画板をたたく/草原のなかに




之墓のはかむろつみ②―



 夜明けの後巫雨陣ごふうじん……その最奥にて。


 桃西社ももにしゃ鯨歯げいはにあいさつされた之墓のはかむろつみは、目を半分あけた状態で顔を上げる。


 むろつみは、地面に敷き詰められた小石の上に座っていた。


 長身の鯨歯げいはを確認するために、顔が上に向くよう首を曲げる。


鯨歯げいはお姉ちゃん……わたしもおはよう、よろしくね。


 ここに来るまでも、わたしのお姉ちゃんと付き合ってくれてありがとう」


「いえいえ、あなたのお姉さん……かんざしさんに道案内で助けられたのはこちらです」


「うん、帰りの道案内はわたしに任せて……」


 むろつみは、とてもあどけない表情で目を細める。


 そして自分の顔を上げきったあと、急にかくんとあごを落とした。


 うつらうつら、頭部を前後に動かす。


 彼女は画板をかかえて地面に座っている。


 むろつみは、絵をかくのが好きな蠱女こじょである。


 いままでの文章に添えてきた奇妙な絵は全て彼女の作品だが。


 これから載せていく絵もまた、ひとつ残らずむろつみの筆によってえがかれることになるだろう。


 そんなむろつみは、いつでもどこでも絵をかけるよう。


 紙を載せるための画板を持ち歩いているのだが。


 現在、絵はかいていない。


 そもそもむろつみは。


 きのうの昼間、楼塔ろうとうの屋敷の一室で睡眠をとり。


 夕刻が過ぎてから起きた。


 屋敷の部屋を貸してくれた楼塔ろうとうに感謝を伝えたあと。


 昨晩のあいだに後巫雨陣ごふうじんの最奥にやってきていた。


 だから朝になったいまごろになって眠気が襲ってきたのだろう。


 さきほどから目もあまりあかず。


 頭部を揺らしている。


 しかしむろつみが、いま絵をかいていない理由は別にある。


 ここでは紙が。


 ふやけてしまうからだ。


 後巫雨陣ごふうじんは湿り気の多い地だ。


 確かにその最奥に関しては、べっとりした空気感はないものの。


 水滴を吹きかけられている感覚は、やはり存在する。


 それも当然。


 最奥の地の中央において噴き上げる水の柱が。


 この場所が「水」と無縁でいられないことを物語っている。


 よってむろつみは絵をかかず。


 自身の視線で、この場にいる巫女ふじょたちを順に追う。


 このあとむろつみは道案内をしなければならない。


 だから眠らないように。


 あごを上げる。


 首を動かす。


 水の柱と。


 噴水によって出来た鏡を見つめる後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめと。


 目の前でしゃがんで小さな自分と目の高さを合わせようとしている鯨歯げいはと。


 敷き詰められた小石の上に寝転がる筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎと。


 めどぎのほおをぐりぐりしたあと彼女に葉っぱを食べさせる後巫雨陣ごふうじんえつとを観察する。


 むろつみは片手の指で画板をとんとんたたきつつ。


 もう片方の手を使い、自分の髪をこする。


 髪をこする行為は本来、むろつみの姉……之墓のはかかんざしのくせである。


 画板をたたいている指のほうは、じきに。


 その表面をすべり。


 さながら絵をえがくように、不規則な軌道を見せ始める。


 筆も顔料も取り出していないので、なんの絵にもなりはしないが。




之墓のはかむろつみ赤泉院せきせんいんめどぎ①―



 そして。


 寝転がっていためどぎが立ち上がり。


 えつに渡された葉っぱを飲み込み。


 むろつみのほうに顔を向け、あいさつする。


 そこでのやりとりは、ほとんど鯨歯げいはのときと同じだったので省略するが……。


 ともあれいよいよめどぎ鯨歯げいはは、むろつみに道案内を任せ。


 この最奥を……後巫雨陣ごふうじんを発つ。


 そこを管轄する巫女ふじょ一媛いちひめは相変わらず。


 水の柱に映っためどぎたちの顔を見ながら、いったん別れの言葉を告げるのだった。


 噴き上げる水の柱のなかにいる後巫雨陣ごふうじん離為火りいかは終始、顔も見せず。


 後巫雨陣ごふうじんの三女のえつは。


 めどぎたちの目を直接に見て「ではまた」と言ったあと。


 自分の人差し指と中指でむろつみの両手をつつみこむ仕草をした。


 三女に比べて、次女の離為火りいかと長女の一媛いちひめの態度は冷たくもみえるが。


 実際のところ、それは「冷たさ」とは違う。


 ……「思う者」たる巫女ふじょ……そのなかでも特別に「みこ」とも呼ばれる彼女たちの行為は。


 重大な思いのもと、おこなわれている。


 だからめどぎたちは後巫雨陣ごふうじんの三姉妹の別れ方について。


