水に囲まれ生きる人




之墓のはかかんざし後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめ③―



「……じゃ、わたし帰るね」


 之墓のはかかんざし後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめに別れを告げる。


 赤泉院せきせんいんめどぎ桃西社ももにしゃ鯨歯げいはを連れて後巫雨陣ごふうじんの最奥に来たかんざしであったが。


 道案内の役目を果たした以上、ここにとどまる理由もない。


 確かに後巫雨陣ごふうじんは。


 大量の植物や湿った空気が方向感覚を狂わせてくる、迷いやすい土地。


 とはいえ。


 あしたはかんざしの妹の之墓のはかむろつみがこの最奥に来ることになっている。


 むろつみ後巫雨陣ごふうじんの地理に詳しく。


 後巫雨陣ごふうじんの最奥から。


 めどぎたちの次の目的地である宍中ししなかの地に抜ける道も知っている。


 よってかんざしめどぎたちの帰り道を心配する必要はない。


「姉さんには、うまく言うつもり」


 かんざしは。


 姉さん……すなわち実の姉の之墓のはかいみなに。


 宍中ししなか御天みあめの終わりと世界平和の実現が近いことを。


 ひいては。


 自分たち巫蠱ふこの終焉を、みずから伝える気のようだ。


 いまいみなは自身の管轄する之墓のはかという地にいる。


 かんざしは、そこに帰ろうとしているらしい。


「それとめどぎさん。


 げーちゃん」


 めどぎを軽い敬称付きで。


 鯨歯げいはのほうをあだ名で呼んだかんざしは。


 ここ。


 後巫雨陣ごふうじんの最奥の地にある噴水の柱に。


 背を向ける。


「あした、むろつみがここに来るから道案内してもらって」


 そう言って去りかけるかんざし


 しかし彼女を。


 一媛いちひめが呼びとめる。


 水の柱の流動する表面に揺らめく、めどぎ鯨歯げいはの像を見ながら。


 鏡のように周囲を反射する、それには。


 かんざし一媛いちひめの姿も映り。


 さらには地面の小石などに加え。


 別の顔もあった。


 その部分の流水に一媛いちひめは。


 自身の両手を。


 その手首が隠れるまで。


 刺していた。


 下から噴き上げる水が彼女の腕にてふたつに分かれ。


 流水は、そこを迂回したあとで即座に合流し。


 再び上昇を見せる。


 その流れが、ぴくりぴくりぴくりと震えた。


 それは一媛いちひめの仕業ではなく。


 水の柱の内側……向こう側で彼女の手をつかんでいる者の。


 言葉だった。


「待って」


 一媛いちひめの、この声が発されたとき。


 水の柱に映り込む之墓のはかかんざしの姿に。


 薄く重なる影が出来た。


離為火りいかが話したいみたい。


 かんざしと」




後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめ離為火りいか①―



 一媛いちひめの呼びかけに対し。


 かんざしは立ち止まりはしたものの。


 振り返りはしなかった。


 ともあれ一媛いちひめは。


 水の柱に刺していた両手を。


 引き抜く。


 最初に手をつっこんだとき彼女は、なにも持っていなかったはずだが。


 今度は。


 なにかを手に引っかけている。


 濡れた彼女の二本の指に。


 別の人間の指が引っかかっていた。


 その人間の。


 手首、ひじ、肩が順に現れ。


 流水の壁から引き抜かれ。


 最後に足が。


 噴水を抜けた先の、地面の小石の上におりる。


 水の柱のなかに潜んでいた彼女。


 一媛いちひめの指により引っ張り出された彼女。


 鯨歯げいはほどではないが背丈はある。


 なのに華奢。


 彼女こそが一媛いちひめの妹のひとり。


 後巫雨陣ごふうじんの次女。


 巫女ふじょあるいは「みこ」の。


 後巫雨陣ごふうじん離為火りいか


 姉の一媛いちひめの薬指と中指に。


 自分の人差し指と薬指をからませている。


 それをふわりと、ほどいて。


 めどぎ鯨歯げいはにあいさつしたあと。


 まだ振り向かないかんざしに歩み寄り。


 その背中をなぞった。


 指で字を書いたのだ。


 それは簡単な一文だった。


「あっちで話そう」




之墓のはかかんざし後巫雨陣ごふうじん離為火りいか①―



 そして蠱女こじょかんざし巫女ふじょ離為火りいかは。


 ふたりきりになれる場所に移動する。


 三人の巫女ふじょ……めどぎ鯨歯げいは一媛いちひめをその場に残し、後巫雨陣ごふうじんの最奥から少し出る。


 噴水や、その周辺を敷き詰めていた小石や。


 さわやかな冷気は消え失せて。


 巨大な植物と。


 べとべとした空気に囲まれた場所にふたりは立つ。


 かんざしは、自分の肌に汗が吹くのを感じながら。


 あたりを観察する。


