虫とこぶし

 ここは草ぼうぼうの平坦が広がる地、宍中ししなか

 上空の太陽は照りすぎることもなく三人ぶんの人影を、風にわずかに揺れる草たちの上に落としていた。


 筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎ後巫雨陣ごふうじんの地を抜け、ここ宍中ししなかの草を踏む。

 付き人の桃西社ももにしゃ鯨歯げいはと、後巫雨陣ごふうじんの帰り道を案内してくれた之墓のはかむろつみと共に。


 役目を終えたむろつみはここで別れてもよかったはずだが眠そうに目をこすりながら、めどぎ鯨歯げいはについていくのだった。

 むろつみは昨晩に睡眠をとっておらず、また、朝からずっと道案内をしていたので余計に疲れていた。


 とはいえ彼女が転んだりする心配はないと思われる。

 巫蠱ふこが守る八つの地域――赤泉院せきせんいん桃西社ももにしゃ後巫雨陣ごふうじん刃域じんいき楼塔ろうとう宍中ししなか之墓のはかさし――このなかで一般的にもっとも楽に歩き回れるのが、宍中ししなかなのだ。


 そんなに丈の高くない草が、とげすら持たない無害な草が、どこまでいっても生えている。

 それだけの地だ。


 注意すべき点があるとすれば虫が多いことくらいか。

 宍中ししなかの草原に立ち、目の前をちょっと蹴ってみれば、小さな虫たちがあたりに散らばる。

 歩いて草を揺らすたび、虫が飛び出すような場所だ。


 だが虫たちは無害で、人を攻撃しない。

 毒を持たず、かみつかず、ひっかきもせず、しつこくまとわりつきもしない。


 無力な彼等……虫たちは驚き、逃げ惑っているにすぎないのだ。

 宍中ししなかを照らす太陽は、そんな彼等の小さな体にも当たり、粒のような、あるいは点のような影をも生み落としていた。



 巫女ふじょめどぎ鯨歯げいはに、蠱女こじょむろつみ……三人は草を踏み、虫を散らし、宍中ししなかの地を突き進む。


 自分たち巫蠱ふこが危機的状況にあるなどの情報を仲間全員に知らせることが、めどぎたちの当面の目標のひとつ。

 いま目指しているのは宍中ししなか十我とがという蠱女こじょの家。


 十我とが宍中ししなか御天みあめの妹のひとり。

 御天みあめが終わりそうになっている今回の事態――それを御天みあめの妹たちは事前に承知していたのか、確認する必要がある。


 宍中ししなか後巫雨陣ごふうじんと比べて迷いようがない土地なのでめどぎは息を切らしながらも十我とがの家がある方向にまっすぐ歩いていく。


 そんな折、向こうからめどぎたちに接近する人影が、ひとつ。

 こぶしをほおに当てている。

 ほおづえの格好だが彼女のひじは浮いている。


 右のこぶしを右のほおに、あてがっているようだ。

 それは、蠱女こじょ……宍中ししなか十我とがのくせである。


 めどぎたちは十我とがの家に向かっていたわけだが、どうやらその家主のほうが自分から姿を見せに来てくれたらしい。

 十我とがは、そのひじでめどぎたち三人を指しながら近づいて来る。


 やはり十我とがが草を踏むときも虫が散る。

 虫が散る。

 散らばる虫の数は、めどぎたちが草を踏むときよりも多かった。



 十我とがの前進がとまったのは突き出された彼女のひじがめどぎのひたいに当たりそうになったときだった。

 ひじとひたいのあいだに作られた隙間は髪の毛一本程度の幅。


 めどぎは直前で歩みをとめていたが十我とがのひじをよけようとはしなかった。

 当たりそうで当たらない位置にあるひじの先をみずからのひたいで感じながら、めどぎは荒い息をはく。


「うわ、驚いた」


 それを聞いた十我とがはあとずさり、ひじの先を下に向け、謝る。


「ごめん、無意識に近づきすぎてた」


 どうやら十我とがは、ぼうっとしながら歩いていたらしい。

 めどぎは、そんな十我とがの左肩に軽く手を置く。


「いやわたしも、どうなるかなと気になって、よけなかったしお互い様ってことで」


 そしてめどぎ十我とがの肩から手を離す。

