第11話 最終話 「まぼろし鉄道」 03 人喰いギツネからの脱出。そして研修クリア。

 


 カズキは乗車口から身を乗り出した。




「うっぷ……」




 ものすごい風圧で髪の毛が流れ、思わず手すりを握る指に力を込めるのが見える。

 列車は信じられないスピードで疾走していた。それはまるでぼくたちを絶対に逃がさないように意志を持っているかのようだった。




 先頭を走る蒸気機関車の煙突からもうもうと煙が流れ、動輪からは真っ白な蒸気が休む間もなく噴き出している。車内は荒れ狂うように大きく揺れて今にも脱線しそうに思える。




 森が飛ぶように通り過ぎた。そしてひとつめの鉄橋が現れる。窓の下は断崖絶壁の渓谷だった。




「どうする? 信じる?」




 ぼくは大声で叫ぶ。




「信じて、お願い」




 風に負けないように彩音ちゃんも叫び返す。




「あのガキを? 虫食うガキを?」




 カズキも絶叫だ。




「後生だから」




 外はまた渓谷が現れた。そして滝が現れてあっというまに見えなくなる。そして真っ暗な森の中を列車は疾走し渓谷をまたぐ鉄橋に来た。




「二周目!」 




 カズキが叫んだ。




「いったいいくつ鉄橋を越えるの?」




 ほのかちゃんがぼくに怒鳴る。




「二十だろ! 俺は二十匹捕まえた! おっと三周目!」




 カズキが代わりに答えてくれた。




「そうだね。確かそうだった」




 また渓谷が現れた。そして滝がすぐに見えなくなる。そして真っ暗な森の中を列車は疾走し渓谷をまたぐ鉄橋に来る。




「四周目!」




 カズキが叫んだ。

 列車は相変わらず爆走していた。




 しかしそれ以上にはスピードも上がらないようで、慣れてくるとだいたい一分間隔で一周しているのがわかってきた。

 そして列車は十七周目に突入していた。




「もうすぐだね?」




 ぼくは彩音ちゃんとほのかちゃんに話しかけた。




「そうだね」




 だが返事をしたのはほのかちゃんだけだった。彩音ちゃんは腕組みをして考え込んでいる。




「十八周目! 残りあと二周!」




 カズキの報告もすでに慣れているように感じた。

 問題はどうやって飛び降りるかだ。鉄橋を越えた後少しなだらかな草地が見えた。もし飛ぶならあそこしかない。




 列車は夜のように暗い森の中を疾走している。いきなり視界が開けた。そして鉄橋に突入した。

 そのときだった。

 腕組みをほどいた彩音ちゃんが突然叫んだのだ。




「飛び降りて! 鉄橋を越えたらすぐに!」




「なに言ってんだ! まだ一周残ってるぞ!」




 カズキが首だけ向けて叫び返す。




「違うの! これでいいの!」




 鉄橋の端が見えてきた。そして通過した。




「私を信じて! 行くわよ!」




 彩音ちゃんが信じられないくらいの大声で絶叫した。

 そして鉄橋を越えたときまるで身を投げ出すかのようにステップを蹴った。




「本気かよ? まともじゃねえな。こうなりゃ一蓮托生だ」




 にやりと笑ったカズキが手すりを離した。

 こぼれるようにふたりの姿が後ろに流れた。




「ほのかちゃん、つかまって!」




 躊躇しているほのかちゃんをぼくは引っ張った。

 ぼくたちの身体はふわりと宙に浮いた後、にぶい衝撃がやって来た。そして目の前が真っ暗になってごろごろと転がった。

 そしてぼくは意識を失った。 




「ねえ、起きて」




 誰かがぼくを揺する。

 覚醒し始めた意識の中で遠ざかる汽笛の音が聞こえていた。

 そして目が覚めた。




「ほ、ほのかちゃん!」




 ぼくはあわてた。目のピントが合わないほど近くに上目遣いでぼくを見るほのかちゃんの顔があったからだ。

 草の上にぼくはうつぶせになっていた。そしてぼくの下にほのかちゃんがいて両腕で抱きしめていたのだ。




 ぼくは不思議な感覚にとらわれた。




「……私たち助かったのかな?」




 そしてぼくは気がついた。

 そうか、そうだったのか。




 笑い続けるぼくを腕の中のほのかちゃんが不思議そうに見ている。




「ねえ、どうしたの?」




「いや、今朝夢を見たんだ。妙に現実感がある夢なんだ」




「夢?」




「うん。こうしてほのかちゃんといるんだ。そうして汽笛の音がしたんだ」




「それはいい夢だったの? それとも?」




「わかんない。でもこうして無事だったんだからきっといい夢だったんだよ」




 目覚めたときはエッチな夢だと思ったけど、こういう正夢だったんだ……。

 そんなことを考えていた。




 そのときだった。




「あら、ご両人。仲がいいこと」




 彩音ちゃんの声にぼくはあわてて腕を放して立ち上がった。




