静かに震える




楼塔ろうとう赤泉院せきせんいんめどぎ①―



「なるほど。


 筆頭巫女ひっとうふじょ御天みあめについて話したいと」


 復唱するかのように鯨歯げいはへと言葉を返した。


 対して鯨歯げいははうなずき、自分についてくるよう手招きする。


 は、坂になっている渡り廊下を鯨歯げいはと共にくだる。


 そして楼塔ろうとうの屋敷に入る。


 案内されたのは、その一室。


(ここわたしたちの屋敷なんだが、鯨歯げいははまるで自分の家みたいにわたしを案内するな……)


 ……という気持ちを抑えつつ鯨歯げいはに続いて戸をあけるであった。


 すると筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎが、部屋のなかで横になっていた。


「あ、ぜーちゃん。


 わたしら……さっき来たとこなんだけど……見たところ……。


 すべらは戻ってきてないっぽいな……。


 できれば御天みあめの件で……あいつにも……すぐ会いたかったが……」


 めどぎの発音は切れ切れだった。


 そんな疲れた様子のめどぎに、は柔らかく声をかける。


「その前に休んでください」




楼塔ろうとう桃西社ももにしゃ鯨歯げいは②―



 間もなくめどぎは眠ってしまった。


 そのそばに、鯨歯げいはがすとんと正座する。


「久しぶりに長く歩いたから疲れたんですよ、あとはわたしが見ておきますので」


 そんな鯨歯げいはの言葉が、には好ましく思われた。


「わたしもついておこうか」


「お気持ちだけで」


「分かった。


 あしたは道場、休みにするから」


「え、楼塔ろうとうの次女さんがそこまでしなくても」


「いいんだ鯨歯げいは


 御天みあめが終わることを、わたしは本人から直接聞いている。


 それに運動音痴の筆頭巫女ひっとうふじょがわざわざ自分の体に無理を強いてまでやってきた。


 そこに重大な意味を感じ取れないほどわたしは鈍感ではないよ」




之墓のはかむろつみ①―



 そして夜も更ける。


 暗闇のなか、めどぎだけでなく鯨歯げいはも寝静まる。


 その時間帯にて。


 ひとつの小さな影が動いた。


 もちろん、それは楼塔ろうとうでもない。 


 影は紙と、筆のようなものを取り出した。


 なにやら絵をかいているらしい。


 それもめどぎ鯨歯げいはのすぐそばで。


 紙をこする音はまあまあ大きいのに、なぜかふたりが起きることはない。


 むしろ眠りが深くなっていく。


 かたや絵に夢中になっている小さな影。


 その正体は誰か。


 無論、めどぎと同じく巫蠱ふこのひとりだ。


 いま楼塔ろうとうの屋敷に入ることができるのは、彼女たち巫蠱ふこ以外にありえないのだ。


 小さな影を持つ彼女の名前は……むろつみ


 蠱女こじょ之墓のはかむろつみである。




赤泉院せきせんいんめどぎ桃西社ももにしゃ鯨歯げいは④―



 朝。


 むろつみはどこかに消えていた。


 なんにせよ鯨歯げいはが目を覚まし、体を伸ばす。


 そのときには、すでにめどぎは起きていた。


 体を丸め、じっとしていた。


 奇妙な姿勢を目にした鯨歯げいはは、心配そうに口をひらく。


「筆頭、具合が悪いなら……」


「おはよう鯨歯げいは


「あ、おはようございます」


 鯨歯げいはが判断したところ、めどぎの声音からはきのうの疲れがある程度抜けているようだった。


 しかしめどぎは奇妙な姿勢をしばらく続けた。


「やっぱ泉じゃないと瞑想できないな」


 めどぎが言っているのは、彼女が瞑想の際に沈む泉のことだ。


 赤泉院せきせんいんの屋敷のそばにはあるが、楼塔ろうとうの屋敷のほうにはこの泉に相当する場所がない。


 泉に沈んでの瞑想はめどぎにとって重要な行為のようだ。


 本来、自身の精神を安定させるため毎日それをやっている彼女。


 その瞑想ができなければ、調子が狂ってしまうのだ。


「息が続く。


 呼吸をとめようとしても」


 どうやら、息をとめることが彼女の瞑想において大切なことらしい。




楼塔ろうとう流杯りゅうぱい①―



 めどぎは、まだ体を丸めている。


 鯨歯げいはがそれをじっと見つめているとき……。


 部屋の戸があいた。


「おはようですね、ご両人」


 めどぎたちが休んでいた一室に誰かが入ってきた。


 あいさつと共に現れたのは、蠱女こじょ楼塔ろうとう流杯りゅうぱい


 の妹である。


