第二章「『みこ』と呼ばれる者たち」

その「みこ」の住む場所/案内役




後巫雨陣ごふうじん①―



 流杯りゅうぱいと別れたあと。


 楼塔ろうとうから出ためどぎ鯨歯げいは


 次は、後巫雨陣ごふうじんの地に足を踏み入れる。


 楼塔ろうとうを守っていたのは、「思われる者」たる蠱女こじょ流杯りゅうぱいたちだったが。


 この地を守るのは、思う者……巫女ふじょ。 


 長女、後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめ


 次女、後巫雨陣ごふうじん離為火りいか


 三女、後巫雨陣ごふうじんえつ


 彼女たち巫蠱ふこは、それぞれの守る土地の名を名字に持つ。


 各名字ひとつにつき姉妹が三人ずつ。


 ここまでは、後巫雨陣ごふうじんの三姉妹も例外ではないが。


 巫蠱ふこのなかでは一媛いちひめ離為火りいかえつにのみ適用される特殊が存在する。


 すなわち。


 後巫雨陣ごふうじん巫女ふじょは、「みこ」とも呼ばれる。


 ほかの巫女ふじょたちの属する赤泉院せきせんいん桃西社ももにしゃ刃域じんいきに関しては、そうではないのに。


 たとえば赤泉院せきせんいんめどぎ


 彼女は「ひっとうふじょ」ではあるが「ひっとうみこ」ではない。


 なぜ「みこ」ではなく「ふじょ」と言うのか。


 それは、巫蠱ふこのあいだにおいて対をなす「こじょ」に読みを似せているからだ。


 なお蠱女こじょの読みは「こじょ」で固定されている。


 彼女たち巫蠱ふこ……巫女ふじょ蠱女こじょのなかで「みこ」を名乗れるのは。


 後巫雨陣ごふうじん巫女ふじょだけなのだ。


 事実、「みこ」と呼ばれてもおかしくない者たちだ。


 しかし「みこ」とは具体的になにか。


 それはまだ説明する段階にない。


 だから、いまは。


 なにより「思う者」たる彼女たち自身が、自分たちを「みこ」と思っているというその一点により。


 後巫雨陣ごふうじんの姉妹を「みこ」と断定することにしよう。


 さて。


 そんな彼女たちの守る地は、当然ながら一筋縄ではいかない。


 めどぎ鯨歯げいはも、手こずりながら歩を進めていた。




後巫雨陣ごふうじん②―



 後巫雨陣ごふうじんの地は、湿っている。


 足を踏み入れた瞬間、肌と服とがひんやりし、少しばかり重くなる。


 見回せば、上下左右前後……どの方向にも植物が繁茂し、人の移動を妨げる。


 生長というよりは肥大した植物が水気を含みながら。


 濡れた皮膚へと貼り付いてくる。


 霧はないものの、全方位から水滴を吹きかけられているようで、方向感覚が狂う。




巫女ふじょ蠱女こじょ④―



「迷いました」


 植物と植物のあいだを何回も抜けたあと。


 桃西社ももにしゃ鯨歯げいはが嘆息を漏らした。


 めどぎは肩で息をしながら返事をする。


「やっぱりか」


 その台詞は、存外はっきりしていた。


「おまえ何回ここ来たことある?」


 ここ……すなわち後巫雨陣ごふうじんは。


 めどぎ鯨歯げいはが普段住んでいる赤泉院せきせんいんの、隣の地のひとつである。


 赤泉院せきせんいんと隣り合う地は全部で五つ。


 たとえば後巫雨陣ごふうじんに入るまでめどぎが歩いていた楼塔ろうとうは、赤泉院せきせんいんの西隣に位置する。


 しかし赤泉院せきせんいんの南西あたりで境を接するのは、楼塔ろうとうではなく後巫雨陣ごふうじん


 なお楼塔ろうとう後巫雨陣ごふうじんも互いに隣り合っている。


 めどぎたちはその境を越えてきたというわけだ。


 ともあれ。


 距離だけを見れば赤泉院せきせんいん後巫雨陣ごふうじんは離れていない。


 後巫雨陣ごふうじんの姉妹と同じ巫蠱ふこであり、同じ巫女ふじょでもあるめどぎたちが、互いに交流を持たなかったわけもないのだが。


 鯨歯げいは後巫雨陣ごふうじんを訪れた回数について。


「数えてませんよ」


 と答えた。


 めどぎもそれに共感を示す。


「わたしもだ」


 果たしてそれは、数える必要もないほど訪ねていないという意味か。


 もしくは数えられないほど来たことがあるだけなのか。


 その答えは、本人たちのみが知る。


 なんにせよ。


 そんな調子で植物のあいだをさまよう巫女ふじょふたり。


 ここで。


 彼女たちの前に、木陰より人影が現れる。


 それは、ひとりの蠱女こじょだった。


「げーちゃん、めどぎさん。


 やっと来たね」


 湿った空気に溶けた声音が、めどぎの鼓膜を震わせた。


「あ、かんざし




