐに、高温・高圧のガスが噴射された。

 全てが問題なく機能している。

 これなら後数十秒で、ロケットは空へ飛び立つはずだ。

 志道はロケットが飛んでいく先の空を見上げた。

 祈りにも似た気持ちで見上げた。

 そして、見上げたまま––––

「……はあ?」

 何とも間抜けな声が口から漏れた。

 志道が見上げた先から、一筋の光がこちらへ向かって降りて来ていた。

 それはほんの1週間前にみたものと同じ光だった。

「志道ー‼︎」

 さらに、数時間前に聞いたのと同じ声がした。

 その声の主は一瞬で、志道の目の前に降り立った。

「志道!早く一緒に!すっごくキレイなのです!」

 その髪の毛と同じように、瞳をキラキラと光らせながら、サンは志道に向かって手を差し伸べた。

「お前、何して––––」

「良いから、早く‼︎」

 一緒にも何も、月まで行くために満月まで待ったんじゃないか。

 それをどうやって…と、志道はそこまで考えた瞬間、とてつもなく嫌な予感がした。

「この子の力、貰いますわね」

 そう言ってサンは無理やり志道の手を引っ張って、発射直前のロケットまでふわりと飛んでいった。

 そして、サンがロケットに触れると、彼女の放つ光が志道とロケットを包み込んだ。

 まるで光に優しく抱きかかえられているように、志道の体もふわりと浮いていた。

 もしかして、無重力空間とはこんな感じなのかとか、意味のないことを考えるくらいには、志道の脳ミソは混乱していた。

 そんな志道にはお構いなく、ロケットはゆっくりと地上を離れ始めた。

「では行きましょう‼︎」

 そして、サンの掛け声に呼応するかのように、ロケットはスピードを上げて空へ飛び上がった。

 最初の目標だった江戸城など無視して、2人を連れたまま、高く、高く登って行った。



「お前、何してくれてんだよ…」

 ロケットと一緒に空に飛び立ち、今なお急上昇中の志道は、あまりにも有り得なさ過ぎる現実を前にして大分冷静さを取り戻してきた。

「えっと、すいません。つい…」

 そして、テンションMAXになった勢いで友達誘ったけれど、相手があんまり乗り気じゃなくて急に恥ずかしくなったオタクみたいになったサン。

 ついじゃねえんだよ、ついじゃ。

 これある意味、江戸城にロケットぶち込む以上に地獄なんじゃないか?この状況?

