虫とこぶし




宍中ししなか②―



 ……ここは。


 草ぼうぼうの平坦が広がる地……宍中ししなか


 上空の太陽は照りすぎることもなく。


 三人ぶんの人影を。


 風にわずかに揺れる草たちの上に。


 落としていた。


 筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎ後巫雨陣ごふうじんの地を抜け。


 ここ宍中ししなかの草を踏む。


 付き人の桃西社ももにしゃ鯨歯げいはと。


 後巫雨陣ごふうじんの帰り道を案内してくれた之墓のはかむろつみと共に。


 役目を終えたむろつみはここで別れてもよかったはずだが。


 眠そうに目をこすりながら、めどぎ鯨歯げいはについていくのだった。


 むろつみは昨晩に睡眠をとっておらず。


 また、朝からずっと道案内をしていたので余計に疲れていた。


 とはいえ。


 彼女が転んだりする心配はないと思われる。


 巫蠱ふこが守る八つの地域……。


 赤泉院せきせんいん桃西社ももにしゃ後巫雨陣ごふうじん刃域じんいき


 楼塔ろうとう宍中ししなか之墓のはかさし


 このうちで。


 一般的にもっとも楽に歩き回れるのが、宍中ししなかなのだ。


 そんなに丈の高くない草が。


 とげすら持たない無害な草が。


 どこまでいっても生えている。


 それだけの、地。


 注意すべき点があるとすれば。


 虫が、多い。


 宍中ししなかの草原に立ち、目の前をちょっと蹴ってみれば。


 小さな虫たちがあたりに散らばる。


 歩いて草を揺らすたび。


 虫が飛び出すような場所。


 だが彼等は無害で、人を攻撃しない。


 毒を持たず、かみつかず、ひっかきもせず。


 しつこくまとわりつきもしない。


 無力な彼等……虫たちは。


 ただ驚き。


 逃げ惑っているにすぎないのだ。


 宍中ししなかを照らす太陽は、そんな彼等の小さな体にも当たり。


 粒のような、あるいは点のような影をも。


 生み落としていた。




宍中ししなか十我とが①―



 巫女ふじょめどぎ鯨歯げいはに、蠱女こじょむろつみ


 一行は草を踏み、虫を散らし。


 宍中ししなかの地を突き進む。


 自分たち巫蠱ふこが危機的状況にあるなどの情報を。


 仲間全員に知らせることが、めどぎたちの当面の目標のひとつ。


 いま目指しているのは宍中ししなか十我とがという蠱女こじょの家。


 彼女は宍中ししなか御天みあめの妹のひとり。


 御天みあめが終わりそうになっている今回の事態。


 それを御天みあめの妹たちは、事前に承知していたのか。


 確認する必要がある。


 宍中ししなか後巫雨陣ごふうじんと比べて迷いようがない土地なので。


 めどぎは息を切らしながらも。


 十我とがの家がある方向にまっすぐ歩いていく。


 そんな折。


 向こうからめどぎたちに接近する人影が、ひとつ。


 こぶしをほおに、当てている。


 ほおづえの格好だが。


 彼女のひじは浮いている。


 右のこぶしを右のほおに、あてがっているようだ。


 それは、蠱女こじょ……宍中ししなか十我とがの。


 くせである。


 めどぎたちは十我とがの家に向かっていたわけだが、どうやらその家主のほうが自分から姿を見せに来てくれたらしい。


 十我とがは、そのひじでめどぎたち三人を指しながら。


 近づいて来る。


 やはり十我とがが草を踏むときも。


 虫が散る。


 そして。


 虫が散る。


 散らばる虫の数は、どうもめどぎたちが草を踏んだ場合よりも多いようであった。




宍中ししなか十我とが赤泉院せきせんいんめどぎ①―



 十我とがの前進がとまったのは。


 突き出された彼女のひじがめどぎのひたいに当たりそうになったときだった。


 ひじとひたいのあいだに作られた隙間は。


 髪の毛一本程度の幅。


 めどぎは直前で歩みをとめていたが。


 十我とがのひじをよけようとはしなかった。


 当たりそうで当たらない位置にあるひじの先をみずからのひたいで感じながら、めどぎは荒い息をはく。


「うわ、驚いた」


 それを聞いた十我とがは。


 あとずさり、ひじの先を下に向け、謝る。


「ごめん、無意識に近づきすぎてた」


 どうやら十我とがは、ぼうっとしながら歩いていたらしい。


 めどぎは、そんな十我とがの左肩に軽く手を置く。


「いやわたしも。


 どうなるかなと気になって、よけなかったし。


 お互い様ってことで」


 そしてめどぎ十我とがの肩から手を離す。


 ちなみに。


