第二章「『みこ』と呼ばれる者たち」

その「みこ」の住む場所/案内役

 流杯りゅうぱいと別れたあと、めどぎ鯨歯げいは楼塔ろうとうから出た。


 次は、後巫雨陣ごふうじんの地に足をれる。



 楼塔ろうとうを守っていたのは「思われる者」たる蠱女こじょ流杯りゅうぱいたちだったが、この後巫雨陣ごふうじんを守るのは「思う者」たる巫女ふじょである。 


 長女の後巫雨陣ごふうじん一媛いちひめと次女の離為火りいかと三女のえつがそこにいる。


 彼女かのじょたち巫蠱ふこは、それぞれの守る土地の名を名字みょうじに持つ。

 名字ひとつにつき姉妹が三人ずつ存在する。


 ただし巫蠱ふこのなかでは一媛いちひめ離為火りいかえつにのみ適用されることがある。


 すなわち後巫雨陣ごふうじん巫女ふじょは、「みこ」とも呼ばれる。


 そして、ほかの赤泉院せきせんいん桃西社ももにしゃ刃域じんいき巫女ふじょは「みこ」とはちがう。

 たとえば赤泉院せきせんいんめどぎは「ひっとうふじょ」ではあるが「ひっとうみこ」ではない。


 なぜ「みこ」ではなく「ふじょ」と言うのか。

 それは、巫蠱ふこのあいだにおいてついをなす「こじょ」に読みを似せているからだ。

 なお蠱女こじょの読みは「こじょ」で固定されている。


 彼女たち巫蠱ふこ――巫女ふじょ蠱女こじょのなかで「みこ」を名乗れるのは後巫雨陣ごふうじん巫女ふじょだけなのだ。


 事実、「みこ」と呼ばれてもおかしくない者たちだ。

 しかし「みこ」とは具体的になにか――それはまだ説明する段階にない。


 だからいまは、なにより「思う者」たる後巫雨陣ごふうじんの三姉妹が自分たちを「みこ」と思っているというその一点いってんにより、後巫雨陣ごふうじんの姉妹を「みこ」と断定することにしよう。