「そ、そんなんじゃないわ。マナツくんが助けてくれたの」 




 ほのかちゃんは耳まで真っ赤だった。たぶんぼくもそうだろう。




「冷てえ、なんで俺だけ水の中なんだよ」




 カズキが叫ぶ声が聞こえた。




 行ってみると茂みの向こうの水たまりの中からずぶぬれになって出てきた。




「助かったんだから文句言わないの」




 彩音ちゃんがカズキにハンカチを投げた。




「いいのか? 汚しちまうぞ」




 カズキは受け取った真っ白なハンカチを振っている。




「かまわないわ。どうせ持ってないんでしょ」




「いや、いいよ。なんだか悪いし」




 カズキが押し返そうとするハンカチを彩音ちゃんが奪い取る。




「もう世話が焼けるわね」




 彩音ちゃんは乱暴にカズキの顔を拭きだした。




「よせよ。みっともねえだろ」




 カズキが暴れた。彩音ちゃんがくすくす笑う。




「まったくクールみたい」




「なんだそれ?」




「ウチのネコ。拾ってきたときずぶぬれだったの」




「俺はネコじゃねえぞ」




「似たようなものよ。こっちの気も知らないで勝手に暴れ回るんだから……」




 しばらくそのまま身を任せていたカズキだが、ぼくとほのかちゃんの視線に気がついて乱暴に腕を払う。その顔は真っ赤だった。




「もういいぜ。それよりここはどこなんだ?」




 ぼくは辺りを見回した。

 そこは林の中で線路も鉄橋も渓谷も見えなかった。




「あ、あれ!」




 ぼくは地面を指さした。




「なんだ? なにがあったんだ?」




 カズキが走って来た。



「これって?」




「うん。ぼくが転んだ跡なんだ」




 地面には山に入るときにぼくがすべって転倒した跡が土に残っていた。




「ねえ、見て! 里が見えるよ!」




 ほのかちゃんが茂みの向こうを指さした。

 確かにもはや見慣れた里が見えていた。




「助かったんだな、俺たち」




 あはははは……。




 ぼくたちは笑った。腹の底からおもいっきり笑った。




 やがて……。




「あの列車って、まぼろしだったの?」




 ほのかちゃんがつぶやく。




「私たち全員で同じ夢を見たってこと?」




 そう言った彩音ちゃんが足を押さえた。




「痛むのか?」




「うん、ちょっとだけ。でも大丈夫よ」




 いきなりかがんだカズキが彩音ちゃんのロングパンツの裾をたくし上げて、ふくらはぎを触る。




「ちょ、ちょっとなに?」




「うん。少し腫れてるけど冷やせば大丈夫だろう」




 彩音ちゃんは真っ赤になった。




「……彩音の打ち身は本当だ。崖に落ちたのは間違いない」




 カズキが言う。




「でも……どうしてお前はあのガキの言葉を信じたんだ?」




 そうなのだ。ぼくたちは彩音ちゃんの判断で助かったのだ。




「政代さんに聞いたのよ。この辺りには昔人喰いギツネが出たんだって」




 彩音ちゃんが得意気に言う。




「人喰いギツネ?」




 ぼくとカズキは同時に叫んだ。




「うん。旅人を助けるふりをして食べてしまう化け物なの……」




「化け物? じゃあ、ぼくたちは化かされていたんだ」




「じゃあ、私たちが乗ったあの鉄道はやっぱりまぼろし?」




「……みたいだな。線路も渓谷はあったんだと思うが、霧に巻かれた辺りから化かされたのかもな」




 ぼくたちは互いの顔を見回した。まさにキツネにつままれた話だ。




「でね、そのキツネなんだけど、一度だけ旅人に助かるチャンスを与えるの。それは……」




 彩音ちゃんが突然ひとりでクククと笑う。そして涙を流した。




「どうしたんだ?」




 カズキが肩に手をやる。




「怖かったのよ。だってその話がホントだと思わなかったんだもの」




「ねえ、教えてよ。チャンスってどういうこと?」




 ほのかちゃんがじりじりし始める。




「うん。キツネのこどもが現れるの。それでそのこどもは必ず旅人が持っている大事なものを欲しがるの」




「あ、カブトムシ!」




 ぼくは叫んだ。




「そうなの。で、その欲しがるものを全部あげなきゃ駄目なの。けちけちして惜しむとジ・エンドって訳」




「それでお前は俺に全部やれ、って言ったのか」




 感心したようにカズキがつぶやいた。




「つまり、旅人に命の価値みたいなものを試すのよね」




「命が惜しければ有り金全部置いていけ、ってか? まるで山賊だな」




 カズキが肩をすぼめた。




「そういう風にストレートに言ってくれないのよ。まったくのノーヒントだったから私もすんでのとこで気がついたのよ。遅かったら今頃私たちキツネの胃袋の中だったかもね……」




