脱獄富豪と宿無し刑事
葱と落花生
脱獄富豪と宿無し刑事
脱獄
仮出所の日は決まっていた。
あと一週間もすれば晴れて自由の身になれただろう男が、どれ程の事情があったにせよ脱獄するとは不可解である。
無理やり理由をこじつけるならば、逮捕された時から一貫して無罪を主張していた事からして、ここまで自分を追いつめた法制度の理不尽に対する反抗心からとするしかない事件となろう。
ところが真実を語れば、他の囚人が脱獄するついでに間違って外に押し出されてしまったのだが、世間はそんな事情を知る由もない。
奇妙な囚人であるのもさる事ながら、一連の集団脱獄で新聞紙面を最も賑わせたのは、脱獄した五人の内四人が変わり果てた姿で発見され、逃げ延びたのは冤罪を主張し続けていた男ただ一人だった事である。
コンクリートの高い塀を超えて外に出たからとて、簡単に外界と接触できる立地の刑務所ではない。
更生のために運営された広大な農園外周は、有刺鉄線で二重に囲われ、一帯は地雷原となっている。
それより外は深い森で、正体不明の野獣が住んでいると語り継がれている。
温暖な時期には毒虫・毒蛇が大量発生し、野犬や熊もうろつく。
冬には一米を超える積雪の中を、素足で走らなければならない。
密林を抜けて行くのは、命と自由を天秤にかけるようなものだ。
唯一救いと言えるのは、他の刑務所と比べ中での待遇が各段に良い事か。
特に重い刑で収監された者は、下手に娑婆で暮らすよりもずっと楽に生きていけると吐く。
刑期満了が近くなると、近所の宿泊施設や観光施設での勤労に励む者となる。
この後に長期刑を終え、施設の近くに居を構え生涯を終える者も少なくない。
世界でもあまり類を見ない私設刑務所は、中への立ち入りは禁止されているものの、周囲に広がる大自然と豊富な湯量の温泉に威力を借りて、一大観光スポットとなっている。
もっとも、この施設が持つ秘密を知っているごく僅かの者からすれば、誰もが能天気な連中に違いない。
何故に血迷ったかのは不明とされているが、極めて稀な事例に今回のような脱獄がある。
そして、その結末は毎回似たり寄ったり。
塀の中こそ囚人にとって最も安全であるかのごとき現象が、事件の度に再確認される。
生きるのにいっぱいゝどころか、その命さえ危うい現実世界からすれば天国極楽にも匹敵する刑務所なのに、どうしても馴染めない。
人間の性を練って固めて素焼きにしたような性格を、大皿に盛って生きる囚人でなくとも、異端が発生するのは世の常である。
この施設に収監されるには、極秘の資格審査があるとされている。
噂の域を出ないものの、囚人が様子を見るに男女比はほぼ一対一。
重い量刑に処された者がいるかと思えば、万引きの常習や食い逃げで実刑を食らった者まで、実に広い犯罪者層で構成されている。
巷では、中で恐ろしい人体実験が行われているのではないかとか、強力な洗脳によって囚人をロボット化し、奴隷のように扱っているのではと取りざたされている。
こんな状況の中、今回の脱獄劇ではこれまでとは幾分違った部分を垣間見られる。
いつもならば脱獄囚は総て死体袋に入って帰ってくるのが、今回は行方不明となった一人が生き残ったからだ。
さりとて、すぐに発見されたのではない。
なんと脱獄してから十二年の歳月が流れた後、やる気のまったくない一人の刑事によって発見されている。
時を脱獄したばかりの真冬日に戻すと、有刺鉄線が張り巡らされた地雷原を抜け、逃げ出たまでは順調な滑り出しだったのが、それから迷い込んだ森の奥で、獣とも魔物ともとれる生物が待ち受けていた。
牙と角を持つ四足は、立ち上がると身の丈が三米にも及ぶ巨体で、その尾は蛇のように長く、脱獄囚に絡みつく。
頭を食らい腹を引き裂き、手足をもぎ取る。
一通り食い飽きると、今度は死体を猫が獲物でじゃれるように玩ぶ。
怪物が食後は、真っ白な雪に赤い血の絵を描き、散らばった臓物にいたっては、どれが誰の物か判別できない乱れ様である。
この惨劇を目の当たりにし、辛うじて逃げるには逃げたものの、あまりの恐ろしさに足がすくみ、簡単に取り押さえられてしまった生き残りが千葉新太郎。
次は自分の番かと覚悟を決め目を瞑る。
怪物がペロペロ顔を舐めたかと思ったら、今度はグルグル喉を鳴らして擦り寄ってきた。
