第12話 命の観覧車

(また明日に繋がったのか?死んではいなかったのか?)

 目を閉じているのにまるで太陽が目の前にあるかの様に眩しい。僕はそっと目を開き周りの様子を確かめた。

 僕が目覚めた場所は寝室のベッドの上では無かった。これまでとは全く違う、想像すらもしていなかった空の上で目覚めた。

 横たわったまま雲の様にフワフワと浮かびながら、真っ赤な炎の様な太陽と、その光を浴びて真っ赤に染まる街に目を下ろした。

「よぉ。目が覚めたか?」

 突然隣から聞こえたその声に驚き目を向けると、真っ黒な人型の影の様なものが真っ白な歯を剥き出しにしてこちらを見ていた。

「随分と足掻いたみたいだがようやく死を受け入れたんだな。見ろ?」

 そう言うと影の様な人型はマンションを指差した。そこは僕の住んでいたマンションだった。だが様子が明らかにおかしい。

 僕が住んでいたのは五階なのだが、一体どれだけの人間が飛び降りたのだろうか、階下には五階にも届くのではないかというくらい折り重なって積み上げられた山の様な死体。その死体を見て駅へと向かっていたスーツ姿の人間達がゲラゲラと声を上げ指を差し笑っていた。僕と同じ様に感情の無い機械の様なサラリーマン達がまるで喜劇でも見ているかの様に皆、大口を開け涙を流しながらゲラゲラと笑っていた。

 変わり映えのしない毎日に、ただ繰り返すだけの毎日に少しでも彩りが与えられるのならば彼らにとってはこの光景も可笑しな物に見えるのだろう。

 ふと上の階に目をやると、ベランダにも大量の死体が転がっていた。どうやら五階以外の階も全て死体で埋め尽くされているらしい。

「どうだ?壮観だろう?お前が明日を夢見て今日を繰り返し続けた結果がこれだ。お前は死んだ事を認めずただひたすらに来る事のない明日を向かえようと生き続けた。結果お前は俺に殺され続けひたすら死に続けた。この世界はお前が死を受け止められなかったせいで出来た夢の残骸だ」

 僕は言葉を失った。目の前に転がっている全ての死体が僕?理解出来ない。この世界は一体何なんだ……僕が死を繰り返した事で作られた世界?フワフワと漂いながら目の前に広がる凄惨な光景から目を逸らす様に空を眺めた。

 真っ赤な太陽の光が滲む空がヒビ割れているのに気付いた。少しずつだが確実にそのヒビは広がっていき無限の闇へと溶け出して行く。

「始まったな。お前が死を受け入れた事でこの世界も終わる……後悔は無いか?」

「観覧車……最後にあの観覧車を近くで見たい」

 僕は遠くでゆっくりと回る観覧車を指差し言った。

「お前が俺の問いかけに答えるなんて久しぶりだな。分かった。じゃあ最後に見に行くか」

 人型の影は嬉しそうに白い歯を剥き出しにして笑うと僕の腕を掴み、風のような速さで観覧車へ向けて飛んでいった。

 無機質なコンクリートだらけの街中で、あれだけ光り輝き希望にも似た華やかさを放っていた観覧車は間近で見ると想像とは程多い姿をしていた。

 錆だらけの支柱からギィギィと醜い音を立て今にも崩れ落ちそうなその観覧車からは、お世辞にも希望など感じ取る事は出来なかった。

「ゴンドラの中を覗いてみろ」

 ギシギシとぎこちなく回転するゴンドラを指差して人型の影は言った。

 外観は色褪せてボロボロのゴンドラだが、窓からはそれぞれ色とりどりの光が漏れていた。丁度目の前にやって来た弱々しい朝日の様に光るゴンドラの中を覗いてみた。

 目の前に広がる光景に自分の目を疑った。そこにはスーツ姿の僕が腕時計で時刻を確認しながらスーツ姿の人間達の間を駆け抜け駅へと走っている姿だった。額に汗を滲ませながら忙しそうに走るその姿は生きる希望に満ち溢れていた。

 そのゴンドラが通り過ぎると次は暖かい太陽の様な光が溢れるゴンドラがやってきた。僕は眩しさに手をかざしながらそのゴンドラを覗いた。

 そこには、見たことの無い女性と小さな子供、そして大きく口を開けて笑う僕が食卓を囲み談笑している様子だった。

「この観覧車はお前に起こり得たかもしれない未来達だ。この命の揺籠はお前の到着を待っていた。お前が普通に生活を続け普通に生きていたらこのゴンドラのどれかに辿り着き新しい命を繋げて行っていただろうな。だがそれももう終わった事だ。お前がここに辿り着く事は無かったのだから。さて。そろそろ向かおうか?俺達が最後に行かなければいけない場所に」