「なるほどな……でも、もうひとつ疑問がある。俺が捕まえた虫は二十匹だったはずだ」




 カズキが確認するようにぼくを見た。ぼくはうなずく。確かに虫かごの中にはカブトムシとクワガタをあわせて二十匹いたはずだ。




「……なのに、お前は十九周目で飛び降りろと言った。これはなぜだ?」




 彩音ちゃんはにやにやしていた。

 悔しいけれどぼくにはわからなかった。もちろんカズキもぽかんとしている。




「あ、わかったかも」




 ほのかちゃんがぱちんと指を鳴らした。




「ねえ、彩音ちゃん。たしかあの男の子は『ぼくが食べた虫の数だけ鉄橋を越えたらすぐに飛び降りて』って言ったのよね?」




「ほのかちゃん、どういうこと?」




 ぼくは尋ねた。




「ほのかはわかったみたいね。言ってみて」




 彩音ちゃんにうながされてほのかちゃんが口を開く。




「あの男の子、そう言ったときまだ最後の一匹を手に持っていたのよ」




「そ、そうだったっけか?」




 カズキがぼくを見る。




「うーん。言われてみればそうかも……。でもそのときは気がつかなかった」




 情けないことにぼくは確かに気がつかなかった。

 得意気な顔のほのかちゃんが更に話を進めた。




「でもさ、その話って彩音ちゃんが風邪で寝てたとき、政代さんが話してた話じゃない? ほら、彩音ちゃんの婚約者がどうのこうのって……」




 ほのかちゃんはそう言った後、ハッとして口を閉ざした。




 ぼくとカズキは驚いて彩音ちゃんを見た。




「ちょ、ちょっと、ほのか!」




「つい口が滑りました。ごめんなさい」




 ほのかちゃんが両手を合わせた。




「ま、いいわ。隠してもどうせわかる話だし」




 彩音ちゃんが軽いため息をつく。




「なんだよ、婚約者って? お前、その年で婚約者がいるのか?」




 カズキが気色ばんだ。




「なんでもないわ……。気になる?」




 彩音ちゃんが流し目でカズキを見る。




「な、なんで俺が気になるんだよ」




 カズキが口をとがらせた。




「だって訊いたじゃない?」




「話の行きがかりだろ?」 




「親同士が勝手に決めた話。でも、……ご破算になったんだから気にしないで」




「どういうことだ?」




 彩音ちゃんは無言でとぼけている。




「ねえ、どういうこと?」




 ぼくはほのかちゃんに尋ねた。

 彩音ちゃんは歩き出す。そしてぼくたちもつられるように足を進めた。




「……彩音ちゃん。その男張り飛ばしちゃったの」




「張り飛ばした? さすがだな」




 カズキが感心したようにつぶやく。




「ちょっと、ほのか!」




 立ち止まった彩音ちゃんが振り返る。その顔は少し怒っているようだ。

 ほのかちゃんはそれを見て舌をぺろりと出した。




「素直になりなさいよ。命短し恋せよ乙女って言うでしょ?」




「なによ、それ?」




「そのまんまよ」




 ほのかちゃんがウインクした。

 彩音ちゃんは憮然としたまま、さっさと歩き出した。




「……行きましょ。帰るわよ。政代さん心配してるだろうし。それにいっぱい謝らなきゃ駄目でしょ」




「そだね」




 ぼくたちも歩き出した。

 やがて少し早歩きになったカズキが彩音ちゃんの横に並んだ。




「な、なによ?」




「いや、俺、お前にお礼を言おうと思って」




「……柄にもない。いったいどうしたの?」




「ありがとう。お前のお陰で助かった」




「やめてよ……それに助けられたのは私もでしょ? 枝に引っかかった私を担いで助けてくれたのはカズキくんだったんだから……」




「俺は自分に出来ることをしただけだ。ほめられる立場じゃない」




「それは私も同じよ」




 気がつくとぼくの横にほのかちゃんが並んでいた。




「なんだかあちらさん、いいムードね」




「そ、そだね」




 ぼくは答える。




「……そう言えば、お前、気を失ってたんだろ? どうして俺が助けたってわかったんだ?」




 カズキが彩音ちゃんに尋ねた。




「あはは」




「なんだよ。笑うなよ」




「ごめんなさい。……ホントは気なんか失ってなかったの。このまま目を閉じてたら助けてくれるのかな? って思ってたの。そしたら……」




「……バカヤロ」




 カズキがちいさくつぶやいた。




「ごめんね。でも……カズキくんの背中、大きくてあったかいんだね?」

「知るか!」




 気がつくと光はオレンジ色に染まっていた。西の山に夕日がぽっかりと浮かんでいる。




「お腹すいたね」




 ぼくが言うとほのかちゃんはうなずいた。

 ぼくたち四人の影はすでに長くなり見慣れた屋敷が遠くに見えてきた。





 ■ 終章 ■



 屋敷に戻ったぼくたちは、政代さんにそれはそれはこっぴどく叱られた。

 帰りがあまりにも遅いので、今朝のいきさつからぼくたちが谷川へ向かったと的確に判断した政代さんは、駐在さんや消防団の人たちを中心に捜索隊を編成している最中だったのだ。