まるで飼い主に媚び売る猫のごとき仕草。
「どうした、味見で感激したか。俺はマタタビか?」
「気に入られたようですね」
化け物の後ろから声がする。
目を開けてそちらに顔を向けると、小娘が化け物の毛並みと同じ毛皮に包まれ、背中にしがみついている。
迷彩になっていて気づかなかったのか、それとも今さっき取りついたばかりなのか。
いずれにしろ、晩餐の惨劇を目撃していながら、化け物の背に乗り満面の笑みで語っているのだから只者ではない。
「あんた誰。人間?」
無計画な言葉があたふた溢れ出てくる。
「あなたこそ何者」
脱獄囚でもなければ立ち入らない森の奥深く、小娘の疑問は当然であろう。
化け物が千葉になついてスリスリ続けている中、しばし沈黙が続く。
「わかりやすく言えば脱獄囚だが、元から話すと冤罪でぶち込まれた被害者だ」
「そう、ついてきて」
別段驚くでもなく、小娘が千葉をどこぞへ案内しようとする。
これまた何の疑問も持たず、千葉は化け物が踏み固める雪の足跡をなぞってついていく。
この時点で千葉は、現代社会からすると異常な事態ばかりなのに、それこそが常に当然の世界へと引き込まれていたのである。
死をも凍てつかせるであろう漆黒の森を歩いてゆくと、向かう先では地吹雪に煽られた粉雪が舞い上がり視界を遮っている。
「あそこに入るのか」
ここにきて常識の何たるかに気づいたか、恐るゝ小娘に聞く。
「………」
「黙って付いて来いって事か」
千葉が自問自答に納得して歩き始める。
粉雪が作り出す壁向こうは恐ろしく荒れているものと確信していたが、ふっとすり抜けた先は晴天で、尚且つ雪のない春陽気。
絵に描いたような単純明快男・千葉でも、この変化には尋常ならぬ驚きを見せる。
「何、何、なーにー。どうしたの、どうなってんの!」
「………」
無口な小娘である。
春の小川をひょいと飛び越え、桜の花舞い散る堤に駆け上ると、菜の花満開の田園地帯が眼下に広がった。
少し先に目をやれば、茅葺屋根の古風な民家が散立している。
もっと先を見ると、どう考えても場違いな超未来都市がうかがえる。
「蜃気楼か?」
「………」
ともかく、口数の少ない小娘は毛皮を脱ぎ捨てると、淡い水色に大きな向日葵を一輪あしらった膝下のワンピース姿となる。
そうしてから化け物の頭を二度三度撫でる。
ジューンガチャッと機械的な音がして、タイヤのない乗り物に変身した。
乗車前の車体は地面から二十センチほど浮いている。
「乗って」
小娘が千葉の背を押し座席に座らせると、車体が幾分沈んだようだが、ふんわりしていて乗り心地がよろしい。
浮いたまま移動する事数分、遠くに眺めていた未来都市に到着する。
強い加速や風の抵抗を感じないものの、眺めた景色の距離感からして、浮いた乗り物は時速数百キロで移動していた事になる。
「夢か、死んだか、ここは地獄か天国か?」
「………」
ひたすら言葉数の足りない小娘。
都市での移動はゆっくりとしたもので、速足程度だ。
中心部、遠くからでも一際高く聳えていた建物の前に到着する。
「中で村長さんが待ってるから、行ってね」
こう言い残したかと思ったら、小娘は案内するでもなく走り去ってしまった。
「中で村長って、ここが村かよ。立派に政令指定都市級だべ」
千葉が躊躇しながら歩を進めていくと、入って正面に案内嬢が二人、平和に談笑している。
「すいません、村長さんは………」
「あっ、失礼いたしました。千葉新太郎様ですね。村長が待ちかねています。専用のエレベーターでどうぞ、村長室は最上階となっております」
こう言いながら一人の受付嬢がカウンターから出て、千葉を案内する。
エレベーターの扉が開くと、先ほどの小娘が中にいた。
「お前!」
「秘書の九十九エリザベスです。よろしくお願いいたします」
「村長の秘書だったのかよ」
「いいえ、千葉様の秘書です」
「千葉様って、俺の?」
「はい」
千葉の脳内が○×△□?………!となった瞬間、エレベーターが止まり扉が開いた。
「いやいやいや、いやいやいや、お待たせされていました。よく来てくださいましたなあ。一世紀ぶりの御客さんですかなあ。もう、村民こぞって大歓迎ですかなあ」
つい数時間前までは囚人として扱われ、今しがたは怪物の餌食となりかけた身の上としては、いきなりの熱烈歓迎をまともに受け入れる気になれない。