 そう言うと人型の影は僕の腕を掴み、再びヒビ割れ崩壊を始めた空へと飛び立った。僕達が飛び立つと同時に不安定な回転を支えていた観覧車の支柱が、大きく音を立て折り曲がって行く。色とりどりに輝きを放っていたゴンドラは深い闇に飲み込まれゆっくりと地面へと落下して行った。

 血の様に真っ赤な太陽に照らされた街に闇が注がれて行く。夕暮れを迎えたわけでは無い。ヒビ割れ崩壊を始めた空が闇へと溶け出しているからだ。この世界はもう終わる。元々そこに何も無かった様に暗い闇の底に沈んで行く。

 太陽すらも闇に沈めようとしている街は、夜を迎える様に薄暗くなり、赤と黒の混ざり合う街を駆け抜けると僕達は一つの建物へ入った。そこはよく知っている場所。僕の住んでいたマンションだ。

 野次馬の様に群がっていたスーツ姿の人間達の姿はなく大量に転がっていた僕の死体は綺麗に無くなっていた。乗り慣れたエレベーターに乗り五階へと向かう。歩き慣れた廊下を抜け何度も開閉を繰り返したドアを開ける。

 闇に吸い込まれる様な真っ暗な廊下を歩きリビングの扉を開いた。まるで夕焼けに染まった様に赤黒く照らされた室内が目の前に広がった。ポタポタと蛇口から液体が垂れる音が響く。シンクにはドス黒い液体の溜まった汚れたマグカップ。フローリングには僕の血と吐瀉物。茶色く枯れた花。そして無惨に転がる枯れたサボテン。

 カラカラと白い薄手のレースカーテンが風を受け止めて揺れている。僕は一歩を踏み締める様にゆっくり近付くと天井から吊るされた僕を見つめた。

 気付かなかった。こんなにも僕は痩せ細っていたのか。ブカブカのスーツから伸びた枝の様に細った指。伸び放題の髪にこけた頬。天井から伸びる父のネクタイに首を通し、土気色の顔をしてぶら下がっている。

 人型の影も何も言わず僕の死体を眺めている。リビングの机の上に一枚の紙が置かれていた。何かを書いた後、グシャグシャに塗り潰されていて何を書いていたのか判別出来ない。僕自身覚えていない。僕は一体誰に何を伝えたかったのだろう。

 天井からぶら下がる僕をゆっくりと引き寄せ抱き締めた。ギシギシと天井から音が鳴る。

「ごめんね。辛かったよね。ありがとう。最後まで僕でいてくれて」

 両目から大粒の涙が溢れ出していた。もう戻る事は出来ない。太陽が闇に飲み込まれ静寂に包まれた真っ暗な室内に僕の嗚咽が響く。

「……そろそろ時間だ。世界が崩壊する。俺もお前もこれで終わる。最後にお前にもう一度死を認識させなければいけない。お前が命を失ったここで」

 そう言うと人型の影は僕の首を両手で力の限り締め上げた。

「ぐっ……がっ!」

 苦しい。痛い。一瞬だが死の際に味わった苦しみが再び全身を駆け巡る。いや。正確に言えばあの時味わった苦しみが人型に首を絞められている事で永遠と繰り返されている。

「苦しいか?辛いか?だがお前だけじゃない。俺だって苦しいんだ。痛いんだ」

 人型の影は相変わらず笑っている様に白い歯を剥き出しにはしているが、僕にはそれが歯を食いしばって泣いている様に見えた。

「助けて。死にたくない。机に置かれた紙にそう書いたのは俺だ。それに対するお前の返事はそれを黒く塗り潰す事だった。絶望したよ。最後の最後にお前に宛てたメッセージも届く事は無かった。」

 より一層力を込めて僕の首を締め上げて行く。永遠にも感じられる苦しみに身が悶える。

「だがもういい。もういいんだ。俺もお前ももう苦しまなくていい。じゃあな。叶希(ともき)」

 叶希。そうだ。僕の名前だ。両親以外から呼ばれた事の無いその名を僕自身も忘れていた。希望、そして叶う。両親はどんな想いを込めてその言葉を僕に与えたのだろうか。忘れかけていたその名を呼ばれた瞬間、全身を包み込んでいた苦しみから解放された。

 明るい光に導かれる様に体が浮き上がって行く。やがてその光が全身を包み込み、そのあまりの眩しさに目を閉じた。

(ああ。これが死か。なんて暖かくて穏やかな光。もう後悔は無い。最後に一つだけ望みを言うのであれば)

 どうか。次目を開く時は……優しい光に包まれて暖かい笑顔と、祝福の声で迎え入れられますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人間剥離 放浪者 @hourousya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