 というのも。


 後巫雨陣ごふうじんの三女、えつがいる可能性があったからだ。


 えつ後巫雨陣ごふうじんの最奥の地の、周辺に好んで潜む。


 別にえつのことが嫌いなわけではないが。


 聞かれたくないことは、かんざしにもある。


 そんなかんざしを見つめながら。


 離為火りいかは、にこやかに教える。


えつならもっと離れたところにいるよ。


 だって、きょうかんざしが来るとわたしは思っていたから。


 そしてかんざしとは、ふたりきりで話したかったから。


 あらかじめ、聞かないようにと。


 えつに頼んであってね」


「そう……つまりお姉さんも、少なくともわたしが訪れることは聞いていたわけだ」


 かんざしは、離為火りいかの姉の一媛いちひめの顔を脳裏にえがく。


 しかし。


 離為火りいかはどうやってかんざしの訪れを事前に知ったのか。


 思う者たる巫女ふじょは確かに。


 思うことによってなにかを実現するとされる。


 とすれば。


 そのなかでも特別な「みこ」として離為火りいかは「自分は未来を予測できる」とでも思ったのだろうか。


 しかし離為火りいかは未来予測などをおこなったのではなかった。


 むしろかんざしの訪れについて「絶望的な可能性」を。


 思っていた。


 つまり離為火りいかは。


 かんざしがここに来ることを期待していなかった。


 なおかつかんざしと。


 会って話したいとも思っていた。


 だから会えた。


 矛盾を含むような理屈ではあっても。


 離為火りいかは自分を、そういう巫女ふじょだと思うのだ。


 ともあれ離為火りいかは。


 かんざしの左の耳元に。


 口を近づける。


 お互い、どこにも座らず、あたりの植物に寄っかかることもなく、立って向かい合ったまま。


「さびしい?」


 離為火りいかの短い問いに対し。


 うなずくかんざし


 さきほどまで水の柱のなかにいたためか、離為火りいかのくちびるには水滴が残っていた。


 それがあたりの湿り気を吸い、重くなり。


 かんざしの耳の穴にしたたり落ちる。


 一回、かんざしは震え、言った。


「乾かしてよ」


 吐き捨てるようなその言葉を聞いた離為火りいかは。


 かんざしの耳元から口を離し、代わりに。


 右手を近づける。


 その手の人差し指と薬指を立て、かんざしの左の耳の穴に接近させると……。


 なにか、じゅっと。


 音がした。


 かんざしは顔をそむけ、その耳の穴に右手と。


 左手を添える。


「そういう意味じゃないよ。


 でも、ありがとう」




巫女ふじょたち①―



 そんな調子でかんざし離為火りいかは、ふたりだけで話していたわけだが。


 噴水の柱の近くに残った巫女ふじょたち……。


 めどぎ鯨歯げいは一媛いちひめのほうは、どうかというと。


 こんな会話をしていた。


鯨歯げいはちゃん。


 筆頭がそっけないの、なんで」


 一媛いちひめが、筆頭巫女ひっとうふじょめどぎの態度について疑問を持ったようだ。


 離為火りいかが水の柱から姿を現す前にめどぎは、一媛いちひめの「今回の平和はそとの者たちのおかげ」という趣旨の発言に対して「あっそ」と返した。


 それが気になったらしい。


 問われた鯨歯げいはは地面の小石に、自分のひざを押し付けながら。


「無愛想な返答は、疲れのためでしょう。


 でも話せるだけマシだとは思います」


 と答えた。


楼塔ろうとうに着いたときの筆頭は、ほとんど話せない状態だったんですよ。


 ここ後巫雨陣ごふうじんの最奥に来るまでも、すごく歩きましたし。


 だから疲れていて当然……なんですが、きょうは思ったより疲れていないようです。


 倒れてませんし」


「ここ湿り気が多いだろ。


 泉に沈んで瞑想している感があって、居心地いいんだよな」


 座ったまま、説明するめどぎ


 事情を聞いて、一媛いちひめは心のなかで思い直した。


(筆頭も頑張っている。


 ワタシも変に追及するのは、やめよう)




後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめ離為火りいか②―



 また時間は経過し……。


 一媛いちひめたちのいるところに。


 離為火りいかが戻ってきた。


かんざしは、かえしたよ」


 そう言って歩いてくる。


「なにを話したの」


 と一媛いちひめが問うと。


「乾かしたの」


 と離為火りいかは答える。


 彼女は姉の一媛いちひめをとおりすぎ。


 地下水が噴き出して柱のようになった場所に足を付け。


 すっと、なかに入る。


 その際、めどぎに話しかける。


「筆頭。


 御天みあめの件とかは、もちろん、なかで聞いてたから。


 わたしが必要なら、いつでも言ってね」



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