それよりも、村民こぞってと言われたが、森を抜け出てここまで、途中で村民と称される人間に出会っていない。
都市機能が十分整っているのは一目瞭然だが、人の気配はなかった。
「村民こぞってと言われても、出迎えが真面目に恐ろしかったし、人っ子一人いねえじゃんかよ。第一にだ、いきなり秘書ってなに、こいつ危なっかしいんだけど」
素直に沸き出る感情を吐息に乗せ、喉奥から言葉に変える千葉。
秘書が村長室に備えられた自動販売機から、熱々の缶コーヒーを受けだして差し出す。
「あー、僕にもコーヒー頂戴よ」
村長が千葉の秘書に御願いする。
「お金」
「金取るのか?」
「当然です。村長の秘書ではありません」
「………」
渋々出した硬貨は竜一銭銅貨、現在の日本で使われているものではなかった。
「俺の質問に答える気ないね」
「あっ、失礼ゝゝゝ。その件に関しましてはなあ、おいおいということで、御納得いただくしかありませんなあ」
小柄小太り恵比須顔の村長が、慌てた口調で強引に話を進める。
「私に聞かれても御答えできませんよ」
秘書は端から逃げ腰の対応しかしない。
長く村役場に勤務しているようである。
後に千葉が知った村についての詳細は、実に興味深いものである。
本来、村の住人はこの世界に存在してはいけない者であった。
十数世紀先の未来から、突然この地域一帯そっくりタイムスリップしていたのだ。
ここに住まう住人ばかりか、都市そのものが現代に有って特別危険な地域なのである。
時空の移動から数世紀。
村の存在を知られない様、未来の科学技術を駆使して地域全体を隠し通してきた。
それもこれも全ては、都市の存在によって歴史の流れを変えてしまわないようにとの配慮からだが、千葉の考えは若干彼らの意見と異なっている。
村としている都市の時空移動そのものが歴史の一部であると考えれば、都市が実社会に何等かの影響を与える事もまた、現代が未来に向かって動く歴史の一部としていいのではなかろうかとする考えである。
この議論は村でも何度かおこなわれていた。
しかし、歴史に介入し何等かの事実を変えてしまってから問題が発生した場合、あれは大きな間違いでしたでは取り返しがつかない。
とはいえ巨大な都市そのものを隠し通すには、多少なりとも時代に影響を与えなければならなかった。
私設刑務所しかり、恐怖伝説の深い森しかり、この地域と現代社会との繋がりを最小限に保ち、なおかつ彼らが生活するに足る空間の保持に努めた結果だとしている。
千葉が他の囚人と違って、化け物に似せたロボットに食い殺されず村に招き入れられたのには、それなりの理由があった。
村に残されている歴史書の中に、千葉の名が記されていたからだと秘書が教える。
歴史書によれば、千葉は数年後には別の名を使い、都市の機能をフルに利用した結果として、現代社会ではまれに見る大富豪に成り上がるのである。
それはすでに歴史として残っている事なので、成り上がり人生に最大限の援助協力をしても、何ら問題がないとした村議会の決定により生きて村に入れた。
実際、村の絶大なる後押しにより十年足らずで千葉は、突如現れた奇跡の大富豪として世界中から注目される人物となった。
名前も変え、今は千場慎吾と名乗っている。
正体不明の金持ちに対する風評は次第に、裏社会との繋がりを臭わせるようになる。
兎角世間とはそういうもので、何かにつけて黒い噂が流れると、多くの人間が秘密に包まれた千場の素性を知りたがる。
もちろん、知りたがりは大衆だけではない。
何の予兆もなく経済界に登場した男が、あれよあれという間に世界でも屈指の大富豪になったとなると、その裏に事件が絡んでいるのではないかと一人の刑事が勘ぐった。
ゆすり・たかりの常習犯
もっともこの刑事、普段からやる気のない博打好きの大酒飲みで、署内ではずば抜けた厄介者として扱われている。
一人では動かない刑事職なのに、相棒の成り人がない。
お気付きだろうが、いつも自由奔放に振る舞っているこの男が千場を疑ったのは、決して正義感からではない。
大金持ちの弱みを握り、有り余る博打資金を手に入れようとの魂胆からである。