 むしろ安心を覚えていた。


「じゃ、ありがとう。


 一媛いちひめも。


 離為火りいかも。


 えつも。


 これから、わたしたち巫蠱ふこがどう動くべきかも決めていくけど。


 おまえらを苦しめるような真似は、絶対にしない」


 こうして一媛いちひめたちと別れためどぎは、鯨歯げいはと共に。


 道案内のむろつみについていく。


 その正確さは。


 きのう後巫雨陣ごふうじんの最奥まで導いてくれたかんざしと比べても、遜色なく。


 妹のむろつみも姉のかんざしと同様、迷いを介さず。


 植物のあいだをかき分ける。


 べっとりした空気と。


 肥大した植物を抜けるたび。


 めどぎ鯨歯げいはの足運びが、軽くなる。


 後巫雨陣ごふうじんの湿り気と植物は、その最奥に近づくたび規模を増すが。


 いまは最奥から遠ざかる道を選んでいるので、きのうとは逆に。


 進むごとに、湿り気も植物もその勢いを縮小させ……。


 だんだんと歩きやすくなっているのだ。


 とはいえ水滴を吹きかけられる感覚は、この地にいる限り持続する。


 湿り気も植物も後巫雨陣ごふうじんの外縁まで、なくなるわけではない。


 したがって、泉に沈んで瞑想するのが趣味であるめどぎにとって。


 その瞑想が疑似体験できる場所として後巫雨陣ごふうじんを歩くのは、そんなに苦痛ではなかった。


 よってめどぎの体力に関する心配も抑えられており。


 三人の道のりは、この上なく順調であった。


 そのなかでむろつみが行き先について改めて確認する。


めどぎお姉ちゃん。


 向かうのは宍中ししなかで、いいんだよね。


 お姉ちゃんが、次はそこにいくだろうって言ってたよ」


「ああ」


 宍中ししなかの地は、後巫雨陣ごふうじんの東隣にある。


 彼女たちは現在、後巫雨陣ごふうじんの最奥からその宍中ししなかを目指して歩いている。


 宍中ししなかも、巫蠱ふこの守る地のひとつであり。


 とくに「思われる者」たる蠱女こじょの。


 宍中ししなかの姉妹が、そこに住む。


 そもそも筆頭巫女ひっとうふじょめどぎが、いま動いているのは。


 宍中ししなかの長女、御天みあめが。


 自分の仕事の終わりを予告したからである。


 宍中ししなか御天みあめは。


 筆頭蠱女ひっとうこじょ楼塔ろうとうすべらをも凌駕しかねないとも思われるほどに。


 巨大な蠱女こじょ


 そんな彼女の仕事が終わるなら仲間の蠱女こじょの立場も危うくなると思われる。


 ひいては巫女ふじょにも危険が及び。


 巫女ふじょ蠱女こじょを合わせた彼女たち巫蠱ふこが。


 全滅すると。


 めどぎは思った。


 だからそのことを、現在のところ所在不明の。


 筆頭蠱女ひっとうこじょすべらに、いち早く知らせなければならないし。


 巫蠱ふこ全体での情報共有も急ぐべきだ。


 その上で対策を練るしかない。


 宍中ししなかに現在、当の御天みあめはいないものの。


 すべらの捜索と情報共有のため、そこには、いま訪れる必要がある。


 また刃域じんいき宙宇ちゅううという巫女ふじょ宍中ししなかにいるようで。


 めどぎは妹の岐美きみに、その宙宇ちゅううへの手紙をことづけているのだが。


 さらに追加で手紙を渡す必要性が生じたため。


 できれば宙宇ちゅううに、じかに会いたいらしい。


宙宇ちゅううもまだ、十我とがの家にいてくれたらいいんだけどな」


 めどぎは歩きながら、苦笑いともつかない顔を見せた。


 対して鯨歯げいはは苦笑を返し。


 むろつみは無表情で、手持ちの画板をたたくのだった。


 ……ちなみに十我とがは、宍中ししなかの三女である。


 宍中ししなかの地には一軒の家が建っている。


 その所有者は、長女の御天みあめでも次女のくるうでもなく。


 三女の十我とがということになっている。




宍中ししなか①―



 ……最初から迷わず進めたからだろう。


 三人は後巫雨陣ごふうじんを難なく、あとにした。


 まだ日は傾いていない。


 湿り気が失せる。


 方向感覚が戻る。


 ここからは宍中ししなか


 上下左右前後に繁茂していたはずの。


 後巫雨陣ごふうじんの植物たちの姿が、なくなる。


 代わりに。


 宍中ししなかには、なんの変哲もない草ばかりが生えている。


 草の丈は、そんなに高くない。


 いわゆる木は、どこにも見られず。


 そこらの草に。


 花がちらほら咲いている。


 めどぎはその光景を見ながら、深く息を吸って。


 さらに深く、息をはいた。


むろつみ、案内ありがと。


 それじゃあ十我とがの家にいくか」



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