ツチノコまだまだ出ません。ここは読まなくてもいい。

「で、さっきの話本当だろうな」

 上橋の辺りまで歩いてきて、太郎が言った。誰か追ってきてないかと、後ろを気にしている。路肩には壊れた軽トラックが駐まっており、車体の下からは人間の下半身だけが飛び出している。前に向き直ったタイミングで、それを見つけた太郎はぎょっとして目が大きくなった。

「本当かどうかは分からないけど、村はその話で持ちきりなのよ。田島のジョーがあれを捕まえたって」純が言った。

「田島のジョーだって?」

 早歩きをしていた脚を完全に止めて、太郎が言った。

「どうしたのよ?」

「あのなあ、田島のジョーはほら吹きで有名なんだぞ。名前だってジョーでもなんでもない。田島田吾作って言うんだよ」

「それは前にも聞いたから知ってるわよ。でも今度こそ本当だって言ってるらしいのよね」

「今度こそ本当っていうのは、あいつの口癖だよ。おれが子供の頃から言ってる。なあんか、バカバカしくなってきたな」

 太郎はその場に座り込んでしまった。三角座りをして、指先で砂遊びをはじめた。とても小さい砂山ができるくらいの間が空いてから、純が太郎の肩に手をかけた。

「でも、あなた。どんなにバカバカしい情報でも……、でしょ? それとも、今から戻って遺言状見る?」

 太郎が見上げた純の顔は、太陽の光が反射してキラキラしていた。

「……いや、いまさら遺言状なんてどうでもいい。行こう。大鼠家の長男として行かなくちゃならない」

 太郎は上空をぐるぐる飛んでいるトンビを見上げ、太陽のまぶしさに目を細めた。立ち上がり、ズボンのホコリを両手でリズムよくはらった。パンパン、パパパン、パンパンパン。ぴーひょろろろろ。トンビが鳴いた。

 太郎の脳内では、杉山清貴&オメガトライブの「ふたりの夏物語NEVER ENDING SUMMER」が流れ始めていた。

 シンセサイザーによる軽快な曲の始まり部分に合わせて、太郎の足取りも軽くなる。一歩踏み出すたびに、右手の指をパチンと鳴らす。左手は無いはずのヘッドホンを押さえている。眉毛がピクピクと上下して、腹が立つ。その様子を見ている純は、能面のような顔になっている。

 前から歩いてきたひとりの婆様は、太郎を見つけるなり脚を止めた。ありゃーと言いたげに口を開いて、怪訝な顔をしている。しかし、太郎は全く気にすること無く、唇だけで歌っている。仕方が無いので、純が代わりに頭を下げた。

「ルームナンバー、砂にー、ふふふんふんふんふふん、ふんふふーん」あまり歌詞は覚えていない。最近ラジオで聞いてはまっているのだ。

「オンリユー 君にささやくー ふたりの夏物語ー オンリユー ふんふふふんふふー ふんふふふんふんふんふんふんふんふんふふふんふんふんふんふんふふー ジャスオンリユー」

 サビもあまり覚えていない。

 中橋まで来た。気持ちよく歌いながら渡っていると、さっきとは別の婆様が前からやってきた。眉間にしわを寄せて、難しい顔をしている。村の重鎮の奥さんの妹が知り合いにいるという、ヨシ婆だった。太郎と純をじっと見つめている。

「ヨシ婆、こんなところでどうした」

 太郎はヨシ婆を子供のころから知っている。太郎が生まれたとき、ヨシ婆はすでに婆様であった。ずっと婆様で、今でも婆様である。これからも、順当に行けば婆様のままだろう。

 ヨシ婆は、太郎と純の前に立ち、ふたりをしばらく睨みつけてから言った。

「太郎さん、あんたもしかして田島のジョーの家に行くのかい」

「ああ。ヨシ婆も知ってるんだろ?」

「悪いことは言わん、止めといたほうがええ。あっちは危険じゃよ」

「そんなことを言うってことは、本当にいるんだな。あれが」太郎は純を見た。純もうなずき返した。

「あなた、行きましょう」

 純に押されるようにして、太郎は歩きだした。しかし、ヨシ婆に腕を掴まれ止められた。その力の強さに少し驚いていると、

「太郎さん、本当に止めておいた方がええ。あっちは地獄じゃ」

 ヨシ婆の顔に怯えが見えた。

「心配しすぎだよヨシ婆。大丈夫だって」

「地獄じゃ。地獄じゃ」ヨシ婆は両手を合わせて拝み始めた。

「大丈夫だって。あれについては親父から散々聞かされてるし、いざというときの対処法くらい分かってるって」太郎は大きな顔を揺らして笑った。

 拝み続けるヨシ婆をその場に残して、太郎は中橋を渡った。

 途中、川から吹き上げる風が太郎と純をなでつけた。やけに生暖かく、重い湿気を含んでいる。まるで誰かの手が肩に乗ったような重さを感じて、太郎は立ち止まり振り返った。瞬間、鬼のように恐ろしい形相をしている純がいた。しかし、驚きよりも先に瞬きをすると、果たして純はいつもの顔に戻っていた。

 太郎は今の出来事を考える暇も無く「あなた、行きましょう」と言う純に催促されて、またすぐに歩き出した。

 川沿いから抜け土手下の道に出る。ろくに舗装もされておらず、車が通るわだち以外は下草が茂っていた。一歩進むたびに、バッタが飛び交う。

 ふと、足下で妙な感触を覚えた。

 堅いような柔らかいような、体重をかけると足は横滑りした。そしてすぐに異臭が立ち上る。靴底を確認せずとも、それが何か分かった。ヨシ婆が言っていたことはこれだったのだ。太郎は足裏に付いているうんこを、地面になすり付けた。

 太郎の頭の中で「ふたりの夏物語」がまた流れ出している。しかし、さっきよりも楽しくないのは、踏んだうんこが以外にも臭かったのと、外から入ってくるセミの鳴き声がとにかくうるさかったことだ。太郎は負けじと、うろ覚えの歌詞を頑張って引き出しながら、大声で歌い続けた。

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てらてら夏 中野半袖 @ikuze

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