博を打つなら勝ち負けの世界、勝つ時もあるだろうに、勝ったらばその金をそっくり次の博で打ち、そっくり負けてスッテンテンになるのが素人博徒の常。
御多分に漏れず、この刑事もすっかり貧乏生活とお友達の日々を過ごしている。
実情を知らない世間からは、仕事熱心な刑事に見られなくもないが、常に頭の中は袖の下を受け取る方法でいっぱい。
警察も、実に厄介な奴を刑事にしてしまったものだと筆者は思う。
この刑事とて、生まれつきの与太郎ではない………いや、名前が角野与太郎とつけられているのだから、初手から与太郎なのか………。
いずれにせよ志ある熱血刑事だった頃もある角野が、いつからロクデナシになったかは定かでないものの、逆恨みした犯人に妻子を殺された事件があった頃から、彼の様子が怪しくなっているのは否めない。
私設刑務所から脱獄して行方不明になっている囚人を、探し出して逮捕しろと言う上司の命令を無視し、千場の素性を探り始めた結果、経費は出してもらえず、終いには自腹の捜査を続けるようになっていく。
偶然にも、命令されている事と私的捜査が、同一人物を指しているなどと気づこう筈もなく、経費はどんどんかさむばかり。
一人暮らしで、ほとんど帰らない家に家賃を払うのも馬鹿らしいと、捜査経費を捻出する為、アパートを引き払いホームレスとなってまで千場を調べ上げていく。
ここまでくると、もはや鬼気的執念である。
こんな角野に好転機がやってくるなどあってはいけない様な気がしないでもないが、一年間の粘っこい捜査が実を結び、原点は私設刑務所の周辺にあると気づいた。
「なんだべなー、大金持ちは千場慎吾で脱走犯が千葉新太郎………似ているような似てないような。出身地が私設刑務所の近くってのも引っ掛かるよなー。あんな辺鄙な所には囚人か観光客くらいしか行かねえもんなー。人住んでねえし、コンビニねえし」
公園のベンチに蝙蝠傘を並べた立て簡易宿泊所で、一升瓶を抱え廃棄弁当をつつきながら長い独り言が続く。
「一回、森の奥に行ってみるかな。一人じゃ危ねえって話だしなー。どうすっかなー」
寒い夜はいつも添い寝している野良猫が、角野の弁当をねだる。
「お前も一緒に行くか? だめか、猫籠ねえもんなー、電車もバスも乗れねえやな。金持ちの大豪邸ってのが森の入り口に建ってるらしいからな。一か八か直接アポなし訪問ってのをやってみるかな」
「そうしなさいよ、私が案内してあげる」
角野の独り言に答える者がある。
程過ぎに酔って項垂れていた頭を声の方に持ち上げると、ベンチに行儀よく座った猫がいる。
「あー、やべえ。とんでも七八分になってるなー。ファンタジーじゃねえんだから、猫がしゃべるんじゃねえよ」
「これだったらどう」
一瞬で猫が見目麗しき乙女に変わる。
「うおっ! 悪くはねえけど、服着た方がいいんじゃねえか。風邪ひくぞ………つうか、いよいよ俺も末期だな」
見開きっぱなしの目を激しく瞬きすると、両の手でゴシゴシ擦ってもう一度猫を見る。
今度は極薄の布きれ一枚きり纏った姿となった乙女が、近すぎる目前に立っている。
「いや、もちっと厚手の、その何だ、衣服ってのをしっかり着てだな………要するに裸でいるなって言ってんだよ!」
角野の言葉が通じたか、猫から化けたのか猫に化けていたのか不明の乙女が、直視しても差し支えのない身形に変身する。
「これでいいかしら。変態」
「変態って、どっちが。それより、あんた何者」
乙女の正体が知りたいのは角野ばかりではあるまい。
「ここまでやっても分からないの? どう見たって森の妖精でしょ」
身長百七十超えモデル並み体形の乙女が、当然に受け答える。
「お前、鏡見たことあるのかよ。それより、妖精の定義って何よ。でかくていいのかよ」
絵本に出てくる妖精しか知らない角野にとって、当然の疑問である。
妖精に案内されて辿り着いた大豪邸は、森のずっと奥に建っていた。
巷の噂を鵜呑みにうろついたらば、完全に遭難か化け物の餌食である。
妖精は案内ばかりか、家人との接見まで取り付けてくれた。
これもまた村の歴史に残る事件の一で、角野が村の施設を無知識不注意に操作した結果、未来に帰れたとの古事記がある。
何があってもこの面談だけは実現しなければならないと、刑事が所轄に配属となった時から、村では彼を見張り続けていた。
妖精は村で作られた精工なロボットである。