 きのう姉に代わってめどぎ鯨歯げいは楼塔ろうとうの屋敷に入れてくれたのは彼女である。


 だが心なしか、きのうから流杯りゅうぱいの声はうわずっているようだ。


「ごはん食べます?」




楼塔ろうとう流杯りゅうぱい赤泉院せきせんいんめどぎ①―



 めどぎは体を丸めるのをやめ、「食べる」と言った。


 鯨歯げいはもそれに同調する。


 ややひきつった笑顔を見せ、流杯りゅうぱいはいったん部屋から出ていく。


 そして食事を持ってくる。


 めどぎたちは箸をつかみ、勢いよく食べ始めた。


流杯りゅうぱい、おまえのメシ、またうまくなったな」


「いやあ、ただの一汁一菜ですよ」


 赤泉院せきせんいんめどぎからほめられた楼塔ろうとう流杯りゅうぱいが、照れくさそうにごはんをかっこむ。


「最近は師匠に料理も習っていて」


 流杯りゅうぱいの言う「師匠」とは、蠱女こじょのひとりさし射辰いたつのことである。


 射辰いたつは一流の狩人だが、料理の腕も相当なものだ。


 そんな彼女を流杯りゅうぱいは尊敬している。


 気持ちを察し、めどぎは少し箸をとめる。


「そりゃうまくなるわけだ。


 頑張ってんね」




楼塔ろうとう流杯りゅうぱい桃西社ももにしゃ鯨歯げいは①―



 流杯りゅうぱいの持ってきた食事を彼女たちが平らげるのに、そんなに時間はかからなかった。


「ごちそうさま。


 さてこれから、ぜーちゃんと話してくるから」


 そう言い残してめどぎは部屋をあとにする。


 部屋には、流杯りゅうぱい鯨歯げいはが残された。


 流杯りゅうぱいが食器を片付ける。


 それを鯨歯げいはが手伝う。


 お礼を述べ、少し逡巡し、流杯りゅうぱいは質問する。


鯨歯げいはおまえ怖くない?」


「なにがです」


 きょとんとする鯨歯げいは


 頼もしいと言えば頼もしいが、のんきと言えばのんきである。


 やや目をそらしつつ流杯りゅうぱいはまくしたてる。


「だって御天みあめっちの仕事がなくなるって。


 蠱女こじょ……思われる者の最高峰のあの人の仕事がなくなれば、ほかの蠱女こじょの仕事も喪失すると思われるし……。


 つまり……。


 ……わたしたち、もう思われなくなっちゃうだろ。


 蠱女こじょでいられなくなるんだよ」




楼塔ろうとう流杯りゅうぱい桃西社ももにしゃ鯨歯げいは②―



 鯨歯げいはは首をひねる。


「分かりませんね。


 そもそもわたしは思う者……巫女ふじょですし。


 同じ巫蠱ふこではありますが……。


 御天みあめさまや楼塔ろうとうの三女さんとは違って蠱女こじょでないわたしからは、なんとも言えないと思います」


「そうだけど……。


 なんか怖くって」


 流杯りゅうぱいは言葉を濁す。


 鯨歯げいはの口調は冷たくも聞こえたが、別に流杯りゅうぱいを不安にさせようと思って言ったわけではない。


 もちろん流杯りゅうぱいもそれは理解している。


 そんな流杯りゅうぱいに気付いたのか、鯨歯げいははこんなことも口走った。


御天みあめさまの仕事の終わりは、世界平和を意味するわけです。


 うちの筆頭がすべらさん探してるのも、真っ先にちゅーうに手紙を出したっぽいのも、めでたいからでしょうよ」

 

 ……鯨歯げいはなりの励ましのつもりでもあったのだろうか。


 確かに、本当に世界平和が訪れるなら歓迎すべきとは言える。


 とはいえめでたいことが事実だとしても、少なくとも蠱女こじょが滅びかけていることに変わりはない。


 逆にそのめでたさが、不可避の未来を後押しする感もある。


 下手したら励ますどころか逆効果にもなりそうだった。


 だが自分のことを思ってくれる鯨歯げいはの気持ちが流杯りゅうぱいには嬉しかった。


 加えて楽観的とは異なる、大きな視点が鯨歯げいはにはあるような気もした。


「やっぱり頼もしい」


 からの食器をまとめて部屋から持っていくふたり。


 廊下で鯨歯げいはの横顔を見ながら、流杯りゅうぱいは少し気が楽になった自分に気付いた。


鯨歯げいは


 ねーちゃんとめどぎさんは、いま、なにを話してると思う」


「……聞き耳を立ててみましたが、分かりませんでした」


 その返答を聞いて、流杯りゅうぱいは笑い声を我慢するのに必死になるのだった。


 呼吸を整えたあとも、流杯りゅうぱいの口角は上がっていた。


「きっと『終わり』について。


 いや、『終わり方』について話してるんじゃないかな」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る