 さて、そんな彼女たちの守る地は当然ながら一筋縄ひとすじなわではいかない。



 めどぎ鯨歯げいはも、手こずりながらを進めていた。


 後巫雨陣ごふうじんの地は、湿しめっている。

 足を踏み入れた瞬間しゅんかんはだと服とがひんやりし、少しばかり重くなる。


 見回せば、上下左右前後……どの方向にも植物が繁茂はんもし、人の移動をさまたげる。

 生長というよりは肥大ひだいした植物が水気みずけふくみながら、れた皮膚ひふへとり付いてくる。

 きりはないものの、全方位から水滴すいてききかけられているようで、方向感覚がくるう。


* *


「迷いました」


 植物と植物のあいだを何回もけたあと、桃西社ももにしゃ鯨歯げいは嘆息たんそくらした。

 めどぎかたで息をしながら返事をする。


「やっぱりか」


 その台詞せりふは、存外はっきりしていた。


「おまえ何回ここ来たことある?」


 ここ――すなわち後巫雨陣ごふうじんは、めどぎ鯨歯げいは普段ふだん住んでいる赤泉院せきせんいんとなりの地のひとつである。


 赤泉院せきせんいんとなり合う地は全部で五つ。

 たとえば後巫雨陣ごふうじんに入るまでめどぎが歩いていた楼塔ろうとうは、赤泉院せきせんいん西隣にしどなりに位置する。


 しかし赤泉院せきせんいんの南西あたりでさかいを接するのは、楼塔ろうとうではなく後巫雨陣ごふうじん


 なお楼塔ろうとう後巫雨陣ごふうじんたがいに隣り合っている。

 めどぎたちはその境をえてきたというわけだ。


 ともあれ距離きょりだけを見れば赤泉院せきせんいん後巫雨陣ごふうじんはなれていない。

 後巫雨陣ごふうじんの姉妹と同じ巫蠱ふこであり、同じ巫女ふじょでもあるめどぎたちが、互いに交流を持たなかったわけもないのだが……。


 鯨歯げいは後巫雨陣ごふうじんを訪れた回数について、


「数えてませんよ」


 と答えた。

 めどぎもそれに共感を示す。


「わたしもだ」


 果たしてそれは、数える必要もないほどたずねていないという意味か、もしくは数えられないほど来たことがあるだけなのか――その答えは、本人たちのみが知る。


 なんにせよ、そんな調子で植物のあいだをさまよう巫女ふじょふたり。


 ここで彼女たちの前に、木陰こかげより人影ひとかげが現れる。

 それは、ひとりの蠱女こじょだった。


「げーちゃん、めどぎさん。やっと来たね」



 湿った空気にけた声音こわねが、めどぎ鼓膜こまくふるわせた。


「あ、かんざし



 之墓のはかかんざしは、自分のかみを葉っぱでこすりながら姿を見せた。

 どうやら近くの植物から、もいだ葉っぱらしい。


 彼女が葉っぱをすべらせるたび、髪がしっとりがる。

 かんざしめどぎに目を向ける。


「……『なんでこいつが、ここに』って顔だね、めどぎさん。実は、ぜーちゃんにたのまれたのさ」



 かんざしによると……きのうの深夜、楼塔ろうとうの屋敷の流杯りゅうぱいの部屋で食事をたいらげたあと、妹のむろつみと共に食器を片付かたづけに台所に向かったかんざしだったが……。


 そこでは「ぜーちゃん」こと楼塔ろうとうが待っていた。


 どうやらは、かんざしむろつみ楼塔ろうとうの屋敷にひそんでいることを見抜みぬいていたらしい

 そしては、之墓のはかの姉妹にも御天みあめの仕事が終わりかけていることを説明した。


 さらにめどぎたちがこれから後巫雨陣ごふうじんに向かうだろうと予想したは、かんざしめどぎ鯨歯げいはの道案内をたのんだ。


 方向感覚を狂わせてくる後巫雨陣ごふうじんの地ではあるが、かんざしなら迷いなく進むことができる。


 ちなみに後巫雨陣ごふうじんの案内は妹のむろつみにも可能だった。

 しかしむろつみの話を聞いたあとに眠ってしまった。

 深夜というより未明の時間帯のころであった。


 その前にむろつみかんざしに伝えた。


(あしたはわたしが後巫雨陣ごふうじん最奥さいおうにいってめどぎお姉ちゃんたちを案内するから……お姉ちゃんはめどぎお姉ちゃんと鯨歯げいはお姉ちゃんをそこまで導いたあと之墓のはかに帰ってていいよ)


 に部屋を貸してもらい、むろつみ布団ふとんかせたかんざしは、後巫雨陣ごふうじんに入ってめどぎたちを待った。



「――というわけ。本当は楼塔ろうとうにいた時点で一緒いっしょになってもよかったんだけどね。かくれていた手前、出づらくて。ま、ぜーちゃんの道場も再開されたし、姉さんのところにもどるついでにね」

「え、その話からするとおまえ……」


 めどぎかんざしに、おそるおそる言う。


「……家出してたの?」

「なんで、そうなるのさ」


「なんとなく、そう思って……ごめん」

「別にいいよ」


「そもそも、どうして楼塔ろうとうの屋敷に?」

むろつみのほうは絵をかきたかったんだろうけど、わたしは――」


 それからかんざしは、妹のむろつみにした話をり返す。

 なにかがぽろっと落ちるように思われて、やってきたと。


 めどぎは肌に貼り付いてくる植物をはらいながら、納得なっとくした様子を見せる。


「それで、ぜーちゃんが道場を休んだことに気付いてけ付けたのか。だれから聞いたわけでもないだろうに」


 さすがに「喪失そうしつ」を感じ取れると蠱女こじょだな……とめどぎは思う。


「てかおまえとむろつみが、あの屋敷にいたなんて知らなかったな」

「え、ほんと? りゅーちゃんもぜーちゃんも分かってたんだけど」


 ちなみにかんざしは、さきほどめどぎから「家出」を疑われたため……ここでは少々生意気なまいきい、わずかばかりの意趣返いしゅがえしをおこなっていた。


 かわいいものであるし、もともと勘繰かんぐった自分が悪いと分かっているので、めどぎもそれに文句は言わず笑ってみせる。


「もしかして、わたしだけが知らなかったりして」

「そうかも」


 かんざしめどぎから視線を外す。

 ついで、桃西社ももにしゃ鯨歯げいはに声をかける。


 めどぎかんざしが話しているあいだ鯨歯げいはは、そこらの樹木じゅもくに貼り付いていたのだ。


「げーちゃん気付いてた?」

「妹さんのほうなら」


 鯨歯げいはの声には湿しめが乗っていた。


「直接見たわけじゃないですけど、紙をこするおと夢心地ゆめごこちに聞こえたような気がしたので」


* *


 すべら探しも忘れずにおこないつつ、三人は後巫雨陣ごふうじんをかき分けていく。


 おくに進めば進むほど、湿り気の感覚が増す。

 植物たちのあふれさせる水気の量も多くなり、その肥大ぶりに拍車はくしゃがかかる。


 空気自体がべっとりしていて、肌に吹くあせと区別がつかない。

 だがそれは、最奥までの辛抱しんぼうだ。


 もうすぐ抜ける。

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