 2人を連れたロケットはすでに成層圏に入り、もうすぐ中間圏へと突入しようとしている。

 地上から約50キロくらいの距離に来ていた。

 これくらいの高さになると、地球の端っこが見えて、それが丸みを帯びているのが分かる。

 宇宙との境界線がはっきりと見えて、そこにある大気の層が青白く光っているのだ。

「キレイだな…」

 我知らずに、志道はポツリと呟いてしまった。本当にしまった。

 ハッと振り返ると、サンがニヤニヤしながらこちらを見ていた。

「でしょう?そうでしょう?地球はキレイですよね?私が降りてしまいたくなった気持ちもわかりますよね?」

 正直、ちょっと分かるような気がしたが、認めるのは何かに負けた気がするので答えない。

「それで?見せたかったものってコレじゃないよな?」

 そう言って、志道はちょっと意地悪く笑って見せた。

 それに対し、サンもちょっと意地悪く笑って返した。

「もちろんです、志道。ここから先は人類は未到達ですよ?」

 ロケットの高度は100キロを超えた。これより先は宇宙空間と定められている。

 志道は地球人として初めて、宇宙へ到達したことになる。

 しかし、それは別に自分の力でも何でもない。

 ただサンに連れて来たもらっただけだ。

 そのことに何の感動もなかった。

 そんな記録なんてものより、これからどれくらい、サンと同じものを共有できるかの方が、志道にとって大事なものだった。

 宇宙空間に出てあたりを見回すと、地球から見るより遥かに多く光る星があることに、志道は気がついた。

「なんか、思ってたより星って沢山あるんだな」

「地上からは見えづらくても、太陽のように愛の力で光を放つ星は、幾つもあるのですよ」

 そう言うものなのか。

 太陽だけが特別だと思っていたけれど、案外そうでもないんだ。

「愛なんて、本当にありふれたものなんだな」

「そうですよ、志道。愛なんて、本当にどこにでもあるものなのです」

 そう言ってさんは微笑み、ゆっくりと志道の背後を指差した。

「見てください、志道。これが私があなたに見せたかったものです」

 振り返った志道の視界に飛び込んできたのは、手前に青白く光る地球と、その先に黄金に輝く月、さらにその遥か先の目が眩むほど白い太陽。

 3つの光が目に飛び込んできた。

 3つの惑星を同時に見られる。ただそれだけでも美しいのに、それだけじゃない。

 サンが志道にこの景色を見せたかったのは、それだけじゃなかったのだ。

 想像してしまう。

 サンが月にたどり着いて、そこで愛を待ち焦がれ。

 それに導かれて、地球人がやがて月へ訪れて、月が光の星へと変わる。

 そして地球はより光に満ち満ちて、地球と月の愛は太陽へと帰る。

 その愛は、また宇宙の彼方の星々へと繋がっていく。

 そうやって宇宙は、愛に溢れていくのだ。

「ああ、キレイだな」

「そうでしょう。本当にキレイでしょう」

 きっと今、2人は同じものを見ている。

 繋いでいる手から、それが伝わってくる。

 愛が伝わってくる。

 好きなものを共有できるって、なんて素晴らしいことなんだろう。

 その先に、こんなにも無限の世界が広がっている。

 そりゃあ、テンションMAXで誰かに伝えたいはずだ。

 志道は笑ってしまった。

 本当に腹の底から、心の底から、笑ってしまった。

 こんなに笑ったのは生まれて初めてだと言うくらい、笑ってしまった。

 ついさっきまで、テロリストになって、何千人、何万人の命を奪おうと思っていた男が、一体何をしているんだ。

 自分が情けなくて、でも楽しくて、よく分からないけど、涙と笑いが溢れた。

 それに釣られるように、サンもように笑い始めた。

 バカみたいだった。

 いや、ただのバカ2人だった。

 バカ2人が、宇宙の片隅で肩を組んで、ただ大笑いしているだけの話だった。

 それだけでいい。

 それだけでいい。



 2人がひとしきり笑うと、すでにロケットの燃料は切れてしまっていた。

 月まで行くには、後は楕円軌道に乗っていけば良いのだが、そうなったら38万キロの彼方まで一緒に行くことになる。

 それは出来ないことだ。

 ここが、2人のお別れの場所だ。

「ごめんなさい、志道。こんなところまで連れて来てしまって…」

 何を今さら、と思わなくもないが、そんなことはどうでも良いくらい、志道はサンに感謝していた。

 だから、本当はこんなことを言うのは恥ずかしいんだけれども、ちゃんと言葉にしようと思った。

 サンが悲しい顔をしていることが、何よりも嫌だから。

「ありがとう。サンのおかげで楽しかった。本当に、楽しかったよ」

 これ以上ないくらいの素直な気持ちだった。

 こんなことを言っている自分の顔がどんなものなのか想像もしたくないけれど、でも––––

「ありがとう、志道。私も、本当に楽しかった」

 サンがそう言って笑ってくれたことが、本当に嬉しかった。

 そして、2人の指がゆっくりと離れていった。

 志道の体はサンの光に守られたまま、ゆっくりと地球へ降りていく。

 サンはロケットと共に月の軌道へと昇っていく。

 今生の別れだ。

 2人はそれが分かっていながら、最後に同じ言葉を口にした。


「「また、いつか」」


 笑顔で別れた。

 それはきっと、次に希望を残すことになるからだ。

 月と地球、この遥か遠い距離さえも、きっといつか誰かが繋いでくれる。

 そう信じれること、これもきっと一つの『愛』。


エピローグ


 2029年、7月21日。

 人類は初めて月へ到着した。

 日本時間にして、21日午前11時56分20秒のことだった。

 この時、初めて月面に降りた宇宙飛行士の言葉は、

『これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である』

 と、言うふうに残っているが、この時の音声はとても乱れていて、実際には何と言っているのか解析できない。

 文字数的に、もっと短い言葉だったのではないか?とも言われている。

 だからこそ、こんな都市伝説が生まれてしまった。

 実は、最初に月に降り立った宇宙飛行士は、そのまま月で行方不明になったのだという。

 ひどいノイズが入った映像しか残っていないが、1人の宇宙飛行士が足早に駆けていく姿と、その向こうに金色の髪をなびかせた女性らしきものが一瞬だけ写っているものがある。

 宇宙空間にそんな女性がいるはずがない。

 もちろん、公式にはこの映像は偽物だと発表されている。

 しかし、これこそ、人類が月へなど行っていない証拠だと言う人もいる。

 正直、この映像だけではどちらが正しいと言えるものではないが、音声の方はノイズを除去していけば、ある程度の言葉は掴めてきた。

 だが、それもどうにも信憑性に欠けるものである。

 何せ、初めて月に降り立った人間の言葉がこれだと言うのだから。


「この一歩は俺のもんだ。他のやつにやるかよ、バーカ」


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