 その光景をめどぎのそばで観察していた鯨歯げいはは無言をつらぬき。


 むろつみに至っては、あくびを連続させていた。


 ともあれ。


 十我とがは、こぶしをほおにあてがうのをやめ。


 さきほどまでの心境を明かす。


「このごろ」


 草から飛び出して来た虫の一匹をすくいとり。


 右の中指に這わせる十我とが


「彼等が人間にみえて、切なくなる」


 ここで十我とがが言っている「彼等」とは、虫たちのことらしい。


「なるほど、それでぼうっとしてたわけか。


 で、このごろっていつから」


「十日前くらいかな……。


 それだけじゃなく、人間のほうも彼等にみえる。


 虫が人に、人が虫にみえるというより……。


 存在が同じものと思われる。


 これをどう受け止めるべきかまだ答えが出せていない。


 だから、いまは仕事を休業してる状態。


 もちろん答えは自分のなかに見いだす」


「そう」


 短い言葉ではあったが、めどぎの返答は生返事という感じでもなかった。


 十我とがめどぎの二の句を待つ。


 しかしめどぎは荒い息をはくばかりで。


 なかなか言葉を続けない。


 ここで十我とがは気付く。


めどぎは、わたしから例のことを切り出してほしいと思っているんだな)


 よって十我とがめどぎの次の言葉をこれ以上待つことなく、話柄を転じる。


御天みあめのことも、ごめん」




宍中ししなか十我とが赤泉院せきせんいんめどぎ②―



 十我とがは、自分の姉の御天みあめについて謝罪した。


 つまり十我とがは。


 御天みあめの終わりかけをもう知っているらしいが。


 問題は、いつそれを知ったか。


 めどぎは探りを入れるように話題を進める。


「あいつが廃業するにしても、それは誰の責任でもない」


「分かってる」


 自分の指を這っていた虫が草のなかに戻るのを確認してから、十我とがは再びこぶしを作る。


「問題はそれをぎりぎりで明かしたことだ。


 最後の仕事の規模を考えればもっと前から御天みあめは『そう』思われていたはず。


 なのに、くるうにもわたしにも事前に相談しなかった。


 わたしたちは、気付けなかった」


御天みあめの件をおまえらが事前に知っていたかどうか、わたしも聞こうと思っていたけど。


 そうか……おまえもくるうも知らされていなかったのか。


 ……結局、その事実を御天みあめの口からじかに聞いたのか」


「いや、御天みあめはわたしたちに一言も伝えてくれなかった」


「あれ?


 じゃあなんでおまえがそれ知ってんの」


「おととい宙宇ちゅううへの手紙を持った岐美きみちゃんが来て。


 そのときに岐美きみちゃんが伝えてくれた」


 めどぎは、十我とがのこの発言を聞いて。


 少し考えた。


(確かにわたしは岐美きみ宙宇ちゅうう宛ての手紙を預けたが……。


 あくまで届けるよう頼んだだけで。


 御天みあめが終わりかけていることは岐美きみに言っていない。


 あいつも御天みあめが来ていたことには気付いていたから……。


 実はわたしと御天みあめとの会話を聞いていたのか。


 あるいは……)


 なにやら集中しているめどぎに対して、十我とがが心配そうに声をかける。


「……もしかしてめどぎ


 岐美きみちゃんに今回のことを伝えるよう頼んでなかったのか」


「いいや」


 めどぎは足下の草に這う虫を見つつ。


「そうだった、忘れてた。


 手紙を届けるついでに御天みあめの件を。


 宍中ししなかにいるみんなにも言っといてと。


 わたしが頼んだんだった。


 そのとき、わたしの気もなんだかんだで動転していたからな」


 という……。


 嘘をついた。




宍中ししなか十我とが赤泉院せきせんいんめどぎ③―



 続いて、めどぎ十我とがにたずねる。


宙宇ちゅううはもう、そとに出た?」


岐美きみちゃんが持ってきた手紙の封をあけて、すぐ出立したぞ。


 つまり、おとといのうちに」


 そう答えて十我とがは、作ったこぶしをもう一度。


 自分のほおにあてがう。


 今度は左のほおに左のこぶしを当てている。


「ともかく、みんな、うちに来て」


 十我とがは、めどぎのそばにいる鯨歯げいはにも目をやって、そう言った。


 なお、むろつみはいつの間にか。


 十我とがの右のわき腹にもたれかかり。


 完全に目を閉じ、安らかな寝息を立てていた。


 そんなむろつみを右腕でそっとささえる、十我とがであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る