水に囲まれ生きる人

「……じゃ、わたし帰るね」


 之墓のはかかんざし後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめに別れを告げる。

 赤泉院せきせんいんめどぎ桃西社ももにしゃ鯨歯げいはを連れて後巫雨陣ごふうじんの最奥に来たかんざしであったが、道案内の役目を果たした以上、ここにとどまる理由もない。


 確かに後巫雨陣ごふうじんは、大量の植物や湿った空気が方向感覚を狂わせてくる、迷いやすい土地。

 とはいえ、あしたはかんざしの妹の之墓のはかむろつみがこの最奥に来ることになっている。


 むろつみ後巫雨陣ごふうじんの地理に詳しい。後巫雨陣ごふうじんの最奥からめどぎたちの次の目的地である宍中ししなかの地に抜ける道も知っている。

 よってかんざしめどぎたちの帰り道を心配する必要はない。


「姉さんには、うまく言うつもり」


 かんざしは姉さん……すなわち実の姉の之墓のはかいみなにみずから伝える気のようだ。――宍中ししなか御天みあめの終わりと世界平和の実現が近いことを。ひいては自分たち巫蠱ふこの終焉を。


 いまいみなは自身の管轄する之墓のはかという地にいる。

 かんざしは、そこに帰ろうとしているらしい。


「それとめどぎさん。げーちゃん」


 めどぎを軽い敬称付きで、鯨歯げいはのほうをあだ名で呼んだかんざしは、ここ後巫雨陣ごふうじんの最奥の地にある噴水の柱に背を向ける。


「あした、むろつみがここに来るから道案内してもらって」


 そう言って去りかけるかんざし

 しかし彼女を一媛いちひめが呼びとめる。


「待って」


 一媛いちひめは水の柱に両手をしていた。

 さらに噴き上げる水が、ぴくりぴくりと震える。


離為火りいかが話したいみたい。かんざしと」


 一媛いちひめの呼びかけに対し、かんざしは立ち止まりはしたものの振り返りはしなかった。

 ともあれ一媛いちひめは水の柱に刺していた両手を引き抜く。

 最初に手をつっこんだとき彼女は、なにも持っていなかったが……今度は、なにかを手に引っかけている。

 濡れた彼女の二本の指に別の人間の指が引っかかっていた。


 その人間の手首、ひじ、肩が順に現れ、最後に足が地面の小石の上におりる。

 水の柱のなかに潜んでいた彼女は、鯨歯げいはほどではないが背丈がある。なのに華奢。


 彼女こそが一媛いちひめの妹のひとり――後巫雨陣ごふうじん離為火りいか

 姉の一媛いちひめの薬指と中指に自分の人差し指と薬指をからませている。


 それをふわりとめどぎ鯨歯げいはにあいさつした離為火りいかかんざしに歩み寄り、その背中をなぞった。


 指で字を書いたのだ。

 それは簡単な一文だった。



 そして蠱女こじょかんざし巫女ふじょ離為火りいかは、ふたりきりになれる場所に移動する。

 三人の巫女ふじょ……めどぎ鯨歯げいは一媛いちひめをその場に残し、後巫雨陣ごふうじんの最奥から少し出る。


 噴水や、その周辺を敷き詰めていた小石や、さわやかな冷気は消え失せて……巨大な植物とべとべとした空気に囲まれた場所にふたりは立つ。

 かんざしは、自分の肌に汗が吹くのを感じながらあたりを観察する。


 というのも後巫雨陣ごふうじんの三女、えつがいる可能性があったからだ。

 えつ後巫雨陣ごふうじんの最奥の地の、周辺に好んで潜む。


 別にえつのことが嫌いなわけではないが聞かれたくないことは、かんざしにもある。

 そんなかんざしを見つめながら離為火りいかは、にこやかに教える。


えつならもっと離れたところにいるよ。だって、きょうかんざしが来るとわたしは思っていたから。そしてかんざしとは、ふたりきりで話したかったから。あらかじめ、聞かないようにとえつに頼んであってね」