 ぼくたちの姿を見た政代さんは泣きながらぼくたち全員をその巨体で抱きしめた。そしてそのあと堅いゲンコツがひとりひとりの脳天に落とされた。




 ……痛かった。




 日頃、暴力的な先生の体罰に猛然と抗議している彩音ちゃんも、このときは珍しく素直に罰を受け入れた。



 そして訪れた最終日。

 ぼくたちは無事に研修を終えることができた。




 朝。

 見上げると、宇宙まで突き抜けそうな蒼穹だった。




「お手紙書きます」




「政代さん、いつでもウチの家に遊びにいらしてくださいね……」




 女の子たちは流れる涙を拭おうともせずに政代さんに抱きついている。

 でもいちばん泣いていたのはカズキだった。




 研修中は政代さんのことを「おばさん」と言っていたくせにこの場になって「母ちゃん」と呼んで号泣していた。

 カズキはちいさい頃にお母さんを亡くしている。ちょうど弟が生まれた直後らしい。




 母の記憶をほとんど持たないカズキにとって、時には厳しく時にはやさしい政代さんが母親像になっていたのかもしれない。




 ぼくたちは最後にあらためて屋敷を見上げた。

 のけぞるほどの大木に囲まれた大きな大きなお屋敷。降り注ぐセミの合唱の中、黒い瓦屋根が太陽の光を浴びて、ぴかぴか光っている。




「最初は驚かせられたけど、今では思い出がいっぱいって感じだな」




「うん、そうだね」




 しんみりというカズキにぼくは答えた。

 やがて到着するクラクション。

 それは彩音ちゃんが指定したタクシーで、行きに乗った運転手さんの車だ。




「ねえ、お屋敷様よ」




「あ、ホントだ」




 ぼくたちが、車から政代さんに手を振っているときだった。屋敷の入り口で大きく手を振る政代さんに朝の日差しがあたり、大きな影ができていた。そしてその脇に小さな影がぽつんとあった。




