有馬くん
川谷パルテノン
メイドインジャパンメディジャパン
彼氏の有馬くん。有馬くんは二五歳で都内でパグのシワにカビが生えないように掃除する仕事をしています。ブルドッグについては専門外だからと頑なに断っていると言っていましたが、先日あまりにも可愛い豆柴が連れてこられて断りきれず肛門まわりに軟膏を塗ってあげたそうです。そんな有馬くんの趣味はルービックキューブ。今どきルービックキューブだなんてと思う方がいらっしゃるかもしれませんが実はアツい界隈だったりします。私にはよくわからないけど有馬くんは暇さえあればルービックキューブを触っています。それはもう触りすぎて色のついた部分がこそげ落ちてしまっているのでいくら回転させようが或いは回転させないでいようが全面同色です。でも有馬くんはその面についた僅かな傷を全て記憶して「個性」と呼び「個性」と「個性」を引き合わせることで「新個性」が生まれたりするんだよと教えてくれました。有馬くん曰くルービックキューブはマッチングアプリだそうです。
半月ほど前のことです。有馬くんが仕事で帰りの遅かった日。その日は私の誕生日で、ウーピーゴールドバーグの誕生日でもありました。一緒にディナーで祝おうねと約束もしていたのです。でも有馬くんは一向に帰る気配がなく連絡もありませんでした。いよいよ我慢できなくなった私は有馬くんに電話をかけました。私が帰りは何時になるのと聞くと有馬くんは「今日二,〇〇〇シワなんだよ」と言ってすぐに切ってしまいました。悲しくて一人で泣いてしまいました。ようやく有馬くんが帰宅した時、私にはおかえりなんて言える余裕がありませんでした。有馬くんも何も言いません。気まずい空気が漂っていました。何か言わなきゃと思ってようやく絞り出した言葉が「酢の物、冷めちゃったね」でした。今振り返ってみると嫌味っぽい言い草だったと思います。有馬くんはため息をついて「二,〇〇〇シワだったんだ」とひと言。私はそれでキレてしまいました。二,〇〇〇シワと私のどっちが大事なのだなんてきっと言うべきではなかった、有馬くんだって疲れているのに。有馬くんは不機嫌そうに「ウルトラの母なら言わない、きっとね」と言い残し部屋を飛び出してしまいました。私はすぐに追いかけましたが有馬くんは学生時代に短距離でウサイン・ボルトに届くと言われたほどの走者だったのでもういませんでした。私はそれから三ヶ月、後悔の日々を過ごしました。有馬くんの職場から私に連絡がありました。どうやら職場にも顔を出していない様子。店長さんが五,〇〇〇シワ捌ききれないよと泣きそうになっていました。有馬くんのことが心配だったしこの地域一帯がパグの惑星になる日も近いとも思いました。電話にも出ない有馬くん。何処へ。分け入っても分け入っても青い山。咳をしてもひとり。ロッタン・ジットムアンノンにケツを蹴り飛ばされたらきっとこれくらいの痛みなんだろうな、そんな思いが駆け巡りました。そんな日々が三ヶ月が経ち有馬くんは突然帰って来ました。私は久しぶりに見た有馬くんがまるで別人のような顔つきになっていたことに驚きました。言うなれば山田直道→ハンマーナオの方向性です。でも私にはそれが有馬くんであることがわかりました。右手に黒い立方体を持っていたから。私は大粒の涙を流しながら有馬くんの胸元に抱きついたのです。バカ、バカバカバカ。アルパカ。どこに行っていたのよ。言葉とは裏腹に安堵が込み上げます。ごめんねミッちゃん。優しい声でした。有馬くんその人でした。「もう離さないから」「うん」二人にはそれ以上の言葉は要りませんでした。ベッドの上で二人してすっぽんぽんになりながら有馬くんは色のないルービックキューブを彼なりのロジックで解きほぐしました。「この傷がミッちゃん。そしてこの手垢が僕だ」「うん」「傷と手垢は反対の面に居るね」「うんうん」「言うなれば日本とブラジル、いやもっと遠くの、そうだな。オリオン座かな」「うんうん」「でもいつか巡り合う。これをこうしてこうすると、ほら」私はキスをしました。
今日は有馬くんの誕生日。誕生日といえば私のも祝えなかったよねと有馬くんが言うのでふたりの誕生日会を開くことになりました。三角帽のゴム紐が顎の肉に食い込んだ有馬くんはなんだか照れ臭そうに笑いながら「南無観世音菩薩」と耳元で囁きます。私も「仁徳天皇陵」と言い返してやりました。幸せというのは普段どこにあるのかもわからないような顔をしてじつはすぐそこにいるのだとあらためて思わされる出来事に遭遇した時、また一歩強くなれたそんな気がするのです。
有馬くん 川谷パルテノン @pefnk
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