この場合、ありえない話でも素直に受け入れて先に進んだ方が身のためだ。
「じゃ何かい、あんたは困っている人を助けるビジネスで成功して、今の財を成したってのかい」
面談の場、角野が千葉に向かい奇声をもって質問する。
「まあ、困っているの解釈にも色々とありますからね。言ってるのはそんな内容です」
一週間ほど前に秘書から知らされていた千葉は、落ち着いた態度で角野の前に一千万の札束を差し出す。
「何、これ。金で黙れってか。随分と御軽く見てくれるじゃないの。俺はそんなはした金じゃ動かねえよ」
本当は喉から手が出るほど欲しい現金を目の前にされているのに、つまらないプライドが邪魔をしている。
「いえいえ、これは今日の御車代ですよ。貴方に御金の不自由はさせません」
「あっ、そう」
素早く納得して札束を懐に入れようとするが、束が大きくて懐に入らない。
十字に掛けられた封帯を切り、百万の束をあちこちのポケットへとしまい込む。
これを横目で見て椅子を蹴ったのが千葉の秘書。
「ダメですよ。ここは受け取っちゃいけない場面。千葉さんを逮捕するんです」
「馬鹿な事いってんじゃねえよ。何年も前からこのつもりで動いてきたんだ、今更方針を真逆に転換する筈ねえだろ。ボゲ!」
さっさと帰り支度をする角野。
「まあ、いいじゃないか、顔見せという事なんだから、こんなもんだろ。世の中なんて」
秘書の抗議を制止して、角野を見送る千葉。
この一件があってから、中央競馬でも噂が立つほど派手に遊ぶ角野。
一千万などアッという間。
一月もしないで外れ馬券が空に舞う。
金がなくなると、迷わずユスるタカる。
この繰り返しを何度かやっているうちに、千葉の裏事情が薄っすらと見えてきた。
「村ってのはどの辺にあるんだい」
ためらっていた質問を思い切って千葉に投げるのは避け、秘書に聞いてみる。
「すぐ近くですわ。行ってみますか?」
「いいのかよ」
「ええ、もちろん。大事な御客様ですから」
こうして角野も村の秘密を知る人間の一人となるが、その受け止め方は千葉と懸け離れたものである。
未来から来た人達の村だなどとは大嘘で、正体不明の村人は全員が犯罪者だと決めつけた。
根は真っ直ぐだった角野、博打のやりたい放題に飽きると素の我へと帰る。
増々繁盛する千葉を見るにつけ、なんとしても村を壊滅しなければいけない、それこそが正義だと確信するようになっていく。
一方、千葉は有り余る財力にものを言わせ、囚人となった罪は冤罪であるとの事を証明し、晴れて千葉新太郎に戻った。
ところが、既に千葉の嫌疑は晴れているものの、彼を取り巻く環境そのものが巨大な違法結社であると角野から報告を受けた警察。
冤罪事件で必要以上に汚名をいただいた警察は、私設刑務所周辺で起きる残虐な殺人事件も含め、何等かの関わりを持っているに違いないと踏んで村の一斉捜査に乗り出す。
これこそが、都市丸ごと未来へ帰る為の壮大なる序曲であった。
捜査の範囲は異常に広く、県警だけでは処理しきれない。
近県警察から警視庁まで出張っての捜査に加え、混乱の抑制と称した自衛隊の出動にまで発展する。
広範囲捜査は一月以上にも及んだ。
こうなってくると、いかに隠そうとも隠しきれるものではない。
地図にない都市が突如として現れ、その存在自体が犯罪であるかの如き警察の動きに、マスコミは水を得た魚。
連日の報道合戦が、どんどんエスカレートしていく。
やれテロ組織だ数世紀隠れ住んでいた落人部落だ宇宙人だと、有る事無い事、無暗な特集を組まれる始末。
民衆が呆れ返る現象へと発展していく。
これら未来都市に関わる事件の詳細もまた、村の歴史として記録が残っている事からして、すべては織り込み済みの捜査劇である。
しかしながら、角野が村の何をどういじった結果として未来に帰れたのかの記載が、歴史書には一切残されていない。
過去に飛んでしまった原因がわかっていないのだから、当然といえば当然の事だが、ここまでくれば確約されたも同然の事態に対して、村人に不安材料がまったくないわけではなかった。
村の隅々まで捜索し終えたのは、初動から三ヶ月もたってからの事である。
その間、村の存在を報告した角野でさえも深く関わる事のできなかった捜査本部は、たいした成果をあげられないまま呆気なく解散。