 お屋敷様も手を振っているのが、その影の動きからもわかる。ぼくたちも負けずに大きく手を振り返した。




 そして走り出すタクシー。

 後ろの窓から、見慣れた屋敷の姿を振り返る。そしてだんだんとその姿が小さくなり、カーブを曲がって見えなくなった。




 やがて道は湿地近くを走り始めた。沼の湖面がきらきらと反射している。その光にぼくは目を細める。

 すると重々しいディーゼル音が響いてきた。バスだ。バスは前方からやってきた。




「あいかわず。誰も乗ってねえな」




「ホントね。鉄道だけじゃなくて、バスまで廃線にならなきゃいいけど」




 カズキと彩音ちゃんが、そう会話を交わす。

 そして山間の町に行くバスとすれ違う。まもなくさくら沼のバス停だった。




「……」




 ほのかちゃんは無言でバス停を見つめている。そしてはっとした顔になると小さく手を振っていた。




「さくらさん、いたの?」




 僕は尋ねる。するとほのかちゃんは小さくうなずいた。




「バス停に立ってたの。なんとなくだけど私の方を見ていたみたい」




「そうか? うーん。見えねえな」




 カズキが後ろを振り返る。




「私にも見えない。やっぱりほのかにしか見えないのよ」




 そう答える彩音ちゃんは、ちょっぴり残念そうだった。




 逃げ水がはるか前方に見える。真っ白に光る道路に真夏の日差しが注いでいる。

 タクシーはやがて山道に入った。昼間でも暗いその道は、ぼくたちの視界を一瞬奪う。だがすぐに目が慣れた。




 道の両脇にはうっそうとした森が続いている。森の真ん中を貫いているこの道の一歩外は手つかずの原生林だ。




「……踏切?」




 ぼくは前方に見えた。道路を横切る線路だった。




「廃線になった、あの蒸気機関車のじゃね?」




 カズキが答える。たぶん正解だ。

 線路はすでに使われていないようで、タクシーが一時停止することなく通過しようとしたからだ。




「来るときには、まったく気がつかなかったな」




「……あんな思いをしたからね。こんな場所で線路を見れば気がつくよ」




 カズキの問いにぼくは答えた。




「あ、あれ、見て!」




 彩音ちゃんが突然叫んだ。ぼくたちは彩音ちゃんが指さす方角を一斉に見る。




「……キ、キツネ? 親子?」




 線路の砂利の上で、キツネの親子の姿が見えた。だが見えたのは一瞬で、すぐさまに視界から消えた。タクシーが踏切を越えたとき、二匹のキツネは茂みへと姿を消したからだ。




「まるで、……みんな私たちを見送ってくれてるみたいね」




 ほのかちゃんがしんみりと言う。




「そうだね」




 ぼくは静かに口にした。




 やがて、車は里に出た。道の両脇の木々の間から、青々とした稲の海が見えたからだ。道は一本道でその向こうには、大きな大きな入道雲たちが互いに大きさを競っている。




「さよなら、さよなら」




 ぼくたちは誰ともなく、そう口にしていた。




「あの山を一つ越えれば、もう駅だ」




 運転手さんがそう説明してくれた。まもなくぼくたちの旅が終わるのだ。セミの声が閉じられた車内にまで響いている。




「しかし、不思議な子たちだな」




 話によると、ぼくたちが終えた研修は二十年以上の歴史があって、その中で無事に終了できたのは、ぼくたちが初めてだと言うのだ。




「名誉なことだな」