之墓のはかかんざし赤泉院せきせんいんめどぎ①―



 之墓のはかかんざしは、自分の髪を葉っぱでこすりながら姿を見せた。


 どうやら近くの植物から、もいだ葉っぱらしい。


 彼女が葉っぱをすべらせるたび、髪がしっとり浮き上がる。


 かんざしめどぎに目を向ける。


「……『なんでこいつが、ここに』って顔だね、めどぎさん。


 実は、ぜーちゃんに頼まれたのさ」


 かんざしによると。


 きのうの深夜、楼塔ろうとうの屋敷の流杯りゅうぱいの部屋で食事を平らげたあと。


 妹のむろつみと共に食器を片付けに台所に向かったかんざしだったが。


 そこでは「ぜーちゃん」こと楼塔ろうとうが待っていた。


 自分の道場で眠っていたはずのが待ち構えていたということは。


 かんざしむろつみ楼塔ろうとうの屋敷に潜んでいることをも見抜いていたということになる。


 そしては、之墓のはかの姉妹にも御天みあめの仕事が終わりかけていることを説明した。


 さらにめどぎたちがこれから後巫雨陣ごふうじんに向かうだろうと予想したは。


 かんざしめどぎ鯨歯げいはの道案内を頼んだ。


 方向感覚を狂わせてくる後巫雨陣ごふうじんの地ではあるが、かんざしなら迷いなく進むことができる。


 ちなみに後巫雨陣ごふうじんの案内は妹のむろつみにも可能だった。


 しかしむろつみの話を聞いたあとに眠ってしまった。


 深夜というより未明の時間帯のころであった。


 その前にむろつみかんざしに伝えた。


(あしたはわたしが後巫雨陣ごふうじんの最奥にいってめどぎお姉ちゃんたちを案内するから……。


 お姉ちゃんはめどぎお姉ちゃんと鯨歯げいはお姉ちゃんを最奥まで導いたあとで之墓のはかに帰ってていいよ)


 に部屋を貸してもらい、睡眠中のむろつみを布団の上に寝かせてから。


 かんざし後巫雨陣ごふうじんに入り、めどぎたちを待った。


「本当は楼塔ろうとうにいる時点で行動を共にしてもよかったんだけどね。


 隠れていた手前、出づらくて。


 ま、ぜーちゃんの道場も再開されたし、姉さんのところに戻るついでにね」


「え、その話からするとおまえ……」




之墓のはかかんざし赤泉院せきせんいんめどぎ②―



「……家出してたの?」


「なんで、そうなるのさ」


「なんとなく、そう思って……ごめん」


「別にいいよ」


「そもそも、どうして楼塔ろうとうの屋敷に」


むろつみのほうは絵をかきたかったんだろうけど、わたしは」


 それからかんざしは、妹のむろつみにした話を繰り返す。


 なにかがぽろっと落ちるように思われて、やってきたと。


 めどぎは肌に貼り付いてくる植物をはらいながら、納得した様子を見せる。


「それで、ぜーちゃんが道場を休んだことに気付いて駆け付けたのか。


 誰から聞いたわけでもないだろうに」


 さすがに「喪失」を感じ取れると思われている蠱女こじょだな、とめどぎは思う。


「てかおまえとむろつみが、あの屋敷にいたなんて知らなかったな」


「え、ほんと?


 りゅーちゃんもぜーちゃんも分かってたんだけど」


 ちなみに。


 かんざしは、さきほどめどぎから「家出」を疑われたため。


 ここでは少々生意気に振る舞い、わずかばかりの意趣返しをおこなっていた。


 かわいいものであるし。


 もともと勘繰った自分が悪いと分かっているので。


 めどぎもそれに文句は言わず。


 笑ってみせる。


「もしかして、わたしだけが知らなかったりして」




之墓のはかかんざし桃西社ももにしゃ鯨歯げいは①―



 かんざしめどぎから視線を外し。


 桃西社ももにしゃ鯨歯げいはに声をかける。


 めどぎかんざしが話しているあいだ。


 鯨歯げいはは、そこらの樹木に貼り付いていたのだ。


「げーちゃん気付いてた?」


「妹さんのほうなら」


 鯨歯げいはの声には湿り気が乗っていた。


「直接見たわけじゃないですけど。


 紙をこする音が夢心地に聞こえたような気がしたので」




後巫雨陣ごふうじん③―



 すべら探しも忘れずにおこないつつ。


 三人は後巫雨陣ごふうじんをかき分けていく。


 奥に進めば進むほど、湿り気の感覚が増す。


 植物たちのあふれさせる水気の量も多くなり。


 その肥大ぶりに拍車がかかる。


 空気自体がべっとりしていて、肌に吹く汗と区別がつかない。


 だがそれは、最奥までの辛抱だ。


 もうすぐ抜ける。



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