存在そのものは非現実的でも、現行法に反した部分はただの一つもなかったのである。
それもこれも千葉の財力がなせる業で、捜査本部長はもとより政治家・科学者・法務関係者から自衛隊に国連まで、ありとあらゆる方面のトップクラスへ効き過ぎる鼻薬をかがせた結果と言える。
報道にもその金は満遍なく回って行き、結論とされたのは行政の不手際であった。
架空の人物を仕立て上げ、ミスを犯したトップ人物としてたたきまくる。
世の中なんて、所詮そんなもんだ。
単純明快ではない民衆もまた、いつまでも自分に害のない不安材料で悩むのは得策でないと判断したか、垂れ流しの報道を右から左へと受け流す者が大多数となり、やがては噂話にも登らなくなった。
この状況をたまらなく不愉快に思ったのが角野であるのは、誰でも容易に想像できるであろう。
一般人が村へ立ち入るのは厳重に管理されている中、自由に出入りが許されている数少ない人間の一人である角野は、執拗に調査を続ける。
巨大な未来都市を形成する村には、これまた想像を絶する広大な地下都市が存在する。
角野を含め捜査機関が調査したのは、この地下都市第二層までであった。
実のところ、現代科学では理解できない部分について、村の者に隠す意思がなくとも、捜査の手が届かなかった第三層から十二層までの調べ残しがあった。
この全てを捜査するとなると、今回の捜査実績からして軽く見積もっても十数年かかる規模である。
存在そのものが知れたからとて、到底手出しのできる施設ではないものの、これこそ村人の危惧していた部分である。
角野以外の人間が入り込んで何等かの操作を行ったらば、後々不具合が出るのではないかと心配していた。
地下に作られた施設の殆どは、村人でさえ何のためにあるのか知らず、小学校の校長一族に代々口伝えされている程度の知識しかなかった。
口伝によればタイムスリップする前、この都市は未来の最先端科学技術を結集した施設で、時間の管理をするために作られたものであった。
時間の管理とはすなわち、巨大なタイムマシーンとするべきところだろうが、いかんせんマシーンと呼称するには不適切としか思えない大きさである。
超未来でも時空を自由に行き来するのは至難の業であったようで、ほぼ完成とまで言われていた時期に、突然原因不明の時空超越事故がおきたらしい。
事故の原因をこの時空移動システムのどこかとするのは簡単な事であったが、それがどこであるかの特定は不可能。
設計技師や科学者の殆どは、この都市に住んでいなかった時点で移動してしまった以上、諦めて時間が未来へと向かって進むのを待つしかなかったのである。
捜査が終わって自由気ままにうろつく角野、これを疑われる事なく地下都市の最下層までへと導いていく村人たち。
さて、ここはどんなところか、この部屋では何が行われているのか。
専門知識があるでもない興味の塊となった新生物角野は、どの機械をどのように操作しても、いっこうに変化のない事に慣れっこになっていく。
今では目につくスイッチをかたっぱしから押しまくるのが、朝の散歩と並行した日課になっている。
「なんだかなー、金も生活も遊びも、なんでもかんでも欲しいままってのは、飽きるもんだなー」
ぼやきながら、最下層の角部屋に通じる木の扉を蹴り開ける。
チラッと目に入った古めかしい蛍光灯の紐。
未来科学を結集した最下層には似つかわしくない。
意外な展開に若干のためらいはあるものの、すっかり与太郎が板についた角野。
引かないでいるべき理由が思い浮かばない。
「ほれ、なんだかな」
鼻歌交じりに紐を引く。
すると、少し遅れて点いた柔らかな灯り。
ふんわり広がる視界の中。
角野が愛してやまなかった家族が、殺される以前にあった暖かい家庭のまま居間でくつろいでいる。
「お帰りなさい。今日は随分と早いのね」
すると、都市の周囲に吹き荒れていた地吹雪がピタリと止み、高層ビルが陽炎の様に揺らめく。
一瞬で、地上から巨大都市が消え去った。
それを眺めていた千葉が「馬鹿野郎。遭えて良かったな」空に向かって大きく手を振る。
脱獄富豪と宿無し刑事 葱と落花生 @azenokouji-dengaku
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