ある画家の死 (天使の化石)

帆尊歩

第1話 ある画家の死 (天使の化石)

画家が六十三歳で死んだ。

画家に身よりはなく、実家である小さな家に六十三年住んでいた。

画家は生涯独身で、絵描き以外の仕事はせず、実家で両親と暮らしていた。

箱入り娘という訳ではないが、両親の庇護のもと何不自由なく暮らしてきた。

美大を出てから、一人で自宅のアトリエにこもり、天使の絵ばかりを描いていた。

さすがに嫁に行かない娘を心配した両親は、見合い相手を探したりしていたが、画家に誰かの妻になるという選択肢はなかったようだった。

三十の時に両親が事故に遭い共に他界すると、画家は孤高の画家となった。

画廊を経営していた祖父において画家は、駆け出しの小娘であり、自分が売り出さなければ永遠に、画家としては大成しないと考えていた。

画廊を継いだ父は同年であり、仲間だった。

そして画廊を継ぐであろう僕にとっては、画家は僕より二十歳上で、ほぼ姉と言うより、母に近かった。


画家は天使の絵しか描かない。

今では実家のアトリエは天使の絵で埋まっている。

画家は、ほぼ絵を売ることをせず、バイトで生計を立てていた。それも両親の遺産と家があったからに他ならない。

「先生、天使の絵ばかりではなく、もっと別の絵も描けば、絶対に売れますよ」と僕は画家に言ったことがある。

「例えばどんな絵」と画家は聞き返した。

「例えば、裸婦」

「却下」


画家は天才だった。

どんなタッチでも描くことが出来た。

だから、無数にある天使の絵は様々な絵画手法で描かれていた。

でも父や祖父が個展を開いても、ほとんど絵が売れることもなく、本来ならそんな画家にかまうことはしないが、うちはなぜか代々関わっていた。

僕は子供の頃から、画家のアトリエに入り浸っていた。

ふたつのイーゼルには常時描きかけの絵があり、画家はそのどちらかの前で絵筆を動かしていた。

そのアトリエは、天使の絵が所狭しと置かれ、古すぎる天使関連の書物と、絵の具の香りが充満した部屋だった。

「先生は、なぜ天使の絵しか描かないんですか?」ある時僕はストレートに画家に尋ねたことがある。

「ストレートだな。あなたのお父さんも、おじいちゃんもそこまでストレートには聞いてこなかった」

「なぜ?」

「作家の創作イメージに、水を差したくなかったんじゃない」

「あれ、僕、先生の創作イメージに水をさしちゃいました?」

「大丈夫よ、イメージはないから」

「イメージがない?」

「私が絵を描いているのは、一つのイメージを探していたから。だから、考え得るかぎりの手法やタッチを試しているの。あなたのお父さんは言ったわ。タッチはその作家の個性だから変えるなと。でも試さざるをえなかった」画家は遠くを見つめるように話した。

「でも絵を売ると言うことを考えれば、様々なタッチがある方が、どんなのが売れるか試せていいですよね」

「何、いっちょ前に画廊経営者みたいな事を言っているのよ」


それから数年後、僕は本当に画廊を継いだ。

僕は忙しくなって、画家のアトリエに入り浸ることは出来なくなったが、相変わらず画家は天使の絵を描き続けた。

それから何度か個展を開いたが、売れ行きは芳しくなかった。

なのに画家は落胆した様子もなく、ただ淡々と、天使の絵を描き続けた。僕は、画家を天使の絵描きとして売り出そうと画策した事もある。

天使ばかりを描くというのもそれはそれで、訴求力がある。

でも、そういうことにも画家は消極的だった。


「先生、こんなにたくさんある天使達をもっとたくさんの人に見てもらいましょうよ」それは経営者としての言葉だ。

「捜し物がどうしても見つからない。ここにあるのはアタシが追い求めた天使ではない。本当なら、破り捨てたいくらい」

「そんな」

「でもそれも出来ない。だってこの子達だって、アタシの父であり、兄であり恋人であり、弟であり。子供でもある」

「先生の求める天使とは?」

「思い出せないの。だから絵をアタシは描く。思い出すまで」



画家の体に変調が表れたのは、画家が六十を超えたときだった。

明らかに何らかの病魔に冒されているのは明らかだったが、画家は頑として自分の家を離れなかった。

それはまるで死にたいのではないかと、思わせるようだった。


画家が六十二歳になった年、画家がアトリエで倒れた。

その日は偶然、うちの一番若いスタッフの女の子が画家に張り付いていた時だったので、とてもラッキーだった。

もし誰もいなかったら、一人暮らしの画家は誰にも見つからす、天使達に囲まれて亡くなっていたかもしれない。

考えるだけでも恐ろしい。

病院で見つかったのは、もうどうにも出来ないくらいの病変だった。



僕は後片付けで画家のアトリエに行った。

いったい画家は何を探していたのだろう。

そして最後の最後に見つけることが出来たのだろうか。

イーゼルにかかる最後の天使は石の天使だった。

それはまるで、天使の化石のようだった。

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ある画家の死 (天使の化石) 帆尊歩 @hosonayumu

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