「そうね」




 カズキの言葉に彩音ちゃんが頷いた。

 カズキの手には荷物がひとつ増えていた。それはたった一匹のカブトムシだった。彩音ちゃんいわく特訓の成果でようやく捕まえた一匹らしいが、本人たちはいたって満足顔だった。




 そして九月。

 ぼくたちの快挙はすぐに大勢の人の耳に入っていた。学年はおろか先輩たちにもこのニュースは伝わり、高等部が主催する学園新聞のトップにもこの件は掲載された。

 ぼくたちはしばらくの間、時の人だった。




 だが日が経つにつれ、騒ぎはしだいに収まって、ぼくたちはいつもの日常に戻りつつあった。




 まだ汗ばむ日がつづくけど、日没が過ぎると虫の声がにぎやかになったりすることで秋の到来を感じていた。




「ちょっとカズキくん。廊下に出るの?」




「ああ、ちょっと便所に行きたいと思ってた。でも、お前が開けたドアなんだから、先に入れよ」




「あら、いいのよ。私は別に急いでないし」




 教室の入り口でカズキと彩音ちゃんが会話しているのが目に入る。




「なんだかさ。拍子抜けしちゃうわね」




 ほのかちゃんが話しかけてきた。




「うん。ぼくもそう思う。前と全然違うんだもん」




 そうなのだ。以前ならたかがドア一枚のことで、人だかりを招くようなカズキと彩音ちゃんだったのだが、最近はすっかりこんな感じになってしまっている。




「仲がいいのはいいんだけど。なんか物足りないのよね」




「うん。減点がなくなって進級に差し支えないのはいいんだけど、あの山里の研修の思い出が強烈だから、毎日がやっぱり物足りないんだよね」




「そう、思うでしょ? やっぱり研修に行きたいわよね。だから私、調べてきたの」




「な、なにを?」




「……知ってた? さっき冬期研修が掲示板に掲載されたの」




「ええっ。……ど、どんなのがあったの?」




「えと、『ビバ! ホワイトクリスマス寒中水泳研修』と『つららの地下迷宮、氷結洞窟探検研修』ね。これはまだクリアした研修生がいないんだって」




「な、なんかものすごい。……よりによってっていいたいけど、夏休みのふるさと研修を経験しちゃったから、そのぐらいじゃないと手応えがなさそうだね」




「マナツくんも、そう思うでしょ?」




 ほのかちゃんは満面の笑顔だ。




「でもさ、肝心のカズキと彩音ちゃんが、ああじゃ、研修には行けないよ。テストでわざと低い得点なんか取りたくないし」




「もちろん、私もわざと赤点なんかいやよ。……で、ものは相談なんだけど」




 と、いったほのかちゃんは、なぜか真顔になる。




「いっそのこと、私たちがケンカするってのはどう? こう見えて私は怒らせると怖いんだから」




「え……」




 ぼくは返答に困った。しかし眼前のほのかちゃんは有無をいわせぬ迫力で、ぼくに答えを求めていた。 




 現在、外気温二十八度。

 去り行く夏を惜しむようにセミの声が聞こえてくる。

 ぼくの答えは……。



 了


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甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました 鬼居かます @onikama2

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