 ちなみにその光景をめどぎのそばで観察していた鯨歯げいはは無言をつらぬき、むろつみに至っては、あくびを連続させていた。


 十我とがは、こぶしをほおにあてがうのをやめる。


「このごろ」


 草から飛び出して来た虫の一匹をすくいとり、右の中指に這わせる十我とが


「彼等が人間にみえて、切なくなる」


 ここで十我とがが言っている「彼等」とは、虫たちのことらしい。



「なるほど、それでぼうっとしてたわけか。で、このごろっていつから」


「十日くらい前からかな……。それだけじゃなく、人間のほうも彼等にみえる。虫が人に、人が虫にみえるというより……存在が同じものと思われる。これをどう受け止めるべきかまだ答えが出せていない。だから、いまは仕事を休業してる状態。もちろん答えは自分のなかに見いだす」

「そう」


 短い言葉ではあったが、めどぎの返答は生返事という感じでもなかった。

 十我とがめどぎの二の句を待つ。

 しかしめどぎは荒い息をはくばかりで、なかなか言葉を続けない。


 ここで十我とがは気付く。


めどぎは、わたしから例のことを切り出してほしいと思っているんだな)


 よって十我とがめどぎの次の言葉をこれ以上待つことなく、話柄を転じる。


御天みあめのことも、ごめん」


 十我とがは、自分の姉の御天みあめについて謝罪した。

 つまり十我とが御天みあめの終わりかけをもう知っているらしいが、問題はいつそれを知ったか。


 めどぎは探りを入れるように話題を進める。


「あいつが廃業するにしても、それは誰の責任でもない」

「分かってる」


 自分の指を這っていた虫が草のなかに戻るのを確認してから、十我とがは再びこぶしを作る。


「問題はそれをぎりぎりで明かしたことだ。最後の仕事の規模を考えればもっと前から御天みあめは『そう』思われていたはず。なのに、くるうにもわたしにも事前に相談しなかった。わたしたちは、気付けなかった」


御天みあめの件をおまえらが事前に知っていたかどうか、わたしも聞こうと思っていたけど。そうか……おまえもくるうも知らされていなかったのか。……結局、その事実を御天みあめの口からじかに聞いたのか」


「いや、御天みあめはわたしたちに一言も伝えてくれなかった」

「あれ? じゃあなんでおまえがそれ知ってんの」


「おととい岐美きみちゃんが伝えてくれた。宙宇ちゅううへの手紙を持ってきてくれた際に」


 めどぎは、十我とがのこの発言を聞いて少し考えた。


(確かにわたしは岐美きみ宙宇ちゅうう宛ての手紙を預けたが……あくまで届けるよう頼んだだけで御天みあめが終わりかけていることは岐美きみに言っていない。あいつも御天みあめが来ていたことには気付いていたから……実はわたしと御天みあめとの会話を聞いていたのか。あるいは……)


 なにやら集中しているめどぎに対して、十我とがが心配そうに声をかける。


「……もしかしてめどぎ岐美きみちゃんに今回のことを伝えるよう頼んでなかったのか」

「いいや」


 めどぎは足下の草に這う虫を見つつ。


「そうだった、忘れてた。手紙を届けるついでに御天みあめの件を宍中ししなかにいるみんなにも言っといてとわたしが頼んだんだった。そのとき、わたしの気もなんだかんだで動転していたからな」


 という……嘘をついた。


 続いて、めどぎ十我とがにたずねる。


宙宇ちゅううはもう、そとに出た?」

岐美きみちゃんが持ってきた手紙の封をあけて、すぐ出立したぞ。つまり、おとといのうちに」


 そう答えて十我とがは、作ったこぶしをもう一度、自分のほおにあてがう。

 今度は左のほおに左のこぶしを当てている。


「ともかく、みんな、うちに来て」


 十我とがは、めどぎのそばにいる鯨歯げいはにも目をやって、そう言った。


 なお、むろつみはいつの間にか十我とがの右のわき腹にもたれかかり、完全に目を閉じ、安らかな寝息を立てていた。

 そんなむろつみを右腕でそっとささえる、十我とがであった。

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