「そう……つまりお姉さんも、少なくともわたしが訪れることは聞いていたわけだ」


 かんざしは、離為火りいかの姉の一媛いちひめの顔を脳裏にえがく。


 しかし離為火りいかはどうやってかんざしの訪れを事前に知ったのか。


 思う者たる巫女ふじょは確かに、思うことによってなにかを実現するとされる。

 とすれば、そのなかでも特別な「みこ」として離為火りいかは「自分は未来を予測できる」とでも思ったのだろうか。


 しかし離為火りいかは未来予測などをおこなったのではなかった。

 むしろかんざしの訪れについて「絶望的な可能性」を思っていた。


 つまり離為火りいかかんざしがここに来ることを期待していなかった。なおかつかんざしと会って話したいとも思っていた。


 だから会えた。

 矛盾を含むような理屈ではあっても離為火りいかは自分を、そういう巫女ふじょだと思うのだ。


 ともあれ離為火りいかかんざしの左の耳元に口を近づける。

 お互い、どこにも座らず、あたりの植物に寄っかかることもなく、立って向かい合ったままだ。


「さびしい?」


 離為火りいかの短い問いに対し、うなずくかんざし

 さきほどまで水の柱にいたためか、離為火りいかのくちびるには水滴が残っていた。

 それがあたりの湿り気を吸い、重くなり、かんざしの耳の穴にしたたり落ちる。


 一回かんざしは震えて言った。


「乾かしてよ」


 吐き捨てるようなその言葉を聞いた離為火りいかかんざしの耳元から口を離し、代わりに右手を近づける。

 その手の人差し指と薬指を立て、かんざしの左の耳の穴に接近させる。すると、じゅっと音がした。


 かんざしは顔をそむけ、その耳の穴に右手と左手を添える。


「そういう意味じゃないよ。でも、ありがとう」


* *


 そんな調子でかんざし離為火りいかは、ふたりだけで話していたわけだが――噴水の柱の近くに残った巫女ふじょたち、めどぎ鯨歯げいは一媛いちひめのほうは、どうかというと。


 こんな会話をしていた。


鯨歯げいはちゃん。筆頭がそっけないの、なんで」


 一媛いちひめが、筆頭巫女ひっとうふじょめどぎの態度について疑問を持ったようだ。

 離為火りいかが水の柱から姿を現す前にめどぎは、一媛いちひめの「今回の平和はそとの者たちのおかげ」という趣旨の発言に対して「あっそ」と返した。


 それが気になったらしい。

 問われた鯨歯げいはは地面の小石に、自分のひざを押し付けながら、


「無愛想な返答は、疲れのためでしょう。でも話せるだけマシだとは思います」


 と答えた。


楼塔ろうとうに着いたときの筆頭は、ほとんど話せない状態だったんですよ。ここ後巫雨陣ごふうじんの最奥に来るまでも、すごく歩きましたし。だから疲れていて当然……なんですが、きょうは思ったより疲れていないようです。倒れてませんし」

「ここ湿り気が多いだろ。泉に沈んで瞑想している感があって、居心地いいんだよな」


 座ったまま、説明するめどぎ

 事情を聞いて、一媛いちひめは心のなかで思い直した。


(筆頭も頑張っている。ワタシも変に追及するのは、やめよう)


* *


 また時間は経過し……一媛いちひめたちのいるところに離為火りいかが戻ってきた。


かんざしは、かえしたよ」


 そう言って歩いてくる。


「なにを話したの」


 と一媛いちひめが問うと、


「乾かしたの」


 と離為火りいかは答える。

 彼女は姉の一媛いちひめをとおりすぎ、水の柱に足を付け……すっと、なかに入る。

 その際、めどぎに話しかける。


「筆頭。御天みあめの件とかは、もちろん、なかで聞いてたから。わたしが必要なら、いつでも言ってね」

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